第5話 神託と火種
男爵家の令嬢の誘拐で、街は騒然としていた。
眠るラーラを連れて騎士の詰所に着いた頃には、夜はしっかり更けていた。
レニス家の関係者にラーラを引き渡した。
感動の再会だった。
涙ながらに感謝された。
良いことをしたはずだった。
なのに、今、父の執務室で、執事長セルウスに叱られている。
「何度言ったらわかるのですか」
「いや、急な事件で——」
「言い訳は不要です。使用人一同、神託の結果を楽しみにしていたんですよ。それがいくら待っても帰ってこない」
「連絡一つできなかったのですか?」
「……」
言葉に詰まる。『報・連・相』何度転生しても身につかないな——と考えるのを放棄する。
「聞いていますか!?」
「セルウス、もうよい」
父カルス・ヴェレントが言葉を挟んだ。
「レニス男爵から感謝状が届いている。セルウスの言うことにはしっかり反省してもらうとして——この件はよくやった」
テルムは小さく頷く。
「動機は何だったのでしょうか?」
「まだ、聴取中だが……おそらく別の貴族が絡んでいる」
「王国の歴史は長い。増えすぎた貴族をよく思わない者もいる。テルムもよく気をつけるように」
「……わかりました」
「セルウス、いったん下がってよい。ここからは神託の話しだ」
「承知しました。失礼致します」
セルウスが部屋を出て、ドアが閉まる。
足音が遠のいていくのを確認し、カルスが話し出す。
「して、それが神獣か?」
「はい」
「エルです! よろしくお願いします」
器用にお辞儀する。
「皆から聞いてはいたが、目の当たりにすると驚くな——種は?」
「わからないとのことです」
「神託は?」
「二つ。神獣を育てろ。王国を救え。でした」
「王国を救え……か」
解釈が幅広いなと、呟き、唸る。
「ちなみに、スキルは?」
エルが小さく耳を揺らした。
尾が丸まる。
「授かりませんでした」
「ふむ」
なるほどな、と再びエルを見つめ考え込む。
カルスの視線が細くなり、空気が一段静かになった。
テルムが話題を変えるように問いかける。
「”王国を救え”とは何でしょうか?」
カルスはテルムのほうに視線を変える。
表情は元に戻っていた。
「今の王国は一枚岩ではない。複数の思惑がぶつかり合っている。近いうちに、必ず火がつく」
「我々は第二王子を支えることを決めた。願わくば、お前の神託が、同じ道を歩むことであって欲しいと思う」
「もし違ったら?」
カルスはすぐには答えなかった。
一度だけ目を細める。
短い沈黙のあと、静かに言った。
「お前の神託だ。お前の信じる道を進めばよい」
真っ直ぐにテルムを見つめていた。
***
執務室とは反対側、庭に面した静かな離れがテルムの自室である。
「少し離れてるんですね」
「いろいろしたからな」
幼い頃から実験で何度も屋敷を壊した。その結果、この離れが建てられた。
ここなら前世の魔術も試せる。失敗しても、セルウスに怒られるだけで済む。
(この環境は有難い)
自室の扉を閉め、上着を椅子の背にかけた。
長かった。生まれてから儀式までの十五年は、いつも長すぎる。
——ようやくか。
息を吐いたところで、後ろから声がかかった。
「テルムくん、たくさん本持っているんですね」
振り返ると、そこには見慣れた少女がいた。
——猫ではない。
「……人型になれるのか?」
「えっ? なれますけど。知ってましたよね」
「地上では猫だと」
エランが少し目を丸くした。
「それだと読みにくくないですか?」
(そういうことではない)
「……自由に替われるのか?」
「当たり前じゃないですか——」
その場で一回転し、片手を腰に当てて、何かを期待する顔をする。
——どこで覚えたんだその姿勢は。
「どうです?」
「……イラッとした」
「却下です」
エランが不服そうな顔をした。
「もっと他の感想はありませんか」
(なんだ、この女神は……)
「目立つから、他の人の前ではその姿になるなよ」
テルムは頭をかき、目を背けながら言った。
エランは一度、二度頷く。
「神々しいってことですね、まあよしとしましょう」
「言ってない」
「それより——」
エランが本棚に向き直る。
「本がたくさんあって良いですね。何を集めているんですか?」
「雑多だ。魔術書、歴史書、あとは資料だな。神界にも本があるのか?」
「ありますよ!神界をなんだと思ってるんですか……私は特にラノベが好きなんです——」
エランが語る。意味はわからないが、情熱だけが残る。
(初めて見るな——だが)
「……神様って、案外暇なんだな」
「むっ……忙しいですよ! で、この世界にラノベは?」
「聞いたことがない」
「そんな……」
エランは膝から崩れ落ちた。
「おい、——」
声を掛けようとした。
だが、「普及しなくては——」と繰り返し呟く声が聞こえ、動きを止めた。
(いつも通りだ)
テルムは机に向き直り、厚い紙の束へ手を伸ばした。
パラパラと捲り、書き込みを進める。
「テルムくん、それなんですか?」
いつの間にか再起動したエランが後ろから声をかけた。
「……覚えていることを書き留めてる。全部じゃないが」
エランが近づきそっと手を伸ばした。テルムは止めなかった。
束を受け取ると、思ったより重みがあった。
一枚、二枚とめくる。
細かい字、図、書き込みが圧し込まれるように目に入る。描き方に統一はなく、別々の世界の記録を無理やり繋いだようだった。
「すごい……」
ほんの少しだけ、声が揺れていた。
どれくらいの時間と、どれくらいの世界が、ここに収まっているのか。
「……前世の記憶ってあるんですか?」
「ぼんやりとな。ほとんど覚えてないが、魔術のことは結構覚えてる」
途中、エランの手が止まった。
魔法陣が描かれたページだった。
幾何学的な線が複数走り、記号が密集している。複数の文字が入り混じり、一部は欠けていた。
「……これ、なんですか」
「古い魔術の構造図だ」
「この世界とは形式が違うから、組み換えている途中だ」
「いいですね! これ、続きをやってみましょう!」
「……なぜ」
「複数世界の統合! 興味あります!」
(今進めている物だから、断る理由はないが……)
ただ、高純度の魔石の入手が難しい。
エランを見る。
(適当……って訳でもなさそうだな)
前のめりに立ち、紙を持つ手に力がある。
眩しいぐらいに期待に満ちた目をしている。
(神様視点の意見を聞けるのも面白い)
そう思うと、実験欲がふつふつと湧いてくる。
純度を落としても、ギリギリいけるか。
「素材が足りない。買いに行くか」
エランの顔が、ぱっと明るくなる。
「私もいっていいですか」
「好きにしろ」
エルの姿に戻るのを確認してから、
テルムは上着を取った。
——まずは、買えるもので試してみるか。
エルの尾が楽しげに揺れていた。
市場に向かう中、テルムは考える。
日常は変わらず回っている。
街は活気に満ち、実験の楽しみも増えた。
“王国を救う”……か。
これまでもそうだった。
何度も見てきた。
何かが崩れるときは、決まってこういったときだ。
賑わう通りを見渡し、短く息を吐く。
——火種はある。
あとは、いつどこで火がつくか。
***
この日、第二王子派の貴族が二つの大きな被害を受けた。
一つは誘拐による身代金請求。
もう一つは魔物の異常発生だった。
同時期、同一派閥。
偶然で済ませるには、出来すぎていた。
——火は、すでに燃え始めている。
それがどこに広がるのか、まだ誰も知らない。
【序章 完】
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