第3話 従魔になった女神
ぺちぺち、ぺちぺち。
——目を覚ますと、白い猫に顔を叩かれていた。
「ひどいです!」
「しゃべった!?」
「そこですか!? まずは崇めてください!」
——このずれ方、既視感がある。
「……女神ですか」
「こら! テンション落とさない!」
テルムは小さく息を吐いた。
どうやら、従魔契約は成立していたらしい。
体を起こし、改めて猫を見る。
白い毛並み。毛先がわずかに緑がかっている。
瞳は海のような青で、揺れるたびに淡い光が宿る。
「じろじろ見ないでください!」
「……いや、やたら神々しいなと」
「女神ですから!」
腰のあたりで、小さな翼がぱたぱたと揺れている。
「……でも、なぜ猫」
「地上に出るときの姿です! 神の姿で歩き回ると問題でしょ!」
「それよりも!」
猫の耳が、憤慨のあまりぴんと立った。
「テルムくんはひどいんです! やるならやるで、ちゃんと話してください!」
「いや、だって、逃げ——」
「いいですか! 本来、従魔契約とはお互いを認め合い、信頼を築いてから行うものです!」
「テルムくん、これは重大なお約束違反ですよ!」
尾をぶんぶん振り回しながら、非難が飛んでくる。
(……お約束とは何の話だ)
「確かに、すまなかった。でも、どうして成立した?」
本来、従魔契約は双方の同意が必要だ。
「……さあ」
「さあ、で済ませるには——」
猫は視線を逸らした。尾が揺れる。
(相変わらずだな)
「いいんです! まずは、わたしの処遇をはっきりさせましょう!」
「衣食住!」
「それとラノベです!」
(……らのべとは何だ)
一気に力が抜けた。
***
「……エル」
「ん?」
「呼び名はエルでいこう」
「なっ!?」
尾が小刻みに震える。
「エラン様だと、色々面倒になる」
「……納得いきませんが、一理あります」
一度、二度、小さく頷く。
「いいでしょう! 今日から私はエルです! 従魔のエルです!」
テルムは近くの段差に腰を下ろした。
「転生スキルについて、知っていることを教えてくれ」
「さっき話したことが全部です」
「神界での扱いは」
「……では、わかる範囲で」
エルは知る限りの情報を語った。
本来、人に話していいのか怪しい内容も含めて。
「……なるほど。便利すぎるが故に、誰も解除したがらない、か」
(ただ——)
「その便利スキルを、興味本位で人に与えたのがエルか」
エルがそっぽを向いた。
尾が揺れている。
「神界の情報を調べてきて——」
「ごめんなさい、それは無理です。自分じゃ帰れなくって……」
「……誤算だな」
テルムは額を押さえた。
神界への窓口として縛ったはずが、肝心の行き来ができない。
「あ、でも、たぶん妹が来ます」
「妹?」
「はい。双子の妹がいるんです。妹がいればだいたいなんとかなるんです」
「……それでいいのか」
「いいんです」
テルムは息を吐いた。
すぐに神界へ干渉できるわけではない。
だが、完全に道が閉ざされたわけでもない。
この国では十五歳から三年間は学院だ。
本格的に動くまでの時間はある。
(なら、焦る必要はない)
「妹が来るまでに、こっちでできることをする」
「できること、ですか?」
「“役目”の達成だ」
「まだ内容はわからないが、何が来てもいいように整えておく」
「……これまでも、大変なものばかりだったしな」
ちらりとエルを見る。
「本当にすみませんでした……」
耳がしょんぼり垂れた。
少しずつ、方針が固まっていく。
「……よし」
テルムははっきりと言った。
「今世で終わらせる。そのために、使えるものは全部使う」
「頼りにしてる」
短く告げる。
エルは一瞬目を瞬かせ、それからぱっと明るくなった。
「ラノベ読む時間が減るのは嫌ですけど、全力でやりましょう!」
「下界、前から興味あったんです!」
尻尾がぴんと立つ。
(……まあ、このくらいでいいか)
「……行くか」
今度こそ、終わらせるために。
***
神殿の出口が見えてきた。
外光が石床に細く差し込み、参拝者の声が遠くに揺れている。
どの時代でも変わらない、終わりと始まりの間の静けさ。
——また始まる。
だが今回は違う。
隣に、エルがいる。
それだけで、少しだけ条件が変わっている。
(悪くはない)
そう思った。
***
石段を下りる途中で、エルがふと顔を上げた。
「……そういえば、この世界ってラノベありますか?」
「さっきから気になっていたが、それは何だ」
「!? ご存じない?」
「ない」
エルが固まった。
「……テルムくん。それはまずいです」
「そうか」
「とてもまずいです! わたしの聖典なんですよ!」
尾をびしっと立てる。
少しの沈黙。
「……読む必要はないのでは」
「え?」
「エラン教の聖典なら、エルが知っていれば十分だろう」
耳がぺたんと倒れる。
「……違います」
「違うのか」
「わたしの聖典です。わたしが読むための」
「……その使い方は合っているのか」
「合ってます!」
翼をぱたぱたさせながら、熱弁が始まる。
ほとんど理解できなかったが——
「……覚えておこう」
「覚えるだけですか!?」
声が響いた。
新しい人生の始まりは、思ったよりも騒がしかった。
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