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十四回も転生させられた賢者、もう限界なのでポンコツ女神を猫にして輪廻を終わらせる  作者: 在河りゅう
第一章

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第20話 策謀のセルヴィア

逃げた女魔術師を追い、エルが飛び出した。


テルムもエルを追うように孤児院に踏み込み廊下を走る。


曲がった先の、奥まった部屋の前までくると、エルが止まっていた。覗き込んだ部屋には不自然な扉があった。


元からそこにあった扉ではない。継ぎ目が新しく、漆喰の色が周囲とずれていた。後から増設された壁に、後から取り付けた扉。壁の厚みに比べて框が薄い。急ごしらえの仕事だ。


テルムは把手に手をかけ、慎重に引いた。


冷えた空気が上がってきた。石と湿った土の匂いが混ざっている。地下に続く階段が、灯篭の明かりも届かない混沌まで伸びていた。


エルが鼻をひくつかせた。「人がいます。たくさん。それと——」耳が少し伏せた。「なんか、嫌な感じがします」


「わかった」


テルムは音を殺して階段を降りた。階段は木製だった。軋む音を抑えるように足の重心を端に置いて、慎重に降りていく。エルが肩の上に乗ってきた。二人分の体重が、ゆっくりと下へ下へと進んでいく。


通路が続く。前方の暗がりに橙の光が滲んでいた。灯篭の明かりだった。部屋があるらしい。近づくにつれて、声が聞こえてきた。言い争いではない。もっと激しく、乱れた音だった。怒鳴り声、物を叩く音、何かが割れる音、そして人が倒れる鈍い音——喧嘩とも言い切れない、もっと底の抜けた混乱だった。


テルムは足を速めた。


***


扉を押すとまず臭いが来た。血と汗と、何か焦げたような淀んだ空気が一息に鼻に来た。


部屋の中で、人が争っていた。


年齢がまちまちだった。壮年の男、中年の女、若い職人風の男、白髪混じりの老人。互いにものを投げ、怒鳴り合い、何人かは直接掴み合っている。棚が崩れ、書類が散乱し、調合器具の欠片が床を覆っていた。血が出ている者も何人かいる。全員が全員の敵で、どこにぶつけるべきかもわからないまま感情をぶつけていた。


(まずいな、思考を誘導されたか……)


部屋の左手奥に、頑丈な扉を開け、女が中に入ろうとしていた。


金茶色の髪が乱れている。女があたりを見回し、一瞬、お互いに目が合った。


女の表情が変わった。


「わたしは——策謀のセルヴィアよ」


落ち着いた声だった。争いの音が満ちた部屋の中で、その声だけが妙に静かだった。「また会いましょう。生きていたらね」


扉が閉まった。


テルムはすぐに駆け寄り、把手を引いた。開かない。体重をかけた。動かない。内側から術式を組んでいる音が、開かない壁越しに伝わってくる。


術式が壁の向こうで完成する音がした。


(逃がした)


追う手段はない。ならばこの部屋を片付けるだけだ——全員を縛り、眠らす。それで終わる。


テルムは手の中の種を確かめた。住民を縛る、そのつもりだった。


——エランが、人型で立っていた。


いつものエランの神気だった。それはわかった。


ただ——いつもとは、違った。


普段は静かに優しく穏やかなものが、今は揺れていた。揺れるだけでなく、ねじれ、乱れ、どこへ向かうかも定まらないまま、じわりと部屋に滲み出ていた。


住民より先に、そちらを向いた。


エランの視線だけが、部屋の中を漂っている。


「……なんで」


誰に届くでもなく、ほとんど息だった。


激しくなる乱れに、テルムは目が離せなかった。「……エラン」


声をかけた。届いていなかった。


「なんで……」


繰り返した声に怒りはなかった。


エランの目は、部屋の中の誰かを見ていなかった。もっと広いものを見ようとして、見えないでいるような目だった。


争う者たちの声が、血の匂いが、欠片の散らばった床が——エランの中で、何かに変わろうとしていた。


何かに、変われないでいた。


神気の揺れが、大きくなっていく。


「エラン、落ち着け——」


「こんなことのために……!」


一拍あった。


「こんなことのために——神託を渡したわけじゃ、ない!」


声が、部屋を塗り替えた。


人の声ではなかった。言葉の形をしていたが、その奥に重さがあった。


争っていた者たちの手が、止まった。誰もが振り向いた。振り向かずにいられなかった。


その瞬間——神気の揺れが、すっと消えた。


(……何をやっているんだ、俺は)


テルムは一度、舌打ちをした。


即座に住民に向き直り、駆けだす。


人の間を走り抜け、一人、また一人と種を植えつける。触れた場所から蔓が伸び、繭状に包み込んでいく。抵抗する間もなく動きを封じられた者たちが、次第に眠りにおちていく。


鎮静効果のある植物だった。


ほどなくして全員を包み終わると、部屋に静けさが戻ってきた。


呼吸の音だけが残った。テルムの呼吸もその中にあった。


まだ立ち尽くすエランのほうに視線を向ける。エランからは動揺の色が消えていた。


「……すみません」エランが言った。「初めて、見たもので、興奮してつい」


「そうか」


「人が、人を、あんなふうに——」


「そうだな」


テルムは短く答えた。何百年も見てきた。そこから何かを言い足せるかというと、何もない。ただそうだな、というだけだった。


エランが猫型に戻った。尾がお腹の下まで丸まっていた。耳も低い位置に伏せたままだ。しばらく、部屋が静かだった。


***


「わたし、バレちゃいましたよね……」しゅんとしながらエルが尋ねる。


「意識誘導を掛けておいたから問題ない、眠りから覚めるころには忘れているはずだ」


エルが小さく尾を揺らした。それだけで十分だった。


「女の言葉が気になる」


テルムは女の出て行った扉のほうを見ながら言った。——『生きていたらね』


「逃げただけならあんな言い方はしないはずだ。まだ何かがある」


「……まだ何か、あるんですか」


「おそらく」


セルヴィアが閉めた扉の向こうに、気流があった。微かな空気の動きが壁面を伝っている。行き止まりではない。別の通路が繋がっている。


「フォルティスとの約束は、守れそうにないな」


ぼそっと言い、他の道がないか部屋を探りはじめた。


エルが一拍おいて「そうですね」と返した。問い返さなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

明日も投稿予定です。よろしくお願いします。

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