第28話
午後――ヴァルモン伯爵邸、シシィの私室。
窓辺に置かれたレモンパイの皿はすでに空になり、
部屋には紅茶のやわらかな香りだけが残っていた。
ポリーが静かにカップを下げながら言う。
「お嬢様、最近お疲れではございませんか。」
「そう見える?」
「少しだけ。」
シシィは小さく笑い、椅子の背にもたれた。
「ねえ、ポリー。」
「はい。」
「誰かに想われることがこんなに大変だって、昔は思わなかったわ。」
ポリーは何も言わず、静かに次の紅茶を注ぐ。
シシィは少し迷ったあと、小さく続けた。
「ヘンリク王子は、とても真っ直ぐでしょう?
遠慮もなくて、欲しいものは欲しいってはっきり言う方で。」
「ええ。」
「正直、あんなふうに言われたこと、今までなかったの。少し、嬉しいと思ってしまう自分もいるのよ。」
ポリーは表情を変えず、ただ頷いた。
「ですが、お嬢様のお心は、どちらにございますか。」
その言葉に、シシィはしばらく黙り込んだ。
やがて、小さく息を吐く。
「分からない、って言ったら嘘になるわね。でも、安心するのは、アーサー様のそばなの。何も言わなくても守られているって分かるし、あの方が後ろに立っているだけで、怖いものがなくなるの。気付いたら、アーサー様の視線を探してしまっているわ。」
ポリーは静かに微笑んだ。
「それが、お答えでは?」
シシィは困ったように笑う。
「でもね、ポリー。 少し怖いの。このままだと、流されてしまいそうで。」
ポリーはゆっくりと首を振った。
「お嬢様は流される方ではございません。」
「そうかしら。」
「ええ。お嬢様は、最後には必ずご自分で選ばれます。ただ――」
「ただ?」
「お嬢様が心から愛しいと思われる方は、きっと既にお嬢様の視線の中に多く映っている方でございます。」
シシィは一瞬きょとんとし、そして小さく笑った。
「……ポリー、あなた時々鋭すぎる。」
「長年お仕えしておりますので。」
窓の外の夕陽を見ながら、シシィは静かに呟く。
「ねえ、ポリー。」
「はい。」
「もし、一人の方を選ぶ日が来たらその時、私が後悔しない選び方をしたいわ。」




