6 少女が魔女に至った道
エルクスとザクロが戯れている向かい側でスイレンはもくもくと食事をしていたが、ふいに目の前に魔術の気配を感じて視線を上げた。
そこには少し空間を歪めるように存在する魔力があった。
スイレンにとっては馴染みの深いその魔力の中から小さな指輪が現れ、テーブルの上に落ちる。
アメジストの宝石が嵌められたピンキーリングだった。
「指輪ですか?一体どこから…?」
スイレンと同じように魔術を感じたエルクスは、突然現れた指輪に視線を落とす。
「うちのおばあ様からね」
「ふむ、新しい部屋のようだな。ということは…」
ルリはちらりと子猫の方を見る。病み上がりの子猫は腹を空かせているのかはぐはぐと必死に料理を食べ続けている。
「この子の為の部屋というわけね。ではあなたの名前はシスイね」
スイレンはテーブルの上から指輪を拾い上げ、右手の小指に嵌める。
小さい宝石ながら、濁りのない澄んだ紫色の石だった。
「これからよろしくね」
灰色の小さな体を、スイレンはそっと指先で撫でる。
命を落としかけた所を救われた時から、シスイはスイレンの魔力に依存する存在となり、スイレンの使い魔になってしまっていた。
スイレンはシスイの親猫が見つかったなら、契約を解除し親元に返すつもりでいたのだが、祖母から指輪が送られてきたということは、正式な使い魔にするべきだと言われているに他ならない。
新しい猫の仲間が増えたことになるが、スイレンの表情は浮かない。
(おばあ様からこれが送られてきたということは……)
優秀な魔女であり占いも得意とする祖母には、色々なものが見えるのだそう。
その祖母が猫に新しい住処を用意したということは、もうその猫に戻る場所がないということ。
(この子の親は…もう生きてはいないのね……)
「ちょっとお手洗いに行ってくるわね…」
席から立ち上がり部屋から出ていく主の姿を、ルリとザクロは無言のまま見送った。
指輪を見てからというものスイレンの様子がおかしくなったことに気づいたエルクスは、軽々しく口を開けずルリの方を見る。
少しの間思案した様子であったが、ルリは静かに口を開く。
「……若者よ。君の目からスイレンはいくつに見える?」
突然年齢の話を振られ、エルクスは女性の年齢を口にして失礼に当たらないかと戸惑ったが、ルリには考えがあるのだろうと思い素直に答えようと思った。
しかし口に出すのはやはり抵抗があったので、コップの水を少し飲み、心を落ち着けてから意を決して答えた。
「私とさほど変わらないくらいの…二十五歳前後くらいかと…」
「そう見えるだろうな。しかしスイレンは十八だ」
女性の年齢を上に見てしまうという失態と、想像以上の若さに驚き、エルクスは持っていたコップを落としそうになった。
「申し訳ありません!失礼なことを…」
「いや、いいんだ。そう思うのも当然なのだから」
エルクスは慌てて謝罪をするが、ルリは平然した態度で言葉を続ける。
「スイレンは魔術師ではなく魔女だ。…君は魔術師と魔女の違いを知っているか?」
「文献には我々魔術師と違い、魔法使いや魔女は魔術を創造することができる、と」
魔力を持ち魔術を使える者のことを魔術師と呼ぶが、彼らは人から教わる事や魔術書を読むことによって魔術を習得していく。
対して魔法使いや魔女とは、既存の魔術を研究し改変したり、全く新しい魔術を生み出す者のことを指す。
「君はスイレンの魔術を見たことがないと言った。スイレンは自分を普通の女と変わらないと言った。
それはどちらも正しい。君が見たものは女性の一般的な魔術にスイレンが改良を加えたもので、あれは確かに普通の魔術師には使うことのできない特別なものだ」
ルリは水のように澄んだ青い目で正面からエルクスを見据えている。
「スイレンは優秀な魔女だがその魔術が人間の女の枠を出ることは無く、君のようなこの国の騎士が得意とする身体強化の魔術をスイレンは使用することができない。…しかし別の魔術を用いて同等かそれ以上の効果のある魔術を行使することができる。魔女とはそういう、型に嵌らずに自由に魔術を扱える者のことを言う」
「スイレンさんはどうして魔女に…?」
エルクスの読んだ文献では、長い年月をかけて既存の魔術の修練をし理解を深め、そこから更に研究重ねることで新しい魔術を生み出せるようになり、魔法使いや魔女の境地に至れるのだという。
その文献を信じるならば、魔女となるにはスイレンはあまりに若すぎる。
「スイレンが魔女になると決めたのは…スイレンが六歳の時だった。スイレンが最初に助けた猫、ヒスイと出会った時だ」
ヒスイは生まれてすぐに穴に捨てられ、生きたまま炎で燃やされ埋められようとしていた猫だった。
理由はただ雌として生まれたから。
ヒスイが生まれた家では縁起が良いとされる三毛猫の雄を求めており、雌として生まれてしまったヒスイはそのまま処分されようとしていた。
人間の掘った穴に放り投げられる子猫の姿を見たとき、スイレンは何のためらいもなくその場に飛び込んでいった。
「何の力もない子供の身で、その家の主が放った魔術の前に飛び出して行ったんだよ。ヒスイの捨てられた穴に覆いかぶさって、炎から守るようにね」
異変に気付いた祖母がルリをその場に行かせたことで消火が間に合い一命を取り留めたものの、スイレンは背中に大火傷を負った。
しかしスイレンは火傷の痛みなどより、自分に何の力もないことに苦しみを感じた。
もしも祖母が異変に気が付かなかったら。
ルリが間に合わなかったら。
自分の命を投げ出したとしてもヒスイを守ることはできなかったのだと思い知った。
そして、愛するものを守るためには大人の男達にも負けないだけの力が必要なのだと。
そう強く思った。
「その時からスイレンは子供であることをやめてしまった」
家族以外の人間に甘えを見せることは無くなり、毎日祖母の部屋に行って魔術を教わり、寝る間を惜しんで魔術書を読み込んだ。
「身近に優秀な魔女がいるという環境は、驚くほど早くスイレンを魔女にしてしまった。魔女に至ってしまえば効率的に魔術回路を使用するために、体内の魔力が勝手に肉体を最盛期で維持するようになる。魔女になった者のほとんどは若返るが、スイレンは通常の成長段階を無視して大人になってしまった」
スイレンが魔女になった日。
彼女が大人になってしまった日。
スイレンはこれで大人の男にも負けることは無いと年相応に無邪気に喜んだ。
魔女になってからというもの、スイレンは目につく限りの猫を救ってきた。
数多くの猫の命を繋ぎ、新しい住処を与えてきた。しかし…
「スイレンは我々猫を助けるその度に人間を嫌いになっていったよ」
エルクスは先ほどスイレンが言っていたことを思い出した。
スイレンの故郷の猫、ネコマタは長く生きたり、自分の身に危険が迫った時に魔力に目覚めることが多いのだと。
そしてザクロは、スイレンの使い魔はネコマタばかりだとも言っていた。
それらの情報から、スイレンがこれまでに見てきたものを想像するのは…とても容易いことだった。
「……泣いているのか、若者よ」
エルクスは彼女の見てきた世界を思うといつの間にか涙が流れていた。
まだ成人も迎えていない若い女性が、その短い人生の中でどれだけ悲しい光景を目にしてきたのだろうかと。
「君は本当に変わった男だ。だからこそ、私がお節介を焼いたかいもあるというものだが」
ルリもザクロも、スイレンの猫達は心からスイレンを愛している。
スイレンと家族と猫達だけで完結した世界で、スイレンが満足していることは知っている。
しかしスイレンが人間である以上、スイレンが生きていくためには人間の輪に彼女を入れてやらなければならないことも知っている。
「私はね…私たちは、スイレンに魔女としてだけでなく人間としても幸せになって欲しいんだ」
だからこそスイレンを家族のいる家から外に連れ出した。
だからこそスイレンが人と関われるように店を開かせた。
スイレンが魔女になるために取り零してしまったものを、手に入れて欲しかったから。
「だからルリさんは私の前に姿を現してくれたんですね」
エルクスは最初に違和感を感じていた。
使い魔は普通、主の意志を尊重するものだ。
スイレンは明らかにエルクスと会話をしたくない様子だったにも関わらず、ルリはわざわざエルクスの前に姿を現した上に、食事に誘うための口実まで与えた。
スイレンの意志を尊重するのなら、そんなことをする必要は無かったはずなのに。
「……では私は猫さん達公認の、スイレンさんの最初のお友達に立候補してもよろしいでしょうか。猫好きの同志として」
エルクスは少し赤くなった目を細めて、先程まで見せていた整った微笑とは違う、少し恥ずかしそうな少年のような笑顔を浮かべていた。
自分の期待を超えたエルクスの返答に、ルリもまた目を細め、満足そうに優しい笑顔で返した。
「ありがとう。よろしく頼むよ…エルクス」