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ディートハルトの追憶(3)

一部流血表現があります。苦手な方はご注意ください。


「納得できません!」

「……ディートハルト、これは決定事項だから」


 本部から第二騎士団に下された命令は、昨日より敵国からの侵攻を受けているという城塞への増援及び防衛任務だった。

 まずは足の速い騎兵隊が先行し、後続として歩兵と支援物資の補給隊を送り込む手はずだ。


 そしてディートハルトも所属し、レスティアが副隊長を務める第五騎兵隊三十五名は、三つある先行小隊の一つとして即時出動を命じられた。しかし準備に追われるレスティアの口からディートハルトへと告げられたのは、


「今回ディートハルトは後続隊に交ってもらう。自分でも分かってるでしょう? 私たち騎兵隊は速度と連携が物を言う。中途半端な練度の人間は連れて行けないって」


 無慈悲な戦力外通告だった。

 ディートハルトは震える拳を握りしめながら、きつく唇を噛む。血の味が口腔に広がったが、そんなことはどうでも良かった。

 悔しかった。自分の無力さが。そして痛いほど分かっていた。自分では何の役にも立たないことを。

 それでも言わずにはいられなかったのは、離れたくなかったからだ。


「……ディートハルト、聞いて」


 レスティアが少し屈んで目線を合わせてくる。彼女のシャンパンガーネットの瞳には、泣きそうな子供の顔が映っていた。それがまた情けなくて、こんな自分を晒してしまうことが恥ずかしくて。

 しかし彼女はそんなディートハルトを決して笑ったりはしなかった。

 それどころかその表情からは普段の朗らかさは鳴りを潜め、ただただ冷静な眼差しで、ディートハルトを射抜く。


「後続隊だって決して安全な訳じゃない。それに支援物資が届かなければ、城塞の陥落は免れない。だからこそ、ディートハルト……絶対に無事に追いかけてきて。先で待ってるから」


 言って、レスティアはディートハルトを一度、強く抱きしめた。

 心臓の音が聞こえる。

 それは自分のものか、彼女のものか、あるいは両方なのか。

 時間にしたら数秒程度の抱擁。

 抱き返すこともせず、ただ棒立ちになっていたディートハルトは、離れていくレスティアの腕を反射的に掴んだ。そして、必死で感情を抑えながら、精一杯の虚勢を張る。


「――必ず、追いつきます。御武運を」

「うん……ありがとう。待ってるね」


 微かに微笑みを返す目の前の美しい人は、すぐに表情をまた怜悧なものへと切り替える。

 ディートハルトはこちらを振り返ることなく走り去るその背中を、見えなくなるまで追い続けた。


 レスティアたちから遅れること二日後。

 ディートハルトたち後続隊も城塞へ向けて出発した。歩兵メインであるため進軍速度は馬と比べるべくもないが、それでも目的地の城塞までは二日半の行軍で到着する予定だった。


 しかし、ここでリーンヘイム王国にとっての不運が重なる。

 悪天候による行軍の遅滞。

 一昼夜降り続けた豪雨により、進行速度に大きくブレーキが掛かる。

 さらに行軍ルートの選択も災いした。潜伏しているかもしれない敵軍からの奇襲を警戒し、少し遠回りだが確実性の高い拓けた山道を選んでいたが、その一部で土砂崩れが発生したのだ。

 幸いにして人数を揃えていたために土砂の撤去自体はスムーズに行えたが、問題は山道を抜けるまでに新たな土砂崩れが発生するかもしれないという精神的負担が生じたことだった。

 常に山肌を警戒しながらの行軍となれば、速度を落とさざるを得ない。


 そうして本来であれば二日半、長くとも三日もあれば辿り着くはずだった城塞にディートハルトたちが辿り着いたのは、出発から数えて四日半後のことだった。


 ――そしてその遅れが、一部の者の命運を分けた。


 酷く重苦しい空気を漂わせる城塞内に補給物資を運び込みながら、ディートハルトは先行していたレスティアたちを探した。初めての行軍によりディートハルト自身の肉体的疲労も限界に近かったが、それよりも仲間の無事の確認の方が遥かに重要だった。

 しかし城内には見当たらない。ならばと敵側からの侵攻が特に激しい場所に位置する城壁の方へと足を向ける。

 進めば進むほど、嗅ぎ慣れない匂いが鼻に付く。その正体が血臭や死臭であることは、ディートハルトも薄々気づいていた。それでも、歩みは決して止めない。追いつくと約束した、彼女と会うまでは。その思いだけがディートハルトを突き動かす。


 そして、ディートハルトは遂に見つけた。

 血と泥に塗れながら、城壁に背を預けるように座り込む女性の姿を。


「っ……レスティア様!!」

「…………ディー、ト、ハルト……?」


 こんなにもぼんやりとしたレスティアを見たのは、初めてのことだった。

 彼女はまだ信じられないような、まるで白昼夢でも見ているような瞳をディートハルトへと向ける。

 そんなレスティアに自分がここに居ると証明したくて、ディートハルトは跪いて彼女の手を強く握った。まるで氷のように冷たい指先に熱を分け与えるように、強く、強く。


「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。レスティア様、怪我は? 大丈夫ですか?」

「……ああ、うん。私は大きな怪我はしてないから。大丈夫」

「そうですか……今は、こちらで何を?」


 ディートハルトの問いに、レスティアの瞳が大きく揺れた。

 しかしそれは一瞬のことで、彼女は徐々に呆けた顔から普段の理知的な面差しへと戻っていく。


「――ほんの少し前まで、城壁外で交戦してたの。正直かなり危ないところだったんだけど、敵軍が引いて命拾いした。……そっか、援軍が来たからだったんだね。……来てくれてありがとう、ディートハルト」


 そう言って優しく目を細めたレスティアに、ディートハルトはどこか違和感を覚える。

 笑っているのに、笑っていない。そんな印象を受けたのだ。

 しかしそれを指摘することもまた、出来なかった。

 今は互いに生きて再び会えた。それだけで満足すべきだろう。

 そう自分に言い聞かせた時、ディートハルトはあることに気づいた――気づいて、しまった。


「…………レスティア、様……」

「……ん? どうしたの、ディートハルト」

「――他の、第五騎兵隊の皆は、今どこに……」


 急速に喉が渇いていくのを感じる。それでも問わずにはどうしてもいられなかった。

 思い過ごしであって欲しかった。否定して欲しかった。安心したかった。


 ……しかし、そうはならなかった。


 レスティアは静かに目を閉じると、未だに握られたままのディートハルトの手を、きゅっと握り返す。

 そうして絞り出された彼女の声は、ほんの少し、震えていた。


「私が今朝の時点で生存を把握していたのは、二十三人……()()()()()()、十人以上も、喪ってしまった」


 あまりにも残酷な事実が、胸に深く突き刺さる。

 それでも彼女が涙一つ流さないから、ディートハルトはそれ以上、何も言えなかった。


 城塞防衛戦に決着がついたのは、ディートハルトたちが到着してから約半月後のことだった。

 敵軍は城塞攻略を諦め撤退。

 すなわちリーンヘイム王国側の勝利に終わったが、この防衛戦における犠牲者は三百名を超えることとなった。


過去編は一旦次回で終わります。

どうしても重たくなってしまい申し訳ありませんが、もう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

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