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シールはあくまで飄々と続ける。
「別に、あんたに『そうして欲しい』って云ってる訳じゃねえんだよ、俺。家族見捨ててアングラ社会に逃げた不良少年が厚かましいって、俺自身思うから、あんたに気づいて欲しかったんだし、あんたも図々しいって思うだろ? ――あんた自身が云ったよな、俺には『義務も権利も無い』って。そりゃ、『権利』が無いってのは大体の人間にはキツいことなんかもしれないけど、俺は取り敢えず、今まではそれでも生きてこれたんだしな? 何なら、税金も払わなくて良いし、違法行為やっても……ここであんた殴ってもぶっ殺しても、しょっ引かれもしないってんなら、ID無いままでも、別に」
シールが軽く笑みを浮かべて、おどけたような声で云ったが、役人は「うぐ」と喉を鳴らす――その言葉の、どこからどこまでが「道化」なのか分からない――。
「あんただって、今ここにいるのは『TRC569』のためなんだから、このまま何もせず、ただ『がっかり』しながら帰ったって構わないんじゃないか?」
「――なに?」
「〝シェレ〟が、何か持ち出してたとしても、状態が物凄く悪いかもしれない、既に手放してるかもしれない……何も持ち出していないかもしれない、そういう想定もしてた任務なんじゃないの? ――情報源の〝死人〟曰く、『彼はオルゴール1個を持ち出した』『そのオルゴールは〝壊れていた〟』」
そう云って、シールが床を指差した――役人が指先を目で追うことは無い。今、視線を下に向けたら、そのまま眩暈のせいで頭から倒れそうな気がしていた。
「かと云って、〝物品〟を『持って帰れない』ことそのものは、命令違反とかペナルティとかにはなんないんじゃない? もともと〝物品〟が出てくるかどうかは分からない『TRC569』の目的に、〝手ぶらのシェレ〟の身柄確保や保護は無いからこそ、あんたが手ぶらで帰っても、そりゃ手柄にはならないだろうけど、失態でもないだろ」
「――」
役人はそこで目をぱちくりとさせた。
「――ってことは、『TRC569』任務は、〝終了〟なんじゃないか? 〝失敗〟ってよりは。『部下が酒場で目撃した若者は、実際にシェレでした。でも、残念ながら何も持ってませんでした』っていう」
――そういえば、そうかもしれない――まるで、〝福音〟を耳にしたかのように、何だか表情が緩んだ役人を見て、ルーディの目がいよいよ蔑みの色に染まる。
本来、それはナーバス氏にとって、〝悪魔の誘惑〟に聞こえなくてはいけない言葉の筈だ、それを……――
シールも、別に「誘惑」をした訳ではないし、「福音」を投げたつもりでもない。
「でもそれ、あくまで『TRC569』に限った話だよね?」
変わらない声色で続いたシールの言葉に、再び、ナーバス氏の「視野と思考の狭小度」が露呈される。
「あんたよりちゃんと『公務』してる人間からしたら、どうなの? ルーディが用意した控え室で待ってる人達の中に、『〝シェレ〟は本人だったが、保管に値する〝物品〟は無い』と聞いた時『それで〝シェレ〟はどうしたんですか』って訊いてくるような人は、居ねーの? 居たら、あんた、『火災現場から逃げてIDを持たないまま生き延びていた元少年に、救済措置も思いつかない上司』って知らしめることになるぜ」
再び、ナーバス氏が吐き気を催したふうに「ぐ」と喉を鳴らした。
「……今云ったけど、俺は別に『救済措置』を取って欲しい訳じゃあないから、今日来てる全員が『ああそうですか』つってこのまま帰る人達だとしても、それも別に構いやしないよ。『IDを持たないまま生きてる』こと自体は『犯罪』にはならなかったよな、〝この街〟でなら、それでも何とかやってけるからさ。――でも、俺、もう『犯人扱いされてない』ことが分かったんだから、これからは――わざわざ表社会に出ようとも思わないけど、殊更逃げたり隠れたりもしねーよ?」
これには、「それがどうした」と云うふうに――何なら「きょとんとしている」ように見えるほど――特に反応が無かったので、シールは内心で「あーあ」と呆れた。
「ひょんなことから、俺が『サン・ターシュ邸放火殺人事件で行方不明になってた不良の長男坊』って気づく第三者が居たら、どうすんの。もしかしてそれが、『記者』だったりしたら?」
「ッ」
「ゴシップ誌のパパラッチだと『実は俺が真犯人で裁判受けた奴は冤罪』だとかってフィクション作って喜ぶ連中も居そうだけど、それはさておいても、今、此処にあんたが居たのに、〝シェレ・サン・ターシュ〟が市民権を取り戻せずに〝いかがわしい街で〟その日暮らしをしている、ってのは、あんた達にとって醜聞になんないのか? 硬派なジャーナリストだと、もっと掘り下げそうだよ。『〝シェレ〟が実は生きてて一度は役人が接触したにも関わらず、市民権の回復を図らないばかりか、サン・ターシュ邸の物品を国庫に入れたまま』」
さあ…と役人の顔色が悪くなった。
「――ルーディがあんたを嫌いで『消し』ちまいたいってのはさて置いて、あんたら自身が、『此処に来て俺と面会した』って痕跡、残さない方がいいんじゃないか?」
――それはそうかもしれない――出来ることならそうしたい、焦燥が役人に湧いてきている。
だが、そんなことは不可能だ。今ここに居るのは、正式な「任務」ゆえである。「命令書」が存在し、この後「報告書」も作らなくてはならない。それを「無かったことにする」のは組織ぐるみの隠蔽を働くようなものだ――どうしようもなく視野が狭いナーバス氏であるが「任務に頑迷と云えるほど〝忠実〟」であるのもまごうこと無き個性である。この街に来て、ブラン・カテ・ビルで、ルーディと〝シェレ〟に面会した、その事実に背くような隠蔽・虚構は流石に彼の「正義」が許さない。
第一、この任務のために、既に「関係者」もある程度生じてしまっている。例えば、〝シェレ〟がこの街のこのビルに居る可能性を一定確率まで担保するにあたり――ルーディが想像した通り――民間会社に調査を委託し、報酬も既に支払われている。それを「無かったことにする」となれば、最早、監査局まで騙さなければならない大事だ――。
シールが軽く肩を竦めた。
「流石にそんなことは出来ないか。――じゃ、何なら、今、俺が、あんたをぶん殴ってやろうか。あんたを『追っ手』だと思った俺が、ぶん殴って、あんたにオルゴール投げつけて、逃げてったってのはどうだ?」
それを聞いて――今度はルーディが、まるで吐き気を催したように「うくッ」と喉を鳴らして、咄嗟に口を覆い、眉を寄せた。
――結局、君は、そこを着地点にするつもりだったのか――吐き気じゃなく、悲鳴のような声が出てきそうだったから、それを抑えるために口を覆ったのだった。
「な、何だって?」
「自分が疑われてると思いながら逃げてた不良が、『公僕』と対面したんだ。隙を見て、ぶん殴るなり蹴り入れるなりして、物投げて距離取りながら、また逃げた。……ありそうな話だろ」
そう云うと、シールがまた、床の「割れたガラス」をチラリと指した。――眩暈は和らいだのか、今度は役人も足下を見下ろし――もしかしたら、「少し元気になった」のだろうか、トレードマークの渋面を取り戻して、シールを睨み付ける。
「それならそれで、『失態』にはなるだろうけど、『今の実際』を表現する筋書きとして、自然じゃないか?」
役人は、奥歯を噛みしめた後、「いっ、いい加減にしたまえ!」と声を出した――
「君はっ、さっきから何が云いたいっ、遠回しに人を揶揄うのは止めて、率直に、どうしたいのか云いたまえっ」
おや、とシールが一度目を見開く。――こいつの中で、俺も「格上げ」されたのだろうか、少し言葉が丁寧になった――役人には気づけないくらいの小さな笑みが浮かぶ。
「何が云いたい、って、別に……?」
小首を傾げ肩を竦め、シールは飄々と返した。
「俺がどうしたい、ってより、あんたが俺をどうするか、の話してたんだけど」
「っ……」
役人は――まだ完全に「調子」を取り戻してはいないらしい、シールを睨む目には、純粋な苛立ちや憤慨だけじゃなく「戸惑い」か「狼狽」の色も混じっていた。
「ひ、人を散々、追い詰めるような云い方で、結局は『IDを回復させろ』と云っているのじゃないのかね、だったら、率直にそう云えばいいだろうっ」
「だから俺、何度も云ってるじゃん。別に俺はいいって。追い詰めてるつもりもねえよ、追い詰められてるってあんたが思ってるだけだ」
シールが呆れた声で云った。
「俺が最後に〝ID〟持ってたのは、『ソレのせいで自分が不自由』だと思ってた未成年の頃だから、〝ID〟を持ってることで得られる恩恵をちゃんと知らないままなんだよ。いざ失ってみて実感した『不便』は、そりゃあるけど、それを上回る恩恵を分かってないから、『必要』って切実に思ったこともねーよ」
「そ、そんな訳あるか」
「あるよ。あんたには解んないだろうけど」
シールが再び肩を竦めた後で、訝しむように目を細めた。
「――あんた、マジで、云われた任務をそのままでしか出来ないのか? 何でこんなとこに出張って来たんだよ、大人しく、それでも出世出来る仕事だけやってりゃ良かったのに――〝機械〟だって、あんたよりはもう少し、ケースバイケースで答え出せるだろうよ」
「なっ…!」
流石にそれは、率直に馬鹿にされたと分かる。役人はまた少し元気になって気色ばんだ――が、口を開かせる前にシールが言葉を紡ぐ。
「俺は、『あんたが』『判断』しろ、って云ってんだよ。そのための選択肢とか材料を喋ってたつもりなのに、『追い詰める』って、どういう被害妄想だよ。――あんた、ルーディに『オルゴールと俺の身柄を寄越せ』って云ったじゃん、それでそういう態度って…、『TRC569』って、〝シェレ〟が手ぶらだったら連れて来るな、って『禁止』が入ってんの? それでどうしていいか分かんなくなってる?」
「そ、そういう訳では――」
「じゃあ……、あれか。もしかして、自分が思いついてなかったことを、俺みたいなのから『提案』された格好になってるのが、癪に障ってる? 俺の云うことを聞く形になってしまうのはプライドが許さないせいで、袋小路に入った感じ? 俺が『お願いします』って頼むんなら、安心して行動出来るのか」
「……ぅぐ」
恐らく、それも「否定しきれない」のだろう。――そのせいでまた、シールが「指針」を提案するような格好になってしまったので、いよいよ役人は袋小路に追いやられている。彼は飴玉を誤って丸呑みしてしまったように喉を鳴らした。
――いい加減にしろ――ルーディが思わず胸の内で呟く、役人だけでなく、シールにも。
もう、いいじゃないか。こんなやつに、もう、君が歩み寄る必要など無い……彼が追い詰められているのは、君が手を差し伸べていることに気づきもしない、自分が高慢ちきなだけの無能だと気づけないが故の自業自得なのだから。
君が、こんなやつに「ついて行く」ことになるくらいなら、彼が根負けして撤退するまで「宿泊」させてやっても、別に構わない。本当に、「此処」で足取りを消してしまったって構わない――ルーディが口元を覆っていた手で拳を作る。
君は、「出て行きたい訳じゃない」と云ったじゃないか。何故、よりによって、こんなやつに――君を――




