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Jesus bleibet meine Freude, meines Herzens Trost und Saft,

Jesus wehret allem Leide, er ist meines Lebens Kraft,

meiner Augen Lust und Sonne, meiner Seele Schatz und Wonne,

darum laß ich Jesum nicht aus dem Herzen und Gesicht.


主は、私の喜び、心の慰め、精気として、留まられる。

主は、全ての苦悩をおはらいになる、私の生きる力である。

私の目に映る、喜び、太陽である。私の魂の宝であり無上の喜びである。

故に、私がこの心と視界より、主を外すことは決して無い。


--J.S.BACH「カンタータ147番第10番コラール」




 前に、こんなことがあった。

 ……いや、それは少し違うか、同じような風景を見た――いや、それも違う、同じような「感覚にとらわれた」か。

 何もかもがスローモーションに見えた――

 この役人と同じくらいに「高慢ちき」が自己完結してる客からボコボコにされて、口の中から血がこぼれた、ルーディの家の床に、その一滴が、パタリと落ちた……、あの時のような。

 振り上げたルーディの手が、まっすぐに床に向かって下がり、オルゴールが手から離れ、

 ゴ…ッ ツッ ピ・シッ パ・キッ カ・シャッ……

 床にぶつかった瞬間、鈍い音がして、その中に、何か「裂ける」ような乾いた音が混じり、少し遅れて小石同士がぶつかるような音が、随分細かく聞こえたような気がする。

 それとほぼ同時に、ソファで身を縮めていた役人が、口角と眦が裂けるんじゃないかと思うほど、口と目を大きく開いて、さっき、ルーディを押し退けようとしたのと同じような形で腕を突き出しつつ、脚をもつれさせながらも駆けだして来た。

 ルーディは、オルゴールを叩きつける前と後で、全く表情も変わらず、役人を見据えていた。

「あ、ぁあっ!」

 役人の、慟哭に近い耳障りな声が聞こえた瞬間、時の流れが元に戻った気がした。

 シールも、自分が瞬きを忘れていたことに気づき、見開いていた目を閉じて軽く擦った。



 オルゴールの外箱に当たるガラスは、半分よりも少し偏りを付けて大きく二つに割れた。厚いガラスだったからか「粉々」と云う程ではない――が、大きく二つに分かれた分も、ひ(、)び(、)はかなり入った。「蓋」を本体に留めていた「蝶番」の一つが外れ、その周辺も、かなり歪に欠片を飛ばしていた。ガラスの隙から、内側の木箱の茶色が覗く。

「な、何てことを……!」

 慌てふためいて、駆け寄ってきた役人が身をかがめ、床に膝をついてオルゴールに手を伸ばす。

 ルーディがほぼ同時に身をかがめ、役人の手首を右手で無造作に掴んだ。

 パシッと叩いてから強く握る形になったため痛みがあったからだろうか、正面にやってきたルーディの顔を眉を寄せて睨んで、さっきと同じように「何をするんです、離してください」とルーディに吐いた。

「あんた、とことん物(、)を(、)知(、)ら(、)な(、)い(、)んですね。――『無知』や『学が無い』ことを『馬鹿』と云うのは、私、避けたいんですけど、云わざるを得ないくらいだ。貴方、自分が『寄越せ』と云ってる『物』がどんなものなのか、机(、)上(、)の(、)知(、)識(、)すら無いんだな」

「な、なにを……」

「割れたガラスを不用意に触ると危ない、ってことも知らないのか、あんた」

 ちらりとオルゴールの割れ方を見下ろしてから、ルーディは役人の顔を見据えたまま、小さな破片の上に左手をつく。

 シールはその様を見て、はっと目を見開いた。――役人は、ただルーディを睨んでいる。

 ガラスについた手をちらっと見、ルーディが役人の前に、その手を翳した。

「ほらね」

 ――一瞬ほくろかと思うくらいの小さな赤い粒が、掌(たなごころ)にぷくりと浮かんでいる。

 ヒッ、と役人が喉を鳴らして、後ろに身を引こうとした。その瞬間、ルーディが手首を離したので、彼は尻餅をつく格好になった。

 ルーディの方は片膝をつく格好になって、血が浮かんだ手を口元に持って行き、軽く吸った。もう一度見て確認すると、もう血は出てこない――計算(力加減)通りである。

 青い顔をしているナーバス氏に、ルーディは冷笑を見せた。

「もしかして、血を見たのも生まれて初めて? 他人の血どころか、自分の血も見たことないような顔してますよ。『怪我』ってのをしたことがないのかしら、道理で、ガラスは危ない、ってことも知らない」

「――っ」

「あんたの部下(若い子)が割ったグラスの破片の鋭さは、こんなもんじゃないですよ。人を殺せます。本人に怪我が無かったことを、相当喜びなさい。――弁償がどうこうより、もし『お客様』が怪我してたら、遠慮無く治療費を請求してました」

 素っ気ない声で云って、ルーディは立ち上がった。

 役人は、「腰が抜けた」かのように、まだ立とうとしない。が、口は何とか回る――

「せっ、セイレイシィさん、貴方、これは、か、確実に犯罪ですよ! こ、こっ、故意に、国有物を、はかい……」

「国有物じゃなくたって、〝他人の物〟を意図的に壊せば犯罪でしょうよ」

 飄々とルーディは云う。

「私は、これを私の物だと主張してたんですから、『別に?』って感じです。――どうぞ、通報するならお好きに。私も弁護士に連絡しときますから」

「……このっ」

 ギリッと歯を食いしばった後で、役人は膝を震わせながらも何とか立ち上がり、ルーディを、完全に「憎悪」の表情で睨み付ける。

 対して、ルーディは微笑を浮かべて云った。

「殺してやる、と云いたそうな顔をしてますね」

「ッ」

「つくづく云いますけど、あんた、もう少し『人に見せる顔』を修行出来る職場で揉まれた方が良いですよ」

「あ、あ、貴方ね……ッ」

 わなわなと唇を震わせて何か云いかけたが、ルーディの「上品な微笑」が不意に恐ろしくなり、役人は目を逸らすように足下を見下ろした。

「ああ……、な、何だってこんなことに……」

 己が保(、)管(、)する筈だったガラスの箱の無残な姿を確認して、「絶望」で力が抜けてしまったか、ナーバス氏は真っ直ぐに立って居られなくなり、再び膝をついた。

 そんな役人をルーディは何の罪悪感も無く見下ろし、淡々と云う。

「どうせ『壊れてた』でしょ。彼が持ち出したオルゴールは『壊れてた』って、〝シール〟は云いましたよ」

 役人がキッとルーディを見上げて、

「何処がですか、無垢だったじゃないですか! 壊した(こんなにした)のはあんたでしょう!」

 と怒鳴った。ルーディは、蔑むような目を見せて、やはり感情を込めずに云う。

「オルゴールが『壊れてる』ってのは、『鳴らない』ことを云うんですよ」

「だから何だ! あぁ……、煤で汚れてることくらいは覚悟してたのに……、それが無垢で発見されたというのに……」

 今度はさめざめと泣き出しそうな細い声で呟く役人を、相変わらずルーディは見(、)下(、)ろ(、)す(、)。

「――とんだ変態だ、こいつ」

 ルーディは独り言のつもりで、しかし、聞(、)か(、)せ(、)る(、)音量でそう云った。

 ナーバス氏が、怒りで充血した目をルーディに向ける。

「なっ、何と仰った!?」

「変態。とんだネクロフィリアのフェティシストだな、と思ったの。――いや、それもあんたには相応しくないな。ネクロフィリア、フェティッシュは、『偏愛』の一種ですものね。あんたには、『愛』なんか無い」

「……ッ!」

「無垢? どこが。壊れて鳴らないオルゴールは、大体『ガラクタ』と云うんです。ガラクタを保管させるために、高い税金払ってる訳じゃないです、私は」

「が、がらっ……」

「そりゃ、私(、)に(、)と(、)っ(、)て(、)は(、)、ガラクタじゃなかったですよ? 余程の壊れ方をしてない限り、私はオルゴールを修理出来る『技術(手)』を持っています。ど(、)ん(、)な(、)壊(、)れ(、)方(、)を(、)し(、)て(、)た(、)の(、)か(、)知(、)り(、)ま(、)せ(、)ん(、)け(、)ど(、)、もしかしたら、私になら直せたかもしれない」

「それを、貴方はッ……!」

 役人が糾弾する目で睨んで、そんなことを吐き出したので、ルーディは「は?」と大げさに呆れた顔をした。

「『それを、貴方は』? え、続きで何て云おうとしたの? ――あんた、割れたグラスの破片なら要(、)ら(、)な(、)い(、)し、作り直した新しいグラスでも要(、)ら(、)な(、)い(、)んでしょ? だったら、『壊れて鳴らないオルゴールなら要らない』と思っても良いものを、『無垢』などと云って有り難がってたのが、私からすると何よりまず『変』だというのに、『私なら修理できたかもしれないものを、床に叩きつけた』ことを咎める資格なんか、あんたにある? どうしてあ(、)ん(、)た(、)か(、)ら(、)、それを責められなきゃいけない?」

 役人は、ルーディが何を云っているのか理解出来ず、かと云ってどう反駁すれば良いのかも分からず、ただ歯を食いしばって睨み付けている。

 そんな役人を見下ろして、ルーディは「この人本当に、ちょっと〝頭が悪い〟な」と、彼に分からないくらい微かな冷笑を浮かべた――自分が今云ったのは、「詭弁」だ。今こそ、「詭弁を弄して人を馬鹿にするな」と怒鳴っても良いくらいなのに、ただ目の前でオルゴールが壊れたことを嘆き、壊したルーディに憤ることにだけ気を取られて、言葉を失っている。頭の作業領域と視野が、余りに狭い――。

 軽く肩を竦め、ルーディが「ふっ」と一つ鼻息を飛ばして続ける。

「何にせよ、『自分の』じゃない物を自発的に直してあげるほど、私は暇でも善人でもない。とは云え、お客様とか店子の方とか、知人・関係者から――シールからなら、頼まれれば『鳴らないオルゴール(ガラクタ)』をガラクタじゃなくすることを請け負ったでしょう。でもあんたは、こ(、)れ(、)を、私が所有権を主張できる物ではないと云うし、シールの物でもなく『国有』だと云う。ならば、私はこれを、泣いて頼まれたって直したくない。第一、あんたはそもそも『壊れて鳴らないオルゴール(ガラクタ)』で(、)も(、)良(、)い(、)、と思っている人間だから、直す必要があるとも思ってないでしょう? だったら、これは、ず(、)っ(、)と(、)ガ(、)ラ(、)ク(、)タ(、)だ。私は自分が払った税金を『ガラクタの保管』に使わせたくもないし、ましてや私(、)は(、)あ(、)ん(、)た(、)が(、)大(、)っ(、)嫌(、)い(、)だ(、)か(、)ら(、)、ぶ(、)っ(、)壊(、)し(、)て(、)何の良心の呵責も無いです。何なら、今あんたが相当な絶望を抱いてるらしいことへ、めちゃくちゃ『溜飲が下が』ってますよ」

「あ、あ、あんたって人はッ……!」

 目を血走らせて、役人が声を絞り出す。

 ルーディは、言葉通り全く「良心」の見受けられない冷たい微笑を浮かべて、役人を見下ろしていた。

「『個人的な好き嫌い』でこ(、)ん(、)な(、)こ(、)と(、)が出来る虎の棲まう穴に、一人でのこのこやって来たことを、精々後悔すれば良い。――凄い顔してますけど、私に憤るのは『お門違い』ですよ。世紀単位で粉掛けておきながら、『我が家』(セイレイシィ)を全く理解せず、『自分(あんた)みたいなの』にこ(、)の(、)任(、)務(、)を与えた組織のほうを恨みなさい」

「……なっ、あっ……」

 わなわなと唇を震わせて睨み付けてくる役人の顔を見ていると、苛々してきた――怒りの熱が上がって来たのが分かったので、ルーディはそれを発散させて落ち着くために、「がっ」と音をさせて思い切り床を蹴った。

 ――彼を威かすつもりではなかったのだが、役人は「ひっ」と喉を鳴らし、再び、尻餅の格好になった。表情は、完全に「怯えた」ものになっている。

 それを見ると、少しは胸がすく――それでも、怒りの熱が冷める訳じゃない、上がり方が緩やかになっただけだ。ルーディは、ふっ、と鼻から息を吐き、笑みすらも消えて、役人を射貫くように見つめる。

「さっき、私はずっと、我が家の物は『まだ生きている』と云っていたけども、あんたには全く通じていなかったんでしょうね――道理で、『きょとん』としていたことだ」

「――」

「……〝シール〟は、ここに生きている。それを、平気で『死者』なんて云える。そんなあんたが、私は大嫌いだ」

 役人を見据えたまま、ルーディは腕を横に伸ばし、シールを手で指す――その方向につられて顔を向けるでもなく、怯えた目で自分を見てくる役人に、再び苛々が募る。

「ここに確かに生きている、と(、)て(、)も(、)分(、)か(、)り(、)や(、)す(、)く(、)生きている人間を、死者と云う。も(、)の(、)が生きているなんて比喩、あ(、)ん(、)た(、)み(、)た(、)い(、)な(、)馬(、)鹿(、)に通じたとは思えない。随分時間の無駄をした、私も愚かだったな」

「ばっ…」

「IDが無いから死人、そんなことがあっさり云えるのに、何故、『表に傷が無いだけの壊れたオルゴール』が、そんなに価値のあるものに見えるんだろう。鳴らないオルゴール(ガラクタ)の方が、それを所持していた生きてる人間より価値があるものだと思うような、そんな変態の馬鹿者に誰が、自分のものを渡しますか。――代々の主人の生き様が染みこんだ我が家の物を、受け取る価(、)値(、)が(、)、あんたには、全く無い」

 きっぱりとルーディが云い放つ。

「何なら、今、あんたが私(、)の(、)城(、)の(、)空(、)気(、)を(、)吸(、)っ(、)て(、)る(、)と意識するだけで、腹が立ってくるくらいですよ」

 最早、冷笑すらも浮かべず、真剣(まじめ)に見えるほどの無表情と声を、「会社社長」が向けてくる――役人は再び、「ひぃっ?」と息を吸って、尻餅のまま後退った。

 ――実際、ルーディの方も、ただ口先だけの威圧(おどし)では収められないのではないかと、自(、)分(、)に(、)対(、)し(、)て(、)の(、)警戒心が湧く程だった。この役人が、これ以上迂闊な言動、態度を見せたら、「我が家」にとって究極にして最終手段――この州に最後に残ったいかがわしい繁華街(ふるさと)で、やはり最後にひっそりと残った〝その筋の人〟への「連絡」を取りかねない、危機感が生じている。



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