=2= -(6)
本当に、幸運にも、やたらと金を持っている人間の家に入り込めて、金づるを手に入れた、さて、何を盗もうか、などと考える人間が、…朝、寝過ごして、起こされただけで、「ごめん」などと云う筈がない。
「備品盗んで売り飛ばしたりしたらどうする」などと先に尋ねたりしないし、自分が宛がわれた部屋に、家主すら入れないのは問題があるんじゃないか、などと思ったりしない。
「エレベータの移動時間を長々入力したら他の住人が迷惑するんじゃないかなんて、どんな悪人が考える」
ルーディは相変わらず、淡々とした声色で云う。
シールは、微かに頬を染めて、顔を背けた。
「私は、君を信頼していい人間だと思ったから、…今更ライフスタイルを変えるよりも、君の判断に任せようと思ったのです。それで君に魔が差したなら…、私は自業自得と思うことにするし、運が無かったと思う」
「…わ…、分かった」
シールは、まるで、ルーディにかけられた言葉を、振り払うように首を振った。
「分かった…。確かに、家主はあんただ。俺は居候だ。あんたが、そう指示したんだから、俺は従う。分かった!」
「…また、そんな卑屈な云い方をする」
今度は、ルーディは苦笑交じりに云った。
「ま、私に信頼されるというのがくすぐったくて、そう思った方が楽というなら、現象が同じなら私は構わないんですけどね」
こくこく、とルーディが、グラスを傾けてブラン・カテを飲み干した。
横目に、その喉を見ながら、「やっぱり、こいつは変だ」とシールは、相変わらず、微かに頬を染めたままで考えていた。
そして、自分もグラスを空ける。
「私がそうだからと云って、君まで部屋に鍵をかけずに居なくても、別にいいですよ」
「……俺も、多分メンドクサくて、開けてるかもしれない」
「ああ、そう。でも、共有空間には、他の人間は入れてはいけないということは覚えていてくださいよ」
ルーディが、念を押す。
シールは、分かってる、と頷いた。
「君に友達が居たとして、別に呼んだっていいんですけど、表玄関から、何階に入れなんて云っちゃだめですよ。部屋の機械の使い方が分からなかったら教えてあげるけど、ここに誘導する形にして」
「…別に、俺、…そんな友達なんて居ないから、余計な世話だよ」
ぶすっとした声で、シールが云う。
「ああ、そうですか。どっちにしても、表からだと、共有空間である廊下とリビングを通ることになるから、君の側の玄関から入れなさい、他人は」
「だから…」
「表玄関を使うときは、私一人とだけ一緒の時か、君一人の時」
だから、俺は、そんな人間居ないって云ってるだろう、とシールは云おうとした。
だが、ルーディが相変わらず念を押す口調で続けるので、シールは訝しげに目を細めた。
「…ルーディ?」
「セキュリティは分かったね?」
「……うん」
「リビングへの扉がロックできることを考えれば、君は、一人暮らししているのと変わらない環境が出来る訳だ」
「…あ、ああ…そうだな」
「逆に云えば、それは、ちゃんとリビングへの扉を、ロックしなくてはいけない、ということです」
「うん…」
だから、どうした、とシールは思う。
…その後の、ルーディの言葉を聞いて、そういうことをルーディが云おうとしているのだと気づかなかったことで、やっぱり、俺はバカなのかな、と感じた。
「このようなシステムを考えれば、君は、自分の部屋に客が呼べる訳で、その分、実費であるホテル代なんかが、金銭で貰えもしますね」
「……!」
「ただ、私の家であることも忘れず、その時は必ず、リビングへの扉には鍵を掛けること。遠隔操作できるんですから、面倒がらずに…」
「ルーディ!」
「シャワールームもあるんですから」
「俺は!」
ルーディの言葉を遮るように、シールは叫んだ。
その頬が、さっきよりも一層赤くなっている。
ルーディが、声を止ませる。
「俺は、…そんなこと、しない」
「……何故?」
何故、と訊くルーディが分からない。
「何故って…」
「道で商談して、自宅で仕事する辻君も居ますよ」
あっさりとルーディは云う。
シールは、少し、目頭が熱くなって、そんな顔をルーディから背けて、小さくはあるがハッキリした声で云った。
「俺は、しない」
「そうですか」
昨日も感じた。
ルーディは、自分のやっている商売を、軽蔑していないが、憐れんでもいない。
軽蔑されないのは、気が楽だ。
憐れまれるのも、癪だ。少なくとも、今まで癪だった。憐れむくらいなら、買うな、と思っていた、買われなくては、食事も出来なくても…。
だから、ルーディの態度は、…自分にとって、好ましいことの筈なのだが。
「あんたに、迷惑はかけないよ…」
「迷惑かけられると思って云った訳じゃないんですけどねぇ…」
「あんた、俺に…自分の領域広く持てって云ったな」
シールが呟くように云った。ええ、とルーディが頷く。
「ひとまず、あんたに借りた部屋から始める…。あの部屋を俺のテリトリーだって、…それを、守るとこから始める。誰も、…俺の食い扶持の客だって、入れない」
「そうですか」
シールは、そう思っていた訳ではないのだが、そう云った。
そう云った方が、ルーディには通じるのだろうと思ったから。
「君がそういうつもりなら、私は別にどうでもいいです。ただ、そういう方法もあるということ」
「俺にとっては、無い」
「そうですか」
「ルーディ」
「何です」
ルーディが首を傾げ、シールは、向かいに座った人間の目を横目に見た。
「俺の部屋も、やっぱり、鍵はかけない」
「……?」
「不公平だ」
「やっぱり、君は悪い人間じゃないよ。…公平不公平なんて、考える悪い人間は居ない」
「…そんなこと、どうだっていい。…俺の部屋も鍵はかけない…。あんたの家だ」
「そうですか。まあ、それは君が君自身で約束したことです」
「……」
「私は、それを約束とは思わない。破ったとしても、私は気にしませんから」
「……俺も、あんたを信頼する」
「それは嬉しい。…ああ、そうだ。さっきも云ったけど、掃除して欲しいというなら、してあげるから、云いなさいよ。それだけは、例外ということで」
ルーディは、あっさりした声で云って立ち上がり、空になった二つのグラスを取ってキッチンに向かった。
憐れまれるのは御免だ。
ルーディは、それをしない。
シールは、ルーディに、憐れんで欲しい訳じゃなかった。
ルーディは、自分を軽蔑もしてない。
「ホントに、太っ腹なヤツだな…」
シールは、苦笑交じりに呟いた。どことなく、自嘲めいても見える表情である。
軽蔑も憐憫も無い、ルーディの淡々とした声に、シールは、段々と自分が惨めに思えて、ルーディの言葉を遮った。
シールは、思った。
多分、ルーディは、男娼という職業を、別に否定している訳ではないのだ。否定していないから、蔑みもしないが憐れみもしない。
「あんたさ」
キッチンに居るルーディに、シールが声を掛けた。
「何ですか」
「まるで、俺に…立派な男娼になれ、って云ってるみたいだ」
「……」
ルーディが苦笑するのが、ちらりと見えた。
「私は、仕事人というのは何でも、『プロフェッショナル』であるべき…その自負を持っているべきだと思っているので」
「……」
「それが、『立派な』という意味なのなら、変な表現ですけど、そういうことなんでしょうね」
ルーディが云う。
やっぱりな、とシールはルーディには聞こえない小さな声で呟いた。
自分がやっている職業を、「職業」としているということだ。否定してないんだ。
多分…。
やっている自分より余程に、肯定している。
「一番売ってはいけないものを売ってるんだから」とは云ったが、「高く売らなくてどうします」とも云った。
やっている自分の方が、よほどルーディより、自分のやっていることを、認めていないのだろう。
シールはそう思う。
だから、ルーディに認められていることが、却って、惨めに思えたのだ。
かと云って、今やっていることを、辞めるつもりも無いのだが…。
「さて…シール」
キッチンから出てきたルーディが、座ったままのシールを見下ろして声を掛ける。
「私は、そろそろ下の事務所に行って、デスクワークをしなくてはいけない。それが終わったら一度戻ってきて、夕飯を済ませてから店に向かうんですが、君はどうします」
「…俺も、晩飯食ったら、出る」
「そうですか。それまではどうします?」
「部屋で、端末なんかの扱いを見ておく」
「それがいいでしょう。私は案内できませんが、こっちのバスルームなどの使い方も見ておくとよいでしょうね」
「そうする…」
「で、夕飯ですけども。気が向いたら呼ぶとは云ったけど、予定は云っておくことにしよう。君、肉と魚はどっちが好き?」
淡々と…、真面目にルーディが訊くので、シールは苦笑した。
「食えるならどっちでもいい。…総合栄養ビスケットは、ビーフ風味が好きだったけど」
シールは、そう云ってルーディを見上げた。
「ふん…総合栄養の風味、なんて好き嫌いのあてにならないなぁ。じゃあ、前菜にスモークサーモンと帆立のマリネ・サワークリーム添え。メインに鴨のパイ包み焼き、…ソースは茸と赤ワインで、…ってところでどうですか? パンは自家製の直焼きなんですが」
「…全く想像がつかない、どうでもいい」
「張り合いが無いですねぇ…。じゃあ、そういうことで。食べたければ、来なさい。18時頃」
「俺が行かなかったら?」
「一応、呼ぶよ? 気が向いたら」
「それでも、行かなかったら?」
「クーラーとフリーザに入るだけ。後で好きな時に取り出して、好きな時に食べてもいいよ。味は落ちるけど」
ルーディは肩を竦めて、やっぱりあっさりと云った。
シールは、
「…分かった」
と云った。
「18時だな」
「はい」
頷いて、ルーディは、恐らく寝室に向かった。
しばらくして、ジャケットを手にして廊下に姿を見せる。
その間の扉は、開け放たれている。閉めようと思えば、完全に遮断できる扉。
「じゃあ、私は出ます。いいですか、玄関はオートロックですから、必ずカードを忘れずに持ちなさいよ」
「分かった」
「では、18時に」
「うん…」
ルーディが背中を向けて、ルーディ専用のエレベータホールに向かう。
その背中にシールは、
「行ってらっしゃい」
とぎこちない声で云った。
ルーディが、少し驚いた顔をして振り向いた。
そして微笑して
「行ってきます」
と答えた。
シールは、何でそれを云ったのか、…云わなければ、と思ったのか、ルーディの姿が見えなくなってから考えた。
多分、「家」が出来たからだな、と思う。
そして、一人で住んでいるのではないから。
シールは、とても久しぶりに、「住む」感触を味わった。
朝、「おはよう」と云い、「行ってらっしゃい」を同居人に対して云う。それを、久々に、やった。
そして、ノア・カテのあるじも、父親が亡くなってから、とても久しぶりに、「おはよう」と「行ってきます」を云った。
2002.10.16
(加筆修正:2026.8.26/ =2= -(4))




