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時間と体力が勿体ないから、「見逃してやっていた」ようなものなのに――結局、こうなるか。
ルーディは、ぶるっと大きく首を振った後で、「こっちの台詞でしょ」と返した。
「あんたさ、本当に何なの? 国家公務員になったら人の家の物を勝手に触っても良い、って躾を親御さんから受けてきたんですか?」
と思い切り呆れた声色を作って云った。オルゴールに被せていた手には力を込めて、ぐっと蓋を掴む。
ぐぅっと息を飲み、眉間に皺を刻ませ、役人が「そ、それは」と自分なりの威厳を籠めた声を絞り出す。
「セイレイシィさん、それは、貴方が所有権を主張出来る物でもありますまい。〝人の家の物〟という表現は、貴方の方こそ図々しい」
それを聞いて、シールの方が気分が悪くなった。反射的に「偉そうに」と思う。それこそ、こういう輩ほど俺に対して説教をかましながら、遠慮無くいやらしいことをやり、やらせてくる割りに金払いは悪かったりするんだ――そんな傾向があることを、経験上知っている。
ただ、最終的にシールは、舌打ちをして顔を顰めるでもなく、若干訝しげに眉を寄せ、この役人に対して、嫌悪感というよりも違和感を抱いた。そんな様子が、ルーディにも役人にも気取られることは無かったが――。
そしてルーディは、ナーバス氏の物言いに、口角を上げていた。凍り付きそうな程に冷たい微笑みだ。ナーバス氏が再び、「うっ」と唸る。
その冷笑は直ぐに消え、
「仮に盗品だとして、それでも警察は、捜査令状を示した上で、家宅捜索に入りますよね?」
「――」
「そして貴方は警官じゃないし、現段階でまだ、大統領直下の調査権限は持っていない。さて、これは貴方が勝手に触って良いものですか?」
オルゴールを掴んだまま、子供に云って聞かせるような口調でルーディが云うと、ナーバス氏は黙ったまま、下唇を震わせた。
ルーディはオルゴールから手を離してちゃんと振り返ると、役人に正面を向いて一歩を踏み出した。
オルゴールが目に入ったときの態度と云ったら、まるでルーディを「障害物」としか思っていないような素振りだったが、一応、初対面の人間との物理的な距離感は、彼の中にもあるのだろう、役人は一歩後退った。ルーディは、もう一歩踏み出す、すると、役人はまた一歩下がる。
さて、どの程度で、「後退っている」自分に気づいて、「脅しに負けている」気分になり、「プライドを奮わせて」立ち止まるかな?――ルーディは、そんな意地の悪い興味と共に薄笑いを浮かべたまま、ゆっくりと、一歩、また一歩、踏み出す。
このままドアに背が付くところまで追い詰めて、向こうから逃げ出す気分になってくれれば有り難いことだったが、彼のプライドはそこまで「メッキ」でも無いらしい。〝見えない境界線〟の真ん中辺りで役人は立ち止まり、口をへの字にしてルーディを睨み付けた。
ルーディは役人の表情を意に介さず、薄笑いのまま、もう一歩踏み出した――恐らく、彼のパーソナルスペースは、この距離を許してはいないだろう位置で止まり、「チンピラが因縁を付けるように」顔を突き出す。
感心したことに、一瞬背を仰け反らせる仕草こそあったが、役人はそれ以上後退ることはなかった。
「……先ほどは、親御さんに同情しましたが、余計なお世話だったようですね。あんたみたいな人のことを、『お里が知れる』って云うんですよ。――ああ、もしかしてコレ、あんたが生きてる世界では差別用語であるが故に禁止用語ってことにでもなってますか?」
への字になっていた役人の口が、吐き気を催したというふうに尖り、ぷくっと頬も膨らんだので、ルーディは全く悪びれずそんなことを云う。役人の目が、いよいよ「殺してやる」とでも云いたそうにギラギラしてきた――それを「云って」はいけないことくらいは判っているから、ルーディに何も云い返せないのだろうが、それが「顔に出ている」ことは、多分、気づいていない。ルーディの方は、そんなミスター・ナーバスが滑稽で仕方なく、表情はずっと薄い笑みのままだった。
相手が何も云い返してこないので、ルーディは畳みかける。
「そうじゃなけりゃ、『こんな街』が『里』である者が吐く台詞か、とでも思ってるでしょ。――あんた、もしかして、『官僚』になるためだけの『胎内教育』をカプセルで受けた口ですか、ブルジョワジーならではの『礼儀作法』『社交術』、出世のための『上司や先輩への諂い方』『後輩や目下への威厳の表し方』、そういう『処世術』だけ躾けられた? それにしたって、だいぶ質の悪いプログラムだったようですね――このドアが開いた後、今までの数分間の自分をよく思い出してみなさい。躾がなってない子供と同じく『行儀が悪い』ですよ、あんた」
「し、失敬なッ」
「ほら、私に対しては、『その言葉』を吐ける。私は『今までの数分間の自分を思い出せ』と云ったのに、それはしないで、私から悪態をつかれてるとしか思ってない。自分の機嫌のことしか考えないから、自分を省みない『子供』」
「――っ」
「下品な街で生まれ育った、場末の酒場のあるじ風情が、礼儀を語るなとでも思ってますか? ――私の酒場のお客様には、貴方もたまにお目に掛かることがあるだろうVIPが居られるかもしれませんよ。機会があれば、ノア・カテのあるじの印象を尋ねてごらんなさい。恐らく、『大変礼儀正しくて上品で、気のきく人』だと仰るだろうと思いますよ。私が貴方に失敬なのは最初から云ってるでしょ――」
わざとですよ、とはっきり云い、
「私は今、貴方に負けず劣らず、腹が立ってるんですよ? まだ分からない?」
ルーディは、大層上品な微笑を見せた。
ナーバス氏の方は、その台詞と表情が余りにかけ離れていることに、一瞬「きょとん」として、次には、ほんの僅か「怯え」の表情を浮かべた。が、最終的には、何とか己を奮い立たせたか、への字口を取り戻す。
「分かってないんでしょうね、分かってたら、曰くの『虎穴』に一人でのこのこ、やってこれないでしょう。――私からすりゃ、先ほどの++さんですか? あの方のほうが余程、あんたより『礼儀』の何たるやを知ってるのに、あんたの方が『上役』なんだから、あんたの生きてる世界ってのは、とんだ画一的な能力主義ですね。とことん、他者に合わせる応用力や機転ってのは、要らなくていいんだ」
「あ、あ、あなたね、――」
「貴方がこれまでの人生で知っていた『処世術』が、『この街』や『私』には通用しないってことを、今までの一時間と少しで、全く理解出来なかった、理解出来ない感性しか持ってない自分に気づけなかった、だから、あんたは一人で此処に居る。――ほんとに鈍感な馬鹿だなあ」
フォン越しと直とでは、感情の制御に加減が出来ないのか、ナーバス氏がわなわなと唇を震わせ、「あ、あんた」と云いながら、右手の人差し指を突きつけようとした。
が、やはり「直」だと、どんなに鈍感な馬鹿だろうが、「相手」の感情、特に「敵意」は感じられるようになるらしい。ルーディが足を踏み出してはいないのに、ナーバス氏は肘から上げていた手をしおしおと下ろし、自分から一歩後退った。
上品な微笑が――口角だけニィッと上がり、目は見開いた気味の悪い冷笑へと変わる。
「――あんたみたいに『リスクマネージメント』がなってない役人を頂いてるんですか、我々一般人は。不安で仕方ないですよ」
役人はギリッと歯を食いしばったが、瞳は何となく揺らいでいる――それは「不安」「怯え」のどちらに拠るのか分からないが、冷笑をそのままに、ルーディが続ける。
「『こんな街』で、何代と水商売やってきた家の末代が待つ場所に、一人でやってきてただで済むと思ったんですか?」
「ど、どういう意味です」
「私が管理するこのビルはね、店子に、脛に傷を持つ人や、ちょっと『後ろ暗い経歴』を持つ人が、まあ、比率で云うと少なくはなく、加えて、それなりの『社会的地位』を持ってる人も、居なくはないんですよ。よって、貴方のオフィスほどじゃないかもしれませんが、この辺じゃ一番と云って良いくらいの、結構な『セキュリティ』を持ってます。迂闊な人間を『入れない』ようにしているのは勿論、入ってしまった場合に、『出さない』ようにするためのシステムもね、あー、まあ……、もしかすると、そこは貴方のオフィスより優秀かもしれません」
「……なん――」
「お若い四人がエレベーターを降りてから後のあんたを『行方不明』にしてしまうことなんて、簡単ですよ、私には」
ルーディが一歩踏み出して立ち止まると、ナーバス氏は「ヒ」と喉から引きつった音を漏らし、二歩下がった。が、何とか立ち止まる。
「ぅ、おっ、脅すつもりですか、それこそ犯罪ですよ」
「まあ、そうですね、あんたが脅迫だと受け取って、それに屈して出て行き、あんたのお仲間含めて二度とこの街、酒場、このビルに現れないってことになるなら、前科の一つや二つ、『この街』じゃ良い箔になるでしょうから、通報してくれても構いませんよ?」
飄々とルーディが云うと、役人は鼻白んだ。
「裏を返すと、『だからこそ』、あんたの大統領権限を振りかざした脅しに、私は屈せざるを得なかったとも云えるんですよ。店子の皆様からの信用を失うくらいなら、あんた一人『脅迫』した前科付ける方がマシ、だから、あんたは『一時間待つだけで済んだ』んですよ? ――私はずっと、『あんたのことが大嫌いだ』『あんた一人だけは最後まで城に入れたくない』と云ってましたよね。それを、どう受け取ってたんです、貴方?」
「……ッ」
「この『街』を蔑んでビクついてるのが精一杯だから、『ビルに入る』ことしか考えてなかったところに加え、入ったら入ったで、こんな怖い思いをするだろうことも、貴方、全く予測出来てなかったでしょう。予測してたら、『一人』で此処までやってくる無謀な冒険、やってませんよ。せめてねぇ、私の方も、あー…++さん、あんたよりは礼儀を知っているあの人が居るようなら、もうちょっと穏やかで居られたかもしれないんですがねぇ」
「あ、貴方のほうが、勝手に『控え室』なんて設けて、部下は其処に行けって、云ったんじゃないですか」
狼狽と憤りを混ぜた表情で、声は慌てたふうに、ナーバス氏が噛みついてくる。
ルーディは、瞳に「蔑み」を滲ませながら、口元には笑みを浮かべ、声は相変わらず飄々として返した。
「それを云いますか、この期に及んで。私は、それをあんたが思いつかなかったことに、想像力が希薄な馬鹿だ、って云ってるんですよ? 私が〝ル・ポーヴル〟に席を用意しなかったら、あの四人さんは今頃、それが本当かどうか分からない口先だけの私の脅しにビクビクしてるあんたより余程具体的な脅迫にあって、実際に『金銭』や命すら奪われてたかもしれないっていうのが、まだ理解出来てませんか、あんた」
ルーディの表情が、一瞬、哀れみも感じさせるような微笑に変わった。
「一体、あんたが本来のオフィスでどれだけ『有能』な仕事をしてるか知らないが、自分の任務を『果たす』ことだけに必死なあんたは、実は『無能』ですよ。『任務を果たすために、状況を把握して最適解を探す』っていう、『ケースバイケース』の発想、つまり、応用力が一切無い。会社経営をしている私は、絶対に貴方を雇いたくないね」
冷静なルーディの声に、ナーバス氏の唇が再びわなわなと震え、目がギラギラと輝いた。ルーディは全く意に介さない。




