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「この街にやってきただけでおどおどしてるようなチキンに、完璧な監視など出来るもんですか。そりゃあ、この先交代もしようし、これまた民間の探偵にでも委託するのかもしれませんけど、こちらとて、こんな街に生まれたときから何十年住んでるんですよ。警察の裏だって、かこうと思えばかけます、何てことありません。――蛇の道は蛇、という諺を知ってますか、シール」
シールが苦笑する。
ルーディが続ける。
「だが、それは私の意志だ。――サン・ターシュ邸放火殺人事件は既に解決しており、自分が被疑者として追われている訳ではないことが判った君が、もう何かから逃げる必要も無くなった以上、文化庁の役人と会うことで市民権を復帰させるきっかけを得たいとか……、そういう考えがあるなら、――それに対しての協力も、私はします」
「……」
「どうする?」
ルーディが訊く。
シールは首を傾げる。
自分がどうしたらいいのか、全然見当もつかない。
何かから逃げるというのは、もう必要がないことは解ったけれど、市民権を復活させるとかそんなことは、全く考えてもいなかった。明日生きていくためだけに男娼をやっている、それ以外の生活を、今まで考えたことも無かったからだ。
ルーディが云ったことが、全然自分の実感として湧いてこない。
「そんなことより余程」、今の俺には、ルーディが俺をどうしたいのかが問題なんだ。
だから――「君を役人に渡したくない」と云われてくすぐったかったのは、それが「嬉しい」ことのように思えたからだろう。
だけど――ルーディは、「どうする?」と訊くのだ。
最初っから。
家賃を俺に決めろと云ったみたいに。
俺が市民権を得たら、あんたとずっと一緒に居られるか。
そんなことが、喉の奥の方に浮かび上がってくるけど、ルーディは多分、答えないだろう。
いや、答えるとしても、それはシールが欲している答えではないのだろう。
きっとルーディは――市民権、IDが復帰したなら、合法的に君を養子にも出来るし、ノア・カテに雇うことも出来ますね、とかそんなことを云うのかもしれない。
そんな言葉なら、要らないのだ。
……シールは、苦笑を浮かべておどけた声を作った。
「俺、そんな先のこと、具体的なことを今の間に考えることは出来ないけど」
「ふん?」
「――今話してたお役人には、会いたくねぇな…」
シールがそう云うと、ルーディも肩を竦めて苦笑した。
「私も君に会わせたくないですね」
「……俺は、あんたみたいに口も立たないし」
「今話していた役人は、どこまでも神様の声が聞こえない人間でしょうしね」
同じくおどけた声で応じた後、ルーディが真面目な声で云う。シールが、はっと顔を強ばらせて、オルゴールを見た。
「……役人は、一体何を捜してるつもりで、大統領まで引き合いに出してくるんでしょうね」
「――」
「シール、君はどう思う?」
「……俺だってまさか、大統領まで出てくるとは思わなかったよ」
溜息混じりにシールが云う。
ルーディも頷きながら、
「大統領閣下も、神様の声が聞こえないと思うんですけどね」
「――ルーディ」
シールが何かを問う口調で声を掛ける。ルーディが「何です」と応じる。
「地下室にあるはずのものがない、そのある筈のものは何なのか、報道されてないって云ったよな」
「ええ」
「……そうか」
「――それがどうか?」
「いや……」
シールが苦笑する。
「役人はもしかしたら、自分でも、オルゴール一個にムキになってるって、知らないのかもな、と思ったんだ」
「――」
「オルゴールがある筈の地下室に、保管されている筈のものだったのに確実に焼けてしまっただろうものを、俺は、知ってるからさ…」
「――そうですか」
それが何かは問わずに、ルーディが頷く。
だから、シールが「それは何だとは訊かないんだな」と苦笑した。
「訊いて欲しい?」
「……」
「君は、肉親を見殺しにしたことと、神様の言葉の代替物を焼いてしまったことを、そんなにまで責めて欲しいんですか?」
「……あんた、想像は出来てるみたいだな」
やはりシールが苦笑する。
ルーディはオルゴールを見下ろし、
「私は、自分が役人よりは俗物じゃないことが、今解りましたからね」
「はは……」
「――ルーディ」
「何です?」
「俺、その役人に、――顔は見せることにする」
「……」
ルーディが目を細めてシールを見る。
シールは顔を上げて、じっとルーディを見据えていた。
戸惑っているのでもなく、迷っているのでもなく――あきらめたというのでもなく、静かな表情であった。
――そんな結論に、至って欲しくなかったのに……、そんな顔をして「決心」をしてしまったのか。
一瞬、ルーディは自分が「君の意志に任せる」と云ってしまったことを後悔した。
だが、シールは決心してしまったのだ。
「そうですか」
ルーディが息を吐きながら頷く。
「でも――他の人だったら判らなかったけど……、俺、さっきのお役人に、そのオルゴールを……、渡したくは、ない」
「――」
「マリーの、オルゴールを、――渡したくないよ」
「そうでしょうとも――」
ルーディが、掠れた声でそう云って重々しく頷いた。
「だから……、それ、貰ってくれ、ルーディ」
「えっ」
シールの言葉に、ルーディが珍しく驚きをあらわにした表情を浮かべた。
「――あんたは、役人よりは、神様の言葉を大事にしてくれそうだから――」
「役人よりは俗物じゃないことは判りましたけど、私は今、神様を殺せとまで云ったような人間ですよ」
「それは、あんたっていう人間の価値観から出ただけだ。俺が、生きていくのに自信をなくすくらいなら、生きていくために神様を殺せって云ったんだ。――それは、明日も自分が生きていることを信じてなきゃいけないっていう――父さんや母さん、マリーから聞いた神様の言葉と、殆どおんなじだ」
「……」
「きっと、マリーだって、――あんたに持ってて貰う方が、安心だと思うよ。俺にシェレって名前をつけた父さん――それを教えてくれたマリーも、――俺が今生きていることを、それでいいと云ってくれるなら、オルゴールをあんたにあげることも、それでいいって、云ってくれるだろうと、思う」
「シール――」
「俺たちが神様の言葉の代替物だと思っていたオルゴールを、――それを、ただの工芸品だとしか思ってないとしても、今まで、ずっと、ちゃんと鳴る状態で、大事にしてきた、ご先祖さんと、あんただ。俺は、サン・ターシュの先祖に顔向け出来ないことをしちゃったけど――、あんたにそのオルゴールをあげたことで、叱られることはないと思うんだ」
だから、ルーディ、あんたが貰ってくれ、シールが云う。
ルーディは、――本当にルーディにしては珍しく――狼狽えの表情を浮かべていたが、シールが静かに――それは穏やかに云うので、こくり、と大きく頷いた。
「……分かりました」
「うん……」
「――では、事務所に、向かっておきましょうか」
「ん? あ、ああ、そうか、オフィスに入れろとか入れないとか、云ってたんだっけ…」
「そうです。流石にこの家には絶対に入れたくないです」
そう云ってルーディは椅子から腰を浮かせた。
シールも追いかけるように立ち上がる。
だが、ルーディの手を見て首を傾げた。
「ルーディ、――何で、それ……」
ルーディは、オルゴールを手にしていた。
家の中にあるエレベータの方向へ向かっていたルーディが立ち止まり、くるっと振り返ってシールの言葉を遮るように
「シール」
と冷たくも聞こえるきっぱりした声で呼んだ。
口を噤み、シールがぴくっと背筋を伸ばす。
「役人とは、私が話をします。君は、その場に居るだけでいい。黙ってなさい」
「――」
「役人から何を話しかけられても、黙ってなさい。顔を見て何か質問をされるようなことがあったら、私に目配せをすればそれでいい。私から話しかけられたときだけ、好きなように返答しなさい――もちろん、黙っていたってそれでもいい――。いいね」
「……何で…」
「君は私ほど口が立たないって云ったじゃないですか」
ルーディが表情を緩めてからかうように云った。
シールが戸惑って「そりゃそうだけど」と云った。
「……いいね。君は黙ってなさい。さっきの役人の相手は、君には絶対に無理なんだ。何なら、ずっと目と耳を塞いでいても構わない。耳栓か、ポータブルの音楽プレイヤでも貸しましょうか?」
叱りつけるような声で云った後、おどけてルーディが云った。
シールは相変わらず戸惑って、「何でそこまで」と呟く。
「君は、事件の参考人として追われている可能性を考えて、今まで、警察が出てくるようなことを避け、ケンカで自分が手を出したりもしなかったのでしょうけど」
「……うん…」
「その心配は無くなった今、――もしかして、あの役人に、手を出してしまうことになると困る」
「――随分、先のことを心配しすぎじゃないか?」
俺、もともとそこまでケンカっ早くないよ、とシールが苦笑すると、ルーディが軽く首を振った。
「……先ほど、フォン越しの会話だけで、君も不愉快になったでしょ?」
「まあ、……うん…」
「ああいう人はね、人の機嫌を全く窺わず――それは、他人が自分のせいで機嫌を悪くする可能性自体を考えることも出来ないからかもしれない――、自分のことで手一杯だから、平気で人を侮辱することも出来ます、それを侮辱とは思わずに」
「……」
「君がもし、男娼をやっているのを知っていたら、君を捜しているにも関わらず嫌悪感を隠さないだろうね。君自身のみならず、もしかすると、君の家族も侮辱するかもしれないよ、ああいう輩は」
「――そんな想像が、何で出来るんだ、あんた?」
少しばかり呆れた声でシールが云うと、ルーディは
「何度かああいう人と会ったことがありますから」
と云った。
「……そうだとして、俺が、手を出すかもしれないってのは何でそう思う? こないだだって――俺、全然反抗もしないまま、客に一方的に殴られてただろ。俺の方こそチキンかもしれないじゃないか」
「――君は若い」
「血の気に逸ってるって?」
「それなりに年を食って気が長くなった私が、先ほど、あのタイミングで、ああ叫んで話を切らさなかったら、下まで降りていって刺してたかもしれないからさ」
「……」
平然とルーディは云い、シールは驚いて目を見開いた。
「私より若い君は、手が出る可能性が高いと、考えて不思議じゃないでしょう?」
それも平然と軽く、ルーディは云い、それ以上補足することはないと思ったからか、前を向いてエレベータに向かって足を踏み出した。
だから、本気で云ってるのかどうかは分からないけれども、シールは
「そうだな」
と云い、「分かった、黙ってる」と頷き、
「――俺も、我慢する」
と付け加えた。
ルーディが振り返って苦笑を見せ、頷き返した。
2006.5.20
[次回、=11(2)=からは、日付跨ぐ前(23時台)から複数回に分けて掲載されます]




