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「非常事態でなけりゃ、俺がルールを破ることはないだろうと、信用しているということか? 俺は錯乱してたんだから、そんな状態にならなきゃ、大丈夫だって、そういうことか?」
「……そう思って、何がいけないんです?」
ちらり、とルーディが上目遣いにシールを見て、溜息交じりに云う。
シールが、またぶるっと首を振る。
「君は、一度破ったルールは二度も三度も同じだと思うような、人間だってことですか?」
静かに、ルーディが云う。
シールは、また首を振った。やれやれ、とルーディが息を吐く。
片手で拳を作り、片手でそれを覆うように握って、シールが呟くような声で云う。
「パンドラの箱を開けたのは確かに俺だけど、あんたは、ただ箱を閉めようとしてるだけだ」
「……」
「底に残ってる『希望』を取り出すか、出てきた災厄をもう一度箱に閉じこめることは、しない」
「私は私の持っているパンドラの箱を開けないよう、守るのに精一杯です」
ルーディが静かに云う。
シールが、何だか戸惑った目をしてルーディを見る。
「――シール、ただ箱を閉めることの何が悪いんです? 私は、それをイレギュラーな出来事だと思うことにして、仕方がないことだと思おうとしている。その上で、君にこれ以上、『箱を開けるな』と云っているだけですよ?」
「ルーディ……俺は」
「何です」
「あんたに、底に残った『希望』を取り出して欲しいだけなんだ」
シールが、ぽつぽつと云って、ルーディは肩を竦め、微かに呆れた調子を含めて云った。
「何故、私が?」
「……」
「私が『希望』を取り出さない以上、箱は閉められないと云うんですか? 何故、私が」
シールは一瞬口を噤んで、――微かに笑い、「そうだな、図々しい」と呟いた。
「……だから、俺は、箱の中から出てきた災厄――ペナルティを、俺が受けなきゃいけないと、思ってる。俺が災厄を、この家から持って出なきゃいけないんだと」
「堂々めぐりですね、私は、いいって云ってるのに」
「――そうだな」
「君は今、出て行きたい訳じゃない、とも云ったじゃないですか」
「そうだよ。――あんたと」
そこで一つ、シールは息を飲んで、震えそうになる声を抑えながら云った。
「もっと、一緒に居たい」
するとルーディが、はあ、と息を吐く。
「私だって、君が来てから寂しくなくなったと前に云ったでしょう。今だってそう思っていますよ。だから、……今回は、って云ってるのに」
シールはルーディの言葉を聞いて、――何だか、情けない笑顔を作った。
つくづく――ルーディと話が噛み合っていない、と思い。
それは、俺がバカだからか。それとも、ルーディが利口だからか?
そんなことを考えて、表情が、情けない笑顔になり、何だか、力が抜けてしまった。
「――それで、出て行く前に、ちゃんと話を……説明をしておこうと、思って」
シールは一度、力なく息を吐いた後で、声も抑揚なくそう云った。
ルーディが「ん?」と首を傾げる。
「……今の、出て行くとか出て行かないとかじゃなくて?」
そう問うと、シールがこくんと頷いた。
「俺のこと。――俺が、誰かに追いかけられる身の上ってのは、もう分かっただろ。……あんたに、話しとかないと、もしかして、俺が出て行ってから、あんたや酒場に、迷惑が掛かるかもしれないし――」
「……」
「あんたは、俺とは関係ないって、云うために」
シールがそう云うと、ルーディは目を細めた後、首を振った。
「シール、――君が話そうとしていることが、もし、私の想像と合っていたら、君は何も云う必要が無い」
ルーディの声色が、少々冷たい、冴えたものになったので、シールが「え」と若干怯んだ表情になる。
ルーディの顔を改めて見ると、ルーディは、――さっきまでの、少しばかり戸惑いが浮かんだり、呆れ顔になったりと、そんな様子が完全に消えて、とても冷静な顔をしていた。
シールは、「どういうことだ」と息を飲む。
「――シール、君が云おうとしている、『君のこと』が、『シェレ・サン・ターシュ』のことなら、云わなくていい、と云ってるんです」
「……」
シールの顔に、一瞬怯えの様子が見え、次には、疑問の色が見て取れた。
ルーディが、何を云っているのか分からない。
「どういうことだ?」
「――」
ルーディは一度口を噤み、口元をさすってから、テーブルの上で手を組んだ。
「おとついの君の態度から判断しましたが、……きっと、ある程度の時期から後の『シェレ・サン・ターシュ』のことなら、私の方が知ってると思います」
「――それ、どういうことだ?」
シールが狼狽えた表情を浮かべ、テーブルに手をついて思わず立ち上がり、身を乗り出す。
そんなシールの顔を見上げて見つめ、ルーディが静かに云った。
「――シール、俗に『ノエルの悲劇』と呼ばれていた、『サン・ターシュ邸放火殺人事件』は、解決しています」
「……」
シールが目を見開き、次には、呆れたような表情をつくって、――どさり、と椅子に座り込んだ。背もたれに身を預け、ルーディの顔を――見るというのでもなく、見ている。
「かいけつ?」
「そうです。犯人は捕まっています。裁判も終わっています。判決と刑の執行は覚えていないのですけど――。死刑だとすれば執行の際、もう一度大々的に報道がされそうなものだけど、そういえば記憶にないから、まだ『サイン』されていないのか。それとも、太陽系外流刑か、開拓前期惑星への強制労働収容か。その辺なら、死刑ほど時間は空かないはずだから、もう執行されているでしょう。大々的に報道されることも無いだろうし」
「……誰? 犯人」
「そんなこと聞いてどうします。すいませんけど、名前は覚えていません。――司法当局にちゃんと捕まって、裁判が行われたんだから、敵討ちなんて出来ませんよ」
ルーディが素っ気ない声で云って、シールは相変わらず、随分抜けた顔をしていた。
それ以上、シールが犯人のことを聞いてこないので、ルーディは黙っていた。
……今思い出せるのは、首謀者が、「サン・ターシュ邸」があったアリージュ市の人間――要は「近所の者」だったということだ。万が一、シールの、サン・ターシュ一家の知り合いでもあり――心当たりがあろうものなら、どのくらい、この子は衝撃を受けるだろうか。
それも、――ルーディには、この上なく「下らない」と思えた動機……、己の家族の「死の理由」が、あんな下らなく空しいものだと知ったら、一体、この子は。
そう、考えて黙っている。
「――だから、君が自分の身の上の正確なところを知らず……もしかして、『サン・ターシュ邸放火殺人事件』の重要参考人、被疑者として追われている、とでも思って、『私に迷惑を掛けないよう』、話しておかなくてはと思った……、それで出て行かなくてはいけないとも思っているのなら、全く見当はずれです」
少しばかりおどけた声を作って、ルーディが云った。
おどけた声に、しばしシールは何も反応できず、ただ、驚いてそのまま魂が抜けたような顔をしていた。
少し遅れて、はっと目を見開き、ぷるっと首を振る。
「じゃあ、『シェレ・サン・ターシュ』は――」
「君は、気分が悪いかもしれないけれど……一旦、行方不明者リストに入った後、結局、事件で死亡したということになっています」
「――やっぱり?」
ほう、と息を吐いて、シールが云った。ルーディが、「おや?」と小さく首を傾げた。
シールが、微かな苦笑を作って呟くように云う。
「気分が悪いってことは無い。……シェレは、死んだってことになってるんじゃないかとは、想像してた。ID無くしたまま――それも、あんな事件の中でだから……」
「――そうですか」
ルーディが、一瞬訝しげに目を細めた後、再び、冷静な顔つきに戻った。
――ルーディがそんな表情を作った後で、シールがふと、何か思い付いて不思議に思った、そんな顔をしてルーディの顔を見る。
「……でも、俺はやっぱり、追われている」
「――」
ルーディが、ふう、と息を吐く――もしかして、少し呆れたような――。
「シール、だから……。それを云ったら、君が逃げることの方が変なんです」
シールが黙り込む。
ルーディは、静かに口を開き、淡々と云った。
「『シェレ・サン・ターシュ』は死んだものだと、シール、君自身が思っていた――開き直っていたのなら、名前を呼ばれた……いや、呟かれただけで逃げ出すなんて、妙ですよ? 聞こえないふりをすることも、声を掛けられたとしても『誰のことですか』としらばっくれることだって出来るでしょう。――失礼、君はそういう芝居が出来ずに結局追われる羽目になるくらいに、余り頭が良くない、と確認されたいですか?」
一瞬だけシールは気分を害した風に眉を寄せたが、すぐに、困ったような表情を浮かべ――否定はせずに、俯いた。
「――放火殺人事件自体は、もう解決していると知った以上……今となっては、君は、全く自分がどういう立場にあるのか、分からないのでしょうね。じゃあ、何故自分が追いかけられたのか、逃げなきゃいけない理由は何なのか、――この先、どうしたらいいのか」
「……そうだな」
ルーディがそう云うと、シールは、俯いたまま、小さく頷く。
またひとつ、ルーディが息を吐く。
「シール、――私は、君がルールを破ろうが破るまいが、君に、『この家を出て逃げろ』と云うべきか、『この家に隠れていろ』と云うべきか、それで、……ちょっと悩んでもいました」
ルーディがそう云うと、シールが顔を上げた。
小さく首を傾げた後、
「――本当に、あんたの方が、『シェレ』のこと知ってるみたいだな」
と虚ろに微苦笑を浮かべて云った。
ルーディは、小さく肩を竦めたが、次にはまた、冷静な顔つきと声で云う。
「君を追いかけた人物が誰かも知っていますから」
「……」
そうか、とシールが息をつく。
――ルーディに、「早く死ね」と思っている人間、だと、云っていた……、シールを追いかけた、あの男が誰なのかも、ルーディには分かっている。
「と云っても、私は何から何まで全部、分かっている、知っているというのではありません」
「……」
「殆どが私の想像です。そんな、頼りない話なら聞かなくていいと、君が思うなら、もう止めます」
シールが戸惑いの表情を浮かべて、小首を傾げた。
それは、「聞かなくていいかどうか、判断がつかない」という迷いではなく……、ルーディの、声色は相変わらず冷静だけど、少しばかり表情が……渋いものになった気がしたから。
シールの、その疑問をルーディは察したのかどうか分からないが、まだ「想像」のことを話すのではなくて、前置きらしきことを続けた。
「君を追いかけた人間は、私に『早く死ね』と思っている……連邦政府の機関の人間だと、云ったのを覚えていますか」
「……。覚えてる」
「――そのことで、君の私を見る目が変わるのも嫌だと云ったのは? 覚えてますか」
「ああ……」
「だから、私はその辺りの説明も、本当はしたくないんです」
ルーディが小さく首を振って云う。シールは、一度唇を引き結んで、顔を俯かせた。
顔を俯かせたまま、シールが云う。
「でも、その説明をしないことには、話が続かないっていうこと? 俺が、今どういう立場なのか、――あんたの想像が殆どだとしても、俺よりは余程に分かっている、話が」
「……そうです」
「――そうだろうな、俺を追いかけたあの男が誰なのか……何でノア・カテに居たのか、云わないことには、話が続かないんだもんな……」
シールは、ルーディの話を聞くとも聞かないとも云わなかった。
ルーディも、シールが「聞きたくない」と云わないだろうことを分かっていて、「君が聞かなくていいなら止める」などと云ったのだ。
何故なら、お互い、――これからどうするべきかを考えるには、知りたくないことも教えたくないことも、聞いて、云わなくては、どうしようも無いことの方を分かっていたから。




