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=9(2)= -(2)


 ルーディは静かな声で問う。

「何をしているの」

「……」

「立てないの? 怪我をしている?」

「い、いいや」

 狼狽えた顔をして、ぶるぶると首を振る。

 ふ、とルーディは息を吐き、「じゃあ、何してるの」と訊く。

 シールは、何と答えていいのか分からない。座っている、息をしている、そんな、拗ねた子供みたいな答えしか浮かんでこない。

 それ以外に何をしているのか、自分でよく分からないから。

 す、とルーディが手を差し出す。

「ここに用があるというのではないのなら、家に帰りなさい」

 家に帰りなさい?

 帰ってきなさい、じゃなくて?

 シールが顔を顰める。

 ルーディは、自分の表現に、些細な語弊があったことを気付かず、シールの手を取った。

 立て、と促すように、ルーディはシールの腕を引く。

 シールはつられて立ち上がりはしたが、ルーディの手を振り払った。

「帰りたくないんですか?」

「……どこに」

「――? 決まっているでしょう」

「俺に家なんか無い」

「……」

 ルーディは、ああ…と溜息をついて、軽く首を振る。

 自分の言葉の些細な棘に、ルーディは気付いたのか気付かなかったのか…、次にはただ曖昧に、

「じゃあ、ひとまず私の家に入りなさい」

 と云った。

「もうすぐ夜が明ける。外に居たまま明るくなっては、君が困るだけですよ」

 シールは、顰めた顔を俯かせる。

 ルーディは、ほんの微かに、哀しそうな顔をしていた。

 きっと、宵闇に慣れているシールが見ていても、気付かない程度に微かに。そのうえ、シールは俯いて顔を背けているから、どうせ気付かない。

 振り払った手を、ルーディはもう一度取って、ついてこい、というように引っ張る。

 シールはそれに逆らわず、ルーディについていった。

 ルーディは、初めて会ったときと同じように、シールを酒場の入り口につれていき、初めて会ったときとは違い、シールを先にドアの中に入れて、内側から鍵を閉めた。

 階段を二人して下りていって、エレベータまで行き、黙って最上階の我が家へ向かう。

 何だか馬鹿馬鹿しいことをしている気がする、と言葉に出さずに二人とも、同じことを考えた。

 最上階に向かうために、地下に入る、なんて。



 家の中にあるエレベータホールに立ち、リビングに入ったところで、シールはルーディの手をまた振り払った。

 シールは、ずっと俯いていた顔を上げて、ルーディの顔を「睨む」というような目で見ている。

「あれ、誰だ」

 シールが、絞り出すような声でルーディに問う。

 あれ、とは、シールを追いかけた若い役人のことだろう。

 ルーディは目を細め、静かに云った。

「君は、どこの誰だか分からない人間から逃げていたんですか」

 シールは、ぐ、と一瞬言葉に詰まり、ルーディは微苦笑を浮かべてシールに背を向けた。

「お腹は空いていませんか?」

 キッチンに向かおうとしたルーディを追いかけ、シールが肩を掴む。

「はぐらかすな」

 強く肩を掴んでルーディを振り向かせ、シールが真っ直ぐにルーディを見つめる。

「はぐらかしてなど居ませんよ」

 ルーディは、掴まれた肩が痛かったからなのか、それとも気分を悪くしたからなのか、微かに眉を顰めて目を細める。

 そんなルーディの表情に、……いつものシールなら「ごめん」とでも云うところだろうに、そんなことは思いもよらず、詰め寄る。

「誰だ」

「……何故聞きたい、そんなこと」

「あんた、あの男と、何だか込み入った話をしているように見えた。……俺を、追っているヤツと」

「だから、私が信じられなくなりましたか」

「――信じられなくなりそうだから、聞きたいんだ!」

 ルーディの両肩を掴み、悲痛な声で叫んで、シールが俯く。

 ルーディは、ふう…と息を吐きながら首を振り、やんわりと、シールの手を離させた。

「君が、云うなと云っていたんですけど」

「……えっ?」

 シールが、戸惑った顔を上げてルーディの顔を見る。

 ルーディは、シールの目を真っ直ぐに見つめ、静かな声で云う。

「私に、『早く死ね』と思っている人間ですよ」

「――」

 シールの顔が一層戸惑いの色に染まる。

 ルーディは素っ気ない声で続けて、シールに背を向け、やっぱりキッチンの方へ足を向けた。

「私が死ぬまでは、私の機嫌を損なう訳にはいかない人間」

「ルーディ…」

「お腹空いたでしょう?」

 肩越しに振り返り、……ルーディは、微笑を浮かべて云った。

 シールは、何だか、間抜けな顔をして立ちつくす。

 が、キッチンの中へ入ったルーディへ、慌てて云う。

「は、腹は、減ってない」

「おや。……そうですか」

 軽く目を見開いてルーディは云い、シールの目の前に戻ってきた。ぽん、と肩を叩き、彼を見上げて云う。

「じゃ、シャワーでも浴びて休みなさい。走り回っていたのじゃないんですか。疲れたでしょう」

「――」

「私も休みます、お休み」

 ルーディはそう云って、ほんの少し首をのばし、シールの頬に自分の頬をつけた。

「……あ」

 シールから離れ、テーブルに置いていた小型端末を手に取って、自室へ向かおうとしていたルーディに、何かを思い出したような、思い付いたような声を出して、シールが問う。

「あんた、俺を、待っていた?」

「……お休み」

 ルーディははっきりとは答えず、苦笑して肩を竦めそれだけ云って去った。


 シールは、立ちつくして、ルーディの背中を見ていた。

 廊下の角を曲がって、ルーディの姿が消えた時に、何だか足が震えて、ソファに近寄り座り込む。

 「私に早く死ねと思っている人間」……「私の機嫌を損なう訳にはいかない人間」?

 確かに、前に、その話をした。

 ルーディの機嫌を損なう訳にはいかない人間が、州どころではなく、連邦政府の機関に居る、って…。

 確かに、それを、云わないでくれと、シールが云った。

 ここに、居てもいいのかって、思ってしまうから、と。

「ルーディ」

 震える声で、シールが呟く。

「俺、ここに、居てもいいのか」

 ルーディは、あの男を、あまり相手をしたくない客だとも云っていた。

 そりゃ、「早く死ね」なんて思っているような人間を、まさか好ましく思っている筈はない。

 そんな人間に、ルーディが俺を「売る」とは、何だか、思えなくなってきたけれど…。

 でも、「居てもいいのか」、そんな不安と恐怖が、以前よりずっと、強くなっている。

 ルーディに迷惑がかかるかもしれない。

 俺は、ルーディと一緒に居ちゃいけない人間なのかもしれない。

 前も感じていた、不安。

 ルーディに、「卑屈」だの何だの云われていた、そんな、漠然とした――。

 だけど、前よりずっと強く、濃く、大きく、胸の中に溢れた、不安と恐怖。

「俺、ここに、居て、いいのか」

 それは、どんどん胸の中を浸食して、シールはがくがくと膝を震わせた。

 何故、そんな不安が、こんなにも広がっているって、

「俺、ここに、居たい」

 前よりずっと、ここに居たいって思っているから、

 「ここに居てはいけない」と云われることが、怖い。


 いや…、

 違う。

 そうじゃなくて。


「ルーディ、俺」

 ぼんやりと、掠れた声でシールが呟く。

「あんたと一緒に居たいんだ」




 ルーディは、私室の机に端末を据え、もう一度、「スクラップ帳」を見た。

 何故、シールが「ブラディ・マリー」に何だか嫌悪感をおぼえていたのかもそれをよく読んで分かった。

 マリーと呼ばれていたマリアという女を知っていたから、か…。

 そりゃ、「血まみれマリア」なんてシールが呑める筈は無いな、そんなことを思う。

 そうして、再び、シールの名前を思い出す。

 シェレ・サン・ターシュ、――聖なる責務の封印。

 一体、彼のご両親は、何を考えてこんな名前を付けたのだろう。サン・ターシュという言葉に、意味があることを、知っていたのか知らなかったのか?

 シール本人が、この言葉を知っているかどうかははっきりとは分からないが…、大して捻ってはいない「シール」という偽名・あるいは源氏名を使っていることを考えれば、知っているのかもしれない。―シェレからシールを発想出来る人間が、今の時代に居ることは少なかろうから、偽名としても通用すると考えてのことか―

 じゃあ、シール本人は、何を封(、)印(、)したくて、シールなんて名前を名乗っているのか。

 この「記事」の記憶か? それとも、過去の己自身か?

 そんな深いことなど考えなくても、ただ単に…、親から貰った名前を完全に捨てることが出来なくて、という理由なのかもしれないが。


 ルーディは、自分がこんなこと考えてたって仕方ない、と首を振る。

 想像や推測だって、シールに対して失敬だ。……そんな想像や推測は、好奇心と干渉を生む。

 ルーディという人間だって、全く好奇心が無いというのではない。それに、シールに対して、無関心である筈もない。

 想像、推測、憶測、その程度のことだって、考えていれば、そのうち疑問が膨らみ、問うて干渉したい気持ちを生む。

 そうして、いつか、踏み込んではならないところに踏み込む羽目になる。

 封印は、必要があってなされているのだから、簡単に解いてはならない。

 シールが施した封印ならば、なお一層、ルーディが解いてよいものではない。

 だから、

 ルーディは、もう忘れてしまおうと思い、スクラップ帳から、その記事を惜しむことなく削除した。

 自分の記憶に、もうその記事は入った。そのうち、齢と共に忘れてしまったとしても、もう構わない。

 自分に関係があるのは、シールであって、シェレ・サン・ターシュではない。

 ひとつ息をついて、端末のパワーをオフにし、ルーディは椅子から立ち上がりベッドに近づいた。

 眠気は無いけれども、無理はきかない年になってしまった自覚がある。

 このまま起き続けていたら、今度は生活の時間帯がガラリとかわってしまう、そうなったら、仕事に障る。

 改装工事にも入るから生活自体が変わる。その間も、少々のズレは構わないとしても大きな変動は無いように、体調やタイムテーブルは維持しておかなくては。

 ベッドに膝を乗せて、毛布を捲ったところに、


 PRRRRRRRR


 と音が聞こえた。


 ルーディは訝しげに眉を寄せ、目を細める。

 今まで一回も鳴ったことがない、ドアの外につけてあるベルの音だ。

 リビングにある、インタフォンからの呼び出し音じゃない。

 ベッドの横に、応答用の機器はある。

 ベッドに腰掛ける形で「CALL」のボタンを押した。

 誰だか分かりきっているので、すぐに「どうしました」と云い、

「やっぱりお腹が空いてる? 悪いけど、もう作ってあげる気はないですよ。フリーザにスープが…」

「誰もそんなこと云ってない」

 からかう口調のルーディの言葉を、シールの淡々とした声が―ふて腐れてもいない声が―遮った。

「……では、何? バスルームのシャンプーかソープでも切れてましたか?」

「違う」

「具合でも悪い? 医者を呼びますか、あの無礼な男でよければ」

「違う」

 シールは、端的に否定する。

 ルーディが、溜息をついて問う。

「では、何の用でしょう?」

「中に入れてくれ」

「――」

「ルーディ」



2004.4.7


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