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ルーディは静かな声で問う。
「何をしているの」
「……」
「立てないの? 怪我をしている?」
「い、いいや」
狼狽えた顔をして、ぶるぶると首を振る。
ふ、とルーディは息を吐き、「じゃあ、何してるの」と訊く。
シールは、何と答えていいのか分からない。座っている、息をしている、そんな、拗ねた子供みたいな答えしか浮かんでこない。
それ以外に何をしているのか、自分でよく分からないから。
す、とルーディが手を差し出す。
「ここに用があるというのではないのなら、家に帰りなさい」
家に帰りなさい?
帰ってきなさい、じゃなくて?
シールが顔を顰める。
ルーディは、自分の表現に、些細な語弊があったことを気付かず、シールの手を取った。
立て、と促すように、ルーディはシールの腕を引く。
シールはつられて立ち上がりはしたが、ルーディの手を振り払った。
「帰りたくないんですか?」
「……どこに」
「――? 決まっているでしょう」
「俺に家なんか無い」
「……」
ルーディは、ああ…と溜息をついて、軽く首を振る。
自分の言葉の些細な棘に、ルーディは気付いたのか気付かなかったのか…、次にはただ曖昧に、
「じゃあ、ひとまず私の家に入りなさい」
と云った。
「もうすぐ夜が明ける。外に居たまま明るくなっては、君が困るだけですよ」
シールは、顰めた顔を俯かせる。
ルーディは、ほんの微かに、哀しそうな顔をしていた。
きっと、宵闇に慣れているシールが見ていても、気付かない程度に微かに。そのうえ、シールは俯いて顔を背けているから、どうせ気付かない。
振り払った手を、ルーディはもう一度取って、ついてこい、というように引っ張る。
シールはそれに逆らわず、ルーディについていった。
ルーディは、初めて会ったときと同じように、シールを酒場の入り口につれていき、初めて会ったときとは違い、シールを先にドアの中に入れて、内側から鍵を閉めた。
階段を二人して下りていって、エレベータまで行き、黙って最上階の我が家へ向かう。
何だか馬鹿馬鹿しいことをしている気がする、と言葉に出さずに二人とも、同じことを考えた。
最上階に向かうために、地下に入る、なんて。
家の中にあるエレベータホールに立ち、リビングに入ったところで、シールはルーディの手をまた振り払った。
シールは、ずっと俯いていた顔を上げて、ルーディの顔を「睨む」というような目で見ている。
「あれ、誰だ」
シールが、絞り出すような声でルーディに問う。
あれ、とは、シールを追いかけた若い役人のことだろう。
ルーディは目を細め、静かに云った。
「君は、どこの誰だか分からない人間から逃げていたんですか」
シールは、ぐ、と一瞬言葉に詰まり、ルーディは微苦笑を浮かべてシールに背を向けた。
「お腹は空いていませんか?」
キッチンに向かおうとしたルーディを追いかけ、シールが肩を掴む。
「はぐらかすな」
強く肩を掴んでルーディを振り向かせ、シールが真っ直ぐにルーディを見つめる。
「はぐらかしてなど居ませんよ」
ルーディは、掴まれた肩が痛かったからなのか、それとも気分を悪くしたからなのか、微かに眉を顰めて目を細める。
そんなルーディの表情に、……いつものシールなら「ごめん」とでも云うところだろうに、そんなことは思いもよらず、詰め寄る。
「誰だ」
「……何故聞きたい、そんなこと」
「あんた、あの男と、何だか込み入った話をしているように見えた。……俺を、追っているヤツと」
「だから、私が信じられなくなりましたか」
「――信じられなくなりそうだから、聞きたいんだ!」
ルーディの両肩を掴み、悲痛な声で叫んで、シールが俯く。
ルーディは、ふう…と息を吐きながら首を振り、やんわりと、シールの手を離させた。
「君が、云うなと云っていたんですけど」
「……えっ?」
シールが、戸惑った顔を上げてルーディの顔を見る。
ルーディは、シールの目を真っ直ぐに見つめ、静かな声で云う。
「私に、『早く死ね』と思っている人間ですよ」
「――」
シールの顔が一層戸惑いの色に染まる。
ルーディは素っ気ない声で続けて、シールに背を向け、やっぱりキッチンの方へ足を向けた。
「私が死ぬまでは、私の機嫌を損なう訳にはいかない人間」
「ルーディ…」
「お腹空いたでしょう?」
肩越しに振り返り、……ルーディは、微笑を浮かべて云った。
シールは、何だか、間抜けな顔をして立ちつくす。
が、キッチンの中へ入ったルーディへ、慌てて云う。
「は、腹は、減ってない」
「おや。……そうですか」
軽く目を見開いてルーディは云い、シールの目の前に戻ってきた。ぽん、と肩を叩き、彼を見上げて云う。
「じゃ、シャワーでも浴びて休みなさい。走り回っていたのじゃないんですか。疲れたでしょう」
「――」
「私も休みます、お休み」
ルーディはそう云って、ほんの少し首をのばし、シールの頬に自分の頬をつけた。
「……あ」
シールから離れ、テーブルに置いていた小型端末を手に取って、自室へ向かおうとしていたルーディに、何かを思い出したような、思い付いたような声を出して、シールが問う。
「あんた、俺を、待っていた?」
「……お休み」
ルーディははっきりとは答えず、苦笑して肩を竦めそれだけ云って去った。
シールは、立ちつくして、ルーディの背中を見ていた。
廊下の角を曲がって、ルーディの姿が消えた時に、何だか足が震えて、ソファに近寄り座り込む。
「私に早く死ねと思っている人間」……「私の機嫌を損なう訳にはいかない人間」?
確かに、前に、その話をした。
ルーディの機嫌を損なう訳にはいかない人間が、州どころではなく、連邦政府の機関に居る、って…。
確かに、それを、云わないでくれと、シールが云った。
ここに、居てもいいのかって、思ってしまうから、と。
「ルーディ」
震える声で、シールが呟く。
「俺、ここに、居てもいいのか」
ルーディは、あの男を、あまり相手をしたくない客だとも云っていた。
そりゃ、「早く死ね」なんて思っているような人間を、まさか好ましく思っている筈はない。
そんな人間に、ルーディが俺を「売る」とは、何だか、思えなくなってきたけれど…。
でも、「居てもいいのか」、そんな不安と恐怖が、以前よりずっと、強くなっている。
ルーディに迷惑がかかるかもしれない。
俺は、ルーディと一緒に居ちゃいけない人間なのかもしれない。
前も感じていた、不安。
ルーディに、「卑屈」だの何だの云われていた、そんな、漠然とした――。
だけど、前よりずっと強く、濃く、大きく、胸の中に溢れた、不安と恐怖。
「俺、ここに、居て、いいのか」
それは、どんどん胸の中を浸食して、シールはがくがくと膝を震わせた。
何故、そんな不安が、こんなにも広がっているって、
「俺、ここに、居たい」
前よりずっと、ここに居たいって思っているから、
「ここに居てはいけない」と云われることが、怖い。
いや…、
違う。
そうじゃなくて。
「ルーディ、俺」
ぼんやりと、掠れた声でシールが呟く。
「あんたと一緒に居たいんだ」
ルーディは、私室の机に端末を据え、もう一度、「スクラップ帳」を見た。
何故、シールが「ブラディ・マリー」に何だか嫌悪感をおぼえていたのかもそれをよく読んで分かった。
マリーと呼ばれていたマリアという女を知っていたから、か…。
そりゃ、「血まみれマリア」なんてシールが呑める筈は無いな、そんなことを思う。
そうして、再び、シールの名前を思い出す。
シェレ・サン・ターシュ、――聖なる責務の封印。
一体、彼のご両親は、何を考えてこんな名前を付けたのだろう。サン・ターシュという言葉に、意味があることを、知っていたのか知らなかったのか?
シール本人が、この言葉を知っているかどうかははっきりとは分からないが…、大して捻ってはいない「シール」という偽名・あるいは源氏名を使っていることを考えれば、知っているのかもしれない。―シェレからシールを発想出来る人間が、今の時代に居ることは少なかろうから、偽名としても通用すると考えてのことか―
じゃあ、シール本人は、何を封印したくて、シールなんて名前を名乗っているのか。
この「記事」の記憶か? それとも、過去の己自身か?
そんな深いことなど考えなくても、ただ単に…、親から貰った名前を完全に捨てることが出来なくて、という理由なのかもしれないが。
ルーディは、自分がこんなこと考えてたって仕方ない、と首を振る。
想像や推測だって、シールに対して失敬だ。……そんな想像や推測は、好奇心と干渉を生む。
ルーディという人間だって、全く好奇心が無いというのではない。それに、シールに対して、無関心である筈もない。
想像、推測、憶測、その程度のことだって、考えていれば、そのうち疑問が膨らみ、問うて干渉したい気持ちを生む。
そうして、いつか、踏み込んではならないところに踏み込む羽目になる。
封印は、必要があってなされているのだから、簡単に解いてはならない。
シールが施した封印ならば、なお一層、ルーディが解いてよいものではない。
だから、
ルーディは、もう忘れてしまおうと思い、スクラップ帳から、その記事を惜しむことなく削除した。
自分の記憶に、もうその記事は入った。そのうち、齢と共に忘れてしまったとしても、もう構わない。
自分に関係があるのは、シールであって、シェレ・サン・ターシュではない。
ひとつ息をついて、端末のパワーをオフにし、ルーディは椅子から立ち上がりベッドに近づいた。
眠気は無いけれども、無理はきかない年になってしまった自覚がある。
このまま起き続けていたら、今度は生活の時間帯がガラリとかわってしまう、そうなったら、仕事に障る。
改装工事にも入るから生活自体が変わる。その間も、少々のズレは構わないとしても大きな変動は無いように、体調やタイムテーブルは維持しておかなくては。
ベッドに膝を乗せて、毛布を捲ったところに、
PRRRRRRRR
と音が聞こえた。
ルーディは訝しげに眉を寄せ、目を細める。
今まで一回も鳴ったことがない、ドアの外につけてあるベルの音だ。
リビングにある、インタフォンからの呼び出し音じゃない。
ベッドの横に、応答用の機器はある。
ベッドに腰掛ける形で「CALL」のボタンを押した。
誰だか分かりきっているので、すぐに「どうしました」と云い、
「やっぱりお腹が空いてる? 悪いけど、もう作ってあげる気はないですよ。フリーザにスープが…」
「誰もそんなこと云ってない」
からかう口調のルーディの言葉を、シールの淡々とした声が―ふて腐れてもいない声が―遮った。
「……では、何? バスルームのシャンプーかソープでも切れてましたか?」
「違う」
「具合でも悪い? 医者を呼びますか、あの無礼な男でよければ」
「違う」
シールは、端的に否定する。
ルーディが、溜息をついて問う。
「では、何の用でしょう?」
「中に入れてくれ」
「――」
「ルーディ」
2004.4.7




