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=9(1)= -(2)


***


「どうしてくれんのよ! あの子、滅多に捕まらないのよ、人のお楽しみ奪ってくれちゃって、どういうつもり!?」

「は、離さないか! 私は、おまえみたいな下らないこととは違う理由があって、あの子に用があるんだ、は、離せ」

「下らないですってぇ!? いよいよ、損料払って貰うわよ、三倍お出し! それで勘弁してあげるわ!」

 ぎゅっと腕を両手で握りしめ、ディヴァは、シールを追いかけようとする男を引き留める。

 「離せ!」とうわずった声で叫び、男は、思い切り力を込めて女の手を振り払った。

「痛ッ! ……」

 本当に痛かったので、ディヴァは悲鳴をあげた。

 男は、どんな些細なことにせよ、他人に痛い目を見せるということを経験したことが無かったので、その悲鳴に、「あッ」と狼狽えた声を出した。申し訳ない、という気持ちではなくて、純粋に、「他人に害を与える」ということを、恐れてのことであったが――。

 女は、男をひと睨みした後、すぅ…と大きく息を吸って

「キャ―――!」

 と金切り声をあげた。

 男は驚いて目を見開く。

 彼が現れた路地の入り口に、女はめざとく、他の人間の影を見つけていた。

「助けて!!」

 大声で叫ぶと、それを聞きつけた通りすがりの、これもまた若い男性が二人、慌てた様子で姿を見せた。

「何だ、どうした……」

 男性だったことに安心して、ディヴァは胸の中で安堵の息をつく。

 女の姿を見て、片方が、「あれッ」と何かに気付いたような声を出した。

「あ! あんた、もしかして、『ルージュ』の、『ローズ』ちゃんじゃないか?」

 それを聞き、ディヴァは、「私を知っているのか、お客さんだったのか」と思い、それが吉と出るのか凶と出るのかはらはらしながら、「助けて!」と繰り返した。

「あ、本当だ! どうかしたのかい!?」

 もう片方もそう云って、慌てた様子で女に近づく。

「助けて、こいつに、レイプされそうになったのよ!」

 振り返って、スーツ姿のやさ男を指さす。

 何だって!と、「ルージュのローズ」を知っている男が二人、スーツ男を見る。

 指さされた男の方が、余程に驚いた顔をした。

「何を云ってるんだ、おまえ! 僕は、そんな…、邪魔されたのは僕の方で」

「ナンの邪魔だって? ローズちゃんに乱暴するのに俺ら邪魔だってか!?」

「馬鹿なことを云うんじゃない、は、話を聞きなさい」

「どっちが馬鹿云ってんだ、コラ」

 二人のうち、体格のいい方が、話を聞けと云うスーツ男の話には耳を貸さず、彼を睨んで指をぽきぽき鳴らしながら近寄る。

 役人気質の理屈が通じないらしいことを察したのか、やさ男は後ずさり、だッ!とかけ出した。

 理屈の通じない低俗な者たちを相手にしている場合じゃない。

 役人は、シールが消えた方向へ走っていった。

「こら、待て!」

 詰め寄ろうとした男が、慌てて追いかけようとしたが、「ルージュのローズ」がそれを止めた。

「待って、…もういいわ、助けてくれてありがとう」

「でもよ、あのヤロウ、ローズちゃんに悪さしようとしたんだろう。俺が許せねぇよ」

 「ローズ」は可愛らしい苦笑を浮かべて、ありがとう、と云った。

 胸中で安堵の息をつく。これで、この二人が「助けてやったんだからその代わり」と云うようなタイプだったら、それこそ逃げなくてはいけないところだったが、気がよさそうな二人で良かった。

「大丈夫? 怪我はないの」

 今の間、「ローズ」を庇うように寄り添っていた男が訊く。

「ええ、大丈夫、ありがとう」

「警察に行く? 俺たち、証言してもいいよ」

「いいえ、それは避けたいわ。…結局、あなたたちのおかげで無事だったのだし」

 本当にレイプされたのなら、追いかけようとした男を止めもせずに、殺してくれ、とまで云っていたかもしれないし、警察にも訴えていたかもしれないが…。

 結構時間は稼いだ、シールを見つけることは出来まい―ただでさえ、この街には慣れていない男のようだった―、と、ディヴァは安堵していた。

「本当に、ありがとう。あの、良かったら、明るいところまで送ってくれないかしら」

「そりゃ、勿論だよ」

「ああ、ローズちゃんの護衛が出来るなんて、光栄だ」

 憤慨している様子だった男が、おどけた声で云って、うふふ、と「ローズ」が笑う。

 明るいところまで送ってもらった「ローズ」は、もう一度、「どうもありがとう」と云った。

「お礼がしたいけど、『ルージュ』って、お店の外でデートが出来ないから、オーナに知られたら叱られちゃうわ。ごめんなさいね」

「ああ、いいよ、そんなこと」

 慌てて二人は首を振る。本当に、気のよさそうな二人で良かった、とディヴァは安心した。

「…えぇと、平気かしら、『実物』は」

「え?」

 首を傾げて「ローズ」が云い、云われた二人は何を云われたのか分からないという顔でやはり首を傾げた。

 「ローズ」は自分のほっぺたを指さした後、唇を指した。

 二人の若者は、ぽっと頬を染める。

 狼狽えた様子で、えぇと、と頭を掻き、顔を見合わせた。

「け、経験は無いけど、多分、平気」

「そう、それじゃ、これがお礼ね。ありがとう、二人とも」

 そう云うと、踵を浮かせて、軽く二人の頬へキスをした。

 頬を上気させ、ぼんやりした顔をしている二人へ笑いかけ、「お顔を隠さずに指名してくれたら、その時はサービスもするわ、オーナには内緒で」とおどけて、「それじゃあ」と「ローズ」は手を振った。

「う、うん、絶対行くよ!」

 舞い上がった声に、「ローズ」が笑いかける。

 去っていく「ローズ」の背中を見送った後、二人の若者は顔を見合わせ、興奮した様子で、まくしたてた。

「ローズちゃんだよ! すげぇ、キスしてもらっちゃったよ」

「本物、めちゃくちゃ可愛かったなぁ!」

「マジで、今度は店に行こうぜ!」

 そんな興奮した会話を段々遠ざかりながら背中で聞いて、ディヴァは「おや」と思う。

 お店には来たことがないのかしら?

 次には、「ああ…」と一人頷く。まだ学生さんくらいだったかしら、もしかしたら、メディアでしか私を知らないのかも。

 そして、苦笑を漏らして、本当に、気のいい人で良かった、と息を吐く。私を「あばずれ」などとは思っていないのだ。あんな「ファン」も居てくれるのか…、安堵の息を。

 次には、安心を通り越して申し訳なくなる。ディヴァは、シールを逃がすために、あの二人を利(、)用(、)したのだ。

 ごめんね、本当にお店に来てくれたら、サービスするわね、とそんなことを苦笑混じりに胸で呟いて、ディヴァは駅に向かう。

 次には、本当にあのやさ男に腹が立って、しかめっ面をした。

 確かにシールは、男娼をやっているのだから、警察になら追いかけられても仕方ない。だけど、あの男は、警察ではない。

 一体、あの男は何者で、シールを何故追いかけていて、シールは何故逃げているのだろう?

 まさか、マフィア? そんなレトロなものが、まだあるのだろうか。それにしたって、たかがホロ・セックスの媒体をやっている程度の女に噛みつかれてあんなに狼狽えるような、やさ男。

 芝居のつもりだったけど、折角捕まえられたのに邪魔をされたというのは本当だ。腹が立つ。

 そして、心配だ。

 シールは、本当に、ちゃんと、無事に逃げられただろうか。それだといいのだけど。

 自分が、彼の役に立てていたなら……。


***


 ノア・カテのあるじが、文化庁の若い役人を青ざめさせていた頃、シールは、ノア・カテのあるじが思っていた通り、まだ、ブランシュ・カテ・ビルには戻らず、いかがわしい街の暗い裏通りを、走り抜けていた。

 一度、駅まで行った。やっぱり、この街を一度離れた方がいいだろうかと。ノア・カテのあるじが、そうだったらまだいい、と思っていたことを考えて。

 ……だけど、シールはそうはしなくて、再び、暗い路地に戻った。駅なんかに居たら、また見つかるかもしれない。あの若いスーツ男が、今どこに居るのか知らないけれど、万が一、同じトレインに乗り合わせたりなんかしたら、何の意味もない。

 だったら、あの男には迷路のようなものだろう街の路地を、逃げ回っていた方がいい。

 そう考えて、シールは、路地に入る。

 あんなスーツを着ているような者には、到底怖くて入れないだろう暗い路地へ――。


 それにしても、ディヴァは、俺よりずっと頭いいな、などとふと思って、シールは苦笑した。

 あんなに咄嗟に、事情は全く分からないのに、俺が、何かから逃げているのをすぐに察して、機転を働かせて…。

 逆の立場だったら、俺にはあんなこと出来なかった。


***


 ノア・カテのあるじが、常連客へ突然の休業を謝り、戸締まりをして店の周囲をキョロキョロしながらうろついていた頃、シールは、さっきと同じように、壁に背中をつけて座り込んでいた。

 流石に疲れた。

 あのスーツ男は、まだそこいらに居るだろうか。

 胸に下げた時計を見て、小さくため息をつく。

 「終電」まであと5分しかない。

 「タクシー」はまだたくさん動いているけど、ああいう雰囲気の人間がここからどこかに帰るとしたら、相当な運賃になるだろう。

 俺を追いかけているのは、行政・司法のどっちかに関わりがあるような人間だと思うし、そんな身分の人間は、こういういかがわしい街とは相当に離れた場所に居を構えている筈。

 だとしたら、「タクシー」で帰宅するのは、あの男には冒険だろう。行政とか司法とか、そういうものに携わっている者がどんな額の給料を貰っているのか知らないが、俺と年はそこまで変わらなく見えた。

 多分、俺はもう、「逃げられた」と思っていいだろう。

 だけど、念を入れてもう少しだけ、身を潜めていよう。「終電」が出てしまうまで。

 ああ、そうだ。やっぱり、「終電」が出るのを待てば確実な気がする。こんな場所で客を待っているタクシーを捕まえられる度胸があるようにも見えなかったから―ディヴァにたじたじになっていたのを思い出してみれば―。

 ふと、シールは顔を上げて、首を傾げる。

 どうして、ディヴァは、あんな咄嗟に、俺を庇うような行動に出たんだろう?

 ……つくづく、自分がどんな立場なのか分からないけど、もし、あの男が本当に警察だったら、公務執行妨害で捕まっていたかもしれないのに。いや、警察でなくたって、あの男が公人で、公務として俺を追いかけていたのならば…。

 どうして俺のために。


***


「DIVA……」

 シールが、ふいに口をついて出た、という雰囲気の声で、ぼんやりと女の名前を呟いた。


 ――ディヴァは。

 もしかして、

 本当に、俺を、愛したんだろうか。

 たった二晩、それも、金と引き替えに、セックスしただけなのに。

 ぶるっと首を振る。

 それを考えてしまったら、シールは、何も出来なくなる。

 愛されても、それを返すことは出来ないことを、申し訳なく思ってしまうような、性質をしているから。

 そんなことを思ってしまったら、次には、男娼としてでもディヴァを抱いてやれなくなってしまうから、それすら申し訳なくなって、ディヴァに、本当に何も返してあげられなくなる。

 だから、考えてはいけない。

 ただ、有り難いと思っていればいい――。


***


 「終電」の時刻を過ぎたけれど、少し脚が痛くて、シールはまだ座り込んでいた。


 ノア・カテのあるじは、まだ、店の周囲を制服のままでうろついている。

 いつも、「君は頭が悪い」と云っている、シールだって、終電が出さえすれば、多分大丈夫だと思っていたのに、そんなことは思いもよらずに、まだ安心出来なくて、きょろきょろしながら店の周囲を。

 そんなことは、シールは知らない。


 知らないから。

 ルーディの家に、戻っても、いいんだろうか。

 と迷って、脚が痛いのを幸いに、じっと座り込んでいる。


 ルーディは、

 俺を、

 ディヴァみたいに、

 庇ってくれるだろうか。



2004.3.6


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