=7= -(2)
ふう…、と息を吐いて、ルーディが端末を落とすのと、シールが起き上がり、ソファから立ち上がるのが同時だった。
「? どうしました」
モニタを傾けてキーにかぶせながら、ルーディがシールを見上げる。
「便所」
見下ろして、シールが素っ気ない声で答える。
「……」
ルーディが、軽く目を細めた。
シールは目を反らし、苦笑する。
「安静につったって、シモの世話までしてもらうつもりはねぇよ」
「そりゃそうですがね」
体中が痛いので、シールは、背中や手足に針金でも入っているかのようにぎこちなく歩いていった。
ルーディも立ち上がり、キッチンへ向かった。
手洗いからリビングに戻ると、ルーディの姿はそこに無かった。
ソファに座って、どうしたんだろう、と顔を動かすと、キッチンの方から歩いてくるのが見えた。
ルーディは、トレイにグラスを2つ乗せて戻ってくる。
テーブルにそれを置いて、ソファに座った。
「要る?」
グラスをシールに1つ差し出す。
既に用意しているものを、要らないとは云えないのがシールだ。
…だが、渋々という訳でもなく、本当に、少し喉が渇いていたので、「うん」と頷いてシールはそれを受け取った。
ほんの少し色がついた水、中身はそんな液体だった。
こく、と一口飲み込んで、
「これ、何」
と尋ねる。
「不味いですか?」
ルーディが首を傾げた。シールは、「いや、美味いけど」と戸惑った声で首を振った。
「カリンとハチミツのドリンクですよ。喉にいいよ」
「……」
「君は面白いね。美味しいんなら黙って飲めばいいじゃない」
くす、とルーディが笑う。
シールは、笑われるようなことをしていたのだろうか?と相変わらず戸惑った顔をしていた。
「あんたの作る物って、今まで知らなかったものばかりだから…」
独り言のように呟くと、ルーディが、今度は少し意地悪く笑った。
「体に悪い物が入ってるんじゃないかと思うわけ?」
「そんなこと云ってねぇだろ」
シールが今度は、ぶすっとふて腐れる。だが、すぐに、俯き、困ったような顔をして頭を掻く。
「…ああ…。……でも、そんなふうに思わせたんなら、悪かった。そういうつもりじゃないから」
「私だって冗談で云ったんだけど」
「……」
シールが、何だか落ち込んだように見え、ルーディは目を細めてさらりとした声で云った。
「そんな謝らせるほど、きつい冗談だったかしら?」
「……いや、…あの、美味いよ」
シールは、何と云っていいのか分からず、もう一口、それを飲んだ。
ルーディも、ふ、と息を吐いてから、こくん、と一口。
喉が動く。
「シール、君……」
ふー、と息を吐いて、ルーディがシールを見る。
「何?」
ルーディの表情が、少し曇っているように見えたので、シールは戸惑った声を出した。
「少しは、自尊心が出来てきたと思っていたけど、…何だか、前より卑屈になってませんか?」
「……」
「妙に、私の都合や機嫌を、気にしてません?」
……。
シールは、何と答えていいのか分からない。
「…私の気のせいならいいんだけど」
「……」
「遠慮がちで、謙虚で、それで人の機嫌を窺うのは、まあ、長所だとは思ってるんですけどね。でも、それで私に気を遣っているのとは、何だか違うように思われる」
ルーディは、じっとシールを見て、独り言のように云う。
「…礼儀正しいことと、他人行儀であることは違いますよ、シール。かつ、他人行儀になることと、卑屈になることも違う。…どうしてもうちょっと、君は、ここが自分の家だと、そんなふうに思ってくれないんです?」
ルーディの手が、ふとシールの頬に触れた。
…ルーディの表情は、…怒っているとか呆れているとか…、そんなものじゃなくて、多分、今自分が浮かべているのと同じ、戸惑いを浮かべているように思えた。
シールは苦笑して、その手を払い、顔を背ける。
「…気のせいだったらいいなんて云って、決めつけたことを云ってる」
「……」
「他人行儀って、…だって、他人じゃないか」
ごく、とグラスの中身を飲み込み、唇に残った雫を舐めながらシールが云った。
「シール、だから」
今度は、ルーディが少し眉を顰めてなにか云おうとした。
シールが手をかざしてそれを止める。
「いや、あんたが云ってること分かるんだ。要するに、あれだろ、そんな遠慮してないで、もっと『のびのび』しろとかそういう…」
ルーディは、すぐに頷くことはない。「まあ、そういうようなことだけど…」と何となく不満そうな声で云った。
「でも、それって、…あんたは自分の家に住まわせてるからそう思うんであって」
「……」
「俺の方は、結局は、人ンちに住まわせて貰ってるとしか思えないんだから…。そう云われても…、…それで、俺がわざわざ、気さくになったって、よっぽどそっちが、あんたに気を遣ってると思わないか、ルーディ」
ぽつぽつと、シールが云う。
…聞いていたルーディは、目を細めた後で苦笑し、頷いた。
「…ああ、そうですね」
「……」
「そう云われれば、確かにそうですよ。……うん、そうだ」
何度も頷きながら、ルーディが云う。
そして、「そうか」とまた頷く。
「何だ」
「…うん…、ヘンなこと云って済みませんでしたね。…前より卑屈になったなんて、そんなことじゃなかったね」
「……」
「やっぱり、前に比べたら少しは、自分を尊んではいるのでしょう」
ルーディはニッコリと笑った後、グラスと顔を傾けて、最後の一口を飲み干した。
「…前に、…もっと、そんなケガなんかしないように、客を選んで自分を大事にしろと云ったことがあったけど」
「……」
「今回のケガは、逆なんですね」
シールを見て、ルーディが微笑した。
シールは、どこか居心地の悪さを感じて、ルーディから目を反らし、頭を掻く。
「…取りたくない客を、取らないと意思表示をした結果、でしょう」
「まあな…」
「こそこそと卑屈に機嫌を窺って、自分の身を犠牲にするよりは、…これは、名誉の負傷ですね」
そう云って、つ、とシールの頬に貼った湿布を撫でた。
とく、と鼓動が跳ね、シールが身を引く。
「触んなよ、まだ痛ぇ」
「ああ、これは失礼」
くすくす、とルーディが笑う。
「もう少し知恵がつけば、ケガもせず、やっかいな客もとらなくてすむのでしょうけどね」
「…どうせ俺はバカだよ」
ふん、と大げさに拗ねた口調でシールが云った。
それは、自嘲して云っているのではないから、ルーディは、ふふ、と笑うだけにした。
「まあ、でも私としては、…私に対しても、もうちょっと無遠慮になっていいんじゃないかなぁ、と思うんですけどねぇ」
「……」
手にしたままだった空のグラスを、トレイに置いて、ルーディが胸ポケットを探る。
その中から、紙巻きのタバコを1本と古ぼけたライターを取り出して、口にくわえて火をつけた。
その様子を、シールが目を白黒させて見ている。
「何だ、それ」
「タバコですよ」
「…まだ、そんなの、あるんだ…」
「あるところにはありますよ」
くす、と笑った後、ふぅ…と白い煙がルーディの細い唇から吐き出された。
「この街にはね。まだしぶとく残ってます、タバコというものも」
別にタバコがご禁制の品という訳ではないのだが、…この街以外の場所では、吸えるところが全くなく、故に吸う人間も全く居ない。だから、商売にならないので、売られていない。
シールは首を振り、「いや、そうじゃなくてさ」と云って、テーブルに置いたライターを指さした。
「これだよ。…こんな形の『火種』」
タバコは知ってる、とシールが頷く。
「俺も、たまに吸うし…」
「仕事」で必要な時に。
ルーディは、「ああ…」と煙を吐き出しながら頷き返して、ライターを取った。
「確かに、ジッポはもうどこにもないでしょうね。少なくとも、一般人が手に入れられる場所には」
「…ジッポ?」
「こういう形のライター、…『火種』のことですよ」
そう云って、ルーディはライターをシールに差し出した。
首を傾げながらシールは受け取り、まじまじと見つめる。
「昔は多分、100トリコ・センティくらいで買えたものじゃないかしら」
「……」
「今は値がつかないでしょうよ、多分。…100トリコ・センティで買えていた時代の人が、今ここに居たとして、シール、これを10000トリコ・センティで買えと云われても、誰も買いません。ただだって要らない、というでしょう、タバコを吸わない人なら」
ふ、と笑って、ルーディが独り言のように云う。
「金銭的価値ほど分かりやすくて、同時に『意味』のないものは無いね。お金はお金でしかなくて、物の存在意義を決めるものじゃない」
金を持ってるからそう云うんだ、とシールは思うが、口には出さない。
「これも、あんたは、あるから使ってるだけ? …売ればいくらになるとか、全然考えないんだ」
「そうですよ」
「…もう値段もつかないような貴重なものなのに、…ポケットに入れて、持ち歩いてるんだ…」
「使わない方が無駄です。壊れてないんだもの。壊れたって修理すれば使えるんだし」
修理すれば、使える。
「無駄というか。金銭的価値がどうであれ、これはそういう用途をもった道具なんですから、使わなかったら存在する意味がないでしょう。…『もの』が可哀想です」
ルーディは、完全に雑談のつもりで話しているのだろうが、シールは、耳が痛かった。
さっきより余程、説教をされている気分になる。
シールは、少し俯き加減になって、はあ…と溜息をついた。
「そうは云っても、別に、これがあるからタバコを吸い始めたという訳でもありませんけどね。それこそ本末転倒です」
肩を竦めてルーディがおどけた声で云うと、シールが微かに笑って「そりゃそうだな」と相槌を打った。
「私がタバコを覚えていなかったらば、君が吸うというのだから、君にあげると云っていたかもしれません」
「……俺も、ほんとにたまにだから、……もしかすると、すぐに止めるかもしれないし、要らないや」
「そう?」
「だって、俺が持ってたって、修理出来ない――から、それこそ、コイツが可哀想だ」
小さな声でシールが云って、ルーディにライターを差し出す。それを受け取りながら、ルーディは煙を吐き、ちらりとシールを眺めた。
シールの表情には、何か物思いに沈んでいるような、憂鬱を感じているような、――微かにだけどもそんなものが浮かんでいた。
でも、ルーディはそれに言及しない。
「ルーディ…」
「何です」
「さっきの、話だけどな」
「ん?」
「あんたに対して、何か、前より卑屈になってないかって」
「ああ…」
ルーディは、最後の一息を吸い、煙を吐き出しながら灰皿にタバコを押し付けた。
「勘違いだったんでしょう、私の?」
「…そうとも、云えないかも」
シールの呟きに、ルーディが目を細める。
腕を組んで、シールを眺めた。
「どういうこと?」
「……正直に、云っていいかな」
上目遣いにシールが云うと、ルーディは苦笑して、「何それ」と首を傾げた。
「私は正直なところを聞きたいけど、何か云いだしたのは君でしょう。そんなことは君が決めればいいじゃない」
「……」
「…さっきも云ったけど」
ふぅ、とルーディが息を吐いてから、静かに云った。
「私は、…君がもっと、ここを自分の家のように思ってね? そんな私の顔色を窺うような態度を取らずに居てほしいから、…何か思うことがあるのなら、何でも云って欲しいと思いますよ?」
「うん……」
「だからって、…云いたくないことまで、私は詮索はしたくないです。…正直に云いたいことと、嘘をつきたいことは、自分で判断しなさいよ。云いたくないことまで云わせる方が、私には不愉快なんですから」
「うん…」
今度は、シールが、ふぅと息を吐く。




