不沸凪茶は、出涸らし部長を許さない ①
不沸凪茶は27歳独身女性。彼氏いない歴は秘密、一人暮らしで会社勤めの事務員をしている。
彼女の趣味は仕事上のノルマをこなし、空いた時間でゆっくりとお茶を飲むこと。仕事熱心な社畜に見えて、彼女の場合は少し毛色が違う。
凪茶の場合は、必要最低限の職務を無駄なく完璧に処理し、定時までいかに優雅にお茶を楽しむかを趣味としているからだ。
仕事が好きなわけではない。お茶代は会社の経費と言う理由も大きいのだ。そんな些細な実益と節約兼ねた時間をいかに増やすかが、彼女の目標であり日々行われているゲームでもあった。
入力作業をリズミカルに行い、仕事だろうと効率と静寂を楽しむ凪茶。経理の処理を終えて、営業のための資料を作成をする。順調に進む仕事。しかし、そううまく終わらせないのが人の社会というものだ。
「なぎちゃん、またアイツに触られたぁ〜〜〜!!」
その凪茶とは対極に位置する同期で同僚の目崎未夢が、彼女の座る背中に椅子の背もたれごとしがみついてきた。
「何故いつも私に抱きつく。泣きつくなら、最強の事務員に言いなよ」
窓際の席で静かな圧を放つ御局様は、こちらをギロッと一瞥したが、作業中の手は休まず動く。見た目は怖いが、話せば気苦労の多い人なのだ。
「無理無理! 私、あの人に絶対敵視されてるもん」
まあ、未夢が嫌いなタイプなのは凪茶も同感で、ふぅッとため息をつく。未夢が抱きつく相手も、御局様と同類なんだよ。仕事の邪魔をされて殺気だっているのに気づけと思う。お茶汲みと称してサボっていたのは知っているから。
凪茶にとって、未夢は大学時代からの知り合い。だが凪茶からすると、ただの同期入社しただけの関係で、一度も会話した事がなかった相手だ。派手な見た目、あざとさ全開の社交的で明るいゆるふわ茶髪の可愛らしい女性。凪茶とは見た目も性格も正反対といえる存在。同じ大学、同じ会社に勤務とならなければ、関わる事はなかった人種だろう。
優雅なお茶の時間を嗜み、定時に上がりたい凪茶の足を引っ張るだけの同期‥‥それが凪茶の未夢への評価であり認識だ。甘え上手な彼女はおしゃべりも多く、結局時間内に作業が間に合わないこともしばしば。彼女の巻き添えで、上司の瀬倉茂雄部長から手伝いを命じられたのは、一度や二度ではない。
「自業自得じゃないの。あのセクハラ親父、あんたの仕事を私らに手伝わせているのを、未夢への恩と勘違いしてるし」
「そうなのよ! いつも手伝ってくれてるのは、なぎちゃんだけなのに」
「だからあんたがサボらず、しっかりと自分の仕事すれば起きなかった問題なの」
「ちゃんとやっていてもセクハラされてましたぁ」
「あんたねぇ‥‥まぁ、否定はしないよ」
仲良しのいつものじゃれ合い⋯⋯周りからはそう取られるのが分かっているので腹が立つ。ただ未夢の言い分も正しい。瀬倉部長の行動はあまりに露骨だ。
未夢のやり残した仕事を常にこなして来たのは凪茶で、部長の瀬倉は何もしていない。押し付けておいて凪茶には労いの言葉一つなく、未夢を甘えさせるだけの害悪でしかない。
一方、未夢は凪茶に仕事を押し付けている自覚があるだけマシだ。仕事終わりのアウターカフェで、凪茶に飲み放題を奢り、勝手に一人で喋って楽しむ変わった趣味も持っている。それがなければ凪茶はとっくに見放していただろう。
彼女達の職場は大手ではないが、中堅クラスの企業。いまだ古い習慣の抜けきらない体制が残っていて、ハラスメントは当然のこと、口ばっかり達者な者や、縁故採用など、叩けば埃まみれな会社だった。
「給料は多いけれど、辞めていく女子社員も多いのよね、この会社」
「私も限界だったけど、なぎちゃんが助けてくれたからね」
「だからそれはあんたが⋯⋯まぁいいわ。助けたんじゃなくて、取引よ。それと普通に仕事していれば終わる量」
「それはそうだけどね。あの‥‥それじゃ部長もやっちゃって下さい」
「軽く言うけどあんたさ、この間もしつっこいナンパ馬鹿の営業を左遷させたばかりじゃん。このタイミングで部長を陥れたら、あんたに渾名つくよ?」
「そういわないで、なんとかいつものように自然淘汰でお願いしますだよ、御代官さまぁ〜〜〜」
「それだと私が悪の片棒みたいで嫌なんだけど。そろそろあんたを切った方が、安寧にいられる気がしてきたわ」
「ひぃ、御代官様お許しを!! 冗談‥‥だよね?」
「そのノリ、好きだよね。実際タイミング的に難しいよ。未夢が悪評気にしないでいられるなら簡単だけど」
「それは困るかも。既にいっぱい敵いるし。お願いします────うまくやってよ、なぎちゃん」
「面倒事を増やすから。それで成功報酬は?」
「焼肉はどうかな? 噂の人気チェーン店の食べ放題」
「焼肉か。食後のお茶やアイスが美味しいのよね」
未夢に関わり何人の人生が狂わされた事か。元々問題行動の多い人物達ばかりなので、会社的にはダメージが少なく、むしろ健全化が進んでいる。
全ては不沸凪茶という地味で大人しい事務員によるものだが、未夢以外は誰もその事を知らない。
瀬倉部長も凪茶の優雅なひと時を邪魔をする淘汰リストに入っている問題人物の一人だ。入社間もない頃──部長は未夢の近くに無駄に寄って来ては、しょうもない自慢話を誇大に語り悦に入っていた。当人はそれが部下とのコミュニケーションのコツだと思っているようで、得意になっていた。
新人女子社員が実績を持つ上司に楯突くのは結構勇気がいる。そしてたいてい負ける。未夢は彼女なりに味方を増やそうと、男性先輩社員達を相手にあざとく立ち回っていたようだが、同時に女性社員の敵を生んでいた。
また瀬倉部長は逆らわなそうな相手や未夢のように孤立しやすい相手をうまく選ぶ。ちなみに地味で面倒そうな凪茶には、一切ちょっかいをかけてこなかった。
「⋯⋯⋯⋯それは、その‥‥なんかごめんね、なぎちゃん」
「はぁっ? なにが?」
「そのマジなトーンの真顔の黒目で私を見るのヤメてって。春先の海水は冷たいのよっ! 私まだ死にたくない!」
凪茶から殺意を感じた未夢は、怯えて再び彼女にしがみつく。少しだけ、未夢のノリが楽しく思ったのが悔しい。
「冗談はともかく、最近の部長のハラスメント行為、過剰になっている気がするわね」
「瞳孔開きすぎてて、冗談に見えなかったよ。あとさ部長、家庭内不和とかじゃないかな。なんかボヤいてたし」
「なるほど。荒れているのは性分が半分、憂さ晴らし半分ってことね。未夢、あんたの持つ部長の情報を全部寄越しなさい」
部長クラスになると、会社内である程度は情報が集まる。一番手っ取り早いのが人事部のデータだ。他にも散らかしたデスクや、消去を怠けたPCの履歴など、集めようと思えば簡単だ。そしてご丁寧に、部長は未夢に家庭内の情報を丸出しにしていた。
「あとは⋯⋯」
凪茶はチラッと、御局様を見る。相変わらず一人静かに仕事をしている。凪茶と目が合うと、作業の手を止め親指を立てクルッと下に回した。サムズダウンが意味するのは、凪茶への侮辱ではなく、「やっておしまい」 の意味だ。
御局様は、煙たがられ遠ざけられていたが、彼女は会社内の風通しを良くするために暗躍する凪茶の協力者だった。とくに古株の上司連中の情報を多く持っていて、社長のプライベート情報まで握っていると言う。凪茶にとって、うざい先輩社員やセクハラ上司よりも頼れる存在だった。
「どうしたの、なぎちゃん?」
「何でもない。未夢の情報通りなら、部長‥‥明日の休みは朝イチからゴルフよね」
「うん。誘われたけど、やったことないし。僕が手取り足取り教えてあげるよぉ~って────うぇっ」
「あほ。未夢、あんたは席に戻って仕事して。後で手伝うから奢る約束忘れないでよね」
「わかった。ちょっとだけ頑張る」
思い出しただけで気持ち悪くなるなら思い出さなければいいのに⋯⋯そう告げたかったが、未夢が自業自得で身体を張って得た情報の確認を取る必要がある。
「さてと、まずは確認ね。うへっ、またアダルトサイト見てやがる⋯⋯」
未夢の事は笑えない。管理ログから部長のPCのデータを引き出し、Xデーに向けての証拠集めをしてゆく。未夢からはSNSやブログを含めたハラスメント行為の数々の情報をもらいリスト化していった。
「あっ⋯⋯これはアウトなやつじゃん」
とある嬢からの御礼のメッセージ。よくある業務メッセージなのに、瀬倉部長は舞い上がっているのか重要な証拠をメッセージのやり取りに残していた。




