第2話 ヴァレリー伯爵領。
あの後詰め込まれた馬車には、護衛騎士が1人と御者。侍従が一人。
逃亡を防止するためなのか、途中の休憩は無し。
途中の宿屋でも付いてきた護衛騎士が僕から離れなかった。尻が痛い。
「…逃げないから。逃げようがないから」
そう言ってみたが、笑ってスルーされた。
楽しみにしていたミレーヌとの夕食もすっぽかす形になった。
馬車に揺られること3日間。
窓の外は見渡す限りの牧草、という風景だ。牛や馬がのんびりと冬枯れた草を食んでいる。
シリルは父親に出がけに渡された貴族年鑑を道中に眺めた。
ヴェレリー伯爵家…フール国の南西部にある、畜産業の盛んな領。実に国内の食用牛肉の50パーセント以上を担っているらしい。馬は王侯貴族用に飼育…か。
向い側の席に座った侍従のアンドレに声を掛ける。
「ねえ、アンドレ?」
「なんでしょう、シリル坊ちゃま」
僕はもう社交界デビューしている。
舞踏会ももちろん出ていたまだ婚約者のいない適齢期の婿取りのご令嬢ならチェック済み、あるいは軽く押さえ済みのはず。いくら王都から遠く離れた南西部の家とは言え、適齢期のご令嬢がいたら、積極的に舞踏会に来るものだ。こうも早々と婚約が決まったということは、婚約者はいなかったはずだし。いや…何らかの原因で婚約解消されたとか?かな?そうか…だからこんなにも急なのか?
「ヴェレリー家の御令嬢は幾つなの?」
「お坊ちゃま…ご令嬢ではございません。領主殿、でございます」
「え?あ?そうなの?」
栞代わりにページを折り込んでおいた貴族年鑑のヴェレリー伯爵家のページをもう一度開く。
【領主:ジュリエンヌ女伯閣下】
「ジュリエンヌ、ねえ……で、この人は幾つなの?」
アンドレはしばらく考えて、
「23歳位になられたのではないでしょうか?お若くて爵位を継承なさいましたから」
「…ふーん」
5歳上ぐらいなら守備範囲内だな。何なら10歳上ぐらいまでなら。シリルはそう考えた。デビューしたての頃はそう言った年上のご婦人方から可愛がられたものだ。
「今回は領主殿のおばさまに当たられます、エドメ侯爵夫人からのご紹介だと聞き及んでおります」
「…ふーん。再婚?婚約破棄とか…そう言った感じ?」
「いえ。ご結婚はされていらっしゃいません。その…私の口から申し上げていいかどうか…」
「ん?いいよ?なに?」
彼には珍しく言いにくそうにアンドレが切り出した。
「幼い頃、疱瘡を患って、弟君はそれで亡くなられたと聞きました。ご当主も感染しまして…その…お顔に跡が残っていると噂に聞いたことがございます。あくまで噂、ですが」
「……疱瘡…」
「それで、社交界にはほとんど出られないそうです。どうしても、という場合は、お顔をレースで隠されているらしいです」
「……そう」
訳アリか…まあ、そうだろうな。疱瘡の跡はひどく残るとは聞いたことはあるが…。
どちらにしても帰れそうにもない。下手に帰ったらあの父親のことだ、本気で貴族籍を抜いて平民落ち…なら、訳アリのご当主の婿にはいってのんびり贅沢に暮らした方がいいか。
そういう事情なら、僕が浮気したって何をしたって厳しくなさそうだな。
シリルは能天気に…いや、楽観的に自分の人生のその先を考えていた。
「ところで、アンドレ。その領地にはまだ着かないの?」
先ほどから随分走ったが、景色が何も変わっていない。見えるのは牧場と牛と馬。
「いえ、坊ちゃま。とうに領地内に入っております」
「……」




