武将 蒲生氏郷 第80話 秀吉軍との合流(1582年6月5日/近江国・瀬田周辺)
六月五日の朝。
近江路には、夜明け前の冷たい風が吹いていた。
氏郷隊は岐阜を出て一晩走り続け、
瀬田の手前でようやく馬を休めた。
だが、休息は短かった。
前方の道に、
土煙が立ち上っていた。
「……来たな」
左馬允がつぶやいた。
土煙の向こうから、
無数の旗が現れた。
金の瓢箪。
羽柴の旗。
秀吉軍だった。
その進軍は、
まるでひとつの生き物のように乱れがなかった。
速い。
そして、迷いがない。
氏郷は息を呑んだ。
「これが……秀吉殿の軍か」
やがて、
先頭の騎馬武者が氏郷隊に気づき、
合図を送ってきた。
「蒲生殿か!
羽柴殿がお待ちである!」
氏郷は馬を進めた。
瀬田の橋の手前、
秀吉が立っていた。
鎧の上に羽織をかけ、
汗に濡れた顔でありながら、
その目は鋭く、
疲れを微塵も見せていなかった。
秀吉は氏郷を見ると、
大きく笑った。
「おお、氏郷殿!
よう来てくれた!」
その声には、
作り物ではない喜びがあった。
氏郷は馬を降り、
深く頭を下げた。
「遅れました。
岐阜は混乱しておりましたゆえ」
秀吉は首を振った。
「いや、来てくれただけで十分よ。
信長様の娘婿が味方におる──
これほど心強いことはない」
その言葉に、
氏郷の胸がわずかに熱くなった。
秀吉は続けた。
「明智を討つ。
そのためには、
“信長様の家”がひとつにならねばならぬ。
氏郷殿、力を貸してくれ」
氏郷は静かにうなずいた。
「お任せください」
秀吉は満足げに笑い、
すぐに指揮へ戻った。
その背中は、
小柄でありながら、
軍全体を引っ張る力を持っていた。
左馬允が氏郷の横に立つ。
「殿。
秀吉殿の参謀と話してまいります。
状況を把握せねば」
氏郷はうなずいた。
左馬允はすぐに秀吉軍の参謀たちと合流し、
地図を広げて情報を交換し始めた。
「明智は本能寺を押さえ、
京を固めつつある」
「だが、兵の動きは鈍い」
「秀吉殿は山崎で決戦を望んでおられる」
短い言葉が次々に飛び交う。
氏郷はその様子を見ながら、
秀吉軍の“速さ”を改めて感じていた。
判断が速い。
動きが速い。
迷いがない。
信長の軍が“形”で戦うなら、
秀吉の軍は“流れ”で戦っていた。
氏郷は馬上から、
進軍を続ける兵たちを見つめた。
その足並みは揃い、
声は大きく、
疲れを見せる者はほとんどいない。
「……これが、秀吉殿の戦か」
つぶやきは、
風に消えた。
だが、
胸の奥には確かなものが残った。
──この流れに乗らねばならぬ。
瀬田の川面が光り、
秀吉軍の旗が風に揺れた。
氏郷は手綱を握り直し、
その背を追った。
山崎へ向かう道が、
静かに開き始めていた。




