武将 蒲生氏郷 第62話 六角家旧領への道
戦の余韻が、まだ胸の奥に残っていた。
斜面での采配。
失敗と立て直し。
その痛みと手応えが、静かに沈んでいた。
数日後。
氏郷は左馬允を呼び止め、短く言った。
「……滅びた戦を、見たい」
左馬允は驚かない。
ただ一度、深くうなずいた。
「六角の地を、お見せいたしましょう」
それ以上の説明はなかった。
だが氏郷には、声の奥に“重さ”があるのが分かった。
理由は分からない。
ただ、行かねばならぬ場所がある──
その静かな確信だけが残った。
二人は、人目を避けるように岐阜を出立した。
これは織田家の任務ではない。
氏郷自身の学びのための、私的な旅だった。
左馬允は荷を最小にまとめ、
道中の段取りを淡々と整えた。
その姿には、守役としての習慣と、
かつて六角家に仕えていた者の影が同時に宿っていた。
近江へ向かう街道から山道に入ると、景色が変わった。
廃れた村。
屋根の抜けた家。
荒れた田畑。
崩れた土塁。
左馬允が短く言う。
「六角が退いたあと、こうなりました」
声は淡々としていた。
だが、その淡さの奥に、遠い記憶の気配があった。
氏郷は馬を進めながら、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
戦の跡は、勝敗だけでは測れない。
そこに生きた者たちの時間が、確かに途切れている。
その断絶の気配が、風に混じって漂っていた。
しばらく進むと、道端に老人が座っていた。
二人は馬を降りた。
衣は擦り切れ、背は曲がっていたが、
目だけは鋭く光っていた。
左馬允が軽く会釈すると、老人は顔を上げた。
「……六角さまの頃は、ここも賑わっておったがのう」
誰に促されるでもなく、老人は語り始めた。
逃げ惑う兵。
燃え上がる屋敷。
泣き叫ぶ子ども。
道を埋めた荷車。
断片的な言葉が、途切れ途切れに落ちていく。
だが氏郷には、その一つ一つが風景として立ち上がった。
左馬允は老人の話を遮らない。
ただ静かに聞いていた。
その横顔には、懐かしさでも悲しみでもない、
もっと深い影が宿っていた。
語り終えると、左馬允は深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
氏郷も同じように頭を下げた。
老人は小さくうなずき、再び地面を見つめた。
二人は、馬をひいてその場をあとにした。
風が荒れた田畑を渡り、
崩れた土塁の影が道に伸びていた。
氏郷はその影を見つめながら、胸の奥に沈む感覚を覚えた。
恐れではない。
痛みでもない。
ただ、何かが静かに沈んでいくような深い感覚だった。
左馬允が前を歩きながら言った。
「殿。観音寺は、もうすぐにございます」
その声には、覚悟があった。
氏郷は小さくうなずき、歩を進めた。
六角家の滅びの地が、静かに彼を待っていた。




