↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/32

第一話 古竜、襲来

王都が揺れていた。


石畳が震え、建物の窓が細かく鳴る。


空を覆う巨大な影。


雲の隙間から差し込む陽光を遮りながら、それはゆっくりと王都の上を横切っていた。


城壁を越えるほどの巨体。


大地を震わせる咆哮。  


伝承の中にしか存在しないはずの災厄。


古竜。


その古竜が、王都近郊に現れた。


「住民を避難させろ!」


「騎士団第一部隊、前へ!」


「結界を張れ!近づけるな!」


怒号が飛び交う。


王都騎士団が展開する。


鎧のぶつかる音が響き、魔術師達が一斉に杖を掲げる。


兵士達は必死に民を誘導していた。


泣き叫ぶ子供。


荷車を押す老人。


誰もが空を見上げながら走っている。


だが。


誰の目にも分かっていた。


勝てない。


古竜は圧倒的だった。


吐き出される炎は大地を焼き、振るわれる尾は騎士達を吹き飛ばす。


人が豆粒のように宙を舞う。


誰も近づけない。


それでも、妙だった。


古竜は王都を襲わない。


逃げ惑う住民の群れにも目を向けない。


巨大な爪が城壁に届く距離にありながら、一度も振り下ろされる事はなかった。


ただ暴れている。


何かを探すように。


何かに怯えるように。


何かを振り払うように。


その光景を見上げる少女がいた。


王都ケアギルドの入団試験を受けるため、田舎町からやって来たばかりの受験生。


まだ何者でもない少女。


少女は古竜を見つめる。


怒っている。


違う。


怖がっている。


違う。


悲しんでいる。


その全部だ。


風が吹く。


古竜の咆哮が胸を震わせる。


それでも少女は目を逸らさなかった。


「おい!」


近くの騎士が叫ぶ。


額から血を流しながら、必死に手を振っている。


「危ないぞ!」


だが少女は歩き出していた。


周囲の喧騒が遠ざかっていく。


石畳を踏む自分の足音だけがやけに大きく聞こえた。


「戻れ!」


「死ぬ気か!」


誰かが叫ぶ。


誰かが腕を伸ばす。


けれど届かない。


少女は古竜の前まで進む。


近付くほど、その巨体は現実味を失っていった。


山のようだった。


一枚一枚の鱗が家の屋根ほどもある。


吐き出される息は熱風となって地面を撫でる。


足が震える。


怖い。


逃げたい。


今すぐ走り出したい。


それでも。


目を離せなかった。


古竜の瞳があまりにも苦しそうだったから。


少女は小さく息を吸う。


そして。


「どうしたの?」


王都が静まり返る。


騎士達も。


魔術師達も。


逃げ惑っていた人々さえも。


思わず動きを止めた。


古竜が少女を見る。


金色の瞳。


永い時を生きてきた者の瞳。


けれど今は。


迷子になった子供のようにも見えた。


長い沈黙。


風だけが吹く。


やがて。


低い声が響いた。


「帰らねばならぬ。」


少女は少し首を傾げる。


「どこに?」


古竜は空を見る。


厚い雲の向こうを探すように。


「山だ。」


「どこの山?」


沈黙。


風が吹く。


古竜の金色の瞳が揺れる。


何かを思い出そうとしているようだった。


だが。


「分からぬ。」


少女は違和感を覚えた。


帰る場所なのに。


分からない。


古竜は再び落ち着きを失う。


巨大な爪が地面を抉った。


石畳が砕け、破片が跳ねる。


「帰らねばならぬ。」


低い声が震える。


「待っておる。」


少女は思わず一歩前に出た。


「誰かが待ってるの?」


古竜の動きが止まる。


まるで時間が止まったようだった。


長い沈黙。


やがて。


「……分からぬ。」


苦しそうな声だった。


少女は息を呑む。


「でも、待ってる人がいる気がするんだね?」


古竜は目を閉じる。


そして。


「待っておる。」


ぽつりと呟く。


「帰らねばならぬ。」


少女は焦った。


このままではまた暴れ出す。


騎士達が攻撃を再開するかもしれない。


この古竜は傷付けられるかもしれない。


助けなきゃ。


そう思った。


「じゃあ、一緒に探そう!」


少女は声を張った。


王都中に響くほど大きな声だった。


「その山も!」


「待ってる人も!」


「私が一緒に探すから!」


古竜は少女を見る。


長い沈黙。


風が吹く。


少女の髪が揺れる。


そして。


古竜は苦しそうに首を振った。


「分からぬ。」


「でも、探せば」


「分からぬのだ!」


咆哮が響く。


空気が震える。


少女は立ちすくむ。


怒った。


そう思った。


だが違う。


古竜の声は震えていた。


「山も。」


「待つ者も。」


「何も。」


「分からぬ。」


その言葉は咆哮ではなかった。


悲鳴だった。


少女は言葉を失う。


助けようとした。


でも違った。


探せばいいと思った。


見つければいいと思った。


連れて行けばいいと思った。


けれど。


この古竜は。


何を探しているのかさえ分からなくなっている。


少女は小さく頭を下げた。


「ごめん。」


風が吹く。


古竜が目を細める。


「私。」


少女は震える息を吐いた。


「また勝手に答えを出してた。」


古竜は黙っている。


少女は続ける。


「あなたが何に困っているのか。」


「何が悲しいのか。」


「私にはまだ分からない。」


少女は真っ直ぐ古竜を見る。


今度は目を逸らさない。


「だから。」


一呼吸。


「もう少し教えて。」


「あなたの事を。」


古竜は黙っていた。


風だけが吹く。


やがて。


ぽつりと呟いた。


「我が子だ。」


小さな声だった。


その巨体からは想像できないほど。


少女はすぐに聞き返さなかった。


急かさない。


答えを奪わない。


ただ待つ。


しばらくしてから、静かに尋ねる。


「その子の名前は?」


古竜は答えない。


金色の瞳が揺れる。


何かを探しているようだった。


長い沈黙の後。


「分からぬ。」


「顔は?」


「分からぬ。」


「どこにいるの?」


「分からぬ。」


少女は胸が苦しくなった。


それでも古竜は繰り返す。


「待っておる。」


「帰らねばならぬ。」


まるで。


そこだけが残っているみたいに。


しばらくして。


古竜が再び口を開く。


「火が。」


少女は顔を上げる。


「火?」


古竜の瞳が揺れる。


巨大な身体がわずかに震えた。


「嫌だ。」


「火が。」


「嫌だ。」


それ以上は続かなかった。


少女は黙る。


山。


我が子。


火。


帰らねばならぬ。


待っておる。


断片ばかりだ。


壊れた鏡の破片みたいに。


どれも繋がらない。


でも。


どこかで見た事がある。


少女の脳裏に故郷の景色が浮かぶ。


夕暮れの縁側。


何度も同じ話をする老人。


娘の名前が分からなくなっても。


毎日。


娘の帰りを待っていた。


家がどこか分からなくなっても。


帰りたいと言い続けていた老婆。


場所は分からない。


相手も分からない。


時間も分からない。


それでも。


感情だけは残っていた。


少女は再び古竜を見る。


苦しそうだった。


怒っているようで。


泣いているようで。


助けを求めているようだった。


少女は静かに尋ねる。


「帰ったら。」


古竜が少女を見る。


「何があるの?」


長い沈黙。


風が吹く。


古竜は答えようとしているように見えた。


何度も。


何度も。


心の奥を探るように。


けれど。


答えは見つからない。


やがて。


「分からぬ。」


小さな声だった。


少女は黙る。


家族も。


場所も。


名前も。


分からない。


それでも。


「帰らねばならぬ。」


だけが残っている。


少女は考える。


帰りたいんじゃない。


会いたいんじゃない。


いや。


それもあるのかもしれない。


でも。


もっと根っこだ。


もっと奥だ。


この古竜は何を求めているんだろう。


何を失ったんだろう。


長い沈黙。


王都中が静まり返っていた。


騎士達も。


魔術師達も。


誰も声を出さない。


少女は古竜を見上げる。


「違ったら、ごめんね。」


古竜の瞳が揺れる。


「私には。」


少女は少し迷った。


そして続ける。


「そう見えたんだけど。」


一呼吸。


「あなたは。」


「家を探しているんじゃなくて。」


風が吹く。


少女の金髪が揺れる。


「居場所を探しているんじゃないかな。」


静寂。


古竜は何も言わない。


ただ。


その言葉を見つめているようだった。


長い。


長い沈黙。


やがて。


「居場所……。」


古竜が小さく呟く。


その声は。


初めて聞くほど弱々しかった。


少女は待った。


答えを急がなかった。


そして。


ぽたり。


大粒の涙が零れ落ちる。


人の頭ほどもある涙だった。


石畳を濡らし。


静かな音を響かせる。


ぽたり。


もう一粒。


「そう……。」


古竜は空を見上げた。


曇り空の向こう。


もう見えない何かを探すように。


「そうなのかもしれぬ。」


少女は何も言わない。


慰めない。


励まさない。


正しい答えも探さない。


ただ。


そこにいた。


風が吹く。


古竜の涙が石畳を濡らす。


誰も動かない。


王都全体が。


その沈黙を見守っているようだった。


やがて。


少女は静かに口を開く。


「少し、休まない?」


古竜が少女を見る。


「休む……?」


その言葉が珍しいもののように聞こえた。


「うん。」


少女は頷く。


「一人で探すの。」


少し考える。


「疲れたでしょ?」


古竜は答えない。


空を見上げる。


遠くを見る。


何かを探す。


けれど。


もう暴れてはいなかった。


少女は続ける。


「帰る場所は。」


「まだ見つからないかもしれない。」


古竜は黙って聞いている。


「でも。」


少女は少しだけ笑った。


「安心して休める場所なら。」


「一緒に探せると思うんだ。」


長い沈黙。


古竜は少女を見る。


小さな人間。


鱗一枚にも満たない存在。


けれど。


不思議だった。


なぜだろう。


その言葉だけは。


少し信じてみても良い気がした。


やがて。


古竜はゆっくりと翼を畳む。


重なり合っていた巨大な翼が地面へ降りる。


王都を覆っていた影が少しだけ小さくなる。


誰かが息を呑む音が聞こえた。


「お主は。」


古竜は少女を見る。


「不思議な人間だな。」


少女は困ったように笑う。


「そうかな。」


「分からぬ。」


古竜はそう言った。


そして。


ほんの少しだけ。


穏やかな声で続ける。


「だが。」


「近くにいても良い。」


少女は頷いた。


その日。


王都を恐怖に陥れた古竜は。


暴れる事をやめた。



人々は少女を称えた。


英雄。


天才。


奇跡の少女。


様々な名で呼んだ。


王都ケアギルドには入団前から噂が広がった。


だが。


少女自身は違うと思っていた。


帰り道。


西の空は赤く染まっていた。


王都の喧騒が遠ざかっていく。


少女は一人で石畳の道を歩く。


古竜の姿はもう見えない。


それでも。


あの金色の瞳だけは頭から離れなかった。


「全然分かってなかったな。」


誰に聞かせるでもなく呟く。


最初の私は。


古竜を見ていなかった。


私の答えを見ていた。


助けたいと思った。


でも。


本当に見ていたのは。


私が助けたいと思う方法だった。


古竜じゃなかった。


少女は空を見上げる。


夕焼けの中を鳥が飛んでいく。


帰る場所があるみたいに。


少しだけ羨ましかった。


それでも。


もっと話を聞きたいと思った。


理解できたからじゃない。


理解したいと思ったから。


少女はまだ知らない。


この日が。


王都ケアギルドで始まる長い物語の。


最初の一歩になる事を。


第一話


古竜、襲来 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。