第二章:いつの時代も、勇者はタンスとつぼを漁る(1)
アルシャンの町を出たグレイとレナは野宿で一晩を明かし、今は南の青空に浮かぶ太陽に向かって歩いていた。
ずっとグレイに従って歩いていたのだが、レナは遂に何か異変を感じ始めていた。道具袋の中からコンパスと地図を取り出し、何かを確認すると、異変は確信へと変わった。
「……ねえ。ひとつ聞いていい?」
先ほどからごそごそとしているレナを横目で見ていたグレイは、眉を上げて答えた。
「何だよ?」
「私たち、魔城に向かってるのよね? ギーギック城はアルシャンの北よね。でも、今私たちが歩いている方角は南なんだけど」
レナは自分たちの進む先が間違っていると言いたいらしい。しかし、グレイは同じ方向に同じ調子で歩き続ける。
「これでいいんだよ。魔王と戦うのに、何の用意もせずに魔城に乗り込むわけないだろ。そんなことをするのは命知らずか、阿呆だ」
「そ……そうよね。私だって分かってたわよ。ちょっと確認してみたかっただけ」
レナは気まずそうに咳払いをすると、地図に見入った。アルシャンの南にあるのは、この辺りではひとつの町があるだけだ。
「ということは、ラグゼルの町に向かっているわけね。ラグゼルの町って行ったことないんだけど……装備やアイテムを整えるにはうってつけの町なの?」
「ああ、アルシャンよりも品揃えがいいんだ。もちろんそれ相応の値は張るが、どれも魔王との決戦に持っていった方がいい物を扱ってるからな」
「確かに私たち……このままじゃあ、ヤバいわよね」
レナは自分とグレイの姿を見て、納得がいった。レナの装備品はどれも初心者用。グレイは、防具はそれなりにいい物を身に付けているが、肝心の剣がない始末だ。レナの道具袋にも地図とコンパス以外には、数えるほどの薬草しか入っていない。これでは魔王どころか、普通の魔物にでさえ勝てないというものだ。
「……ん? でも、グレイ、そんなお金なんて持ってるの? 私だってあんまり手持ちがないんだけど……」
「心配するな! ラグゼルにはそこらに〝財布〟が転がってるからな」
「……は?」
グレイのにやにやとした顔を見て、レナは眉をひそめた。何だか嫌な予感しかしないが、一応グレイに訊ねてみる。
「それ……どういう意味?」
「ラグゼルは富豪が集まる町だからな。この勇者グレイ様が魔王を倒しに行くって言やぁ、みんな進んで金を〝献上〟してくれるに決まってる」
(……嫌な予感は当たってたみたいね……)
レナは大きな溜息をついてから、グレイを諭すように口を開く。
「あのねぇ……そんな楽観的でいいの? 知らない人に簡単にお金なんて渡すわけないじゃない」
「知らない人じゃないぜ。魔王と戦う前に一度、ラグゼルの町に寄ったけどな、その時は何人もの富豪が資金を援助してくれたんだぞ。魔王を倒して世の中に平和をもたらしてくれるなら喜んで旅の資金を差し上げましょう、ってな」
グレイの言葉に、レナは信じられないといった表情で呟いた。
「うっそ……こんなおちゃらけ勇者にお金を渡すなんて……。世の中には懐の大きい人が……ううん、お金をドブに捨てても有り余るくらいのお金持ちがいるのね」
「……漏れ出てるぞ。心の中の言葉が」
あまり信じられないことだが、旅の資金を援助してくれる人がいるならば願ってもないことだ。レナは幸先の良い知らせにウキウキとしたが、少しでも喜んだことを後悔することになるとは知るはずもなかった。
*****
半日が経ち、辺りがすっかり暗くなった頃、グレイたちはラグゼルの町に着いた。
さすがは富豪の町と呼ばれるだけある。ラグゼルの町並は優美そのものだ。初めて訪れたレナにとっては、町の様子は目を見張るものばかりだ。
既に遅い時間なので、富豪の家を訪ねるのは翌日にすることに決めた。グレイたちにとっては豪華すぎる宿が立ち並ぶなか、最低ランクの安宿を見つけ出すと、そこで夜を明かすことにした。
翌日、二人は朝早くに行動を開始した。グレイはとある屋敷の前までレナを連れてくると、手足を伸ばすなどの準備運動を始める。
「まずは、ここから当たってみるとするかな」
「……人と会うだけなのに、なんでストレッチ?」
「備えあれば憂いなし、って言うだろ」
その言葉に、レナはますます首を傾げた。だが、その間にもグレイは屋敷の門を開け、ずかずかと中へと入っていく。慌ててレナもその後を追った。
屋敷の玄関ホールに入る前に、どこからか召使が現れ、二人の客人を呼び止めた。
「何か御用でしょうか」
「ああ、旦那に会いたいんだけど。勇者グレイが来たと言えば分かるさ」
怪訝な顔で下がった召使は、数分後に厳めしい顔をした老年の男を連れてきた。その顔を見て、レナは思った。
(……あんな顔をしてるのは、生まれつきならいいんだけど)
しかし、レナの願いは叶わなかったようだ。主人の男はグレイの顔を見つけると、眉をひそめ、ますます険しい顔つきになる。
「久しぶりですねえ、旦那」
へこへこと挨拶をするグレイに、主人は冷たく言葉を吐き捨てた。
「どの面下げて来た、グレイよ」
「いやあ、実はまた、魔王打倒のために魔城に向かうことになったんですよ。それで、今回も資金を援助いただけたらと思いまして」
「魔王打倒だと? ……面白いことを言う男だ」
そこで、主人はグレイの顔をじろりと睨む。
「アルシャンから耳を疑うような噂が聞こえてきた。魔王との決戦のとき、もう少しで倒すことのできた魔王を逃がしたそうじゃないか……勇者グレイ自らがな。私は魔王に寝返った勇者に裏切られたのだ。もはや信じることはできない。だから、人間の敵となったおまえに、旅の資金を援助することもできない」
「でもそれは……」
レナはむっとした顔で口を開きかけた──が、グレイの手によって言葉を飲み込んだ。
「……分かりました。迷惑をおかけしてすみませんでした。行こうぜ、レナ」
グレイはそう言うと、納得していない表情のレナを連れて屋敷から出て行く。再び町の中に戻ってきたところで、レナは不満そうに口を開いた。
「どうして言い返さなかったのよ。あのおじさん、あんたのこと、完全に魔王の手下だと思ってるわよ」
「別にいいんじゃねーの、好きに思わせといて。俺が魔王を倒せば、あんな噂、消えてなくなるだろうしな」
「まあ、それはそうだけど……」
溜息をつくレナの横で、グレイの頭には次の行動が浮かんでいた。
「この町に〝財布〟は一つだけじゃねーんだ。さっさと次行くぞ、次!」
そう言うと、グレイはにやりと笑った。
だが、〝財布〟集めに苦労することになるだろうとは、今の二人には想像もできないことだった。
「さっさとここから出ていけ! さもないと、これをぶっかけるぞ!!」
強面の使用人がたっぷりと水の入った桶を抱えている。目の前にいるグレイとレナに、今にもぶっかけようとしているのだ。
「はっ……ひゃい~~~~!」
グレイとレナは水を浴びせられてはかなわないと、使用人用の勝手口から外へと飛び出した。町の大通りまで必死に逃げると、ようやく足を止めた。
「ふう、ここも駄目だったか……」
「あんたねえ……今ので九軒目よ? どこが『みんな進んで金を献上してくれるに決まってる』よ? 資金を援助してくれるどころか、門前払いされるわ、水かけられそうになるわ……」
レナは息を整えながら、グレイを睨む。
一人目の屋敷を訪問する際に、グレイがストレッチしていた理由は後になって分かった。つまり、こうやって屋敷から追い出されることを見込んで、素早く逃げられるようにだ。
「ねえ、グレイ……もう諦めましょうよ。この町にこれ以上いると、命が危険よ」
レナは辺りを見渡しながら、グレイに囁いた。町往く人々の二人に対する視線が、どことなく痛いのだ。
今まで訪れた屋敷の者は皆、グレイの噂のことを知っていた。ということは、町の者全員がそのことを知っていても不思議ではない。グレイのことを快く思わないのはもちろんのこと、前回この町を訪れたときのグレイの態度が、いかに横柄な態度をとっていたのかもうかがえる。
「仕方ねえなあ……じゃあ、次を最後にするか。ちょうど十軒目でキリがいいしな」
「はいはい……」
最後もどうせ同じ結果に終わる──そう思いながら、レナはグレイの後を歩いた。
だが、レナを呆れさせたことに、グレイは朽ちかけの民家の前で足を止めた。今にも崩れてきそうな壁に、蝶番の外れかけた扉……。こんなところに、富豪が住んでいるようにはとても見えない。
「なに? もうお金持ちのお宅には行かないの? それに何よ、ここは……。こんなぼろぼろの家に誰か住んでるとでもいうの?」
「行ったろ。ここが最後の金持ち訪問だよ。ここに住むじいさんはな、このラグゼルで一、二を争う大富豪だ」
「えっ!?」
レナが驚きの顔で振り向いたと同時に、グレイは外れそうな扉を開けた。不気味な音と共に、部屋の様子が顕わになる──。