第一章-3:戦線離脱勇者(3)
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アルシャンの町を出たところには、森を切り開いて作られたちょっとした広場がある。この広場は、祭りなどの行事の際に使われるのだ。
広場の片隅に、ぼろぼろの物置小屋がある。金欠の“戦線離脱勇者”は、その小屋をねぐらとしていた。
物置小屋を背に、グレイは地面の上に寝転んでいた。沈みゆく夕陽を、何故だか寂しそうな目で眺めている。
そんな彼の元に、一つの影が忍び寄った。夕日によって髪の毛がきらきらと輝いて見える少女──レナだ。走り詰めだったのか、レナは肩を上下させるようにして息を整えている。
「……やっと見つけたわよ」
「おっ、俺がここがいるってよく分かったな……って、ぐふぅ!?」
突然、レナに顔を一発殴られたグレイは、びっくりして跳ね起きた。
「何で、殴るんだよ!?」
「あんた、人に請求書押しつけといて、よくそんなことが言えるわね」
「ああ……まあ、さっきは悪かったよ。あの時は、ああするしかなかったんだよ。あのマスター、しつっこいからなあ」
はははと笑うグレイを、レナはぎろりと睨んだ。
(人をとんでもない目に遭わせといて、どうして笑えるのかしら?)
請求書と共に酒場に残された後、レナは迫りくる男たちから辛うじて逃げ出してきたのだ。こうして図らずもアルシャンの町を堂々と歩けなくなってしまったのだが、その原因を作った男に一言、文句でも言わなければ気が済まない。町の者に“戦線離脱勇者”の行きそうな場所を訊ねに訊ね、ようやくこの場所を割り出したのだった。
「……で、別に俺のファンってこともないだろうしな。ここまで俺に会いに来た理由はなんだ? さっきの請求書分の金を返せってか?」
グレイは赤くなった頬を擦りながら、レナをじろりと見た。レナもグレイを睨み返した。まだこの男にされたことを許してはいない。
「違うわよ。私も誰かさんのせいで、あの酒場から何とか逃げ出してきたから払ってないし。そもそも、あんた、そんな金持ってないでしょ」
「じゃあ、何だ?」
訝しそうに見てくるグレイに、レナは咳払いをひとつしてから口を開いた。
「私、勇者のパーティーに入りたくて、アルシャンの旅人の酒場に行ったの。そしたら、そこのマスターが“戦線離脱勇者”のことを教えてくれたのよ。つまり、あなたのことをね。だけど、さっきの出来事もあったし、もう二度とあんたに会いに行くものかって思ったけど……一応、話くらいは聞いておこうと思って」
レナは不服そうに、ぼそぼそと説明した。苦手な酒を引っ掛けられ、請求書を押し付けられた相手に、こんなことを言うのは全く気が進まない。しかし、この男を見限るのは、相手が本当に“魔王を倒せる勇者”かどうかを見極めてからでも遅くはない。
「おまえ、俺と組もうっていうのか? 物好きだな」
「えっ? 何でよ?」
他の誰かに言われるのならまだしも、この男本人から『物好き』と言われるのは気に食わない。むっとしながら聞き返したレナに、グレイは溜息をついた。
「……旅人の酒場に寄って来たんなら、俺の噂くらい耳にしただろ。マスターに教えてもらわなかったのか」
確かに、酒場の客たちによる“戦線離脱勇者”に関する話題は散々だった。
しかし、肝心な部分は聞いていない。──なぜグレイが人々に臆病とか裏切り者と言われ、“戦線離脱勇者”という不名誉な名で呼ばれるようになったか。
「マスターはあなたに直接訊け、って言って教えてくれなかったわよ」
「……ちっ、マスターめ」
グレイはマスターの意図を感じて、舌打ちをした。
マスターは気付いているのだ。アルシャンの町に流れているグレイについての噂が、かつての仲間、ロイドが流した悪意あるものだということを。マスターは魔城での真実を知らなくとも、グレイのよしみとして噂の裏に潜むものを察知し、レナにそう伝えたのだ。
「魔王との戦いで何があったのか……聞く覚悟はできてるか?」
突然、真剣な顔で訊ねてきたグレイを見て、レナはどきりとした。おちゃらけた顔の男が突然、真面目な顔をしてきたからだ。ずっとこの顔ならば、レナもグレイが勇者だということを素直に信じられるのだが。レナは頷く代わりに、グレイの隣に座った。
グレイは深呼吸をすると、昔話でもするように語り始めた──。
「三か月ほど前、俺は三人の仲間と一緒に魔城に乗り込んだ。もちろん、魔王を倒すためにな。現れた魔王に決死の覚悟で戦いを挑んで、その結果、魔王に深手の傷を与えた。あと一撃で魔王ヴァティーを倒すことができる……そんな状況だった。でもその時、俺はあるものを見ちまったんだ……」
「あるもの?」
グレイは俯いた。今でも鮮明に思い出すことができる。震えながら魔王の背中に隠れていたのは──魔王の子供だった。魔王の子供は、まるで人間が魔王を見るときのような目で、グレイを見ていた。
「魔王の……子供……」
グレイの言葉を聞いて、レナは呟いた。魔王に子供がいたとは初耳だ。
「命尽きる前に子供を守ろうとしたんだろうな。その時の魔王のやつ、必死で俺を牽制しようとしていた……」
グレイはそこで大きく息を吐いた。
「俺はな……それを見た瞬間、剣を抜けなくなっちまったんだ。どうしても、剣を握れなかった」
「……え……」
レナは驚いてグレイの顔を見上げた。横顔しか見えなかったが、むすっとしているようだ。魔王を斬れなかった自分に憤りを感じているのだろうか。
だが、レナにはグレイが魔王を斬らなかったことを悔いているようには見えなかった。
「しかも、俺がしたのはそれだけじゃない。魔王を斬ろうとした仲間の攻撃から、魔王を守ったんだ。その後、魔王を逃がしさえしたしな。そんな俺に愛想が尽きたんだろうな。魔王との戦いの後、仲間はみんな俺から去って行ったよ。…………」
そう言うグレイの顔は、どこか寂しそうだ。だが、一転して、
「……しっかし、あの時の魔王、すっげー驚いた顔してたなあ。ザマミロ、ってんだ!」
そう言うと、グレイはからからと笑った。
(これで分かったわ、どうしてこの男が町のみんなにあんなにも酷く言われているのか……。そりゃそうよ、人の敵である魔王に味方したんだから!)
グレイの言葉を聞いていて、レナは怒るというよりも呆れていた。人類史上、勇者が魔王に攻撃することをためらったり、助けたりしたことがこれまでにあっただろうか。
いや、一度としてなかっただろう。勇者はその名の通り、人類を脅かす魔王や魔物たちから勇敢にも世界を救わんとする者のことを指す。そのような者たちを、人々は敬意の念を込めて“勇者”という称号で呼ぶのだ。
レナの呆れを感じたのか、グレイは慌てて付け足した。
「だからって、俺が魔王の手先に成り下がったとか思うなよ! 俺だって魔王が憎くないわけじゃないんだぜ? ……俺の親だって、あいつに殺されたしな。だからこそ、魔王打倒を目指して厳しい旅をしてきたんだ」
家族の話が出て、レナの表情が急に固まった。自分の境遇と重ねているからかもしれない。
「……殺されちゃったの? ……お父さんもお母さんも?」
「ああ。俺が八つの時だから、もう十年も前になるのか。俺が生まれ育った村を、魔王が統率した魔物の群れが襲いかかってきたんだ。まともに戦う術を持たない村の人間は全滅で……俺の両親も家の中で殺されていた。俺はたまたま村の外に出かけていたから助かったんだ」
「……なら、どうして魔王を見逃すことができたのよ!? 自分の家族が殺されたのに?」
(私なら……絶対に見逃すことなんかできない)
レナはぎりぎりと歯を食いしばった。今でも夢に見るあの凄惨な光景……それがレナの頭の中をよぎる。
グレイは、突然食ってかかってきたレナに一瞬、驚いたようだ。だが、頭を掻きながら答えた。
「だーかーらー、さっき言ったろ。魔王が子供をかばっているのを見ちまったからだって。これは理屈じゃねーんだ」
「でも……」
口を開きかけたところで、レナはぴたりと止まった。とある考えが頭の中に浮かんだからだ。
(……でも、私も同じ状況にいたら……同じことを絶対にしないとは言い切れない。もちろん魔王は憎いし、この男のやったことは許せないけど……子供は可愛いものね。魔王が自分の子供を──家族を守りたいという気持ちは──分からなくもないもの)
こんなことを思うなど、自分もとんだお人よしだ。自分もこのダメダメ勇者と一緒だわ──と、レナは自嘲の笑みを浮かべた。
「……ま、俺が町の連中に“戦線離脱勇者”と呼ばれてるのは、こういう訳だ。だから、もう帰れ。ヘタレで裏切り者の勇者のところに長居すると、おまえにまで変な噂が立つぞ」
グレイは立ち上がると、手足を伸ばして体をほぐす。そして、レナに背中を向けて立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってよ!? まだあんたの返事を聞いてないわ!」
レナが慌てて呼び止めると、グレイは足を止め、訝しそうに振り返った。
「……返事?」
「私は、勇者のパーティーに入って魔王退治に行きたいって言ったでしょ! あなた、今は仲間が一人もいないんでしょ? だから……わ、私が仲間になってあげてもいいのよ?」
レナの性格からして、素直に「仲間に入れてください」とは言えない。これが彼女なりの精一杯のお願いなのだ。
今度はグレイの方が呆れる番だった。頭を掻くと、面倒くさそうに口を開く。
「おまえなあ……俺の話、ちゃんと聞いてたのか? 俺は勇者失格なの! この町にゃ、勇者なんて何人もいるだろ。勇者のパーティーに入りたかったら、他を当たれよ」
そこまで言ったところで、グレイはふと自分の言葉を反芻する。次の瞬間、大きな声で笑い出したグレイを、レナは訝しそうに見つめた。
「あっはっは! 自分で言うのもなんだけど、俺ってとんでもなく情けねえ勇者だな。自分で自分のことを『勇者失格』だとはな……ま、本当のことだし、いいんだけど」
笑う勇者を見て、レナはグレイの心の内を何となく感じた。それは、虚しさとか孤独とか、そう言った類のものだ。
気に食わないといった表情をしているレナを見ると、グレイはこう言った。
「だっせえ勇者だろ? おまえも俺のことを笑っていいんだぜ、町の連中のようにな」
レナは何かを言おうと口を開きかけた──が、何かを思ったのか、口をきゅっと結んだ。その代わりに、つかつかとグレイの方へと歩み寄っていく。
「な、何だヨルグァ!?」
グレイの体が宙を舞い、一回転しながら地面に落ちた。レナのアッパーカットがグレイの顎にヒットしたのだ。
「お……おま……、魔法使いに見えるけど、実は武闘家じゃないだろうな……」
地面に這いつくばりながらぶつぶつと呟くグレイは、目の前に立つレナを見上げた。レナはいまだ顔の前で拳を握りしめている。それを見たグレイは、控えめに──そう、いたって控えめに、異議を申し立てた。
「俺は笑っていいとは言ったが、殴っていいとは言ってないんだが……」
しかし、レナはグレイの異議など無視して、こう言い放った。
「目ェ、覚めた?」
そのとき、グレイは気付いた──レナの華奢な握りこぶしが赤くなっていることに。痛みのためか、微かに震えている。そして、声も。
「じゃあ何? あんた、勇者やめるの? もう魔王討伐は諦めるの? 私たち人間がこれからも魔王たちに苦しめられてもいいって言うの?」
そこで、レナは足の力が抜けたように地面に膝をついた。目の前で呆然としているグレイの胸ぐらをつかむと、瞳を覗き込んだまま、きっぱりとこう言った。
「あんたはねえ、勇者失格なんかじゃない。こんなところでウジウジしてていいヤツじゃないのよ!」
この言葉が出たのは、魔王を倒せる力があるグレイだから奮起させたかったからでも、可哀そうなグレイを励ましたかったからでもない。
──時には魔王でさえ情けをかけてしまうほど、人間臭い男。
そんなグレイが勇者としてふさわしいと思ったからだ。同じ魔族だからといって、事も無げに魔王の子供ともども魔王を斬ってしまう勇者より、ずっと「勇者らしい」と思ったからだ。
レナははたと我に返ったらしい。グレイの胸ぐらからそろそろと手を離すと、気まずそうに地面に視線を落とした。
「ああ、私……何言ってんだろ……」
レナは溜息をつきながら、立ち上がろうとした──が、グレイに腕を掴まれて、再び地面に尻もちをつく羽目になった。
「いった! もう……なによ?」
グレイをじろりと睨んだレナだったが、グレイから目が離せなくなってしまった。グレイの顔つきが先ほどまでのものとは違う──すっかり“勇者”の顔になっていたからだ。今の彼の瞳には、生き生きとした、頼もしい光が宿っている。
「……先に言っとくが、今の俺には魔王を倒せるような装備もないし、他に仲間もいない。それでも俺のパーティーに入る覚悟があるんだな?」
つまり、グレイは再び魔王を倒しに行く気になったというわけだ。レナの答えは決まっている。
「……仕方ないわね。私が一人目の仲間になってあげるわよ!」
レナは腕組みしながらそうは言ったものの、まんざらでもないといった表情をしている。グレイの話を聞く前だったら、彼の仲間になることはなかっただろう。
「そういえば、名前聞いてなかったよな?」
「レナよ」
「レナ……か」
レナの返事を聞いて、グレイはばっと立ち上がった。
「よし、じゃあ決まりだな! 思い立ったが吉日だ。さっそく町を出るぞ、レナ!」
「えっ、今すぐ!? あっ、ちょっと待ちなさいよ! 仲間を置いていく気!?」
さっさと歩き出すグレイを見て、レナも慌てて立ち上がり、勇者の後を追う。
今ここに、魔王ヴァティーを倒すために結成された新パーティーが誕生した。
そのパーティーメンバーは、人々に“戦線離脱勇者”と呼ばれる勇者に、戦闘能力は低いが気だけは強い魔法使い。
彼らの旅立ちを、民家の陰から見守っている者がいた。旅人の酒場のマスターだ。
マスターは駆けていくグレイとレナを見つけると、満足そうに頷いた。
「やっぱり旅立つことになったか……。グレイ、おまえは勇者だよ。本物のな」
マスターはグレイの心の中に、まだ魔王に立ち向かっていく勇気が残っていることに気付いていた。そして、それが心の奥深く過ぎて、自らの力ではよみがえることが難しいことも。
だからこそ、マスターはレナにグレイのことを伝えたのだ。グレイを再び立ち上がらせるには、レナのような強引さが必要だ──というマスターの読みは正解だったわけだ。
「頑張れよ、グレイ」
そう言うと、仕事に戻るため、マスターは酒場へと帰って行った。




