第一章-2:戦線離脱勇者(2)
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酒場を出て向かった先は、歓楽街の西部地区の方だ。今訊ねた、旅人専用の酒場は町の中央にあったので、少し歩くことになる。
「“戦線離脱勇者”は西の町はずれにある酒場で呑んだくれてるだろう、ってマスターは言ってたけど……本当にこんな所に酒場なんてあるの?」
レナは辺りを見渡すと、不安になってきた。西に向かって歩くに従って、町の様子がどんどん寂れてきたからだ。
(マスターの言葉に興味をそそられて、つい来ちゃったけど……これで良かったのかしら? だって、酒場のお客さんの反応からすると、“戦線離脱勇者”って人は強くても、中身はとんでもない人間のようだし……。仮にその人とパーティーを組めたとしても、ちゃんと魔王退治に行ってくれるのかしら?)
そこで、レナはぶんぶんと頭を振った。気弱になっている場合ではないことを思い出したのだ。
(そうじゃないでしょ、レナ! 少しでも使える勇者だったら、何が何でも仲間になるのよ! 魔王を退治できる可能性が高い勇者なら、なおさらだわ。魔王が倒れるところをこの目で見ないと、私の気持ちは治まらないもの!!)
そう誓うレナの心の中に、幼い男の子の姿が浮かぶ。レナと同じ、鮮やかな金髪を持つ、愛くるしい顔……。その顔が苦しそうに歪む──……。
それを思い出すと、どんなに無茶だ無謀だと言われようとも、魔王をやっつけたいと思う気持ちがふつふつと沸いてくる。
そんなことを思っていると、道端にひとつの酒場が見えてきた。あれが、マスターの言っていた酒場だろう。
女たちの黄色い声に、調子に乗って悪ふざけをする男の声……。その酒場の扉の前に立つと、賑やかな中の様子が伝わってくる。旅人の酒場と比べると、いささか騒々しい。
(さてと、例の勇者は本当にこの酒場にいるのかしら?)
レナは深呼吸をすると、酒場の扉に手を掛けた。この酒場も、先ほどの酒場のように酒臭いに違いない。あらかじめ心構えをしておくことは大切だ。
「邪魔するわよ……きゃあ!?」
扉を開けた瞬間に、水がレナに降りかかってきた。いや、水ではない。この息を詰まらせるようなにおいは──酒だ。
髪の毛や服の一部にかかったのが酒だと知って、レナはショックというよりも怒りを感じた。自分をこんな目に遭わせた相手に文句を言ってやらないと気が済まない。レナは顔を上げて、犯人を探した。
犯人はすぐに判明した。……というのも、酒場の中で酒瓶を振り回している男がいたからだ。その男は酒場の真ん中にでんと置かれている、けばけばしいソファに座っていた。ソファの位置から背中しか見えないが、どうやらまだ若い男らしい。
「おおーい、マスター! 聞こえなかったのかぁ? 酒だ、どんどん酒を持ってこーい!」
そう言って、店の奥のカウンターにいる男に向かって酒瓶を振っている。そのせいで、酒瓶の口から中身がこぼれ出て、レナにかかってしまったようだ。
男の両隣と真ん前には、派手やかで露出度の高いドレスを身にまとった若い女たちが群がっている。接客嬢のようだ。
「も~、お客さんたらぁ。あんまりうちのマスターをいじめないでくださいよぉ」
一人の接客嬢が甘い声を出して、困った客をなだめる。それに満足したのか、若い男はデレデレとした様子でその接客嬢に抱きついた。
「まあ、ソフィーちゃんがそう言うんなら仕方ないなあ~」
「もう、お客さんたら! スケベなんだからー」
そこで、レナの頭の血管がぷつりと切れた。酒場の中をずかずかと進み、ソファで接客嬢ときゃっきゃと戯れている男の前に、仁王立ちで立ちはだかる。怒りでレナの顔が引きつっているのは、言うまでもない。
「ちょっと、あなたねえ! 人に酒を浴びせといて、何よその態度は!」
接客嬢にキスをしようとしていた男は、口をぽかんと開けて、レナの方を振り向いた。
その男は酔ってはいても、どちらかと言えば精悍な顔立ちをしていた。齢はレナより少し上だろう。男の暗色のぼさぼさの髪の毛には、額と耳を防護するためのヘッドギアを身に付け、腰には鞘だけ──何故かその中身はない──を提げている。それに加え、マントと胸当てという恰好は、いかにも旅人という出で立ちだ。
「ああ~ん? おまえ、誰だよ?」
男は酒で据わった目で、レナ──“ソフィーちゃん”とのお楽しみの最中に邪魔する小娘──をぎろりと睨んだ。
「誰だっていいでしょ! 謝るまで許さないんだから……」
「はいはい、お待たせしましたよ」
レナを押しのけて若い男の前に出てきたのは、この店のマスターだった。男の前のテーブルに酒瓶を何本か置くと、迷惑そうな目で男を見た。
「今日もこんな昼間から呑んでいていいんですか? いや、うちも商売ですからこうして毎日来てくれるのはありがたいんですよ。ですが、そろそろ今までのツケを払ってもらわないと困るんですよ。うちの店は本当はツケなんてしないんですが、魔王と一度戦ったことのあるあなただからこそ、こういった待遇にさせてもらっているんですがねえ……勇者さん」
「……勇者ぁ!? この目つきの悪い好色男が? こんな男が勇者を名乗ってもいいの!?」
マスターの言葉に、レナは思わず叫んだ。が、自分が何故このふしだらな酒場へとやって来たかを思い出した。
(ちょっと待って。この店の中に他に客はいない。……ということは、つまり……)
「もしかして、あなたが“戦線離脱勇者”……?」
レナは震える指で、ソファーで両手に女を抱いている男を指した。
指を差された本人は、いかにも不本意といった表情で頷く。
「確かに、巷ではそう呼ばれてるな。……まあ、このグレイ様がそれだけ目立つ存在だから、仕方ないけどな! 一般庶民は有名人のことを何かと悪く言うものだしなあ」
「そうよそうよ、勇者サマ!」
「町のみんなの言うことなんて気にしないで!」
「みんな、勇者サマの強さとカッコよさに僻んでるのよぉ~」
あっはっはと笑う男──グレイに、それをおだてる店の女たち。
目の前の光景を見ていたレナは頭が痛くなってきた。
(このグレイって男が、マスターの言っていた勇者? マスターはああ言ってたけど、この男にもう一度魔王退治に行こうなんて気持ち、無い気がする……)
レナが溜息をついていると、マスターが咳払いをして、先ほどの話題に戻した。
「さあ、勇者さん。今日こそ、この三か月分のツケを払ってもらいますよ」
そう言うと、マスターは胸ポケットに入れていた請求書をグレイに押し付ける。それから指をぱちんと鳴らすと、店の奥から大柄な男たちがぞろぞろとやって来た。
「払ってもらえなければ、いくら勇者さんと言えど、このまま素直に帰すわけにはいきませんから」
マスターはにっこりと──だが、その笑みの後ろには黒いものがある──ツケを溜め込んでいる客に言い渡す。
(……ここは大人しく引き返した方がよさそうね)
目の前で繰り広げられる危うい展開に、レナは巻き込まれたくなかった。自分には関係のないことなのでなおさらだ。
──そう。レナの予想通り、『残念』な人物だった“戦線離脱勇者”に見切りをつけるのだ。
レナはそそくさとグレイから離れると、出口へ向かおうとした。
「何だかお取込み中のようなので、私はこれで……」
「これこれ、待ちなさい! 我がいとしき仲間よ!」
今まで偉そうにソファに座っていたグレイは急に立ち上がると、レナの肩をぐっとつかんできた。今までのガラの悪そうな顔はどこへいってしまったのだろうか──爽やかな笑顔で、マスターとその取り巻きたちにレナを紹介する。
「こちらは僕のパーティーメンバーです。なかなか戻らない僕を、迎えに来てくれたのでしょう」
「……あれ? 確か、勇者さんのパーティーは魔城から戻ってきた後に解散したんじゃ……?」
訝しげに呟くマスターを見て、グレイは急いでこう付け加えた。
「新しく加わった仲間ですよ! ほら、君も恥ずかしがってないで、マスターに自己紹介しなさい」
「はあ? あんた、何言って……ん?」
レナはグレイを睨んだが、手に何かが押し付けられて、思わずそれを見た。レナの手の中にあったのは、請求書──さっきまでグレイが持っていたものだ。
「ちょっと、何よこれ──」
「自己紹介ついでに、ここの支払いも済ませておいてくれないか。いつまでもマスターに迷惑をかけるわけにはいかないからね。それじゃ、僕はこれで」
そう言うと、グレイは男の群れをかいくぐり、さっさと扉の外へ出て行ってしまった。
レナはそこで、自分が今、どんな状況に置かれているのかを察知した。恐る恐る、マスターや男たちの方を振り返る……。
「さて、勇者さんのお仲間さん。その請求書に書かれている金額分、耳をそろえて返していただきましょうか」
マスターがにっこりと笑った。その後ろでは、大男たちがレナに睨みを利かせている。
レナは震える手の中にある請求書を見た。──とてもレナが払えるような額ではない。
(してやられた……!)
今さら地団駄を踏んでも、もはや遅い。レナの周りを、逃すまいと男たちが取り囲んでいるのだから。
「覚えてなさいよ、“戦線離脱勇者”~~~~!!」
レナの喚き声がアルシャンの町に響いたが、それがグレイの耳に届いたかは定かではない。




