黄色くない悲鳴
キャァァァァァァァァァァァァァアァァァア!!!!
絹を裂くような悲鳴が薄暗い廊下に響きわたる。
腰を抜かし悲鳴を上げた女性二人が抱き合った体制で怖がっている。一人は柔らかいウェーブのかかったロングヘアーでブラウスに明るい青のカーディガンにふんわりとしたスカート、もう一人はショートボブで上着がショートなパンツスーツ。そんな二人は服が汚れるのも気にする様子もなく床にへたり込んでいる。
これがホラー映画の中の様子なら良かったのだが、この二人の女性は今俺の目の前というか足下にいる。そしてこの二人は俺の顔見知り。というか今年同期で同じ企業で働きはじめた仲間。内心可愛くて『いいな』と思っていた相手。ロングヘアー方が、井上裕子さんで、ショートボブの子が五十嵐智子さん。
そんな二人が怯えたように俺を見上げてくる。井上さんのピンクのルージュの柔らかそうあ唇が震えながら動く。
「へ、変態」
この状況に俺は悩む。どうするべきなのだろうか?
今俺達三人がいるのは、NPO法人ハートネット。様々な悩みを抱えている人の相談に乗り、その悩みを聞いたり、それに適したサービスを紹介したりと問題解決を手伝うサービスを行う団体。俺自身が前にお世話になり助けられた事もあり、今度は俺が人を救うのだと意気込んでここへの就職を決めた。その事業所の廊下。
そして今の俺は、俺であって俺ではなく、【キクワンくん】というこの団体のマスコットの恰好。
それが実はマスコットとしてはどうなのだろうか? と悩むモノだった。
キクワンくんそのものは、セントバーナードを元にした、まあカワイイと言えなくもないキャラクター。しかし何故これをキグルミにしようかと思い付いたのか?
「所長! コレなんですか?」
俺は最初に見た時に出た言葉はソレだった。
俺は会議室の上にある謎の物体を指差し質問する。
サイズの違う丸めの物がくっ付いた形で小さい丸の方には鼻と目が付いていて左右の側面から黒いダランとした平たい何かが垂れていて、大きめの球体は洋ナシのような形で下からグレープフルーツくらいのサイズの歪んだ球体がついた太い紐が四本ついている。小さい方はスイカくらいで、大きめの方はボストンバッグくらいのサイズ。そして横には両手に乗るサイズの樽が無造作に置かれている。
「この法人のマスコット【話を『キクワン』】くんだ」
所長は何故か誇らしげ胸を張りソレを紹介してくる。
「人を癒しながら救うといったらセントバーナードだろ!」
確かに犬っぽくはあるが構造がシンプル過ぎてセントバーナードには見えない。
「はぁ」
俺は気の抜けた返事しかできなかった。この犬の置物をどう使う気なのかも見えない。イベントなどのブースに置くというのが適切だろうかそれにしてはインパクトにかける。
「コレを君に着てもらい、ウチの仕事を世間にアピールしてもらおう!」
所長の言葉に俺は首を捻る。着るってこの物体をどうやって着ろと? そのような構造には全く見えない。
所長がキクワンくんを持ち上げて説明してくれた事で意味は分かってくるが、納得は出来ない。
キクワンくんの頭部の下に穴が空いていてそこに頭を突っ込み被るようだ。しかしキクワンくんのその穴は頭が入るくらいのサイズしかない。そしてその構造だとおそらく身体や手足は頭部を被った人の背中にダランと垂れるだけとなる。 胴体部分はそれでよいのだろうか?? という疑問がでてくる。当然俺もそれを聞いてみた。すると衝撃的な答えが返ってくる。黒の全身タイツで誤魔化すつもりだとか……。いやどう考えても誤魔化せないだろう! 胴体部分は着るのではなく背中に背負うとか。胴体部分は後ろ姿の時しか人に見てもらえず、前からみたら黒いタイツ姿の身体に隠れてキクワンくんの身体が見えない。
そもそもキグルミというのはもう少し擬人化して人が中に入りやすい形のキャラクターで作るもので、何故四つ足のキャラクターをそのままキグルミにしようとしたのか?
そのキクワンくんを実際に着て仕事をしたのが本日。つまり今の俺の姿は……犬の被りものをした全身黒タイツの男。首には樽を蝶ネクタイのようにつけていて【キクワン】と書かれたプラカードを首から下げている。
かなり怪しい恰好であることは確かである。
廊下で会った同期の女の子に悲鳴をあげられ、『変態』呼ばわり……。俺は泣きたい。しかもそれをカワイイ井上さんに言われた事のショックが大きすぎる。
【変態】と言われて、実は俺だよ~なんて名乗る勇気は俺にはなかった。
俺はジェスチャーで怪しいものではないと伝えるしかない。【キクワン】名前の書いてあるプラカードを必死に指さすが、それがある場所が股間なのがいけなかった、二人はさらに怯えひいている。ふと壁を見ると、キクワンくんの描かれたポスターがあるのを発見! 俺はそっちに近づきそのポスターのキクワンと俺が同じ存在であることを猛アピールするしかない。距離ができたことと、コッチの熱意が通じたのだろう。彼女たちの顔から怯えの表情が薄れてくる。
「ゴメンなさい、暗かったし春だし、てっきり変質者かと……。キクワンくんっていうのね」
笑顔になり井上さんから近づいてきてくる。良かった誤解は解けたような。
「ここに、こういうマスコットがいるなんて知らなかったから。でも良くみるとカワイイ??」
五十嵐さんも謝ってくるので、俺は首を横にふり気にしていないという事を態度で示す。しかし、大概のモノも【カワイイ】といえる女子からも疑問形で【カワイイ?】と言われていることに苦笑するしかない。
[はじめまして、キクワンです。今年からここで働く事になりました!
皆さまの相談なんでもキクワン♪]
キクワンくんが、この春から生まれたばかりのキャラクターであることポスターを指さして伝え、団体職員でも知らなくても大丈夫だとフォローする。
二人の表情も明るくなり、無事俺達は和解? し、一緒に写真撮影などして平和に別れる事が出来た。
それにしても、初めてみた人から【変態】とか【変質者】と間違えられるようなキャラクターがマスコットって、この職場は大丈夫なのだろうか? 俺は心配になった。それだけに、余計にそんな恰好しているのが俺だというのも二人に知られたくはない。これから俺はどうするべきなのだろうか?
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キクワンくん
NPO法人ハートネットのマスコット。
人を癒しながら助けるセントバーナードをモチーフにしたキャラクターで所長のお孫さんの絵があまりにも素晴らしいからそれをマスコットにしたとか。
イラストではそれなりにカワイイくグッズも人気だが、キグルミは子供もひいて近づいてこない。




