第百三十五話
先ほどまでの激しい痛みが、快楽の一部へ回帰し始めた頃、ようやく俺は解放された。
「よし、ナザレの大工を休ませろ」
だるい。全身の力を奪われて行くようだ。うん?あいつら何をやってるんだ?またもや拷問器具かよ。全く、ローマ人という奇妙な連中には、いつも驚かされる。その場にあるものから工夫し、自分達の技術で実用的な物へと発展させるのだからな。
「ロンギヌス隊長、一体どうやって王冠を作るのです?」
「簡単だ、カッシウス。藁で一本輪を作り、全体をトゲハマナツメの枝で覆うんだ」
トゲハマナツメか。クルメモドキ科で花期は四月〜五月頃、エルサレム全域で生えるものだ。細く長い枝の先も、ローマ人には棘にしか見えぬのだろう。その証拠に枝の皮と小さな葉を削り取っている。
「こんなことして、一体何の意味があるんですかね?」
「ユダヤ人にとっては王冠に見え、我らローマ人にとってはフリギア帽子になればいいのさ」
フリギア帽子。
ローマ人の奴隷から解放された者が被る明かし。だが、それは俺が自由人である事を示すものではない。枝の皮を削り取った彼らは、自分達の技術を誇示すように、アーチ型にトゲハマナツメを絡め始めた。
「くっそ!また棘が!」
「どうした?カッシウス。指先でも切ったか?」
「はい。さっきから刺さってしまって」
「それじゃナザレの大工に苦痛を与える前に、お前が串刺しだ」
七十本の棘を揃えたトゲハマナツメの枝で、あの奇妙な連中達は、この俺に誂え向きの王冠を拵えているとさ。ふざけるな!教条主義的な選民思想の連中の王など、俺は真っ平だ。
「ロンギヌス隊長、できました!」
「うむ、カッシウス。ではヘロデ王がナザレの大工に与えた、紫色のローブも一緒に持って来い!」
何という事だ。鞭打ち二十回では飽き足らず、今度は手製の拷問器具に愚弄か。するとロンギヌスが俺の目を睨みながら、一気に荊の冠を被せた。
「うがああああ!」
痛い!痛い!頭全体がまるで火の山のように熱く、荊があちらこちらを鋭く刺し、激しい痛みと傷みが俺自身を更に苦しめる。
「よーし、カッシウス。こいつに紫色のローブを着させろ」
これはシルクか?何と高価な物を。わざわざ俺を愚弄するために、あのヘロデ王は俺に与えた。実の兄の嫁を娶り、その娘サロメに欲情し、洗礼者ヨハネにそのことを指摘されれば、サロメの望むよう斬首した王。
「ダヴィデの子孫でユダヤの王、万歳!」
ローマ兵士達は無邪気な子供のように、この俺の哀れな姿を茶化している。罰当たりな連中め!神は善人にも悪人にも太陽を注がれるが、貴様らのような悪人には、天国の扉は開かれないぞ!
「よーし、もういいだろう。これで十分、ユダヤ人には挑発的になるだろう」
「ロンギヌス隊長、何だってわざわざ奴らユダヤ人を挑発する必要があるんですか?」
「ピラトゥス様はユダヤ人の反乱を抑える為に、誰が自分達の主であるかを分からせたいのさ」
「なるほど。つまり、属州如きが独立なんか目指したら、ナザレの大工と同じ運命を辿るぞって事ですね?」
全く奴らには舌を巻く。ローマ人は全てにおいて、実用的なのだからな。磔刑される者でさえ、政治的なデモストレーションに利用してしまう。我らユダヤ人はその点感情的だ。罪人には投石をして憂さ晴らしをすればいい。
「おい!立て!ナザレの大工!」
くそ。散々痛めつけておいて立てだと?何を矛盾した事を言ってやがるんだ!ふざけるな!もうそんな力は……。
「残っていないのか?そうか?」
く、首を締めてどうするんだ?!くっそう!息が、息ができない!苦しい!何という握力だ。くっそう!外せ!この手を外せ。
「ほれ見ろ、ナザレの大工。まだまだ手が動くではないか。さぁ、立て!」
残酷な連中め。瀕死の状態に俺を追い込み、足掻いたその力を使えというのか?!これが人間のする事か?!貴様らは自分の身内や家族にも、同じ事ができるのか?!
「ほれ見ろ!ナザレの大工。隠し事はいかんな。まだまだ力は残ってるだろうが」
「……」
何故、家族や兄弟を愛するように、今、目の前にいる人物に、少しの慈悲を与えようとしないんだ?そんなに難しい事ではないだろう?貴様らが牛魔で無いのなら、この血の色は何色に見える?貴様らと同じ色だろうが!
「カッシウス!磔刑台になる木材を持って来い!」
ああ。あれが十字架か。何と大きいのだろうか。何と重そうなんだ。これをこの俺に担げというのか?通常ならば、磔刑場に既に用意されているものなのに!ローマ帝国への国家反逆罪が、ユダヤ人への見せしめにさせるつもるなのか。
「跪け、ナザレの大工」
「……」
「そしてこの十字架を、肩から担ぐんだ」
こんなバランスの悪い状態で、こんなにも大きな木材を担げというのか?右肩に載せられた木材を、二度、三度持ち上げても、十字架の根元部分が地面から離れる事は無い。このまま根元は引きずるしかないのか?
「よーし!門を開け!今からゴルゴタ丘の磔刑場まで、ナザレの大工を連行する!」
続く




