第二十九話 デザートとスパダリ
「まず、デザートとは何か」
所長はタブレットをテーブルに置くと、妙に真剣な顔で語り始めた。
「食事の最後に提供され、人々に幸福感と満足感を与える存在だ」
「はあ……」
「そして、スパダリもまた同じだ。物語の中でヒロインに幸福感や安心感を与え、その人生を豊かにする」
……きたきた。
ラーメンのときもそうだったが、所長はこういう話になると妙に熱が入る。
「どちらも、なくても生きてはいける。だが、あると人生が豊かになる。そうだろう?」
「まあ、それはそうですけど」
「食事の最後にデザートが出てきたら、ちょっと嬉しいだろう。物語も同じだ。戦闘や陰謀、すれ違いといったメインディッシュを味わったあと、ヒロインが最高のスパダリから愛情を注がれる。読者はそこで幸福感に包まれるわけだ」
「……なるほど?」
言いたいことは、なんとなくわかる。
確かに、苦労してきたヒロインが最後に報われる展開は気持ちがいい。そこで相手の男性が最高に魅力的なら、なおさらだ。
「読者が『尊い』『結婚しろ』と叫びたくなるようなスパダリを用意する。それが我々の仕事だ」
「叫ぶんですか?」
「ああ。叫ぶとも」
即答で言い切ると、指を二本立てる。
「では、次の共通点だ。どちらも『甘い』」
「……はい?」
「デザートは甘い。そして、スパダリもまた甘い」
「いや、スパダリに味なんてないですよね?」
「もちろんだ。だが、ヒロインに向ける言葉や態度には、とろけるような甘さが必要になる。では、例えば、ヒロインが失敗して落ち込んでいるとき、スパダリはどうすると思う?」
「えっと……励ましたり、慰めたり?」
「そうだ。ただ『失敗したのは君の責任だ』と正論を突きつけるだけでは、ヒロインの心は救われない。ときには失敗ごと受け止め、ときには不安を取り除き、ときには言葉よりも先に手を差し伸べる」
「なるほど……」
「そして、ヒロインが自分を責めているなら、『君は悪くない』と伝える。自信をなくしているなら、『僕は君を信じている』と支える。そうやって、相手の心を満たしていくわけだ。つまり、スパダリの甘さとは、単に甘い言葉を並べることではない。相手が必要としているものを理解し、それを与えることにある」
「……あれ? なんだか、まともな話ですね」
「なんだと思っていたんだ」
「いえ、もっと砂糖をぶちまけるみたいな話かと……」
「それも一つの手法ではある」
「あるんですか!?」
「もちろん。耳元で愛を囁き、惜しみなく褒め、望むものを与え、何があっても味方でいる。そういう甘さを求める読者もいるからな」
所長は机に両肘を置き、目の前で手を組んだ。
「ただし、甘ければ甘いほどいいとは限らない。砂糖を入れすぎれば、せっかくのデザートもくどくなるだろう?」
「……それは、そうですね」
「スパダリも同じだ。どんな場面でも甘い言葉ばかりでは、ありがたみが薄れてしまう。普段は厳しい男が、ヒロインの前でだけ優しくなる。いつもは余裕のある男が、彼女のことになると調子を崩す。そういった変化もまた、甘さを引き立てる」
「なるほど。普段とのギャップが大事なんですね」
「そういうことだ」
所長は満足げに頷いた。
……むむぅ。話を聞いているうちに、だんだん納得してきてしまった。いや、洗脳かも。でも、確かに甘いものだって、ただ甘ければいいわけじゃない。苦みや酸味があるからこそ、甘さが際立つこともある。スパダリも同じなのかもしれない。
――ガラガラガラガラ
そのとき、硬質な車輪の音が店内に響いた。
何気なく音のする方へ目を向けると、店員さんが一台の台車を押してこちらへ向かってくる。上には、ホテルのレストランなどで見かける銀色のドームカバーが載せられていて、中に何が入っているのかはまったくわからなかった。
……でっかぁー。
台車はそのまま私たちのテーブルの前までやってくると、ぴたりと止まった。
「パフェをご注文のお客様」
「は、はい!」
反射的に返事をする。
店員さんはにこやかに頷き、銀色の蓋に手をかけた。
「お待たせいたしました。こちら、スーパー・ウルトラ・グレート・デリシャス・トロピカル・ボンバーパフェでございます」
「……はい?」
目を見開き、所長が聞き返した。驚いているのは顔を見ればわかる。ただ、それがパフェの名前の長さなのか、聞き取れなかったことなのかはわからなかった。
『スーパー・ウルトラ・グレート・デリシャス・トロピカル・ボンバーパフェ』。その名前が出た瞬間から店内はざわついている。ちらちらとこちらを窺う客もいた。
店員さんが蓋を持ち上げる。
「うわっ、でかっ!」
「嘘だろ……」
「パフェ界の二郎系かよ」
驚きの声があちこちから上がる。
私たちの目の前に現れたのは、台座の上に鎮座する巨大な金魚鉢。そこには、そびえ立つクリームの塔に、これでもかと突き刺さったフルーツ。色とりどりのアイスクリームに、滝のように流れ落ちるチョコレートソース。頂上には大きなパイナップルが王冠のように載り、その周囲を何本ものポッキーが取り囲んでいる。金魚鉢の底には、まだまだ大量のフルーツやコーンフレークが見え隠れしていた。
ドンッ、と重い音を立てて、巨大なパフェがテーブルに置かれる。
目の前にそびえ立つその姿は、もはやパフェというより建造物だ。向かいに座っているはずの所長の姿も、パフェに半分ほど隠れてしまっている。
「食べきれるのか、それ」
「んー、まぁ、今日はお昼少なめでしたし」
――甘いものは別腹だしね♪
そんなことを考えているうちに、今度は所長の前にも注文したデザートが運ばれてきた。
お皿の上に並んでいるのは、茶色い塊が三つ。
「その揚げシュウマイみたいなの何ですか?」
「知らないのか。これは『カヌレ』だ」
「やだなー、知ってるに決まってるじゃないですか。動画の一覧で小さく表示されてるやつですよね」
「それは、サムネ」
「引っ越しの梱包とか、何かを固定するのに使う――」
「それはガムテ」
「イタリア語で恋人を示す――」
「それはアモーレ」
「お代官様ぁ、おやめくださいぃー」
「む。……それはお戯れだ」
「所長、凄いですね」
「凄いのは朝倉だろ」
所長は呆れた顔で私を見ていた。どうやら、これ以上は付き合ってくれないらしい。
「カヌレはスパダリで言うと、ダザムのようなデザートだ。一つ食べてみるといい」
そう言って、所長は皿の上のカヌレに目を向けた。
――揚げシュウマイみたいなこのお菓子が、ダザム?
私は改めて、茶色い塊をまじまじと見つめた。
小さなカヌレを指先でつまみ、口元へ運ぶ。艶のある濃い琥珀色の表面には、焼き上げられた生地の香ばしさが凝縮されている。鼻先をくすぐる甘い香りに誘われるまま、ひと口かじった。
カリッ、と小気味よい音がする。薄い殻を破ると、中からもっちりとした生地が現れた。噛みしめるほどに広がるバニラとバターの豊かな風味。その中心にはチョコレートが隠れていた。とろりとした少し熱いチョコレートが舌に絡みつく。カカオのほろ苦さと濃厚な甘みが香ばしい生地と溶け合い、口いっぱいに幸せが広がった。
「……おいしい」
小さなひと粒に詰め込まれた、香ばしさと甘さの贅沢な調和が、私の脳に、ゴーンゴーンと幸せの鐘の音色を鳴らしている。なんかラッパを持った天使も見える気がする。
「パフェをスパダリで例えるなら、王子様系と言えるだろう」
所長は自分のカヌレを一つつまみ、しげしげと眺めた。
「見た目が華やかで、ひと目で人を惹きつける。たっぷりのクリームに色とりどりのフルーツ、アイスクリームまで乗っている。どこから食べても甘くておいしい。まさに王子様だ」
私は目の前の巨大なパフェに視線を向けた。確かに、王子様と呼ぶにふさわしいかもしれない。少なくとも、登場した瞬間に周囲の注目を集めるという点では間違いない。
「では、ダザムのようなスパダリは?」
所長がカヌレを軽く持ち上げた。
「カヌレだ」
「……カヌレですか?」
「ああ。まず、この見た目だ。華やかさとは無縁で、色も地味だろう。初めて見た人間なら、これが本当においしいのかと疑うかもしれない」
ひどい言いようだ。目の前のカヌレは、確かに茶色い塊にしか見えないけれど。
「だが、ひと口食べれば印象が変わる。外側は香ばしく、中はしっとりとしていて、ほのかな甘みがある。外見の無骨さとは裏腹に、内側にはやさしさが詰まっているわけだ」
なるほど。確かにダザムは、見た目も言動も豪快で、ちょっとやそっとのことでは動じない。でも、リディアを守るときの彼は、誰よりも頼もしくて、彼女の気持ちを大切にしていた。
「それに、カヌレは派手なトッピングに頼らなくても、ちゃんとおいしい。ダザムも同じだ。飾り立てなくても、そこにいるだけで相手を安心させる。何かあれば真っ先に駆けつけ、言葉だけではなく行動で示す。そういう男は強い」
所長は皿に残ったカヌレを見つめた。
「華やかさで目を引くのも才能だ。だが、長く一緒にいる相手にとって大切なのは、見た目の輝きだけじゃない。そばにいると安心できること。自分を大切にしてくれること。そして、何があっても簡単には折れないことだ」
私は改めてカヌレを見つめた。
さっきまでは揚げシュウマイにしか見えなかった茶色い塊が、今ではなんだか王冠のように輝いて見える。見た目は地味でも、中にはちゃんと魅力が詰まっている。なるほど、これがダザムの魅力というわけか。
私はもう一つカヌレをつまみ、口に運んだ。
「あぁ。おいしい。なんかスパダリって感じがわかってきました」
「おい。三つしかないのに二つも」
「まぁまぁ。私のパフェ半分あげますから」
重戦車のような金魚鉢がギラリと光る。
「いや、半分は遠慮しておこう。……四分の一、いや十分の一で十分だ」
◇
デザートをすっかり堪能し、私たちは店を後にした。
「今日はありがとうございました。ごちそうさまでした」
「気にするな。俺も楽しかったよ」
所長に礼を言い、駅まで一緒に歩いた私たちは、改札を抜けたところで別れた。
私は今、駅のホームで電車を待っている。
口の中には、まだカヌレの香ばしさとパフェの甘さが残っていた。お腹もいっぱいだし、すっかり満足だ。
……それにしても、スパダリとデザートか。
所長の講義を思い返していると、自然と頬が緩んだ。
……楽しかったなぁ。
ふと、物語の中に入ったときのことを思い出す。
あのときは、目の前のことで精いっぱいだった。所長に助けてもらってばかりで、自分にできたことはほんのわずか。もっと早く動けていたら、もっと役に立てていたら。そんな後悔は、まだ心のどこかに残っている。でも――。
――今度は、もっと活躍したいな。
次に物語へ入るときは、今度こそ自分の力で誰かを助けたい。
たとえば、魔物に立ち向かう所長がピンチになったところへ、私が魔法をぶっぱなしながら颯爽と現れる。そう、勇者として。
そんな妄想をして、思わず吹き出した。
ちょうどそのとき、電車がホームに滑り込んできた。
私は鼻歌交じりに乗り込み、空いている席に腰を下ろす。
明日からも仕事は続くし、覚えることだって山ほどある。それでも、さっきまで胸の奥に居座っていた重苦しさは、いつの間にか消えていた。
――次はもっと頑張ろう。
窓の外を流れる夜の景色を眺めながら、私は小さく笑った。
第二章 スパダリと欠点 ー 完 ー
フォンダンショコラと迷いました。
次は二・五章に続きます。




