第9話
◇
現実から逃げるみたいにベッドへ潜り込み、毛布を頭まで被ったまま目を閉じていると、いつの間にかそのまま眠ってしまっていたらしい。
夢を見ていたのかどうかもよく覚えていない。ただ、意識の奥の方でずっと、白い雪の景色と朝の交差点の眩しい空だけがぼんやり混ざり合っていて、眠っている間も頭のどこかが落ち着かなかった。
「お姉ちゃん?」
部屋のドアをノックする音と一緒に、梨紗の声が聞こえてくる。
「……ゔ〜……」
毛布に顔を埋めたまま唸るような返事をすると、「なにその声」と呆れたように笑う気配がした。
私は重たい瞼を無理やり開けて、ぼんやりと天井を見上げる。部屋の中はすっかり暗くなり始めていて、カーテンの隙間から差し込む外の光も、昼間の白さではなく夕方特有の薄青い色へ変わっていた。
……あれ、寝てた?
枕元に置いていたスマホを掴んで時間を確認すると、時刻はもう夕方の五時を回っていた。
こんな時間まで寝てたんだ。
頭がぼんやりする。
というか、変な夢を見続けたあとみたいに現実感がうまく戻ってこない。
けれど、窓の外を見れば雪は相変わらず降っているし、部屋の暖房は低い音を立てながら動き続けていて、その全部が「ここは冬ですよ」と現実を押しつけてくる。
「買い出し行くで」
ドアのところで梨紗がそう言った。私は毛布の中から半分だけ顔を出して、ぼんやり妹を見る。
……ほんとにクリスマスパーティやるんだ。
いや、そりゃまあ、今日が“クリスマスイブ”だって言うなら普通のことなんだけど。
でも私の感覚だと、つい数時間前まで夏休み明けだったのだ。花火大会のこと考えて、放課後どこ集合する?とか、確かそんな話をしていたはずなのに、気づけばクリスマスパーティの買い出しへ連れていかれようとしている。
季節感がバグるとかいうレベルじゃない。
頭の中だけ夏のまま取り残されている感じがして、世界と自分の感覚がうまく噛み合わなかった。
「……めんど」
「はよ準備して。母さん待っとるから」
梨紗は容赦なくそう言い放つと、私の返事も聞かずにさっさと階段を降りていく。その背中を見送りながら、私は大きくため息を吐いた。
行きたくない。
というか、今はそれどころじゃない。
でもだからといって部屋に閉じこもっていても、頭の中のモヤモヤが消えるわけでもなかった。私は観念してベッドから起き上がり、適当に部屋着へ着替え始める。制服を脱いだ瞬間、昼間に外を走り回ったせいか身体がやけに冷えていることに気づいた。
「ハックショイ!」
盛大なくしゃみが出た。
鼻の奥がつんとする。
あ、これヤバいかも。
たぶん風邪引いた。
そりゃそうだ。真冬の格好もせずに雪の中を走り回っていたのだから、体調を崩さない方がおかしい。
「大丈夫?」
下から戻ってきた梨紗が、ドアの隙間から顔だけ覗かせて聞いてくる。
「うーん……まあね」
適当に返事をしながら、私はセーターの袖へ腕を通した。
大丈夫かどうかで言えば、全然大丈夫じゃない。
頭の中はぐちゃぐちゃだし、自分が生きてるのか死んでるのかすらよくわからないし、未来から来たとかいう意味不明な幼馴染に、「お前は半年後に死ぬ」なんて言われたばかりだ。
問題なんて山積みだった。
でも、今それを考えたところで答えが出るわけじゃない。
むしろ考えれば考えるほど、不安だけが膨らんでいく。
だから私は、一旦全部忘れることにした。
考えるのはあと。
今はとりあえず、目の前の現実だけ見ていよう。
母さんが運転する車へ乗り込み、私たちは近くのショッピングモールへ向かった。フロントガラスの向こうでは雪がちらちら舞っていて、ワイパーが一定のリズムで水滴を払い続けている。
通りすがりの街は、昼間よりさらにクリスマス色が濃くなっていた。コンビニの入口にはサンタの格好をしたクマのぬいぐるみが飾られ、街路樹にはイルミネーションが巻き付けられていて、ファミレスの駐車場では子供たちがはしゃぎながら雪を投げ合っている。
どこへ行っても“クリスマスイブ”だった。
「クリスマスとか、ほんとにふざけんなよ……」
思わず小声で呟くと、運転席の母さんがバックミラー越しにこちらを見る。
「なんか言うた?」
「……別に」
私は窓の外へ視線を逸らした。もし今が本当に2013年なら、今日は家族みんなでクリスマスパーティをする日だ。
去年のことを、ふと思い出す。
確か、今から向かうショッピングモールの生鮮売り場で、巨大な七面鳥が売られていたんだ。普通にステーキ肉を買う予定だったのに、それを見た梨紗が突然、「今年これ食べようや!」とか言い出して、母さんまで「ええやん」とか乗っかり始めたせいで、売り場の前で家族会議が始まった。
私は普通にステーキが食べたかった。だから最終的に、「勝った方が食べたい肉を選べる」という謎ルールのジャンケン勝負になったのだ。
そして、負けた。
完敗だった。
結果、超巨大な七面鳥が食卓へ並ぶことになったのだけど、案の定そんなもの食べ切れるわけがなく、翌日には余った肉をタッパーに詰めて近所へ配り歩く羽目になった。
しかも配りに行ったの、私だからね?
「今年は普通のでええやろ……」
ぼそっと呟くと、助手席の梨紗が振り返る。
「なにが?」
「いや、別に」
まさか“去年の七面鳥事件”を思い出してました、なんて言えるわけもない。
だって今のこの世界では、まだその出来事は起きていないのだから。
その違和感が、また胸の奥をざわつかせる。
車を駐車場へ停めると、私たちは最寄りのエレベーターへ向かった。館内は暖房が効いていて、外の冷たい空気で強張っていた身体が少しだけ緩む。
エレベーターの中では、クリスマス仕様のBGMが流れていた。
またクリスマス。
どこ行ってもクリスマス。
もう勘弁してほしい。
「今日なに食べる?」
梨紗が楽しそうに聞いてくる。
「行ってから決めようや」
「母さんは?」
「なんでもええ」
母さんは相変わらず適当だった。
私は少し考えてから、「ステーキがいい」と言った。
その瞬間、梨紗が露骨に嫌そうな顔をする。
「ステーキとか高いやん」
「いや、あんた去年もっと高い肉買ったやん」
「え?」
「……いや、なんでもない」
危ない。
つい口が滑りかけた。
私は慌てて誤魔化しながら、エレベーターの扉が開くのを待つ。
だって本当に、あんた去年もっと高い肉買ったからね?
鳥一匹丸ごと抱えて帰って、「クリスマスっぽいやろ!」とかテンション上がってたけど、結局食べ切れなくて、翌日には冷蔵庫が七面鳥だらけになっていたんだから。しかも最後、余った肉を袋詰めにしてタッパーへ入れ、「お裾分けです〜」とか言いながら近所回ったの、全部私だからな?
あの時の寒さと気まずさ、今でもちゃんと覚えてるんだけど。




