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鉄の帳

 次元を渡る途中、シルゼーロマは胸中で確認していた。

 自分の気持ちを揺るぎないものにするため、そして、香乃に誤解を招くような言動をしないために。


 いいですか、カノさん。

 私がカノさんの世界に行くことに賛成したのは、是か非でも陸猩族から逃げ延びるためです。

 少しでも現状を打開できたら、即座に元の世界に戻ります。


 理想の段階を越えるまでに、多少なりとカノさんの世界の住人に迷惑をかけることになるでしょう。その時は本当に申し訳なく思います。


 少しの間、そう、ほんの少しの間でいいのです。

 イズトリカムを助けるために、利用させてください。




 次元渡航を終えた直後にシルゼーロマの目に飛び込んできたのは、眩い光で満ちた夜の町だった。


 深い暗闇で慣らした目はすぐにはそれに順応できず、シルゼーロマは一瞬だけ目を瞑ってしまう。

 飛行バランスを崩し、ふらつきを見せる。


「シルゼーロマ、前!前っ!」


 背中から声がかかり、シルゼーロマは必死で瞼をこじ開ける。

 飛ぶ先には、飛行経路を塞ぐように通路のような物が横渡になっていた。


「ッ!」


 まだ明るさに慣れていないシルゼーロマは柄にもなく力任せに羽ばたき、高度を上げた。

 空気を沈ませ、浮力を持たせる。突風が生み出され、下から人間の悲鳴が上がった。


 まるで乗り上げるように間一髪で歩道橋を飛び越え、再び元の高度に戻ろうとする。

 しかし、香乃がそれを制する。


「低くしちゃだめ!電線に引っかかっちゃう!」


 理解不能の域を易々と超え、シルゼーロマは考えるよりも先に羽ばたく力を込める。

 何のことだかさっぱりなシルゼーロマだが、とりあえず飛び方を確認するようにバランスを取った。


「大丈夫?シルゼーロマ」


 こちらも必死でしがみついていた香乃は、後ろからシルゼーロマを心配して再び声をかけた。

 次元移動の最中は訳が分からず余裕などなかったが、自分の慣れ親しんだ町の風景が目に飛び込んできたら不思議と気持ちが落ち着いた。そのおかげかどうかは知らないが、シルゼーロマが目の前の歩道橋に気づいていなかったようなので教えることができたのだ。


 徐々に目が慣れてきたシルゼーロマはようやく冷静さを取り戻し、香乃に返事をする。


「…ええ、もう大丈夫です」


 人間と同じように、天竜族にも明順応は備わっている。人のそれとはやや遅いが、訓練を積んでいるシルゼーロマは同族の平均よりもずっと早く順応していた。


「よかった。低く飛ぶと危ないから、なるべく高めに飛んでね。だいたい六階くらいの高さがいいと思う」


 助言をもらったシルゼーロマだったが、言葉の意味が分からず何も答えられなかった。

 何らかの単位のように聞こえたが、何の単位か今すぐに思い当てることができない。


 視界が回復し、シルゼーロマは改めて香乃の世界、すなわち地球の町を見渡す。


 就寝してもおかしくはない時刻だと思うのだが、町中には香乃と同じような体格をした生き物で溢れていた。

 服装や頭髪などの外見から大まかに男女の区別は付くが、中には瞬時に区別しかねる者もいる。というより、頭髪の色が黒や茶色や黄色だったり、肌が黄色や黒や白だったりと、外見に少数ではあるが異なる者もおり、特徴が一律でない。強いて言うならば二足歩行ぐらいか。


 シルゼーロマは今、通行路の上を飛んでいる。中心と両端の二種類に区分されており、先ほどから観察している人間はその両端を通っている。

 中心は広い幅が使われており、その中を固そうな物がいくつも行き来していた。どれも高速で、シルゼーロマの飛行速度に匹敵し得る。


 通行路の歩道の隣には、人間の住処と思われる物体が肩を並べて建っている。どれも硬質で、人間の平均的な体格を考えるとやや巨大ではないかと思う。

 種類は様々だが、建物の壁には透明な壁が等間隔で混在しており、そこから中の様子が見えるようになっている。


 あらゆる建物、そして通行路の所々に設置されてある証明台から、光が溢れている。炎のような熱源は見られず、しかし炎よりも遙かに明るい。

 どんな仕組みでこれを実現させているのか、見ただけでは類推すらできない。


 空を見上げると雲の少ない夜空が広がっている。しかし、町の明るさのせいか始めからそうなのか、向こうの世界にはある星は見えない。

 代わりに、巨大な星が一つだけ夜空に浮かんでいる。あまりにも大きく、表面の模様まで見えた。

 その巨大な星のすぐ傍を、鳥のような影が飛んでいた。鳥にしては動きがなく、翼や尾の先などから光を点灯させている。香乃の世界にも天竜がいたとは思わなかったが、なぜだか仲間とは思えず不気味に感じた。


 町並みを一望して、シルゼーロマは思う。


 一体、どうしてこうなったのか、と。

 どんな理由、どんな理想、どんな夢があったら、このような形の世界になったのだろうか、と。


 地球の歴史など聞いたこともないシルゼーロマだが、素人目に見ても町の在り方がが半端ではないことが分かる。


 自分の背丈よりもずっと重くて大きな住居を造る技術。

 炎を使わずに町を照らし出す技術。

 通路を高速で走り抜ける種族。

 空に浮かぶ巨大な星と不気味な鳥。


 向こうの世界に存在する自然な物がなく、目につく物すべてが人為的としか思えない町並み。

 あまりにも存在を異にするような種族が共存する異質さ。


 どれもシルゼーロマの常識を凌いでいた。

 正直に言えば、香乃の世界に移ると決まった瞬間、一瞬だけだが、どんな世界なのだろうと期待に胸を膨らませた。

 他の世界なら訪れたことはあるが、地球は経験がない。

 外見も文化も能力も自分とは違う種族の世界とはどんなものだろうと楽しみに思った自分がいたのだ。


 知的好奇心を押さえきれないまま地球に訪れたわけだが、果たしてこの経験は吉なのか凶なのか。そんなふうにさえ思ってしまう。

 他の目的で地球に訪れたというのに、シルゼーロマはショックを隠しきれずにいた。


 一方、なぜか黙りきってしまったシルゼーロマに香乃は疑問に思った。

 無事に次元を渡り終えたのなら、今のうちに今後どのように動いて陸猩族からの追尾を振り払うか話し合うものだと思っていた。

 ところがその話を切り出すと思っていたシルゼーロマが口を閉ざしてしまっている。


 沈黙を始めたのは先ほど自分がお勧めの飛ぶ高さを教えてからだ。彼女の性格はよく知らないが、他人から物を言われるのが好かない性格なのだろうか。

 怒りに触れてしまったのなら、知らなかったとはいえ香乃に非がある。


「あの、でしゃばったことを言ってすみませんでした。悪気はなかったんですけど……」


「え?」


 香乃にいきなり頭を下げられてシルゼーロマは動揺を隠せなかった。

 でしゃばったこと、というのは高度についての助言のことだろう。

 高度の目安を教えられたのは、地球の文化を知らないシルゼーロマにとってありがたかった。しかし、それが香乃の尊大さにどう繋がるのかが分からない。


「カノさんからの助言はとてもありがたく思っていますよ。どうしてそんなことを言うのです?」


「だって、シルゼーロマ、ずっと黙っちゃってましたので、怒ったのかなって……」


 香乃の深慮にシルゼーロマは申し訳なくなった。

 確かに町を観望していたため沈黙していたのは事実だ。

 その様子を見てシルゼーロマの機嫌が変化したと判断し、その原因が自分にあると思いこむ香乃の気遣いは、どれだけ自分が愚かしいのか痛感させられてしまう。


 他者に責任を問うのではなく、まずは己の非を探してそれを詫び、相手に不快感を与えることなく関係を築いていく。

 自分よりも体がずっと小さい種族なのに、精神面が自分たちよりもずっと高次の領域にいる。


 心が進化したから、このような町ができあがったのかもしれない。

 香乃という人間を少し理解できたシルゼーロマは、そう思った。


「違いますよ。ただ、圧巻させされる町でしたので、少し見とれてしまっていただけなんです。ほうけてしまってすみませんでした」


 シルゼーロマの感情的な理由に、香乃は呆気に取られる。


「……シルゼーロマってそういうところあるんだ……てっきりワーカホリックかと……」


「え?えっ?何ですか?」


「あ、いえ、こっちの話です、あはは……」


 呟きで失礼なことをぶっちゃけたが、シルゼーロマが横文字を理解できなかったので香乃は有耶無耶にする。


 話がかなり脱線してしまったので、香乃は今度こそはと今後の予定の打ち合わせを切り出す。

 シルゼーロマも反省して気持ちを改め、話し合う。


「無事にこっちに来たのはいいんですが、これからどうするんですか?」


 香乃の質問に、シルゼーロマは即答する。


「手段は大きく変わりません。彼らに追いつかれないように、目標地点まで移動します」


 明確な説明だが、シルゼーロマの表現に疑問を感じた。


「待って……追いつかれないようにって、こっちの世界にいれば陸猩族が来る心配はないんじゃないですか!?」


 香乃たちは次元を渡って地球に来た。陸猩族も次元を渡ってくる可能性は充分にあり得る。

 だが、異世界というのは天竜族のいる世界と地球の他にも存在することをイズとの会話で知った。

 異世界がいくつあるのかは知らないが、複数ある異世界の中で陸猩族がこの地球をピンポイントで当てることなんて不可能なのではないだろうか。


 香乃の疑問に、シルゼーロマは次元移動について補足の説明を加える。


「次元移動は痕跡が残るという性質があります。カノさんは知っているはずもありません。次元移動を行うと、実施者がどの世界に行ったか道のように痕跡が残ります。とても短時間ですが、彼らは私たちの後ろをずっと追跡していましたから跡を辿るのは充分可能だと思います」


「そ、そんな……」


 香乃は自分の提案が浅かったことを後悔した。

 違う世界に移動してしまえば陸猩族は追ってこれないんじゃないかと思って提案したのだ。


 提案した直後にシルゼーロマが血相を変えて「危険です」と言った理由が今分かった。

 あの時は香乃やイズを抱えたまま次元移動することが危険だと思っていたのだが、本当は地球に陸猩族が来ることが危険だと言っていたのだ。


 もしかしたらとんでもないことを言ってしまったのではないかと、香乃の血の気が引かれる。


 衝撃を受けている香乃に、シルゼーロマは付け加える。


「あくまでノルバノ次第ですが、彼らは決して野蛮な種族ではありません。地球の皆さんに迷惑はおかけするとは思いますが、直接実害を与えるような事態は起こすとは考えにくいです」


「ど、どうしてそんなことが言えるんですか!?しょせん他の種族のことでしょ!?」


 落ち着きのなくした声で香乃は責めるようにシルゼーロマに詰め寄る。

 対して、シルゼーロマはまるで確信しているように答える。


「彼らは、陸猩族は私たち天竜族と同じく、平和を愛する種族だからですよ、カノさん」


 そう言って、シルゼーロマは微笑んで見せた。

 香乃は諭すような彼女の態度に熱くなっていた頭が一気に冷えた。


 穏やかな声色に落ち着きを取り戻しただけではない。

 恐ろしいほどの違和感を覚えたからだ。


 いや、もっと前から感じていなかったか。

 どうしてシルゼーロマはこんなに陸猩族に詳しいのか?

 雲の上と下で分断され、互いの領域を禁断の地として足を踏み入れることを頑なに禁じているのに、なぜ?


 丁字路に差しかかり、シルゼーロマは体を垂直に傾ける。ある程度の速度で重力がかかっているので香乃も落ちることはないがさらに腕に力を入れる必要があった。

 速度を維持したまま、旋回するように丁字路を曲がる。

 いまだかつて香乃はドリフトよろしくスピードを出してカーブを曲がったことはない。


「話を戻しますが、こちらに移動しても目的地点までの距離を稼がなければなりません。こちらで移動した距離は向こうの世界にも反映されます。必要な距離を移動したら再び向こうの世界に戻りますので、ご安心を」


 香乃が質問する前にシルゼーロマは話を進める。最後の一言は香乃の気持ちを慮った社交辞令のようだ。


 問い詰めるタイミングを逃した香乃は、どう言い始めれば自然に訊けるのか思いつかない。

 訊きたい気持ちだけが溢れてそれを晒し出したいのに、もう片方の自然に見せたい気持ちが邪魔をする。

 拘る必要などないのに、それを許さない自分がいる。


 いい訊き方がひらめかず、香乃は結局訊くことをやめた。


「そういうことですので、カノさんの家はどこですか?」


「……は?」


 香乃は目が点になった。

 そういうことというのはどういうことだろうか。


「せっかくカノさんの世界に来たのですから、このままお帰りください。この先は私とイズだけで逃げます」


 突然の提案に、香乃はショックを受けた。

 これから完全に逃げ切るまで行動を共にするのだと思っていた。だが、シルゼーロマはそれを制している。


「どうしてですか!あなた達二人だけ残して、自分だけノコノコと帰れっていうんですか!」


「はい、そうです」


 香乃の猛抗議を予想していたかのように、シルゼーロマは沈着とした調子で答えた。


「陸猩族が遠距離の凶器を持ち込んだと分かった以上、カノさんを危険から遠ざけなければなりません。これは治安組織指揮官補佐としての考えです」


「そんなこと今さらでしょ!?ハイそうですかって聞けるわけないじゃないですか!」


「そうですよね、気持ちは分かります。こちらで用意した宴の料理を召し上がらないままですし」


「ちっがーう!!私そんなに食い意地悪くないっっ!!」


 香乃はシルゼーロマの耳元で思いっきり否定する。今のシルゼーロマからの勝手な発言で香乃の変な印象が町中にばらまかれたのではないかと思い、穴があったら入って埋まりたい気持ちになった。


「そんな理由じゃなくて、私にも逃げる手伝いをさせてくださいって言いたいんです!この辺は私が暮らしている町ですから道案内できます。陸猩族から逃げ切るにはここで距離を稼がないといけないんでしょう?だったら、少しでも有利になれるように協力させてください」


 わざわざ地球に来たのは陸猩族との優位性を逆転させるためだ。

 向こうの世界よりも彼らが慣れていない世界に移動し、地の利を活かして逃亡の助力とする目論見があった。


 効率よく活かすには、その土地の者に案内させるのが一番だ。

 それくらいシルゼーロマには分かっているはずである。


「きっと役に立ちますから。イズのために協力させてください」


 ここまで言われても、シルゼーロマは断らなければならない。

 これ以上こちらの事情に部外者を巻き込むわけにはいかないのだ。


 だが、香乃の献身的な姿勢と最後の言葉に、シルゼーロマの意志が揺らぐ。




 イズのために。




 地球に来る前、自分の心の中で誓うように言い聞かせた言葉をそのまま使われてしまった。


 今自分たちは何のために逃げているのか。陸猩族から逃れるためだ。

 どうして逃れなければならないのか。イズトリカムを陸猩族の手に渡してはならないからだ。

 彼らの手に渡れば、イズトリカムはほぼ確実に殺されるだろう。復讐か、他の天竜族への見せしめか、どんな理由でも後付けできそうだ。


 大切な親友であるイズトリカムを失いたくない。自分の知らない所で親友が残酷な目に遭うことに耐えられない。

 だから、自分は飛び出してきたのではないのか?

 総指揮官の言葉を振り切ってまで、イズトリカムを探しに来たのではないのか?


 自分の本音はそこに込められているのではないのか?


「……」


 かつてない葛藤に悩まされるシルゼーロマは、公私の線引きが鈍っていった。何よりも優先するべきであることを選択すると、現状ではどうしても私情が紛れ込んでしまう。


 これでいいのか?


 本当にいいのか?


 本当に正解なのか?




「……う……ん」




 誰だ今肯定したの。


 呻いたのはシルゼーロマではない。香乃の様子を窺うと、同じように不思議がっているので違うようだ。

 ということは消去法で行くと……。


「……あ、頭、痛い…」


 シルゼーロマが抱えているイズが朧気な意識で後頭部のあたりを痛がっている。気絶させるために打ち込んだ一撃が残っているらしい。


「あれ?ここ、どこ……?って、飛んでる……?」


 イズは現状を飲み込めず暢気に周囲を見回している。自分の世界とは違いすぎる文明を目の当たりにして最初のシルゼーロマと同じような反応をしているが、飛行しているのが自分の力でないことに気づくと慌て始めた。


「こ、こんな時に……」


 気絶している時間を予測してはいなかったが、まさかこの場面で回復するとは予想外だった。

 彼は一刻を争わなければならない状況で真っ先に混乱しそうな人物だ。暴走状態ではないことは幸いだが、精神面では香乃のほうが頼り甲斐がある。


 頃合いとしては最悪だとしか思えないシルゼーロマに対して、違う反応をしている人物がいた。


「おはようイズ!いきなりだけどちょっと聞いて!」


 香乃がシルゼーロマの肩越しに声をかけている。その様子は不自然に大喜びだった。


「カノ?おはよう……、えっ、シルゼーロマ!?」


 声の方を向こうと位置的に見上げる格好となったイズは、いきなり目の前に旧友の顔が現れて仰天する。


「………………目、覚めた?」


 シルゼーロマは眉間に皺を寄せつつ口元をひくひくさせながら不機嫌な声で簡単な挨拶をした。その短い言葉には、どうして今目を覚ました?というのと、暴れたら落とすというのが含まれているのだろう。

 角度の関係で香乃には見えず、その形相にイズは訳が分からないまま縮こまる。


「突然だけどねイズ!提案があるの!」


 二人の絶妙な絶望をそっちのけにしたカノが再び話しかける。


「今ちょっと込み入った複雑な事情で追われてるの!イズの世界だと逃げるのが難しかったから今私のいた世界にいるのね!これからちゃんと逃げられるように私が道案内するからそれでいいよね!?」


「へ?」


「いいよねっ!」


「あの……何のことだか分から」


「いいって言え」


「い、いいと、思う……たぶん」


「よし決定!」


 いつの間にか多数決で決める流れにしている香乃は、イズを怒濤の説明で強引に同意させることに成功した。最後の最後は脅迫だったかもしれないが細かいことは気にしない。


 いまだに状況が理解できないイズは何のことかさっぱりな様子で頭に疑問符を並べている。


「この付和雷同が……!」


 シルゼーロマの重圧感のある声にイズは震え上がった。

 シルゼーロマはイズを抱えているこの腕を放してしまおうかと邪悪な思いに駆られそうになり、自分を必死で制した。


「まあまあ、もう決まったことなんですから怒らない怒らない」


「あなたという方は……」


 物凄く嬉しそうな香乃は何の余裕かシルゼーロマを静めている。これからどんな危険が待ちかまえているのか予想できないこの状況で楽しんでいるようにしか見えない。


 だが、これで迷いはなくなった。

 不本意ではあるが、賛成できないわけではない。


 結果論だが、香乃の突飛押しもない行動力に感謝するべきなのかもしれないとシルゼーロマは一つ溜め息をついた。


「もう結構です。私も覚悟しましょう。カノさん、道案内をお願いしてもよろしいですか?」


「もちろん。どっちに行けばいいんですか?」


 シルゼーロマはある程度の方角を示す。

 あれから止まることなく町中を飛び回っているので正確には言えなくなっているが、シルゼーロマは方向感覚に自信があった。

 正確な地点へ行けなくても、可能な限りそこへ近づけさえすれば現状としては妥協できる。


 方向を知った香乃は、現在位置と自分の頭の中にある地図を照らし合わせる。


「ありゃ、駅のほうじゃないですか」


「何か問題がありますか?」


「いえ、問題ってほどじゃないんですが……」


 香乃の記憶が正しければ、向かう先には駅がある。しかもただの駅ではなく、いくつもの鉄道や新幹線、地下鉄が発着する結節点として機能している有名な駅だ。

 今が夜間帯であることが吉と出ているのか、町に目立った混乱は出ていない。だが駅構内は電車を利用する人で混雑しているし、駅前には商店街まである。販売店の中にはそろそろ営業を終えているところもあるだろうが、夜のほうが盛んになる店もある。ゲームセンターとかキャバクラとかの風俗店がその例だ。


 あまり人に見られて騒がれないといいのだが……。


「問題がないのならその方向にします。人間の方々にご迷惑をかけることになるでしょうがやむを得ません。なるべく最短経路をお願いします」


 進行方向は決まった。あとは面倒事が起きなければ問題はない。香乃はなかなか難しい注文をこの先にいる人間全員に妄想テレパシーで送っておいた。


「イズトリカム、無駄に動いてくれるな。邪魔したら叩き落とすぞ」


「う、うん……」


 女性二人に圧倒させられて口を閉ざしていたイズは気の弱い返事をする。


「……来ました。二人とも、くれぐれも舌を噛まぬよう」


 離れた位置で次元移動の振動を感じたシルゼーロマは、香乃とイズに短い指示を出す。

 これから道案内をしなければならない香乃にとっては難儀な注文をされたものだと思いながら、シルゼーロマにしっかり掴まる。


 シルゼーロマは羽ばたき方に力を込め、速度を速める。

 その羽ばたき方がどこか疲れているような気がしたのは香乃の気のせいだろうか。


 そんな香乃の心配に気づくはずもなく、シルゼーロマは全力で日本の町の空を飛んでいった。




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