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彼らの理由

 香乃は絶句した。

 天竜族の誰かが陸猩族を殺した。

 気持ちが構えていなかった香乃は、今度こそノルバノの証言を飲み込めなかった。


「我が父が用事で外出した日、次に見た父は全身を焼け落とされた姿だった。死を迎えた瞬間を見たわけではない。我輩が見たのは黒く焼け焦げた遺体でしかない。だがな、小娘。当時のこの辺り一帯に活火山はなかったし、山火事が起きてもいなかった。そのような条件下で我が父が焼死する原因は、天竜族の吐き出す火炎以外に存在しないのだ」


 ノルバノは確信したように決めつけている。その説明に、香乃ははらわたが煮えくり返りそうな気持ちになった。

 天竜族に知り合いがいるからとか、陸猩族が気に入らないからとか、そういう感情に振り回されているわけではない。ノルバノが言っていることがあまりにも空中楼閣に思えたからだ。


「そ、そんなの予想でしかないじゃない!確かなこともないのに勝手に疑うなんてどうかしてる!」


 天竜族を庇うつもりではないが、香乃は反論した。だが、ノルバノにとっては天竜族の側につくと判断するのに充分な反論だった。


「ならば他にどんな可能性があるというのだ?火事か?火元の不始末か?同胞による暗殺か?」


 ノルバノは一気にまくし立てる。


「我々とて無能ではない。考えられるあらゆる可能性を列挙しては否定する論証を見つけ出して一つ一つ打ち消した。そして否定仕切れずに最後まで残された可能性が天竜族によるものなのだ」


 陸猩族の長年の調査結果を言い終えたノルバノに、香乃は反論しきれなかった。

 どこまでが事実かは不明だ。ノルバノが嘘を言っている可能性もある。彼の父親の死因が焼死ではなく、本当は別の原因だったという考察もできなくはない。


 だが、ノルバノが異世界人である香乃に対して嘘をつく理由が思いつかなかった。

 香乃とイズが陸猩族と遭遇したのはつい先程だ。イズが翼を潰されたあと、香乃は仕方なく陸猩族に連行される形になった。その間、陸猩族からなんの尋問も受けていない。

 香乃が陸猩族のことをよく知らないのは無論だが、陸猩族にとっても香乃のことをよく知らないはずだった。


 香乃がどのような種族なのか。

 香乃とイズがどうして森の中にいたのか。

 香乃とイズはどういった関係なのか。


 陸猩族にとって、香乃という人間は未知の存在として注目されていると考えていいはずだ。

 しかし、陸猩族は何も尋ねてこないし、何の手も出してこない。


 まるで、何かをすることも必要ないとでも言っているように。


「そんなこと言ってると、今イズが暴れて火を吐いて、おんなじ思いをさせてやるんだから!」


 香乃は相手のペースに乗るまいと、今考えられる打開策を提示してノルバノ立ちを焦らせようとした。


 森から連行される時に磔にされたイズを遠目に眺めたが、完全に気絶していてぐったりとしていた。追跡するのに飛行したのだって体力を使っただろうし、一度大きく不時着して体中を地面に擦りつけた。無事だとは思えず、香乃は心配になった。


 心配だが、ここはイズに動いてもらわなければならない。行動するにはイズのような機動力を持った者の協力が必要だ。


 一眠りして目を覚ませば体力も戻るだろう。飛行は難しいが、イズは火を吐けるのだから戦力をカバーできるかもしれない。

 陸猩族が我が物顔でいられるのはイズが目を覚ますまでの束の間だと、香乃は思った。


 だが、ノルバノは一言で香乃の意図を容易く打ち砕く。


「奴は火を吐けん」


 ノルバノの発言内容に、香乃は不意打ちを食らった。


「なんでそんなこと分かるのよ?イズはドラゴンなのよ?天竜族は火を吐けるって、さっき自分で言ってたじゃない!」


 訳の分からない香乃は、ややヒステリー気味に言った。

 対して、ノルバノは至って冷静に答える。


「天竜族は吐火能力を身につけると、それの行使を繰り返すことで歯が溶解し鋭利さが失われるのだ。しかし奴は永久歯に生え変わっているにもかかわらず、全ての歯に鋭さが残っていた」


 ノルバノの観察点に、香乃も関連した記憶があった。

 イズを最初に見た時、ワニのような大きな口の中に鋭い歯が光っているのを思い出す。あれがあったせいで、香乃は得体の知れない恐怖を味わう羽目になったのだ。


「そんな、だって…」


 しかし、だ。

 イズの部屋の中央には温かい焚き火が燃えていた。あの部屋の周りに火を焚く道具なんて見当たらなかったので、焚き火はイズが用意したものだと思っていた。

 イズはドラゴンだし、香乃の知る空想と合致しているなら、火を吐くぐらいできると思っていた。


 そこまで考えて、一つ大事なことを忘れていた。


 香乃は、イズが焚き火を作る場面を見ていない。

 イズと出会ってから、イズが火を吐こうとするところを見たことがない。


 自分の記憶を、別の自分の記憶で否定する。

 香乃が知る事実を繋ぎ合わせると、その事実が浮上してしまった。


 おそらく、陸猩族もこのように事実を元にして否定や肯定を繰り返し、ノルバノの父親の死因を突き止めたのではないか。

 否定できない事柄があったからこそ、思わぬ場所から答えが見つかってしまったのではないか。


 同じような思考パターンを踏んでしまった香乃は、もう手遅れだった。

 陸猩族が天竜族を恨む理由を、否定できなくなってしまっていた。


 理解できた香乃の様子に気づいたノルバノは、部屋の隅に据えられてある台の上から、小さな球を一つ手に取った。大きさは野球のボールほど。何かの木の実のようだ。


「たとえ今の時点で貴様が理由を納得しようとも、我々の起こす行動まで納得することは叶わぬだろう。…故に」


 ノルバノはその木の実を指の力だけで勢いよく弾いた。


 飛ばされた先は、香乃の顔面。

 あまりにも突然で心の準備が整ってなかった香乃は猛スピードで向かって来る球体に一切反応できなかった。


 そのため、


「いだっ!?」


 額に激痛を走らされる羽目になった。

 脳を力ずくで揺さぶられたような衝撃が襲うが、それだけでは終わらなかった。


 強い衝撃が加わった木の実は香乃の額に衝突した瞬間、中身が一気に破裂した。

 中からは薄い靄のようなものが溢れ出し、香乃の顔の前に撒き散らされる。

 木の実をぶつけられて一瞬だけのけ反っていた香乃は、気づいた時にはその靄を思い切り吸い込んでいた。


 一瞬を終えた香乃が目を開けると、面白いぐらいに視界が霞んでいた。ノルバノの毛だらけの顔どころか、目の前にあるはずの檻でさえ焦点が合わない。

 視力が落ちたのだろうか。いや、香乃は一.五だ。


「ちょっと!いきなりなにす…る…の………」


 理由を探す間もなく、香乃はその場に昏倒した。



 目の前の捕虜に狙い通りの症状が出て、ノルバノは満足する。


『お言葉ですが、予定外の存在とはいえ、『睡蓮すいれん』まで使う必要があったんでしょうか?』


 猫被りの見張り番がノルバノに意見した。

 『睡蓮』とは、この森の中で限定された場所に群生する植物だ。果実は衝撃に弱く、その中身は揮発性があって吸い込んだ者は睡眠状態に陥る。その特性から、陸猩族は狩猟の際に用いることが多い。睡眠効果は丸一日もあるので、重宝している植物だった。


 だが、それを使わなければならないとは見張り番は思わなかった。知能も身体能力も陸猩族に劣るのに、気絶させる理由が思い当たらない。


『確かに予定外だが、同時に未知の存在という点を失念してはならん。今までは檻に監禁しても大人しくしていたが、いつ何をしてくるか予測しきれん。ならば、何かをされる前に何もできなくしておいたほうが我々の都合に良いのだ』


 自分の対処に疑問を持たれたノルバノだが、感情を荒げることなく沈着に答える。


『効果はあったが、いつ目を覚ますか分からん。しっかりと見張っておけ』


 明朗な説明と的確な判断を下したノルバノに、見張り番は尊敬の念を抱いた。真面目とは言えない自分に対しても有能さあふれる命令を出す姿が胸に響いたからだ。

 この方には応えなければならないと、自然と忠誠心が湧き上がり、


『御意』


 見張り番は本当に真面目さの感じられる返事をした。




 イズのいる檻の前では、守衛とその相方がまだやりとりを繰り返していた。


『ああもう!いつまで寝てやがるんだよコイツは!早く起きろっつの!』


『そんな都合よく起きるわけないだろ。起きたら起きたでうるさいだけだぞ』


『いいんだよ、うるさいの上等!こんな退屈な状態よりもマシだ!』


『俺は平和でいいと思うけどな』


『なあ、石ぶつければ起きっかな?』


『やめとけって。天竜族って結構頑丈らしいし』


『なら、勇気を出して尻尾を踏んづけてやるとか』


『…お前、どんだけ危険か考えてないだろ』


『じゃあよ、いっそのこともう片方の捕虜を連れてこようぜ!大事なもんが目の前にあったら飛び起きるんじゃねえか?』


『寝てたら見えないだろ』


『こいつの名前を呼ばせるんだよ。意識がなくても耳には入るだろうし』


『だからやめとけよ。かえって逆鱗に触れるかもよ?』


『それでいいんだよ!俺はコイツの怒った様子が見たいんだから!そのもう片方の捕虜だって、どうせあとで食うんだろ?』


『まあ、捕まえてても意味がなくなったら、だろうけどな。生き物なら火を通せば食えないことはないだろうし』


『んじゃいいじゃねえか。早いか遅いかなら少しでも役立たせてやろうぜ!』


『…なら訊くが、どうやって連れてくる気だ?』


『どう…って、直接向こうの牢屋に行って連れてくるんだよ』


『馬鹿かお前。檻の外に出せるわけないだろ』


『ちょっとの間でいいんだよ、ちょーっとで。少し借りるぜー、ってノリで』


『向こうに行ってる間、ここはどうするんだ?』


『ん?お前に任せるつもりだけど?』


『俺は別にいいが、ノルバノが見に来たらどうする?お前がいないことを知ったら大目玉だぞ』


『…やっぱやめとくわ』


『そうしとけ』


『あーあ、いい考えだと思ったんだけどなー』


『俺も向こうの捕虜を見てみたい気持ちはあるんだがな』


『だよなあ。ノルバノが向こうを処分する前に、コイツを暴れさせてえよ』


『お前のその熱意を真面目な方向に矯正できればどんなにいいことか』


『うはははっ!それは無理だから諦めてくれ』


 牢屋に守衛の笑い声が響く。






 檻の中で、歯ぎしりをしていたイズの口から、わずかに火の粉が漏れた。






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