火は近づくと火傷をするからみんな遠ざかる
大地に群生する、深い深い森。
静寂と喧騒、飽和と空虚、単純と複雑、それらが局所的に集合し、巨大化した自然。
一体どこが森の起源なのか見当もつかない。
あまりにも規模が拡大しているため、その面積や共生する生物を把握するのは至難の業だ。
鬱蒼とした森の中に、簡易住居を敷き詰める一団がいた。巨木の枝葉が大地と大気を隔てているため、上空からでは決して発見できない。彼らは軽くて丈夫な植物を材料に使用して一時的に住む家を作り、隠遁するつもりで構えていた。
住居の仕様には個性がなく、大きさを除けばどれも同じような外観を持っている。
木の板で囲んだ壁に草葺きの屋根を被せるという、最低限の機能のみ持たせた様式。室内の保温効果はあるが、およそ雨天に向いているとは思えない。しかし、雨粒は全て大木が繁らせる分厚い枝葉のバリアによって逸らされるため、必要のない機能とも取れる。
比較的小さな住居の中にはイズが監禁されていた。部屋は面積を檻で二分しており、その片方にイズがその大きな体を横たわらせている。
屋内は部屋の隅に据えられてある二つの篝火によって明かりがつけられている。燃料の木材がパチパチと音を鳴らし、篝の灯火が不規則に揺れて室内をゆらゆらと照らしている。
翼にはまだ杭のような丸太が刺さっている。傷口からの出血は止まっているようだが、少し擦っただけで再び血が溢れ出すだろう。瞼は固く閉じられており、目を覚ます気配がない。
柵の向こうには守衛役の陸猩族がニ名配置されている。体躯はリーダー格のそれと大して変わらないが、個々の性格が極端に異なっていた。
『しかしまぁ…』
片方が独り言のように相方へ話しかけた。
『アレだな』
相方は、守衛の勝手な呟きをスルーする代わりに至極面倒臭そうに返事を返す。
『…アレって何だ?』
『アレはアレだろ。アレに決まってるじゃないか』
『だから、何だ?』
『アレっつーのは、その…』
守衛は頭をぽりぽりと掻いて、出てこない言葉を必死に出そうと四苦八苦し、思いついたようにぽつりと言った。
『ヒマだ』
『最初からそう言え』
相方は呆れた様子を隠せなかった。
『だってよ?せっかく久方ぶりの重用任務を言い渡されたってのに、肝心の当事者が寝てるんだぜ?拍子抜けもいいところだろ』
『いいじゃないか、仕事の難易度がぐっと下がって』
『そうじゃないんだよー。俺が求めているのは違うんだよー』
守衛は悔しそうにその場で地団駄を踏む。
『もっと、こう…抵抗しまくって力ずくで檻をこじ開けようとする捕虜を期待してたんだ。そいつを前に俺は力と知恵をもって地べたにひれ伏させたいって思ってた。なのにさぁ…』
『それは仕方ないだろ。捕縛するのに必要な損傷だったんだから』
面倒臭そうに窘めるが、それが拍車にかけた。
『あーもー、ノルバノももっとやる気のある奴を捕虜にしてきてくれよー!』
守衛は自分の願望をどこかの誰かに届けるつもりで大声を出しながら仰ぐ。その様子に、相方は堪らずに溜息を一つついた。
どこか変わった熱意をもつ守衛は申し分ない実力を備えた陸猩族だ。同族での戦闘演習では毎回上位の結果を出すし、狩猟に行かせれば大物を獲ってきたり栄養価の高い食料を大量に採ってきたりする。今も捕虜のいる檻の守衛を任されていることは、それらのような結果が信頼を高め、多くの者から実力が認められているからだ。
ただ、闘争心が高いというか、体を動かすことを好む性格が一長一短の評価を生んでいる。さっきの発言も、捉える側によっては物騒だとも判断されてしまう。
自らの言動によって図らずとも誤解を生んでしまう、損な性格。
だからこそ、周囲の者が守らなければならないのだと思う。例えば、彼よりも発言に信用のある者を近くにいさせるとかだ。
相方は守衛の熱意を削がないよう、関連した小話を聞かせてやることにした。
『捕まえる際は、やる気満々だったみたいだがな』
『えっ?マジで?』
予想通り守衛は食いついてきた。顔も嬉しそうだ。
『ああ。力ずくで済まなくなったから、あんな損傷を与えざるを得なかったんだそうだ』
檻の向こうの天竜族を運び込んだ時に、偵察へ出向いていた同胞から聞いた話だった。戦闘を予期した備えがなかったとはいえ、予想よりも抵抗されたらしい。どうやら別の場所へ運び込んだ異界の民が暴れた理由のようだが、その民が捕虜の天竜族とどんな関係なのかは聞いていない。調査中というところだろう。
自分が知っている情報を守衛に話してやると、彼は目をキラキラと輝かせ、今度は頭を抱えて空を仰いだ。
『くあー!まさに俺が見たかった暴れ方じゃないか!めんどくさがらずに偵察へついていけばよかったー!』
『…お気楽者』
相方は心底呆れた。
イズが監禁されている建物よりやや離れた位置にある建物。
形は大差ないがやや小振りの建物の中に、香乃は捕われていた。
同じように、室内を二分するように檻が張られている。
薄暗さの隠せない牢屋の中で、香乃は憤慨していた。
「ちょっと!こんな所に閉じ込めてどうするつもりなの!?」
手を拘束されていないので、思う存分柵を揺すったり叩いたりしている。柵は金属ではなく何かの植物の幹を磨いた物のようだ。だが、材料の植物は相当に堅固のようで、いくら衝撃を与えてもびくともしなかった。
「ねえってば!そこにいる…人?猿?ああもう!そこにいる奴!黙ってないで何か言いなさいってば!」
周囲を気にせず汚い言葉で檻の向こうで見張りをしている陸猩族に向かって、香乃は騒ぎ立てる。しかし、言葉は通じないにしろ声は届いているはずなのに、聞こえないフリをされているようだった。つまらなそうに欠伸もしている。
こうなったら色仕掛けでもしないと太刀打ちできないだろうかと真剣に考え、手元に都合よく化粧道具はないかと香乃が辺りをキョロキョロ見回している時、出入口から別の陸猩族が入ってきた。
香乃の目には陸猩族の外見における個性を判別することができないので、たいていの場合は誰が誰だか見分けられない。
だが、今入ってきた陸猩族は違う。体格に大きな差はないが、自然の佇まいにすでに周囲を威圧するような雰囲気が漂っている。現に、さっきまで怠惰丸出しで見張り番をしていた陸猩族が、今はいかにも忠誠心丸出しですと言いたげに姿勢を正して直立していた。こんな極端な態度を見ると捕まっているのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
不良分子を正してしまうほどの驚異的な空気を撒き散らしているそいつは、間違いなくリーダー格の陸猩族だった。
リーダー格の陸猩族は見張り番に目もくれず、さも当然のように目の前を通り過ぎた。
その歩みの先は考えなくとも分かる。というか、他にない。
リーダー格はずっしりとした歩みを、香乃のいる檻の前で止めた。
照明のある部屋で目の前まで来られて、改めてその図体がいかに大きいかを知った。
見上げなければ頭が見えず、体毛のせいかどうかも不明なほどがっしりとした体格。単純な筋力では敵わないと平気で納得させられるほどに大きい。たぶん交通バスには乗れないんじゃないかと思った。
リーダー格が目の前に来たのは別に構わないが、ただ香乃を見るだけで何もしてこなかった。仲間と囁き合うわけでもなく、鼻で笑い飛ばすわけでもない。高低差で見下されているような気持ちにはなるが、それ以外は何もしてこない。
あまりにも凝視されるので、香乃は耐え兼ねてリーダー格に言った。
「ねぇ、黙ってないで何か言いなさいよ。一応待ってるんだけど」
状況的な流れとしてはそれが上等な流れだろうと思う。そうじゃないと香乃がじれったくなって困る。
「何か言いなさいってば!ついでにここから出して!」
「それはできないついでだ」
突然、リーダー格が問い掛けに答えた。
香乃は思わず絶句してしまった。寡黙だった相手が何の前触れもなく喋ったからというのも、もちろんある。
それよりも驚いたのは、リーダー格が香乃と同じ日本語を使ったことだ。
「…な、なんで、同じ言葉…?」
驚きを隠せなかった香乃は、狼狽したまま言った。その様子を見たリーダー格は、あからさまに呆れた様子を見せた。
『やはり話せんのか。異界の民にも低脳な種族がいるとはな』
「ちょっと!いきなり宇宙語で呟かないで!っていうか今すっごい失礼なこと言ったでしょ!」
地球でも異国の言語を駆使することによって暗号化を図る手段が用いられることがあるが、ここまで表立って失望したような態度を取られれば、内容はともかく意味合いぐらいなら類推できる。目的も何も分からないまま馬鹿にされるのは我慢できない。
リーダー格は騒ぎ出した香乃を一睨みし、それに怯んだ香乃は騒ぐのを半ば強制的に止められる。今度ははっきりとした敵意を持った眼差しだった。
「貴様の種族が我々の言語を理解できんようだから、こちらがわざわざ合わせてやっているのだ。無駄に騒ぐな」
今度は明朗な発音とともに命令してきた。
他の言語を聞けば使えるようになる驚異的な理解力は、どうやら天竜族だけでなく陸猩族も備えているらしい。なんか知らないが、どうやらこの世界の住民はよほど地球の学生と喧嘩したいらしい。
「いったい、なんなのよ、あなたたちは」
「貴様に質問を許した覚えはない」
リーダー格は静か過ぎる一言で香乃を黙らせる。
「貴様はただ事務的にこちらの質問に答えることだけ考えていれば良い。所詮、その低脳さで対処できる策はそれくらいだろうからな」
「言わせておけば何よそれ!毛むくじゃらのあんたらよりよっぽどマシよ!」
「貴様!ノルバノ様になんという無礼を!」
直立不動を装っていた不良見張り番が香乃の罵倒に食いついてきた。忠誠心満々、任務を全うしてますよとアピールしたいのだろうか。
「うっさい剛毛筋肉!」
ムカついたので、見た目そのまんまで表現してやった。
「あのねえ!私は天竜の国に拉致されて仕方なくこの世界にいるだけなの!あなたたちが何を企んでるのかは知らないけど、これ以上無関係な私とイズを巻き込まないで!」
「それはできぬと先刻言い付けた筈だ。理解だけでなく記憶力も劣等なのか、この種族は」
ノルバノと呼ばれたリーダー格の陸猩族はぴしゃりと拒否した。
「先刻言った通り、貴様達は人質なのだ。我等陸猩族の大志のためのな」
ノルバノは言い放つ。
手にある情報が足りない香乃には、目の前の陸猩族の状況や真意が読めなかった。
「何よ、大志って…。あなた達は何を狙ってるの!?」
ノルバノの揺らぎなく言った内容に、香乃は得体の知れない恐怖を覚えた。ただの目標や個人的な願いとは異なる感情が含まれているような気がした。
監禁している香乃に漏洩させてもさして問題ないと判断したノルバノは、種族全体が抱いている嘆願を話した。
「我等陸猩族は、天竜族共とは相容れない関係だった。数百年もの前、陸猩族と天竜族は相互の優劣差を明確化するため、誇りをかけた戦を繰り広げた。結果は陸猩族が惜敗。優性を誇示した天竜族はこの近辺で屈指の標高を持つ『久厳峰』に領地を構えた。この無念の戦果に、多くの同胞が涙を飲んだ。しかし、長い長い年月を経た今、その復讐を果たす時が訪れたのだ」
凍えそうな風が吹く空と、圧倒的な広さを持つ森。気が遠くなるほどの年月も不動だった山。幾千幾万もの生命を育み続ける大地。
イズと一緒に飛んだ空。
イズと一緒に降りた森。
驚かされ、振り回され続ける、イズの住む世界。
新たなことを知るたびに地球と同じところや違うところを感じさせる世界。
夜は綺麗な星が輝き、昼間はもっと違う風景が見られるんじゃないかと期待できる世界。
たくさんのことを見て、段々と素敵なところが分かってきたこの世界の、影の部分を知ったような気がした。
だが、あの弱気なイズを思い出す香乃は、ノルバノの語る歴史を信じることができなかった。今まで通ってきた場所に、天竜族と陸猩族の血が流れていたなんて、簡単には納得できない。
「そんなの嘘よ!天竜族がそんな野蛮なことをするわけない!」
香乃の不審的な態度に、ノルバノは焦りも困りもしなかった。ただ静香に佇むだけだった。
一つ違うのは、次のノルバノの言葉に、怒りが含まれているような気がしたことだった。
「虚言であるものか。我輩の父は天竜族に殺められたのだぞ」




