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天の竜、地の猩

今回は人によって残酷に感じられるシーンがあります。

表現は自重しているつもりですが、苦手な方は前ページへお戻りください。

せっかく読んだくださっているのに、申し訳なく存じます。

 

 目の前でイズが殴り倒された。 身動きすることも封じられ、ただだた一方的に打ち伏せられた。

 目の前で起きた集団リンチに、香乃は彼の名を叫ぶ。


「イズ!イズー!」


 なぜこんなことが起きているのか分からない。何がこんな待遇に繋がっているのかが分からない。

 何か悪いことをしたのか、と香乃は自問する。香乃達はただ天竜の国から雲の下に下りて、広すぎる森の一角に入っただけだ。

 香乃はこっちの世界の常識や禁則を知らない。善悪の分別を判断する知識があまりにも不足している。

 しかし、今目の前で起きていることは「知らなかった」で済まないいのだということを、本能的な恐怖とともに知った。

 そして、香乃を捕縛し、イズを殴り倒した目の前のそれらは、自分達にとって味方でも親交的な関係でもないことは察した。


「仝¥【∋∂▼Γ」


「∠я∬£ゝ、―≦ΘЖЬч∩」


 毛むくじゃらのそれらは香乃の知らない言語で会話をしている。香乃がいくら叫んでも意に介している様子はない。いかにも興味を示さない風で、香乃がいくら叫んでもそれは彼らにとって獲物が無駄な抵抗と言わんばかりに喚き散らしているくらいにしか考えていないように思えた。

 イズのような言語理解などできないため、抵抗どころか介入する余地もない。


 こいつらは何だ。 こいつらはどうするか。


 そんな内容が聞こえてきそうだった。

 はっきりと聞き取れたわけではない。毛むくじゃらのそれらは香乃の知っている言語を一切使っていない。

 あくまでも予想でしかない。しかし、自分の正誤を区別する情報もない。

 「かもしれない」という、万に一つの可能性は、自分の根拠もない予想を確かなものへ昇格させるのに充分だった。


 自分で判断できないため、どんな予想でも正解に思えてくる。

 何を話しているのか。

 答えは今まさに自分の周りで飛び回っているのに、無知な自分はそれを掴み取ることができない。

 知らない国へ放り込まれる恐怖を、香乃はここで思い知らされた。


 毛むくじゃらのそれらは少しの間検討すると、そのうちの一人の合図によって動き始めた。

 イズにのしかかっていた数名は、彼を運ぼうとしているのか、イズの下に潜り込もうとしている。

 香乃は捕縛している毛むくじゃらにそのまま連行されるようだった。


「ちょっと、ねえ!待って!離してって言ってるでしょ!無視しないでよ!」


 香乃は必死に抵抗した。なんとか手足を動かそうと、じたばたと暴れる。だが、毛むくじゃらの力は強く、やっぱり緩む気配がない。

 毛むくじゃらの体格は、イズよりは小さいようだが、それでも香乃よりずっと高い。体格差に加えて単純な腕力でも適いそうにない。


 このままではダメだ。何かで抵抗しないと。

 そう思うが、身動きを封じられ、腕力で勝てそうもない相手に、今の香乃は全くの無力だった。


 このまま相手の思い通りにされていく。

 不条理な接遇に、香乃は唇を強く結んだ。



『…ま、待て』


 聞き慣れた声に、香乃ははっとなった。毛むくじゃらのそれらも同じように驚いている。

 今からまさに運搬されようとしていたイズは、体を重たそうに起き上がる。


『…その人を、離せ…!』


 香乃の知らない言葉で、イズは抵抗した。

 イズが何を話しているのかは、香乃には相も変わらず理解できていない。

 イズと毛むくじゃらとが会話できるのかという重要なことも分からない。

 一つだけ確かなのは、香乃は今後の展開をイズに任せなければならないという歯痒い事実だ。


『ほう、あれを食らって動けるのか』


 毛むくじゃらの一人が言った。周囲の反応からして、この一群のリーダー格らしい。


『お前達が何なのかは知らないけど、その人にだけは手を出すな…!』


 イズが精一杯の力を込めて起き上がろうとする一方で、リーダー格の毛むくじゃらへ話しかける毛むくじゃらがいた。


『すみませんっ、力いっぱい殴ったつもりだったんですけど…』


 毛むくじゃらの一人が申し訳なさそうに言う。


『まさか、加減した、とは言うまいな?』


 リーダー格は威圧するように尋ねた。

 その様子に、訊かれた毛むくじゃらはひどく焦って弁解する。


『そそそそそんなことはありません!森羅万象に誓います!』



『ということは、奴がただの石頭だったというだけだ。気にするな』


 香乃には理解できなくて幸いだったが、言葉が通じたイズにとっては挑発としか捉えられないことを言われた。

 思考が朦朧としていてもその言葉はイズに届き、言い返そうとする。しかし、先にリーダー格の毛むくじゃらが喋り、機会を逸してしまった。


『貴様、天竜の分際で我々の存在を知らぬと申すか』


 予想外なことを尋ねられたイズは、朦朧とした思考がさらに混乱した。

 香乃だけでなくイズも雲の下の世界に来るのは今回が初めてだ。もしかしたら、雲の下へ下りたのはイズ達が初めてなのかもしれない。

 立ち入ることを禁じられていただけで予備知識も何も持っていないイズには、その質問に正答を返すことはできなかった。


『…そんなの…うぅ、気持ち悪い……知ってるわけ、ないだろ…!』


 正直に答えたイズの返答に、毛むくじゃら達から不満の声が上がる。

 至る所から罵声が飛んでくるので言い返そうかと思ったが、その前にリーダー格の毛むくじゃらが一喝し、静かになった。どういうつもりなのか、さっきからイズの発言権を奪っているようで不完全燃焼のような気持ちになる。


『我々の存在を知らんのは不愉快極まりないが、これから嫌でも知ることになるだろう。今のうちに、その矮小な脳味噌に刻み付けて措くがいい』


 不意に、夜空が明るくなった。雲に隙間が開いたのか星の光が届き、毛むくじゃら達の全貌が明るみに出た。

 わずかな星の光によって、暗闇からいくつもの姿が浮き上がる。

 いつからそうだったのか、香乃とイズは彼らに囲まれていた。


『我々は陸猩族りくじょうぞく。太古より母なる大地の秩序と共に生きる高尚な種族だ』


 香乃の世界でいえば、オランウータンに似ているだろうか。二足歩行で地に立ち、少し前傾した姿勢を保って佇んでいる。長い腕を持ち、その先端には五本に分かれた指がある。

 オランウータンと違うのは、その体格だ。その身長はイズには及ばないものの、香乃よりはずっと大きい。捕縛されているとはいえ一応立っている香乃の頭が、毛むくじゃらの胸か腹だと思われる高さにある。

 手の平以外は黒くて濃い体毛に覆われており、肉体そのものを窺うことはできない。しかし、香乃に気づかれずに背後へ回ったことやイズに奇襲したことから、かなりの運動能力を有していることは推察できた。

 首から上も体毛で覆われており、人間と同じような場所には山吹色に光る目が不気味に浮かんでいる。イズや香乃と違って、陸猩族は夜目が利くらしい。


『貴様等にはこれから人質となってもらう。無駄な抵抗はするな』


 毛むくじゃら改め、陸猩族のリーダー格は自己紹介を端的に済ませ、用件を冷ややかに言った。

 イズは陸猩族が言ったことに耳を疑った。


『人質、だって…?なんで僕たちを捉える?』


『貴様等は知らんで良いことだ。直に自然と知るだろう』


 イズの質問に陸猩族は答えず、曖昧な返答だけ投げて寄越した。

 用は済んだと言わんばかりに、リーダー格が大きな掛け声を上げる。

 周囲を取り囲んでいた陸猩族が一斉に円の半径を狭めてきた。香乃は捕縛役に肩で担がれると、そのまま森の奥へ連れて行かれる。


「ちょ、待っ!そんな!イズっ!」


 叫んでも捕縛役が止まってくれるわけがない。香乃を抱えているというのに陸猩族の動きは速く、すぐにイズとの距離が離れてしまった。

 視界の片隅で香乃がどこかへ連れて行かれるのをしっかりと捉えていたイズは、もう接近してきた陸猩族の群れから逃れるために飛び上がった。


 数の圧倒を一時的に凌いで安心する。

 胸を撫で下ろそうとした瞬間、頭上からわずかに枝葉同士が擦れる音がした。イズは目で確認する前に、危機回避の本能で滞空していた場所から離れる。一瞬遅れて、今さっきまでイズが滞空していた場所に陸猩族が急降下してきた。


 数が多すぎる。

 分が悪すぎる。


 イズは回復しきっていない体力を奮い立たせ、全力で翼を羽ばたかせる。一刻の早くこの付近から離れたほうがいいと考えた。

 目指す場所は香乃が連れて行かれた方向だ。


 最後に聞こえた香乃の声がイズの鼓膜に蘇る。

 自分の名を呼ぶ声。

 助けを求める声。

 自分に縋って出された心の叫び。

 香乃の声が脳内を反芻するごとに、イズは香乃を助ける義務を無意識で己に課した。


 森のほとんどは異常な大木で構成されているため、中は広い。体の大きなイズが飛行しても困難はなかった。

 香乃が背中にいない分、案じるのは自身だけでいい。文字通り荷がなくなったイズは幼少時代にも出したことのない速度で香乃のもとへ向かった。


 できるだけ最短距離で飛びたいため、イズはほとんど直線に滑空する。

 それは、追跡する側としては無難だが、追跡される側が取ってはならない行動だということを、イズはすぐに知ることになる。


 一直線に進むイズは夜目が利かない目を必死に駆使して、香乃と連れ去った陸猩族を探した。

 方向は合っているはず、と自分に言い聞かせて探していると、確信も混迷も抱く前にイズは目標を見つけた。


 進行方向と同じく、イズの前方。

 香乃を抱えた陸猩族が森の中を飛ぶように移動していた。


 香乃は肩に抱えられているため、進行方向とは逆向きにされていた。ちょうどイズと向かうようになっている。


「イズ!」


 香乃が呼ぶ。

 その表情は恐怖で強ばっており、掴めるなら藁でも掴みたいという気持ちが表れていた。

 そんな香乃の様子を見て、イズは飛行速度を上げた。


 これ以上あんな気持ちにさせてはいけない。

 少しでも早く救出しなければいけない。

 イズの中に義務を通り越した使命感が芽生えていた。


 速度を上げたので陸猩族との距離が狭まっていく。前方からの障害物に気を配りながら、必死で後を追う。


 もう少し、もうちょっと…。


 陸猩族との距離はすでにイズの身長よりも少ない。

 香乃の表情がはっきり見える距離まで来て、イズは手を伸ばした。

 香乃も手を伸ばす。


 あともう少し。あともうちょっと…!


 イズと香乃の手が届く、


 寸前。


 香乃を抱える陸猩族が急ブレーキをかけた。


「っ!?」


 驚いたイズは最高まで上げていた速度を殺すことができず、バランスを崩した。

 浮力の均衡が崩れて失速し、イズは立て直せないまま地面に突っ込む。

 長く長く転がり、全身に生傷を作ったところでようやく止まった。


「うぅ…」


「イズ!だいじょう…むぐっ!」


 香乃の心配した声が聞こえたが、口を塞がれたのか途切れた。

 だが、それで充分だった。

 イズは目で見る前に香乃の声が聞こえた方角へ再び飛翔する。

 地面を蹴った瞬間、イズの背中に強烈な衝撃が走る。

 イズがその衝撃で地面に叩きつけられてしまった。


「くっ…!」


 イズは腹這いになりながら、頭だけを上げる。何が起きたかを確かめるよりも、香乃がいるであろう方向を見上げた。

 香乃の周りにはいつの間にかいくつもの陸猩族が集っていた。イズは直線に移動していたため、追跡する側としては安易に追うことができたようだ。


 香乃は恐怖に加え、イズを見て悲しい顔付きになっている。

 イズは全身の痛みを堪え、最後の力を振り絞って香乃のもとへ行こうと立ち上がる。しかし、進もうとした時に自分の周りを陸猩族が押さえつけようと寄ってきた。これでは飛ぶどころか歩くこともできない。


 振り解こうとしても陸猩族は離れず、体力が徐々に奪われる。

 身動きが取れなくなったイズはもどかしさでいっぱいになった。


 自分がどうなろうと気にする者なんかいない。だから自分だけが冷遇されようと一向に構わない。

 だが、香乃は違う。自分のような低劣な立場ではなく、この世界に来てくれた来客だ。こんなところで危険な目に遭うなんて許されない。

 自分が雲の下へ降りることに賛成しなければこんなことにはならなかった。香乃にあんな悲しい思いをさせずに済んだ。


 香乃を取り戻さないと、イズは自分が許せなかった。

 そのためには今すぐにでも飛びたいのに、陸猩族が抑止しているためにそれができない。

 訳の分からない連中がいるために、香乃が危険な目に遭い、香乃を助けられない。

 もどかしさから来る不満が、怒りに変換される。


『うわああああああああああああ!』


 振り解けないならと、イズは暴れるように藻掻いた。陸猩族がそれを止めようとするが、構わずがむしゃらに全身を動かす。陸猩族の力が強いとはいえ、決して適わないというわけではなかった。

 まとわりつく陸猩族を少し振り落とし、自分が出せる最大限の声で叫ぶ。


『カノを返せえ!!』


『何をしている!さっさと羽根を狙え!』


 イズの怒声と重なって、リーダー格から指示が飛んだ。

 直後、イズを取り囲んでいた陸猩族全員が一斉に後退し、距離を取った。


 前へ前へ進もうとしていたイズは急につっかえがなくなったために前のめりになる。

 バランスはすでに崩れ、地面とイズの顔との距離が近づく。

 イズは咄嗟に手を伸ばし、地面とぶつかる前に手を付こうとした。


 風が唸る。


『!』


 イズの翼に激痛が走った。

 陸猩族はイズの動きを封じるために、杭のように先端を尖らせた丸太をイズの翼に投げつけていた。

 杭は翼膜を容易に貫き、イズと地面を繋いだ。


「いやあ…!」


 香乃の目の前で、残酷な捕獲現場が行われる。

 杭は一本だけで終わらず、そのあとも投げつけられ、十数本がイズの翼に穴を開ける。


 あまりの激痛にイズは動くこともできず、そのまま倒れ込む。

 地面に磔にされ、度を超した痛覚がイズの意識を奪ってゆく。


「イズーーーーー!!」


 夜の森に香乃の悲痛な声が響く。

 自分の名を呼ぶ声さえ遠のくのをぼんやりと聞きながら、イズは完全に気を失った。

 


前書きにもあったと思いますが、今回は人によっては残酷だったかもしれません。気分を害された方、本当にすみませんでした。


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