第六十三話 最善の未来の為に
雨が上がり、数日ぶりに青空が見え始めた頃。
「このっ大馬鹿野郎!」
店の外、裏通り全体にまで響き渡る怒号、そのすぐ後に何かが高速でぶつかったかのような凄まじい破壊音が店を震わせた。
裏通りを歩いていた人々も危険を察知し、慌てて音の元凶である武器屋ゴドから離れていく。
通行人が察したように、店の中は大変な状態だった。
壁に綺麗にかけてあった剣や盾は地面に散乱し、小物を入れていた棚は潰れ、棚の背にあった壁には衝撃の余波からか大きくヒビが入っていた。
「…ぐ。」
壁からこぼれ落ちる破片で周囲に土煙が舞う中、殴られた男…執事長は口元から流れる血をぬぐい、よろよろと立ち上がった。
執事服には埃や棚や壁の細かい欠片が着いているが、そんな事を気にも留めていない。
彼の目は一カ所に向けられていた。
目の前に立つ相棒であるゴドに。
その表情は少し前にリロに剣を向けた時とは全く違っていた。
静かに冷え切った状態ではなく、激しく燃え上がる劫火のような怒りの形相をしていた。
執事長はふらつく足下を精神力だけで立て直し、ゴドの怒りを受け止める。
「…悪かったとは、思っている。」
執事長の言葉にゴドは胸ぐらを掴み、肩で息をする彼にさらに腕を振り上げようとする。
「謝る相手が違うだろうが!」
*****
話は少し前に遡る。
リロが店を飛び出して、しばらく経った後だった。
リロを追いかける事もせず、もやもやとした気分で店にいたゴドに、今度はルナが飛び込んできたのだ。
傘も差さず、雨で濡れた状態で、息を切らしながら…
この数日の彼女の様子はゴドも聞いてはいたので心配してはいたのだが、ゴドが何かを言う前にルナは
「リロさんはどこに?」
と聞いたのだ。
病み上がりのルナに、『剣を突きつけていた』とは言えなかったゴドは、リロが向かいそうな場所を考え、かつて友人と過ごしたあの隠れ家を教える事にした。
『許可』がない者は入れないと伝える前に場所を聞いたルナはすぐさま店を飛び出していき、ゴドも慌てて追いかけようとしたのだが…
「大丈夫だ。二人だけにしてあげよう。」
素知らぬ顔で現れた執事長に止められたのだ。
*****
そして、今に至る。
「……」
ゴドの振り上げた腕に対し、執事長は何の抵抗もしなかった。
殴られるのは当然だと、その目は言っていた。
…それだけの事をしたのだと。
「っ、くっそ!」
ゴドは振り上げた拳を執事長の顔…ではなく、足下に落ちていた盾に振り下ろした。
バキーーーーーーーーーーーン!
ゴドが自作した盾、『大型モンスターの攻撃も防ぐ』と絶賛された盾は粉々に砕け散った。
「…すまなかった、相棒。」
執事長の心からの謝罪にゴドは胸ぐらを掴んでいた手を放した。
「………ああ。」
ゴドの怒りはまだ消えていなかったが、ある程度落ち着いてはいた。
それは相棒の目に宿る覚悟を見ただけではなく、相棒が最低限の防御すらせず、ゴドの一撃を受けたからでもあった。
執事長の魔法は【結界魔法】である。
先日の戦いの時もそうだが、その気になれば屋敷を丸ごと覆う事が出来るほどの結界を簡単に張れるほどの力を持っているにも関わらず、彼はゴドの一撃に対し、【結界魔法】はおろか【身体強化】さえ使わなかった。その上、殴られた後の受け身すらとらなかった。
完全な無防備であった事がゴドを瀬戸際で止めていたのだ。
ゴドは冷静になりかけている頭で三日前の出来事を思い出していた。
******
三日前。
ゴドの店に訪れた執事長は、ゴドにリロへの『報酬』を受け渡す場所として店を借りたいと頼んできた。
断るつもりもなかったゴドだが、執事長は去り際にこう言い残した。
「エスタ・セイルはリロ・ルーシャが殺した可能性がある。」
その前情報があったからこそ、ゴドはリロへ剣を向けてまで問い詰めた。
だが、本心はその言葉を完全に信じていたわけでもなかった。
確かにリロ・ルーシャがかつて、エスタが目にかけていた部下だった事は気づいてはいたが、その部下が『国滅』と呼ばれる危険人物になった事に疑問があった。
自分の知っていた人柄と話に聞いた『国滅』は大きくかけ離れていたのだ。
それに、あのエスタが自分の部下のここまでの変貌ぶりに気づかないとは思えなかった。
騎士団の一人一人の細やかな変化にも気づくあの男が…
ゴドは悩みながらもいつも通りの直球勝負に出た。
それがあの問いかけだった。
その答えは思っていた通りだった。
エスタの死を実際に問いただした時、リロは表情こそ変えてはいなかったが、彼に明らかな動揺と戸惑いがあった。
その時、はっきりと「違う」と分かったのだ。
さらに、ルナがあの場所へ向かった後、タイミングよく現れた相棒は店に入るなり、
「あれは嘘だ。」
と悪びれる様子もなく言った。
意識する前にゴドの手は動いていた。
*****
「…どうしてこんな事をしたんだ、相棒。」
長い付き合いがあるからこそ、ゴドには相棒がやった事の意味が分からなかった。
冒険者として活動していた時にも、事前の説明もなく全てが終わってから説明をされると言うことはあった。
それらはゴドがあらかじめ説明を受けていると物事が進まないという特殊なトラブルや謀略が絡んでいた場合であり、ゴドも終わった後の説明を受けて納得はしていた。
しかし、今回は違う。
ゴドの友人であるエスタの死、それにその犯人をかつての部下だったと話す意味が分からなかった。
…一歩間違えれば、店に来たルナは冷たくなったリロと対面するかもしれなかったのだ。
もっと分からないのはさっきの相棒だった。
怒りに我を忘れたとは言え、相棒がまったく防御をしていないと気づかなければ、【身体強化】を使った全力の一撃が放たれていた。
とっさに解除したものの、現役を離れて長い事もあってか、完全な解除には間に合わなかった。
何とか立ってはいるが、相棒は意識を保つ事さえ困難な状態のはずだった。
執事長はゴドの言葉に対し、静かにその答えを口にする。
「…これが『最善』だった。」
「………」
相棒の漏らした言葉をゴドは黙って聞いていた。
「もし、お前が彼に剣を向けなければ、彼はすぐに街を去っていた。そうなれば、今度こそルナ様は命を落としていた。」
「…お前。」
「彼をルナ様ともう一度会わせる…それが私達にとって『最善』だった。」
執事長はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、ゴドは相棒の拳から流れる血を見逃さなかった。
爪が食い込む程、何かを抑えつけるかのように拳を握り、雫のように落ちる血を彼は見なかった事にした。
『最善』の未来の為に、『最悪』の選択をした事も。




