第三十話 イレギュラー
恐ろしい男だった。
アズサ・ソメヤは戦いの中、常に危機感を感じていた。
常に喉元に刃を突きつけられているかのような殺気、一手間違えれば確実に致命傷になるであろう攻撃、何より…
どれだけ傷ついても決して倒れる事のない不屈の心が何よりも恐ろしかった。
精神論の話だけではない。
苦手と噂されていた【身体強化】もゼムの得意とする魔法だったらしく、【制限魔具】を外した事で本来の力を取り戻したゼムの動きは人間の動きを超えていた。
さらに溢れ出る魔力が障壁となる事で並の攻撃ではまともな傷を与える事すら出来なかった。
高威力の攻撃でダメージを与えても前へ進み続ける姿は不死者を相手にしているかのようだった。
手駒は全て使い切り、負傷しながらの逃走、予想外の強敵の出現。
賢者アズサ・ソメヤは追い込まれていた。
彼女は『手駒』を全て使い切っていた。
キメラゴーレムと言う『切り札』も倒された。
逃走用の『最終手段』も破壊された。
故に…
彼女に残っていたのは『非常手段』だった。
********
「…ぐ。」
糸の切れた人形のようにゼム・シャールは地面に倒れた。
体は鋭利な刃物で斬られたかのように傷だらけで、決して少なくない量の血が森の地面を赤く染め上げている。
その様子を見下ろすように黒いフードに包まれた何かがゼムの正面に立っていた。
全身を包み込む黒いフードに、身の丈ほどもある巨大な鎌を背負うその姿は誰もがイメージする死神の姿だった。巨大な鎌は地面で倒れている人物の血を浴びたからか、刃が赤黒く光っている。
「ま…だ…!」
傷と出血で意識が朦朧としながら、それでも立ち上がろうとゼムは体に力を入れる。
【身体強化】も維持出来なくなり、魔力も尽きたのか体を覆っていた障壁も消えているが、心は折れてはいなかった。
「うざい。」
立ち上がろうと地面を強く掴む右手に突如、激痛が走った。
「ぐあっ!」
森に似つかわしくない高いヒールのかかとがゼムの手を貫通して地面に縫い付けていた。ヒールはさらにぐりぐりと足を動かされ、ゼムの傷口もより広がり、出血の量も増えていく。
「…っああ!」
出血で意識を失ってもおかしくない状況だが、痛みで気絶も出来ないゼムはその激痛を与える人物を睨む。
「正直驚いた。お前があれだけの力を今まで隠していた事にな。」
賢者、アズサ・ソメヤはその反抗の目を涼しくやり過ごし、ヒールの動きを止めた。
「まあ、いくらお前が強くてもこいつには絶対に勝てない。」
ヒールを乱暴に引き上げると黒いフードをかぶった何かが巨大な鎌をゼムの首元に当てる。
「どうせ知っているんだろう、このゴーレムについても。」
「……」
ゼムは当然知っていた。
アズサ・ソメヤがその姿を誰にも見せない最悪の存在を。
ある実験の最中、何の偶然か産まれてしまったゴーレム。
その恐るべき能力も、ゼムは知っていた。
「この【マーダーゴーレム】は『殺す』と言う一点だけに特化したゴーレム。これと戦ってまだ生きていると言う時点で賞賛に値する。」
アズサ・ソメヤの賛辞に対し、マーダーゴーレムは静かに鎌を構えている。【身体強化】したゼムの体を容易く切り裂いた力をもつゴーレムだ。主の一言でゼムの首は確実に吹き飛ぶだろう。
そして、ゼムの命が消えた瞬間、このゴーレムの能力は発動される。
「…悪趣味な能力だ。『殺した人間の数だけ強くなる』能力とは。」
ゼムはサティナの長という立場を利用し、あらゆる伝手を使って情報を手に入れていた。
人の命を刈るほど強くなるゴーレム。
事実、ゼムがこのゴーレムの存在を知った当時はゴブリンよりも弱いとされていたが、今は創造主であるアズサ・ソメヤを超えるほどの強さになっていた。ゼムもこのゴーレムに太刀打ち出来なかった。
「…だが、賢者様よ。その【ゴーレム】には決定的な『弱点』もあるだろう。」
ゼムの言葉にアズサ・ソメヤの顔が固まる。
「あんたが【マーダーゴーレム】を最後まで使わなかった理由がそれだ。」
ゼムは命乞いをするつもりは毛頭無い。
ただ最後の最後までこの賢者には屈するつもりはない。
例え、死が数秒後に来ようとも諦める理由にはならない。
「偶発的に出来たからこそ防げなかったイレギュラー。そのゴーレムは―――――!」
「――――やれ。」
その言葉と同時にマーダーゴーレムは鎌を振り下ろした。




