第十九話 忘れてしまったモノ
それはいつだっただろう。
そんなに昔の事ではなかった気がする。
王都の騎士としてそれなりに時間が経った頃だろうか。
「先輩、自分は騎士を辞めようと思います…」
自信に満ちあふれ、誰よりも強くあろうとしていたはずの後輩から放たれた言葉を聞き、浮かんだのは一週間前の出来事だった。
「この前の任務が原因か?」
「………」
沈黙で答える後輩の手は当時の恐怖を思い出したのか震えていた。
先日、大量発生したモンスターの討伐任務を騎士団で受ける事になったのだが、後輩はその任務に参加していた。
攻撃魔法に特化していた後輩は最前線で戦っていたのだが、何故か報告にはなかった謎のモンスターが現れ、前戦を大混乱に陥れた。
結果から言えば部隊は壊滅。謎のモンスターも行方が分からなくなったものの、討伐対象のモンスターは全て倒せた為、任務は完了とされた。
とは言っても前戦で戦っていた全員の命は助かったものの、まだ目を覚まさない者も多い。後輩は運良く軽い怪我だけで済んだはずだったが。
「あの戦いの後、魔法が使えなくなったんです…目の前でやられる仲間を見ても俺は怖くて何も出来なかった…」
涙ぐむ後輩に対し、俺は黙って話を聞くだけだった。
魔法は精神的な要素が密接に絡む為、戦場で命の危機に瀕した者が恐怖で魔法を使えなくなるというのはよくある話だ。
時間が解決してくれるものもあるが、解決出来ない場合も当然ある。戦いから離れる選択も間違いではない。
「…お前が本当にそうしたいなら俺は止めるつもりはない。だが、まだ騎士でいたいなら俺に出来る事はするつもりだ。」
もし騎士を辞めたとしても、別の道はいくらでもある。
前戦で戦えなくなった人間が後方支援に配属される事もある。
戦いとは縁遠い仕事に就きたいなら、紹介出来るくらいの人脈は王都で築いてきたつもりだ。
…時間が必要だと言うなら、徹底的に休ませるのもありだな。
そう考えていると後輩はまっすぐな目で俺を見つめていた。
「先輩は怖くないんですか。先輩だって何度も死にかけたって聞きました。なのになんでまだ立ち上がれるんですか!」
後輩の質問に対し、俺は本心を告げる。
「俺だって怖いさ。」
「え?」
目を丸くする後輩の顔を見て、俺は苦笑いする。
この後輩にとって俺はどんな人間に見えているのか。
俺だって人間だ。
怖い事もあるし、辛い事、悲しい事も経験してきた。
死にかけた事も確かにあった。
それでも立ち上がれたのは…
「俺が一番怖いのは――――――。」
俺はなんと答えたのだろう。
何の飾りもない本心を伝えたはずだ…
今は確かにあった、大事な何かを忘れてしまっていた。
「俺は………」
気づけば俺は地面に膝をついていた。
周囲はゴーレムの残骸、モンスターの亡骸、巨大ゴーレムでもここまではしなかったほどの破壊の惨状だった。
…何があったかは覚えている。
自分の意識はないものの、記憶だけははっきりしていた。
アズサ・ソメヤがワイズの命を奪うと言った瞬間、押さえ込んでいた憎悪が爆発した。
黒い騎士になった俺は目の前の全てを殲滅したのだ。
アズサ・ソメヤの呼び出したゴーレムを片っ端から破壊すると、奴は次にゴーレムではなくモンスターを召喚した。大型のポイズンタイガーやシールドバイパーなど一体だけでも手強いモンスターを何体も出し続け、離れた場所から俺の様子を観察していたのだが、
「魔法じゃないただの暴走…なら、もう充分ですわ。」
最後に奴は槍を構えたゴーレムを数え切れないほど召喚し、俺の前から消えた。
俺はただひたすら向かってくるゴーレムを破壊するしかなく、最後の一体を倒したところで元の姿に戻った。
「……」
昨日と比べると体の疲れはそこまでではない。
少し休めば充分動けるほどの疲労だ。
ワイズと違い、今倒したゴーレムやモンスターはほとんどが一撃で倒せるようなレベルだったというのが大きいだろう。
暴走が一段落したせいか、頭がやけに冴えている。
憎悪に支配される事も今は大丈夫そうだ。
とにかく今は少しでも休み、力を回復させる事を優先しよう。
今のままでは追いついたところでさっきの二の舞だ。
地面に腰を落ち着け、俺はさっきまで見ていた昔の出来事を思い返していた。
戦いの恐怖に負け、魔法を使えなくなった後輩。
…あの時の事を思い出すとはタイミングが良すぎる。
スピア・ローズ達に殺されかけた時、確かに死を一番強く感じた。
死への恐怖はあったが、同時にそれを上回る憎悪が自分には生まれていた。
その憎悪があったからこそ、俺は復讐の為の力を手に入れる事が出来た。
その憎悪があったからこそ、自分が扱えきれない力を手に入れてしまった。
ワイズと戦ってから俺はあの復讐の騎士の姿になる事に恐怖している。
次にあの姿になった時、今度こそワイズや自分の大事な人の命を奪ってしまうのではないかと。
あの姿になるきっかけが憎悪の解放だと分かっても、魔法を使う度に思い浮かべてしまう。
全てを破壊するあの憎悪の権化を。
…怖い。
あの姿になってしまう事が。
…怖い。
憎悪に振り回される自分自身が。
…怖い。
あの力を手放す事を考えない自分が。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い…
「っ!」
とっさに地面に右拳を叩き落とす。
魔力強化もしていない拳は地面の固さに負け、血がにじみ出る。鈍い痛みと骨に伝わる衝撃で負の連鎖に入った思考を無理矢理起こす。
…動けるだけの体力は回復したはずだ。
アズサ・ソメヤを追わなければならない。
あの姿を見られた以上、奴とはここで決着をつける。
森の魔力で転移系の魔法が使えない以上、奴も【中心エリア】に着くには時間がかかるはずだ。
とにかく進むしかない。
幸い魔具はまだ用意がある。
アズサ・ソメヤ相手では頼りない装備だが、何もないよりマシだろう。
…差し違えても奴は倒す。
立ち上がり、俺は【中心エリア】へ走り出した。




