第六十九話 狼の都
第六十九話 狼の都
ゲートを潜った先。レンガの敷かれた地面に降り立ち、腰に下げたランタンの明かりを頼りに周囲を見回した。
足元には赤や薄い茶色が交互に並び、少し遠くでは古びた街灯がボンヤリと周囲を照らしている。
自衛隊が設置した物ではない。前にテレビで見た、ガス灯に似たデザイン。しかしそこに灯る炎は、どこか不気味な青色をしていた。
魔力で維持されていると思しきその火で、薄っすらと街の様子が見て取れる。
レンガや石を積み上げた家の壁は白い漆喰で覆われながらも、一部が崩れて内側を覗かせていた。木造の扉も、古びて壊れかけの物が多い。
窓ガラスも各家に使われており、街灯の存在もあってこれまでのダンジョンより近代的に思える。
だが、だからこそこの無人と言って良い空間は不気味でならなかった。
「ふぅぅ……」
ひんやりとした空気を肌で感じながら、小さく息を吐きだし、通路、というか道路の幅を確認する。
トラックがすれ違えそうなほどに広く、当然天井などもない。見上げれば、真っ暗な空間だけがある。
街灯も自分の持つランタンの明かりも届かないだけで、遥か頭上には岩の屋根があるとか。このダンジョンは、巨大な石のドームにでも覆われている様な造りをしている。
前に行った『かまいたちのダンジョン』と、そういう意味では同じだ。街が丸ごと入っている様な迷宮は、大半がこの様な構造になっているらしい。
ちらり、と。視線を家々の隙間にある路地に向ける。あちらは、道路と違って随分狭い。人がすれ違うのもやっとな幅しかなく、横薙ぎに剣を振るえば刀身が引っかかるだろう。
片手半剣を鞘から引き抜き、イヤリングに軽く振れた。
「アイラさん。ダンジョンに入りました」
『うむ。そこのモンスターは鼻が利くぞ。気を付けてくれ』
「はい」
「ふふん。鼻の良さなら私も負けないよ!」
「はい」
なんか張り合いだした自称忍者へ適当に返し、白蓮を先頭にして歩き出す。
「んあ?京ちゃん。あの卵みたいなのつけないの?」
『どうした京ちゃん君。武器や防具は持っているだけじゃダメだ。ちゃんと装備しないとな!』
「いや……僕は『魔装』の展開中はアレを身に着けませんよ?バトルスタイル的に、避けたり自力で防ぐ攻撃にまで魔道具が反応しちゃうので」
『あー』
自分用のは、『魔装』が気絶等で解除されてしまった時の保険だ。魔道具の類を普通の服同様に『格納』するのは難しいが、そこは自作の品。籠められている魔力が同じな分、融通が利く。
……冷静になると、『魔装』を展開中って元々着ていた衣服はどうなっているのだろうか。
まあそういうのも学者さん達が調べているのだろうし、自分は気にしないで良いだろう。何より、今は探索中だ。
よそへ行きかけた思考をダンジョンに引き戻し、周囲の警戒を続ける。
自衛隊のペイントを探し、歩き始めて20秒ほど。
「京ちゃん」
早くも、エリナさんが警告を発する。
「3体、こっちに接近中。速いよ。方角は左斜め前」
「了解」
右手で剣を構え、左手をナイフの柄に這わせる。
彼女が言った方向には、屋根が崩れている廃屋があった。元は綺麗だったのかもしれない街並みは、この様にあちこち老朽化や落石により崩壊した家が目立つ。
あの中から出てくるとは思えない。となれば。
視線を、屋根の上へと向ける。
『アォオオオオオ──ッ!!』
狼の遠吠えが、響いた。
現れる3つの影。暗がりから飛び出したその姿を、魔法の街灯が照らし出す。
死人の肌を彷彿とさせる、まだら模様の白い毛並み。腕は足首に届くほど長く、丸太の様に太い。
足は逆側に折りたたまれ人間とは異なる骨格でありながら、全体のシルエットは人間のそれに近かった。
輝く黄金の瞳に、剥き出しの牙。手足の爪は鉈の様に分厚く、凶器としか形容できない代物である。
狼と人間を混ぜた様な、おぞましい怪物。
『ワーウルフ』
狼男、と一言で表した方が、万人に伝わるかもしれない有名な化け物だ。
3体のワーウルフが屋根の上から跳びかかって来るのを視認したと同時に、ナイフを投擲。同じく棒手裏剣も飛んでいく。
右端の1体の脇腹をナイフが抉り、棒手裏剣が左目を潰した。犬の様な悲鳴をあげて、その個体が地面に落ちる。
だが残り2体は健在であり、片方が自分目掛けて右腕を振り下ろしてきた。
重力も乗った剛腕を横に避け、地面のレンガを踏み砕きながら着地した怪物に剣を振るう。
首狙いで掬い上げる様に放った斬撃が、しかし奴の左腕に阻まれた。異様に硬い毛皮と、その下にある分厚い肉の感触。骨に刃が届くも、それ以上は進まない。
構わず剣を振り抜けば、身長2メートル前後の巨体が血を宙に舞わせながら吹き飛んだ。
この狼男どもは、伝承のそれと違い銀の武器でなくとも『魔力を帯びた武器』ならば傷つける事ができる。
されど。
『ガア゛ア゛ア゛ッ!』
残る1体が雄叫びと共に正面から迫るのを後ろに避ければ、横合いから最初に地面へ叩きつけられたワーウルフが襲い掛かる。
その目玉と脇腹を、完治させた状態で。
トロールに匹敵する再生速度。その上、『こうすれば治癒を阻害できる』という手段もない。
振り下ろされた右腕を剣で弾き、カウンターで腹を殴りつける。身体を『く』の字にした巨体が近くの民家に叩き込まれると同時に、噛みつきに来るもう1体。
『ヴヴヴヴッ!』
首狙いで近づく顎に左肘を横から打ち込み、続いて脇腹に剣で斬りつける。
硬く、治り、遮二無二向かってくる怪物への対抗策など、自分には1つしかない。
「おぉ……!」
再生など関係ないほどに、殺しきる。
「おおおおおおおおっ!」
刀身を風と炎が包み込み、加速。食い込んだ刃がそのまま狼男の胴を逆袈裟に両断した。
断末魔の叫びをあげる間もなく斬り分けられた体躯。仲間のその姿に怯む事無く、剣で吹き飛ばされた個体が戻ってきている。
『ヴア゛ア゛ア゛ア゛ッ!』
こちらをかく乱させる為か、両腕まで使った四足歩行じみた体勢でジグザグに走って来る。
速い。爪をレンガの隙間に食い込ませる事で、軌道が鋭角になっている。
しかし、あいにくとこちらも1人ではない。
高速で間合いを詰めてくるその個体に、縄の両端に鉄球のついた『ボーラ』が飛来。方向転換のタイミングで左足を絡めとり、転倒させる。
そこに突撃する鎧を纏ったゴーレム。あちらは大丈夫だろうと、こちらに奇襲を仕掛けようとしている家屋に叩き込んだ個体に視線を向けた。
視えているぞ、この眼には。
バキリ、という音をたてて西洋建築の家が壊される。ドア……だけではない。ドアの周囲にある石造りの壁ごと持ち上げ、ワーウルフが突進してくる。
『ガァァァッ!』
壁を盾にしての突撃に、剣を一閃。巻き起こった風で粉砕すれば、内側から無傷の狼男がその爪を振りかぶって来る。
対して、こちらも左の拳でもって迎撃。
迫る右腕を籠手で押しのけながら、怪物の顔面へと鉄拳をねじ込む。
「しぃ……!」
頭蓋骨を砕きながら、下側に向かって左腕を振り抜いた。レンガの地面に叩きつけられた狼男の首に、そのまま踵を振り下ろす。
頭も首もへし折ったというのに、魔力の流れは止まっていない。再生を始める怪物の眼球へと、逆手に持ち替えた剣を突き刺す。
そのまま発火。風と炎で脳を焼けば流石に死ぬはずだ。
足と剣を離し、残心。この個体と胴を割った狼男が塩に変わるのを視認し、残る1体へと視線を向ける。
だが、ちょうどあちらも決着がついた所らしい。
鍵縄で雁字搦めにされた狼男が、バトルアックスで首を叩き落とされている。ゴロリ、と転がった首が、音もなく塩にかわった。
「おつかれー、京ちゃん」
「そっちもお疲れ様」
エリナさんがひょいひょいとドロップ品を回収してくれる中、自分は白蓮のもとに。
魔力を補充しながら、周囲を軽く見回す。
「戦闘終了。周囲に敵はいなさそうです」
『うむ。鏡で見ていたが、本当に頑丈だね。ワーウルフというやつは』
「ですね。打撃は牽制ぐらいに考えておきます。脳を胴体から切り離すか、心臓を破壊すれば死ぬようです」
ワーウルフどもは再生『速度』こそトロール並みだが、純粋な再生力では劣る。
何よりトロールよりは身体が小さいので、切断もしやすい。その分動きが素早いが。
エリナさんがドロップ品の回収を終えた様で、こちらに親指をたててくる。それに頷き、探索を再開した。
少し歩いた所で、自衛隊のペイントを発見。黄色でアルファベットと数字が書かれている。
「アイラさん。現在『D-45』です」
『ふむ……現在地を把握した。そこからなら、目の前のT字路を右に曲がった後3つ先の十字路を左だね。そしたら、すぐに橋が見えるはずだ』
「了解」
『しかし、今回のダンジョンは本当に広いね。一応パソコンだけじゃなく、紙の方で地図を印刷したが……これは、大都市が丸々入っているようだよ』
「ですね……」
正直言って、こうして歩いているだけで迷いそうだ。
まだ短い距離しか移動していないのだが、どうにもヨーロッパの街並みめいたここは視覚的に馴染みがない。
建物がどれも同じに見える。無論、きちんと見れば壁の崩れ具合や玄関の位置やデザインは異なるのだけれど、周囲の警戒をしながらそこまで気にしてなどいられない。
もしもソロでここに来ていたら、モンスター関係なしに遭難していたかもしれないな。
「……ナビ、ありがとうございます」
『なんだね藪から棒に。だが良かろう。感涙にむせびたまえ!こんな美女に耳元で囁いてもらえる事に!』
「せめて囁いてください。声がでかい」
『え~』
え~、じゃねぇよこの残念女子大生。
言われた通りに進んで行けば、確かに橋が見えてくる。
ここまでの道路同様、この橋の幅も中々に広い。あちこちに装飾の『残骸』が見えるので、元は立派な橋だったのだろう。
しかし、今は敷かれた石畳はボロボロで、欄干もあちこちが砕けていた。装飾があったのだろう箇所も、随分と削れてしまっている。
視線を橋の下に向ければ、朽ちてしまった街並みに反して綺麗な水が流れている。水深は浅く、水路のコンクリート……ぽい物が見えている。
実際にコンクリートなのかは知らん。
『よし。では比較的無事な装飾を探して、色んな角度から私の鏡を向けてくれ。その後に全体をざっと撮影する』
「わかりました」
「おー。じゃ、私は周りを警戒してるねー」
「うん。お願い」
白蓮のバックパックから手鏡を取り出し、欄干についている装飾を見て回った。
研究室からの依頼で、こういった文化が分かりそうな物を調べる事になっている。生憎と、自分にはさっぱりだが。
まあ、報酬さえ貰えるのなら何でも良い。
『ふぅむ……見た所、ライオンのシンボルが多いね。この街の権力者の趣味かな?それとも、獅子が国旗に使われていたぐらい意味のあるものなのか……。いやはや。やはり、まだまだ仮説しか出せないねぇ』
「はぁ」
『しかしあれだな。街並みでも思ったが、このダンジョンは東欧の文化と似ている』
「そうなんですか?」
個人的には、そもそも西欧と東欧の違いすらも曖昧だが。どっちもヨーロッパじゃんとしか思えない。
まあ、それを言ったら向こうの人達に『じゃあ日本もアジアじゃん。他の国と見分けつかねぇよ』と言われそうだけど。
『だが、むぅ……思ったより、モンスターに関する装飾が少ない。ハッキリ言って、ライオンより百獣の王に相応しい見た目や強さをもった怪物など山ほどいそうなのだが』
「京ちゃん」
欄干の装飾がない部分に立って周囲を見回していたエリナさんが、ひやりとした声を発する。
彼女がこういう声で自分の事を呼ぶという事は。
「アイラさん、一旦鏡をしまいます」
『え、ちょ』
後ろを付いて来ていた白蓮のバックパックに手鏡を押し込み、蓋を閉める。
そして、代わりに剣を抜いた。
「エリナさん、敵の数は?」
「わからない。たくさん来てるよ」
透明化のスキルを発動しながら、彼女は告げる。
「橋の両方から接近中。たぶん、50は超えていると思う」
「……マジかぁ」
思わず頬が引き攣る。
ストアの情報で『ワーウルフは仲間を呼ぶ』と聞いていたが、まさか先の戦闘で最初に発せられた遠吠えか?
白蓮に左手で一応魔力を送って満タンにしながら、もう片方の手で剣の柄を握り直す。
いっそ、空を走って逃げるか?いや、ワーウルフの跳躍力を考えると、屋根から跳び上がってくるかもしれない。
何より、もしも『ボスモンスター』がダンジョン内にいたら十中八九撃墜される。屋根より高い位置に行くのは最終手段だ。
となると。
「エリナさん。白蓮とそっち側をお願いできる?」
「モチのロンだよ!」
相方の力強い返事に頼もしさを感じながら、ゴーレムの肩から手を離した。
「白蓮、エリナさんを守れ。このダンジョン内でのみ、それを最優先にしろ」
ガチャリ、と兜が上下するのを横目に、両手で剣を構える。
直後、雄叫びが聞こえてきた。
『ヴォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!』
『ヴァ!ヴァァ!!』
『ゥゥォオオオオオオンンッ!!』
1つや2つではない。獣どもの大合唱。
どこから湧いて出てきたのやら、家屋の隙間や屋根の上から走り、跳ね、猛進してくる。
前方から30近い怪物が押し寄せる光景に、籠手の下でじっとりと掌に汗を掻きながら。
こちらもまた、走りだした。
読んでいただきありがとうございます。
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