side:竜騎士カウンセリング
——デネルの町から王都へ移動中、竜の鞍上にて——
「——ねえ、レン」
「耳元で話すな、気色悪い」
耳介のすぐ横で囁きかけられて、心底嫌そうにレンは顔を顰めた。
一方、背後から彼を紳士的に支えるクレスは、大して悪びれた様子もなく肩を竦める。
「ごめんごめん。でも、風の音がうるさいから、こうしないと聞こえづらいだろう?」
「お前が喋らなければその問題も全て解決する」
「それもそうだね。ところで、ちょっと気になることがあるんだけど」
「……」
「アルタと何かあったのかい? 君たち、2ヶ月前と比べて明らかに様子がおかしかったけれど」
「……」
答えはない。
無視を決め込む勇者を見つめながら、クレスは脳裏に『レンと2人で竜に乗れない』と必死に訴えるアルタの姿を想起した。
取り乱す彼女を見るのは初めてだった。それに、一年共に旅をした相棒であるレンを、あれほど拒絶するのにも違和感がある。一緒に鞍に跨るくらいのことでいちいち相手を意識していては、2人きりの旅などとうてい無理だろう。
ついでに言えば、他人に弱みを見せるのを何より嫌うレンが、あの場で高所恐怖症を主張したことも気になる。幼いころ虫垂炎を「痛くない」とやせ我慢した挙句、危うく死にかけたという間抜けな逸話を残すレンが、他人に高所恐怖症であることを明かすだろうか。
……いや、ありえない。2人の間に何か問題が生じているのは明白だ。
「もしかして、告白してフラれた?」
「突き落とすぞ」
貝のように沈黙していたくせに、驚くほどあっさり反応がかえってくる。分かり易すぎる態度に、クレスは悟られない程度に目を細めた。
「違ったならごめんよ。ただ、そうだったら君が落ち込んでいるかもしれないと思って」
「どうして俺があんな色気の欠片もないイモ臭い田舎女に懸想した上に、袖にされて落ち込まなければならないのだ。その発想自体が不愉快極まりない」
「女性に対してその言い方は感心しないな」
「……」
レンはぴくりと眉を動かして、再び沈黙する。クレスの発言を受けて、内心反省した……のかもしれない。
いつになく勢いのない勇者の様子を察して、ここぞとばかりにクレスは言葉を続ける。
「それに、彼女のことを魅力的だと思う男性は多いと思うよ。実は王都でも——」
「……」
「……いや、この話はいいか。レンには関係の無いことだしね。やっぱり黙るよ」
「……」
「……」
「……おい、言いたいことがあるならはっきり言え。実は王都で、なんだ?」
上手く乗せられていることにも気付かず、そわそわしながらレンが先を促す。
細めていた目に、クレスは少しだけ哀れみを浮かべた。こうも簡単に話術に引っかかる勇者が、ちょっと可哀想になってきたのだ。
「……実は、王都で魔術師をしている貴族が、アルタのことを紹介してくれないかと僕のところに相談に来たことがあってね」
「は?」
「彼、過去に一度結婚しているのだけど、早くに奥さんが亡くなってしまって子供がいないんだ。だからずっと魔力の強い女性を後妻さんに捜していたんだって。結構良い縁談だと思わないかい?」
「とんだ仲人だな。魅力的だの笑顔が可愛いだのと褒めそやした人間を、脂ぎった若い女目的の年寄りに宛てがおうというのか」
笑顔が可愛いなどとは一言も口にしていないのだが、そこにはあえて触れずにクレスは首を振る。
「その人まだ20代なんだ」
「……む」
「アルタよりはいくつか年上だけど、裕福で家柄も確かだし、人格者で有名な方だよ」
「裕福で、人格者……」
「気さくで会話上手で、人望もある。彼の周囲にはいつも大勢の人がいるんだ」
「会話上手で……人望がある」
「それにハンサムで、アルタと同じ魔導師だからね。きっと話も合うと思うよ」
「話が……合う」
「君と彼女が恋仲なのだとばかり思っていたから、一度この話はやんわり断っていたのだけれど……そうでもなさそうだから、王都に到着したらアルタに相談してみるよ」
レンの動揺に気づかぬふりをして、クレスはそこで言葉を切った。しばらくお互い無言となり、風の音だけが耳の横を通り過ぎる。
レンはもごもごと何か言いたげに顔を上げてはまた俯く、という仕草を繰り返していたが——クレスに決定を覆す様子がないと見ると、ぽつりと投げやりに呟いた。
「……好きにしろ」
「……」
哀れみを湛えていたはずのクレスの瞳が、みるみるうちに残念なモノを見る目へと変貌していく。腹の底からため息を吐き出すと、クレスはとうとう声を張り上げた。
「ダメだ、レン! それじゃあ全然ダメだ! 『彼女は誰にも渡さない』くらい言えないと、今時女の子には振り向いてもらえないよ!」
「は!? おま、何を言って——」
「今からでもまだ間に合う! ……かどうかは、ちょっと微妙だけど。完全な手遅れになる前に、そのどうしようもないお口を改善すべきだ!」
「い、意味がわからん。どうしようもないとはどういうことだ」
「誤魔化そうとしても意味がないよ。君は! アルタのことが! 好きなんだろう!」
「や、め、ろ! 彼女に聞こえたらどうする気だ!」
レンがそう叫んだところで、2人を乗せた竜が不満げに咆哮をあげた。どうも、背中の上で繰り広げられる幼稚な会話に耐えかねたらしい。
お空の旅の途中だということも忘れ、今にもクレスの胸ぐらに掴みかからんとしていたレンは、そこではっと我に帰り、ぎりぎりと歯を食いしばると、苦々しげに前へと向き直った。
「……否定はしないんだね」
「ぐ」
更にトドメの言葉を浴びせられて、捻り潰されたような、低い唸り声がレンから漏れる。彼が発した音はそれのみで、いつもの嫌味や罵倒はいくら待てども出てこない。これ以上の抵抗は無駄と判断したのだろう。
一方のクレスは、反論がないのを肯定と受け取ったものの、残念な勇者を更に追い詰めるような真似はしなかった。それどころか、目の前の情けない背中に努めて優しく語りかける。
「もう一度聞くけど、何があったんだい? 以前と比べて、だいぶ彼女とギクシャクしているようだったけれど……。僕でよかったら、相談に乗るよ」
「……正直なところ、よくわからない」
観念した勇者の言葉は素直なものだった。
「魔王を倒した直後から、彼女の様子がおかしくなった。俺に怯えるようなそぶりを見せたり、急に俺から人を遠ざけようとしたり——俺の体臭がきつい、と言ったり」
「……体臭」
センシティブな話題が飛び出てきて、クレスは表情を強張らせる。それから恐る恐るレンの首元に鼻を近づけた。
「……大丈夫、臭くないよ。むしろいい匂いがする」
「嗅ぐな、気色悪い」
身じろぎしつつ、更にレンは続ける。
「何が原因かはわからないが、彼女が俺を避けようとしていることは、先ほどの一件を見ても明らかだ。ならば、これ以上行動を起こすべきではないだろう。……放っておいてくれ」
「レン……」
秘密を暴かれて、もはや虚勢を張る気力も失われてしまったのだろう。勇者の背中からは、哀愁がだだ漏れていた。
詳しい事情は未だわからないが、どうもレンの恋路は細く険しくなっているらしい。自業自得な気がしなくもなかったが、魔王を倒したにもかかわらず、喜ぶどころか凹みまくっている勇者の姿に、クレスは同情の念を禁じ得なかった。
「レン。僕は、君が本当は誰より純粋でそこまで悪い人ではないということを知っているよ。これまで何度も助けてもらったことがあるし、勇者の称号は清らかで正義感に溢れた心の持ち主にしか与えられないはずだからね。君のことを鬼畜だの性格破綻者だのと悪く言う人は一定数いるけれど、世に流れる噂の半分くらいは誤解だ。君はただ、致命的に口が悪くて病的に天邪鬼なだけだ。
アルタもきっと、僕と同じ考えのはず。いや、むしろそうでないと、家族でも恋人でもない彼女が、君と2人きりの旅なんて耐えられるはずがない」
「……」
優しくかけられた言葉に、険しかったレンの表情がわずかに緩む。よくよく聞くとそれなりにけなされているのだが、それに彼が気付くことはなかった。
「確かに、さっきのアルタの様子はおかしかったけど、君に悪感情を抱いているわけでもなさそうだった。きっと、なにか事情があるんだよ」
「そう、だろうか……」
「ああ。まだ状況は絶望的ではない……かもしれない。諦めるのは、もう少し頑張ってからでもいいんじゃないかな。もっとも、どんな事情があるにしても、今のままの君では事態を好転させることはできないだろうけど」
「では、どうしろと言うのだ」
「簡単さ。彼女に優しい言葉をかけるんだ」
「……!」
「難しいことではないだろう」
そう言ったあとに、ふと己の間違いに気がついて、クレスは首を振る。
「あ、いや。君にとっては難しいかもしれないけど、そこは頑張らないと。今まで通りの君の態度じゃ、恋愛に発展するどころか女性と距離を詰めることすらできないからね。誰だって、きついことしか言わない人には近寄りたがらないものさ」
「う、うむ」
以前のレンならば、ここで「馬鹿共に煩わされることがなくなって丁度良い」とでも言っていたことだろう。だが、今はクレスの助言に耳を傾け、それを受け入れようとさえしている。
その変化に、クレスは内心飛び上がるほど驚いていたが、表情には出さず穏やかに微笑み続けた。人間関係を形成するという点においては、彼はレンより遥かに上手なのだ。
「しかし、優しい言葉と言っても……なんと声をかければ……」
大真面目にぶつぶつと言いながら、レンは両手を組んで考え込む。その横顔は、真剣だ。
「優しさとは、なんだ」
本当に、追い詰められているらしい。思考を巡らせる余裕もなく、哲学的なことを口にし始めたレンに、クレスは少し思案したあと、そっと道を示してやることにした。
「例えば、彼女のことを褒めてみるのはどうだい」
「褒める?」
「女性との関係を築く上で、褒めは重要なテクニックだ。それに、君としても無理に優しく振る舞おうとするより、アルタの良いところを口にする方がまだやりやすいだろう。君に褒められたら、普段とのギャップもあって、彼女もきっと度肝を——いや、きっと喜ぶよ」
「そ、そうだろうか? そんな単純に話が転がるだろうか」
「どう転がるかは君次第だけどね。でも、相手の良いところを口にするよう心がければ、自然と物言いも穏やかになる。そうやって君自身が変わっていけば、アルタとの距離も縮められるかも」
しばらくレンは、クレスの言葉を吟味する。彼からしてみれば、「お前の態度最悪だから、性根を叩き直してキャラ変しろよ」と言われているも同然なのだ。悩むのも無理はないだろう。
だが、レンの決断は早かった。
「わかった。王都に到着したら、お前の助言に従ってみる」
「ああ、頑張って!」
「……その、話を聞いてもらえて、良かった。お前、良い奴だな」
「……! レン……!」
これまで穏やかに応対していたクレスだが、このときばかりはしばし言葉を失った。
かつて、頑なに心を閉ざし、厳しい言葉ばかりを投げかけてきたレン。その彼が口にした、心からの不器用な感謝は、クレスの胸を熱くした。これぞまさにギャップ効果である。
どうしようもないチンピラが、雨に濡れた捨て猫を助けただけで女性に惚れられた一例もある。罵倒と嫌味しか口にしないケチな無愛想勇者が愛情を示せば、アルタも心動かされ、奇跡的に全てが上手くいくかもしれない——そう、クレスは思うのだった。
だが、何事にも限度がある。
レンの秘めた慕情が実は筒抜けで、あまりのギャップにアルタ本人は恐れ慄き逃げ腰になっていることなど、この時の彼らには知る由もなかった。