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決めたキモチ

 時刻は8時ちょっと前、冬に近づきつつあるのか随分と日が沈むのが早くなった気持ちを覚えながら僕らはパン屋に来た。色々あった一日も終わりを見せ始める時間に僕の前に座っているのは関口結花。職場の後輩だ。茶髪の肩までの髪。前髪は肘をついてる机と平行に切り揃えられていて、顔の大きさには少し不釣り合いの大きな瞳で向かい合う僕を見ている。

 パン屋の匂いはパン屋に近づくほど強くなりパン屋の中は当然ながらとてもパンの匂いだった。客はまばらにいる程度だが、まだ中ではパンを焼いているのだろうか。

 ここに来るのは二回目だが、一回目はパン屋に来たというよりは桜井菜々に会ってしまったため、来たという表現が似合うかはわからない。そういう理由もあり、新鮮な気持ちでクリーム色の木の椅子に僕は今座っている。

 正面の結花の顔から少し視線を落とすと机の上には深緑色のトレイ、さらにその上にはたった今買ったパンが並べられている。

 クリームパン、アップルパイ、ブルーベリーパイ、パンプキンパイ、チョコクロワッサン、メロンパン。各々が香りを主張している割には調和しているように感じ、不快とは思わない。甘さを抑えているからだろうか?

 しかし、元々僕は食に関心が高い方ではない。お腹に入ればよいくらいの思考だ。今朝のご飯を見てもまるでダイエットしているOLのようなモノである。OLと僕とではそこに介在する気持ちの強さが違うのではあろうが。

結花は僕ともOLとも違い、さっきも真剣になって並んだパンを選んでいた。ダイエットを気にして選んでいる風にも見えない背姿を椅子に座りながら見ていてあの細い体はどのように維持しているのだろうと考えたほどだ。

 そんな結花が選んできたパンを見ながら考えているといくら食に関心が薄い僕でも食べたい気持ちを抑えられそうにない。そもそも昼からお腹は空いていたのだから。

「食べていいのか?」

 話を聞いてもらうという目的で来た建前、僕のお金で払われているパンたちだが一応確認をとる。女性とこうして食事をするのは稀だが初めてではない、最低限の紳士さを……。

 わきまえて、と思ったところで。

「あ、じゃああたしも。コレは渡しません!」

 そう言うと瞬時に結花はアップルパイとブルーベリーパイとクロワッサンを手前に持っていく。さらに結花はそれは丁寧に並べたため、トレイの盤上では勢力図が出来上がる。

「どれならいいんだ……?」

 意外にも積極的な後輩の一面を垣間見てしまったことにより完全に僕は後手に回ってしまう。

「はい、先パイ」

 三人の兵を率いた結花大将は、関口派勢力から漏れたクリームパンを僕に渡す。余ってしまったパンたちは女性だらけの職場に一人寂しくいる僕のようで。なんの、別に職場が嫌というわけではなく、ただもう少し自分が女性とうまく話せるような人間であったならもう少し、ね?

それを結花から僕は右手で受け取り一口噛む。甘い。しかしくどいわけではない。クリームも硬くもなく柔らかくもなくちょうどよい感触で舌に触れる。これは美味しい。クリームパン兵お前はいい兵だった。別に自分のことを褒めているわけではない、別に。褒めてほしいとも思っていない、別に。

クリームパン兵の殉職を肌でいや、舌で感じ自然と声が漏れる。

「美味しい」

「ですよね!いやー、一回来たかったんですよ、ここー」

 目をぎゅっと瞑り浮かした腕を縦に揺らしながら結花は興奮気味に言う。

「有名なところ?」

「いや、今まで聞いたことありませんね、最近できた割にはすごい勢いで評判が広まってるらしいです」

 自分で選別したブルーベリーパイを食べながら関口は答える。相当上機嫌なのが伝わってくる。優しそうな風貌がほころんだ笑顔でより強調されてかわいらしく感じる。ずっと見ていると吸い込まれそうになるほど。

 しばらく幸せに咀嚼に興じてる結花を見ていると、本題を忘れているのに気が付いた。

 関口もそれに気が付いたのか僕に目を合わせてくる。数瞬見つめ合ってから結花のほうから口を開いた。

「さて、じゃあ、先パイ!話してください!」

 例えばフィクションなどの尋問とはこのようなものなのだろうか。聞きたい情報を聞き出しているのはわかるが何から話してよいのかが掴めない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、何から話していいのか……」

 話を作れていない僕は返答に困った。確かに誰かに聞いてほしい話ではあるものの、自分とて今まで気持ちの整理がついていなかったことに気付く。そもそも昨日の今日だ。今はまだ話をきいてもらう時期じゃなかったかもしれない。

 昨日と今日あったことを頭の中でもう一度思い描く。

 桜井菜々という子に院内で会ったのが昨日。白いワンピースに青色のジャケットを羽織るその姿はとても美しくて、今まで会った誰よりも輝いていた。僕は彼女のことが気になって同僚から話を聞いた。。

 先天盲。それが彼女の病院に来た理由だった。生まれつき目の見えない病気、その事実を昨日知り僕は落ち込んだ。叶わない恋だとも思った。

 しかし今日、同僚の菊池からお使いを頼まれて赴いたパン屋に―そう、今いるBakery₋Nに彼女がいた。彼女に会えた嬉しさでも喜びでもなく僕が挙げた声は驚愕であった。勿論、彼女も驚いた。しかしここで僕は一つ目の誤りを犯す。

 ≪桜井菜々の担当になった。≫

 どうして自分がこんな見苦しい嘘をつこうと思ったのかはわからないが、実際に口は動き、声は発せられ、目の見えない彼女の耳にも届いた、はずである。

 嘘をついた僕は≪彼女の前から足早に逃げ出した。≫これが二つ目の誤り。

 そして三つ目の誤りは、桜井菜々の担当医師に≪転科を頼み、断られ、開き直り逃げた≫こと。

 まだあるかもしれない。そんなことを言ったらそもそも≪彼女を好きになってしまったこと≫自体が誤りだ。顔だけで好きになり、今日彼女に会ったおかげで透き通るような声を聴いてさらに好きになっていくような気がしていて。しかしまだ性格はわからない。好きな食べ物も、年齢も。僕のことをどう思っているかを知る前に僕が彼女を知らない。

 一体それで僕は何をすべきなのか。

 何をしたいのか。

 何をすれば僕一人が傷つき、他の誰もは傷つかずに済むのか。

 そんなことを考えて僕は結花に話す。

「すまん、待たせた」

「随分考えてましたね、もうあたしのパンないですよ?」

 結花の手元に目を下すと先ほど取っていたパンはなくなっていた。

「そんなに考えてたかな……」

「ええもう、せっかくあたしがパン食べてリアクションしてもぜんぜん反応してくれなかったですもん」

「あ、ああ、すまん……」

リアクション云々はよくわからなかったが結花を放置して考えていたのは反省すべきことだ。

結花の顔はまだパンが口の中にあるんじゃないかというくらい頬が膨らんでいる。

「さぁて、じゃあ話してもらいますよっ」

 おいしいものを食べた満足感とたっぷり時間をかけて育った期待感を宿した瞳で見つめられ、僕はトレイの上のメロンパンを手に取り話す。





「、ということなんだ」

 先ほど考えてたことを整理しながら話したのだが、オチのない話を結花は相槌を打ちながら聞いてくれた。

「へぇ~、先パイって惚れやすいんですかぁ?」

 にやにやしながらそんなことを聞く結花の笑みは今日一番気味が悪く見えた。いや、こんな風に見えてしまうのはあまりこんなことを人に言われたことがなかったからかもしれない。

「そ、そんなことはないとおもうけど……」

「うっそだーあ、じゃあ初恋っていつなんですか、先パイの」

 初恋か。

 初恋……。

「……よ、幼稚園かな」

「えっ?!い、意外と……」

「んっ……?意外……?」

「あっ、いえ、なんにも……、幼稚園ですか。どんな感じだったんですか?」

 なにか顔を伏せてボソボソ言ったと思ったが結花は質問を投げかけてきたのでそれに答える。

「あー、……片思いだよ、今と同じ」

「……その次は?」

「小学4年生かな……?」

「どんな感じだったんです……?」

「か、片思い……」

 結花の背後がだんだん暗くなっていくのを感じる。原因はわかる。人にこんなことを言うのはほとんど初めてだが改めて思い出して言ってみると自分でも情けない。

「先パイ?」

急ににこっと笑い今までより高い声で呼ばれる。

「はい……」

「先パイは草食系男子ですか!なんですか!今まで片思いしかしてなかったんですか!あれですか!先パイは彼女は空から降ってくるとでも思ってるんですか!ラピュタですか!先輩の頭はラピュタですか!それなら飛行石を持ったシータがパズーとうにゃうにゃなんかなるのもそりゃ先パイなら……、んじゃなくて!あー、先パイ!桜井?さんでしたっけ!告白しましょう!明日!」

 こんな関口、結花を僕は初めて見た。こんな剣幕の、しかし良いのだろうか、いや、何がというわけでなく……。一通り言った結花の顔は少し紅潮していて興奮している。それもそのはず僕の聞き取る力の限界ギリギリのスピードで言わんばかりの早口だったのだ。しかし、今何と言った?確か、明日、告白しましょうって……。

「ちょ、ちょっと待ってよ!さすがにそれは……!」

「そうやって逃げてきたんでしょう!いいですか先パイ!この世には二種類の人間がいるんですよ!何もしなくても恋人のできる人と何かしなければ恋人のできない人です!先パイは間違いなく後者ですよ!何かしなかったら彼女なんて出来ないんですよ!彼女が出来なかったら卑屈になっていたいけな少女から意志を奪おうとする醜い大人になってしまうんですよ!そんな大人はバル……」

「お!落ち着いて!そうは言うけど……」

 確かに結花の言うことは正論かもしれない。確かに今まで片思い続きで彼女が出来なかったのは事実だ。でも、明日告白というのは……。

 そうやって僕は逃げてきた。今までも、そして今も。何回僕は逃げるのか。

 頭で考えても考えてもいい答えが見つからない。どう想像しても悪い結果しか見えない。だから逃げるんだ。

 そうなのだ。頭では分かっている。わかっているが動かない。こんなの今朝注意した結花のミスと全く変わらない。頭では分かっているくせに本番になると焦って。

「先パイ」

先ほどの調子とは打って変わり優しい口調で僕の名前を結花は呼ぶ。立ち上がって机にまで脚を掛けかねなかった雰囲気は今は綺麗に消え去り、そよ風でも吹きそうな吐息を混じらせている。

「ありがとうございます」

「へ?」

 訳が分からなかった。さっきまで勢いよく主張していたと思ったら今度は感謝された。

「先パイは面白い人です。あたし、先パイのこと好きですよ。」

 さらに訳が分からなかった。さっきまで……。

「それは、どういう……?」

「や、やだ!普通に先輩としてですよ!勘違いしないでください!あ、あと、忘れないでください!先パイは何かをしなかったら彼女が出来ない人なんだから!!」

 そういう結花の唇は少し震えてる気がした。無理して僕を奮い立たせようとしてくれているのか。そういうことなら僕は決意を固めなければいけない。こうして人に甘えて逃げ道を探すのはこれが最後なのだ。

「ははっ、そうだったね、ありがとう。僕も結花のことは好きだよ。後輩としてね」

「……ルい、ですよ…………」

「えっ?」

「なんでも、ないです……」

 結花は顔を俯けるが僕は続ける。

「結花、僕、明日言ってみるよ。早いかなとはやっぱり思うけどでもここで逃げたらしてることは幼稚園時代と変わらないもんね」

 垂れた頭を起こしながら結花は

「そうですよ!そうなんですよ!先パイは幼稚園児なんかじゃないんですよ!先パイ、がんばってください!あたし、応援、してます!」

「今日はありがとう。今僕が何したいのか何をすべきなのかがわかったよ」

 僕は桜井菜々に思いを告げたい。僕は桜井菜々に早く気持ちを伝えるべきなんだ。

 決意した気持ちを心の中で復唱して結花に向き直る。

 先ほどの勢いで乱れた髪を直しながら結花は視線を合わし、僕に微笑む。

「ホントに先パイは面白いです」

「それは、いい意味なのかな……?」

「さーあ?どっちでしょーう?」

「結花……、お前今日だけですごい口の訊き方になったな……」

「だって先パイのお話が聞ける特別な存在になったんですもんっ!」

 そういって笑う結花の顔は夜空の月のように眩しく煌めいた。


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