第49話 おぶ入ろうね
翌朝、森へ散歩に出かけると言う妻と、抱えられた我が子を見送りがてら彼女の家を訪ねてみたのだがそこにサオリーナの姿はなかった。朝礼前にでも話をしたかったのだが何処へ行ったのだろうか?まあ、今まで一度たりとも規律を乱したことの無い彼女だ、いずれ会えると仕方なくその場を後にした。
「少し早めに職務室へ入って事務処理でも済ませておこうかな」
今日はできる事ならすぐにでも帰宅したかった。我が子の名前を妻と決める事になっているのだ。
「女の子だからな。妻から貰ってリコレッタ・・・う~ん、レイバノ!う~ん、男の子っぽいか・・・。リ、リ、ラリ、ラル・・・。あ、駄目だ。仕事が手につかんよ!!」
あれやこれや考えている時間が実に幸せだったが、突然のドアノックに現実に引き戻された。
「失礼します!師団長殿!!内定を進めておりました男、逃亡を図ろうとした為今朝方捕縛致しました!!」
「ああ、あの闇ブローカーの男か・・・。よくやった。ご苦労!」
ここ最近、我々が兵を出さなければならない程の凶悪犯罪が増えていた。若者を中心に幻覚作用のある呪符などの使用による暴力行為が目立ってきたのだ。加えて薬物の過剰摂取により緊急搬送される者も増えていた。妻も薬を扱うが市場にそんなにたくさんの薬は無いときく。更には特級薬物(これは政府から認められた一部の薬師にしか扱う事が出来無い)までもが流れている。
“内部による横流しの可能性”そうにらんで捜査を進めていたところ、別件で捉えた女からこの男の関与の線が浮かんだ。
その女は飲み屋の色男に相当な金をつぎ込んだらしい。色男は見返りに夢の様な時間をくれたそうだ。そのうち彼女は現実との区別が付かなくなった。自分以外の女と話す事すら許せず、、全てが自分の物にならないのならばいっそ殺してしまおうと考え強力な呪物に手を出した。女はそれにより魔獣化して犯行に及んだようだ。彼女は拘束後、取り調べ中に牢内で死亡した。
この件で使用された呪物、一見ただの呪符だが報告書にはおぞましい結果が出ていた。
1.呪符の解析結果
素材 羊皮紙、血液(月経が使用されている可能性が極めて高い)
表面に特級薬物の使用が認められる。
2.ラット実験による呪符の効果
被検体に呪符を添付後徐々に魔獣化が認められた。
一部を摂取した個体は即魔獣化。その後死亡。
尚、何れも魔獣化後死亡により呪符への依存、常習性はないものと思われる。
オイオイ!こんな危ねぇもんがそこかしこで取引されているとしたら・・・考えたくも無いな。願わくば拘束した男が大木の小枝では無いといいのだが・・・。
「失礼します!師団長殿!!」
「ん?何だ?ヨコヤマか。今日は大賑わいだな!あ~、それと一応ノック位はしろよ?」
捕縛報告書に目を通している間にまた別の部下が息をきらして入ってきた。
「失礼致しました!しかし!緊急性が高く・・・」
「どうした?」
「これを・・・捕縛した者から押収した物です」
差し出された書類の束。どうやら名簿の様だが・・・中ほどに何重にも丸で囲ってある名前を見てオレは血の気が引いた。
「今日はエイプリルフールか?」
「いえ!」
「これは何処まで?」
「はい!私と師団長殿までであります!」
「他に絶対漏らすなよ!!書類はお前に任せた。厳重に管理しろ!各兵に通達!団員及びその家族に害が及ぶ恐れあり!全員妻子を連れて兵舎へ集合させろ!オレは、今すぐ出る!!」
「はい!!」
(冗談じゃねえ!冗談じゃねえ!冗~談じゃねえ!っての!!きっと何かの間違いだ!!そんな筈はねえ!)
名簿に記された名前に動揺が隠せないが、とにかく先ずは散歩に出ている妻と我が子を迎えに行かなければ!きっと南の湖に向かったに違いない。あそこは妻のお気に入りの場所だからな!
「ハアハア」・・・駆ける脚がもつれる。戦闘においてもこんなにも速く駆けた事は無い。どうか無事でいてくれ!!
きっと真っ先に狙われるのは・・・オレか、妻なのだから!!
「見えた!湖だ!!」
剣で藪を薙ぎ払い、倒木を駆け上がり一直線に最短ルートで目指した為に今なら何とか妻よりも先に湖に到着出来そうだ!
「む?・・・誰か、いる!!」
独り湖畔に佇む者がいる。妻・・・ではないな・・・。
「・・・何故、ここにいるのだ?」
オレは後ろから声を掛けたが剣は鞘に納めなかった。
・・・どうか、他人のそら似であってくれ!
「・・・あら!?師団長殿。今は朝礼の時間の筈では?」
ゆっくりと振り返ったその顔はやはりサオリーナだった・・・。
「・・・何故ここにいるのだ?と尋ねたのだが?」
全身にまんべんなく魔力を通しながら剣を握りしめる。
「湖が・・・見たかったの・・・悪い?」
サオリーナは湖に向き直りオレに背を向けた。
「ね?覚えてる?あの真ん中に浮かんでる島・・・。よく二人であそこまで泳いで行ったっけ・・・」
「・・・ああ、覚えているよ・・・」
「そこであなたは、私にキスをした・・・」
「・・・ああ、覚えている・・・」
「うそ!!」
「いや、覚えてる」
「嘘よ・・・!!覚えてるなら何故?何故あなたの隣にいるのが私じゃ無いの!?・・・私はずっと待っていた。なのにあなたは、私を忘れた!何故!?」
・・・恋は互いに自然に冷めたものだと思っていた。いや、一方的にそう思いたかっただけなのかも知れない。
オレは、ずるい男だ・・・そんな自分から逃げるように質問を質問で返した。
「サオリーナ。キミの魔力、昔はもっと鋭かったよ。それが今はどうだ?とても不安定だ!何か・・・う、疑いたくは無いが・・・よ、よくないものに・・・」
彼女をまともに見る事が出来ない。唇が震えて、喉が貼り付く位カラカラになっている。
「あら・・・師団長殿ともあろう御方が捨てた女ごときにどもるのですか?それとも、贖罪の念でも持ち合わせているのかしら?」
「サオリーナ・・・。済まなかった。本当に済まなかったと思う!!だから、その手に握りしめている物を、棄ててほしい。お願いだから棄ててくれ!!今ならオレしか見ていない!!」
彼女の手には件の呪符が握りしめられていた。
「これを作った奴はさあ、妹さんをヒト族に掠われて、死ぬまで慰み者にされて、その辺に棄てられてたんだってさ!なあんか、私の心みたいだなあ、って。それでね?アイツの復讐に力を貸してやろうかなって。そしたらあなたも困るかな?ってさ!昔みたいに私を頼ってくるかな?って!!なによ!!私だって少しは薬に詳しいんだ!!私だって男共に人気があるんだ!!・・・そう。あの女さえいなければ良いの。そしたらあなたの心は私に戻ってくるから」
そう言うとサオリーナは握りしめていた呪符を飲み込んだ・・・。
「よせ!!サオリーナ!!」
「愛してる・・・さようなら・・・ヴァーレ・・・」
なんという事だ!!呪符を躰に貼り付けたのならば、直ぐに剥がせば何とかなったかもしれないというのに・・・!サオリーナもそれを判っていて、あえて飲み込んだな!!
「ギャアアアアアッッッ!!!」
断末魔に似た悲しい叫び声を上げみるみる魔獣化していく・・・。
ああ・・・美しかったその顔は、耳元まで口が裂け、大きな牙が血しぶきと共に生えてくる。牙と対になるように頭からねじ曲がった角が伸び、もはやサオリーナの面影は無い。
腕はオレの脚よりも太く肥大化し、全身が鋼の様な獣毛に被われた。目は血を垂れ流し、ジッとオレを見据えている。いやだ・・・!斬りたく無い!!オレを見るな・・・。
「ヴァーレ!!」
オレだけを凝視していた眼が声の主を捉える。
しまった!妻の気配に気が付かなかった!いつの間にかに娘を抱きかかえたリコレーノが此処へ来てしまっていた。
「来るな!!ここから今直ぐに離れろ!!」
「くっ!!」妻に気をとられた瞬間、サオリーナの爪が背中を掠める。
危なかった!!魔力を張り巡らせていなければ避ける事が出来ずにバラバラになっていただろう!
「!?」
なんてことだ!爪に毒薬が仕込んであったか・・・。毒のせいで目の前のものが全てダブついて見える・・・。感覚だけでどれだけ攻撃を避けることが出来るだろうか・・・だが、なんとしてでもリコレーノと娘だけは!!
二擊目をかろうじて躱すと剣を捨て、かわりに妻と娘を抱えると同時に風の様に速く森の中へ逃げ込んだ。
「ヴァーレ、あれはなに!?」
「あれはオレの罪の固まりだ・・・」
そう、あれはオレ自身だ。醜く矮小な身勝手が生んだ鏡の中のオレだ。
「ヴァーレ、背中が!!」
「なあに、大したこと・・・っつ!」
大木が左肩をかすめ遥か先まですっ飛んでいく。次いで右肩・・・サオリーナの奴、わざと直撃しないように投げつけているな?オレがジワジワと弱っていくのを楽しんでいるのか!?
分が悪すぎる・・・。オレの魔力は生きている者にしか作用しない。遠くから、しかもあんな質量の物をこうも高速でぶん投げられたのでは、妻を護りながらなんて到底避けられない!とにかく引き離して二人を安全な場所に・・・。
「ぐっ!?」
左脚に激痛が走る!駆けりながらちらと目をやるとアイツの角が突き刺さっているではないか!!大木の影に潜ませて自分の角を折って投げてきたな!?
・・・駄目だ・・・!もう長くは走れない。だが、止まれば直ぐにでも殺られてしまう!!
我が子は・・・!?
「ハハッ、こんな時だってのにスヤスヤ眠っていやがるぜ!・・・そうだよなぁ~、ママのおっぱい、気持ちいいもんなぁ~」
妻が大事に大事に我が子を胸の間に抱え込み、必死に魔力で包んで護っている。
「ああ!かわいいなぁ・・・愛おしいなぁ・・・!もうすぐだよ?あと少しで街にちゅきましゅからねぇ~。そしたら、パパとおぶ入ろうねぇ~・・・」
(なんだ!?サオリーナの奴め!目の前の岩なんか砕きやがって進路妨害のつもりか??うん?妻がなにか言ってるな?そんな小声じゃあ、聞こえねぇよ・・・。
・・・あれ!?走れねぇぞ??妻が・・・いない!!落っことしちまった??
・・・いた!よかった・・・。足元か。
何だよ、口パクパクさせて。聞こえねぇっての!!)
「ヴァーレ!!イヤアアアアッ!!」
(・・・なあんだ、目の前の岩が砕けたのは、オレの胸を投げつけられた角が突き抜けて行ったからか・・・)
大量の血を口から吐き出しながらゆっくり傾く視界の端に、背後から妻と我が子を手に架けようとするサオリーナが映る・・・。
(・・・駄目だ。あの二人だけは・・・。よしてくれサオリーナ・・・。ああ、誰でもいい・・・あのふた・・・りを・・・・)
一瞬、光が見えた気がした。その光を掴もうとすると、奇跡的に少しだけ体が動いた。
サオリーナと妻の間に割って入ると、オレは魔力を振り絞リ我が娘を振り下ろされた爪と爪の隙間に入り込むようずらして攻撃から守ってやった。
・・・最後に見えたのは切り裂かれ鮮血を吹き上げながら崩れ落ちる妻の姿だった。




