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第八章 反魂香(2)

「にわかには信じがたい話だな」

与四郎は学帽を脱ぐと中に指を入れ、くるくると回した。

「阿片だろ?ふつうの人間が手に入れられる代物じゃねえ」

「その阿片というのは何なのだ」

「使い方によっては薬だが、多用すれば毒になるし中毒になる。しまいには廃人になって死ぬ。清国の(てつ)を踏まないよう、徳川幕府は初手から阿片の輸入を禁じたんだな。いや待てよ、清国か英国と繋がりがあれば、こっそり入手できるかも知れない・・・清一郎の親父は貿易商だったな?だが手に入れられる立場だとして、実の息子に阿片を与えるはずがない」

与四郎は頭に浮かんだ考えをぶつぶつ言っていたが、きょとんとした匡の顔を見て、こう言った。

「つまり、さっきの医者が言ったことはこうだ。留学生が清一郎の家に持ってきた反魂香の正体は阿片だ。一旦、留学生の正体と、阿片の入手経路はおいておく。佐緒里とキヨは知らずに阿片を焚いて、清一郎の部屋に入れていた。ここからは俺の推測だが、キヨが屋敷を留守にしていた八日間も、佐緒里は阿片を焚いて清一郎の部屋に置いていたんだろう。そして自分も阿片の煙を吸い込み、中毒になった。清一郎も阿片中毒になっていたかも知れないが、もう確かめる術はない」

「やはり反魂香は、死者を蘇らせる霊薬ではなかったのだな」

「何者かが反魂香と偽り、阿片を新井の屋敷に持ってきた。分からねえのは、留学生の正体と、阿片の入手経路だ。どちらかが分かれば、もう一方も分かるだろう。とはいえ、どう調べたものか」

その時、南風が吹いて与四郎が(もてあそ)んでいた学帽を宙にまきあげた。

「あ」

とっさに追いかけた匡がつかまえるより先に、風で転がった帽子を門から入ってきた女が拾いあげた。

「あら、この学帽は東京帝大のものでは」

帽子を取り上げた中年増(ちゅうどしま)が、後ろを振り返る。後ろにいた日傘を手にワンピースを着た娘が、学帽をちらりと見た。

「お(たえ)、帽子をお返ししてあげて。困っていらっしゃるわ」

匡は妙と呼ばれた女から学帽を受け取り、頭を下げた。

「失礼ですが、帝大の方?」

洋装の娘は匡の前に進み出ると、(おく)することなく匡を真正面から見た。年齢は佐緒里より少し上だろうか。瓜実顔に大きな半月目が印象的な、美しい顔立ちをしている。が、その瞳には少し(かげ)があった。

 美しい娘に見つめられて、匡は顔が熱くなるのを感じた。うまく言葉がでてこない。ちらりと与四郎を見たが、ニヤニヤとこちらを見ているだけで、なにも言わない。匡は娘に頷くと、与四郎の隣にそそくさと戻った。

蔦子(つたこ)様、もう行きましょう」

妙と呼ばれた女が娘に声をかけた。

「お待ちください」

傍観者を決め込んでいた与四郎が突然、口をはさんだ。

「あなたが清一郎君の婚約者ですか」

娘は驚いた様子で与四郎を見た。次の瞬間、その顔は歪み、泣きだすのを(こら)えているように見えた。

「佐緒里さんの見舞いでここに来たのですか。残念ながら面会謝絶だそうです」

蔦子はうつむいて言った。

「佐緒里ちゃんに会いたくて来たのです。ずっと、仲良くしていたものですから」

「清一郎君のことは、お気の毒でした。佐緒里さんまで入院するなんて思いもよらなかったでしょう」

与四郎は佐緒里を慰めるように、優しい口調で言った。

「ここにかけませんか」

と言って、自分の隣に促した。蔦子は少し躊躇(ためら)ったが、与四郎から少し離れて腰をかけた。

「先ほど偶然、佐緒里さんの主治医から話を聞きましてね。蔦子さんもきっと興味を持つと思います」

与四郎は静かに話しだした。

「その医師がいうには、佐緒里さんは薬物中毒だというのです。なんでも生前、清一郎君の部屋で反魂香という霊薬を焚いていたらしいのですが、どうもこの香が佐緒里さんにも作用したらしい」

「なんですって?」

蔦子は驚いて与四郎を見た。

「そのお薬を清一郎さんに届けさせたのは、私です」

匡は驚いて蔦子を見た。与四郎はさほど驚いた気色もなく、言葉を続けた。

「立ち入ったことをお尋ねしますが、あの薬はどうやって手に入れたのですか。どのょうな薬なのかが分かれば、佐緒里さんの治療の助けになるでしょう」

蔦子は少し躊躇(ちゅうちょ)した後、話し出した。

「・・・あのお薬をどこから入手したのか、私には分かりません。西洋に、肺病に効くお薬があると人づてに聞いて、お父様にどうしても手に入れて欲しいとお願いしました。お父様は西洋と交易をしていて、そのつてで舶来品(はくらいひん)を手に入れることができるのです。お父様は手を尽くして探して下さっていましたが、なかなかお薬は手に入りませんでした。やっとお薬が入手できたと聞いた時は、これで清一郎様はきっと良くなると思いました。たとえお目にかかれなくても、私が清一郎様にお薬をお届けしようと思っていたのに、お父様は手代にお薬を持って行かせたとおっしゃいました。それなのに、お薬を届けてからひと月と経たないうちに、清一郎様はお亡くなりに・・・」

蔦子は目を伏せて下を向いた。大粒の涙がぽたり、と膝に置いた手に落ちた。

「お辛いことでしょう」

与四郎は蔦子に優しく言葉をかけた。それから匡のほうを振り返り、小声で言った。

「蔦子と妙から、俺たちの記憶を消してくれ」

匡はうなづき、すっと立ち上がると、うなだれている蔦子の前に立った。蔦子の額に片手をかざし、小さく呪文を唱えた。次の瞬間、蔦子はガクリと気を失った。

「お嬢様に何をするのです!」

驚いた妙の額にも手をかざし、呪文を唱える。妙も気を失い、蔦子の隣に倒れ込んだ。

「少ししたら目が覚める。私たちの事も、話をした事も覚えていない」

与四郎はヒューと口笛を吹いた。

「さすが陰陽師殿」

与四郎は立ち上がって学帽を被った。

「おおかた、こんな話だろう。蔦子に頼まれた父親は、肺病の薬を西洋から取り寄せるが、届いたものは阿片だった。西洋と交易している父親は、もちろん阿片のことは知っているだろう。清一郎の余命が短いことは、清一郎を診ている医者に聞けば分かることだ。娘を不憫(ふびん)に思い、蔦子の父親は清一郎の最期はせめて苦痛がないよう、敢えて阿片を届けさせたんだろう。ただ阿片を不法に入手し、持ち込んだことが知れれば、蔦子の父親もお(とが)めを受ける。手代に身分を偽らせたのは、出所を隠すためだ。これで反魂香と留学生の正体は判明した」

匡は気を失っている蔦子を見た。それから与四郎に向かって言った。

「なぜ蔦子殿に(かま)をかけたのだ」

「蔦子の父親は生糸商だ。生糸は主に米国(メリケン)と英国に輸出されている。清一郎の身近にいて、かつ西洋と接点がある人間は限られる」

与四郎は欠伸をして言った。

「なぜ蔦子殿から私たちの記憶を消す必要があったのだ」

「ただでさえ婚約者を亡くして気落ちしているのに、林医師が言っていただろう、佐緒里はもう長くはない。佐緒里が死んだら、蔦子は自分が持って行かせた薬のせいで佐緒里が死んだと、自らを責めるだろう。俺たちは事の真相が分かればいい。だが、この娘があえて不幸になる必要はない」

与四郎は匡の顔を覗きこんで言った。

「あ、お前は蔦子に覚えていてほしかったか?悪いことしたな」

「そ、そんなのではない」

顔を赤くして匡は門に向かって駆けだした。

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