第七章 面会
匡が与四郎と巣鴨の癲狂院を訪れたのは、八月十二日の昼前だった。受付で新井佐緒里嬢に面会したい旨を伝えると、中年の看護婦は無言で匡と与四郎をジロリと睨んだ。
「面会時間は十分。患者を興奮させることはご法度です。もし暴れるようなことがあれば、すぐに医師を呼んでください」
看護婦は佐緒里の部屋番号を告げると、ピシャリと硝子の小窓を閉めた。
病院のあちこちから奇声やうめき声が聞こえてくる。
「これが有名な気狂い病院か」
与四郎は物珍しそうに廊下に並ぶ病室を覗き込んでいる。匡は受付横に貼られた院内案内図で佐緒里の病室を確認し、二階に上がる階段へ歩きかけた。ふと振り返ると、与四郎が受付の前に突っ立っている。
「俺は、外で待ってる」
そう言うと与四郎は表へ出て行った。匡は何も言わず、一人で二階へ上がって行った。
匡が二〇四号室の前で面会に来たことを告げると、付き添いの女中がドアを開けて中に招き入れてくれた。病室にはベッドが二台あったが、この部屋を使っているのは佐緒里だけのようだった。匡は静かに佐緒里のベッドの傍に立った。
浴衣を着た佐緒里は眠っているようだった。陶器のように白い肌に、痩せこけた頬と細い首。艶の消えた長い髪は、乱れて枕からシーツへ散り散りに広がっている。ふつうの病人と違って、両手首に枷がはめられベッドに固定されている。佐緒里の手首は驚くほど細く、おそらく何度ももがいたためにできたであろう擦り傷と、青紫色の痣が見えた。
「お嬢様、お見舞いの方が見えましたよ」
女中が佐緒里の耳元に囁いた。
「清一郎殿の同級生で、佐伯匡と申す」
匡は静かな声で佐緒里に話しかけた。佐緒里の瞼がぴくりと動いた。清一郎の名に反応したようだった。佐緒里は目を開け、匡を見た。生気のない、真っ暗な目だった。
「佐緒里殿、王模という男が見舞に香を持ってきたことを覚えておいでか。帝大で尋ねたが、王模という学生は存在しなかった。どのような風貌の男だったか、教えてもらえないだろうか」
佐緒里は瞬きもせず匡の顔を凝視した。
「・・・えれ」
低い、しわがれた声だった。とても十五歳の娘の声とは思えなかった。
「・・・かえれ」
突如、佐緒里は充血した両目を見開き、叫んだ。
「なせ糸を切った?おまえが糸を切らなければ、佐緒里と一緒にいられたのに!」
反射的に匡は佐緒里の額を片手でおさえつけた。
「お前は何者だ?清一郎ではないな?何故この娘に取り憑いておる!」
佐緒里は目を剥き、匡を睨みつけた。匡が手印を結び呪文を唱えようとしたその瞬間、女中が呼びに行った医師と看護婦が病室に駆けこんできた。看護婦が二人がかりで暴れている佐緒里を押さえつけ、医師が鎮静剤を注射すると、やがて佐緒里は静かになった。
「お嬢様に一体何をするつもりですか!清一郎様が亡くなってからずっと、興奮しては暴れての繰り返しなのです。もうお引き取り下さい」
女中は疲れ切った顔でそう言うと、匡を廊下へ促し、ドアを閉めた。
その晩、匡は宿舎の部屋で考えこんでいた。
佐緒里に何者かが取り憑いている。清一郎ではない。おそらく、その者は私が冥府で切った黒い糸が示す死者だ。しかし、その者はなぜ私が糸を切ったことを知っている?そして王模とは何者なのか。
「お前が冥府で清一郎の息の根を止めたのか?」
ずっとおし黙っている匡に、与四郎が尋ねた。
「冥府の官吏は人の生死に関与しない。冥府の戸籍と現世の戸籍が一致せず、死者がなんらかの理由で現世に引き留められていた。小野様より書状を受け取り、死者の数を一致させるようご指示があった。書状にあるように、清一郎の名と享年が記されていた。私が冥府で切ったのは、生者にしがみつく、死者の黒い糸だ。そして清一郎の死にはこの匂いが関係している。しかし、あの様子では佐緒里殿と話をすることもままならぬ」
そう言うと、匡は天井を仰いだ。
しかし、もつれた糸は思いがけないところからほぐれ始めた。




