第十話 制御という名の鍵
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集落の端にある簡素な訓練場。
地面は何度も踏み固められて硬く、ところどころには焦げ跡や、土壁が崩れた痕が残っている。
アヤメは、両足の幅を肩幅に開き、刀を肩の横に構えた。
息をひとつ吐いて――振り下ろす。
風を切る音。
刃はまっすぐ、狙った線を通って地面の手前でぴたりと止まった。
「……ほんとに、一晩でここまで変わるんだね」
背後から聞こえた声に、アヤメはゆっくりと振り返った。
ミラが腕を組み、呆れとも感心ともつかない顔でこちらを見ている。
「昨日教えたとき、もっとこう……ぎこちない感じだったでしょ。今日はもう、“それっぽい”になってる」
「ガレンが、こうって言ってたから」
アヤメは素直に答える。
「足はここ。重さはこの線。腕はこう通す。だから、そうしてるだけ」
「“だけ”って言うほど簡単なことじゃないんだけど……」
ミラは苦笑し、額に手を当てた。
「普通はね、“分かってても体がついてこない”ってところから始まるんだよ。アヤメの場合、“分かった瞬間に体が追いつく”から……どう反応していいか悩む」
アヤメは首を傾げた。
「変?」
「変、っていうより……ずるい」
「ずるい?」
「うん。世の中の努力勢を敵に回すタイプ」
ミラが肩をすくめたそのとき、重い足音が近づいてきた。
「お、もう始めてやがるのか」
ガレンが片手に斧、もう片方の肩に布をかけて現れた。
近づいてくるだけで、淡い熱の気配が周囲の空気を押し広げる。
「今日から本格的にやるぞ、アヤメ。
刀だけじゃなく、シックスセンスの方もだ」
アヤメは静かに頷いた。
――制御しないといけない。
あの中型ヴォイドを倒したときの光景が、頭の中に浮かぶ。
雷膜。
爆ぜる光。
ミラのすぐ背後まで走った電撃の残滓。
あのときは、運良く“内側に向き続けた圧”が外に抜けただけだ。
もしどこかで流れ方がずれていたら――。
(ミラも、一緒に焼く)
そこまで想像するのに、難しい計算はいらなかった。
だからこそ、その前に“知らない部分”を埋めておく必要がある。
「まずは基礎中の基礎だ」
ガレンが、訓練場の中央の地面を指差す。
「シックスセンスは“強さ”じゃなくて“制御”が命。
お前のは強さだけならもう十分だ。問題は、強すぎて止まらねぇこと」
「止める……」
「そうだ。雷を“出す”んじゃない。“出して、決めたところで止める”んだ」
ガレンは腰を落とし、地面に小石を一つ置いた。
「とりあえず、ここに、弱く撃ってみろ。地面を抉るな。目標は“黒く焦がすだけ”だ」
「わかった」
アヤメは刀を背中に背負い直し、右手を前に出した。
指先に意識を集中させる。
――雷。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
前に覚えた“流れ方”をなぞる。
白い光が、指先に集まる。
その瞬間、ガレンの声が飛んだ。
「待て! 今の出し方は――」
遅かった。
ばちっ――。
雷光が地面へと落ちた。
小石は粉々に砕け、周囲の土ごと小さく爆ぜて、焦げた匂いがあたりに広がる。
ミラが思わず目を瞬かせた。
「ちょっと、これで“弱く”なの?」
ガレンは頭を抱えた。
「お前なぁ……今の、“全力の一割”とかそんな感じのつもりなんだろうが、こっちから見りゃ十分すぎる殺傷力だ」
「弱く、したつもり」
アヤメは本気でそう思っていた。
中型を貫いたときの出力に比べれば、今のは明らかに“薄い”。
「いいか」
ガレンは肩で息をしながら、言葉を選ぶ。
「シックスセンスの制御ってのはな、“どれだけ出せるか”じゃなくて“どこで止められるか”なんだ。
今のお前は、“出す”はできても、“止める”が甘い」
「止めるイメージ、が違う?」
「そうだ。出したあとも、流れっぱなしになってる。蛇口をひねって、水を出しっぱなしの状態だ」
「……わかった」
アヤメは目を閉じる。
さっきの感覚を、頭の中で巻き戻す。
胸から腕へ流れた“雷の線”。
それが指先を通って外に出ていくイメージ。
――ここで止める。
今度は、途中で“栓を閉めるイメージ”を加えてみる。
流れが細くなり、そこで切断されるように。
目を開けた。
「もう一回、やる」
ガレンは眉をひそめながらも、黙って見守る。
アヤメは、さきほどより狭い範囲に意識を集中させた。
指先に、ほんのわずかな光が灯る。
――ぱち。
今度は、小石の表面が黒く焦げただけだった。
土は抉れていない。
ガレンが目を丸くする。
「……おい」
ミラが小声で呟いた。
「さっきの説明、そんな丁寧でもなかったよね?」
「うるせぇ……」
ガレンは頭を掻きむしった。
「普通はな、一週間単位でやる練習なんだよ、今の。“止める”って感覚を掴むまで、何度も失敗してな」
「失敗した。さっき」
アヤメが淡々と言う。
「だから、こうしたら止まるって、分かった」
ガレンはしばらく黙ってから、深く息を吐いた。
「……まあ、いい。次だ」
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少し離れた位置から、その様子を見ていたルカが、顔をしかめながら近づいてきた。
「じゃ、次は俺の番ってことね。方向制御、やろっか」
「方向」
「雷ってさ、基本一直線に走る。
でも“どこへ向かせるか”を決められるかどうかで、戦い方はぜんぜん違うんだよ」
ルカは自分の短槍を地面に突き立て、その先端を指さす。
「ここを狙って、さっきくらいの強さで。“線”を意識してみて」
「線」
さっきは“点”だった。
今度は、“そこへ伸ばす道筋”のイメージ。
アヤメは深く息を吸って、ルカの槍先と自分の指先を結ぶ線を思い描いた。
――ここから、そこへ。
雷光がほとばしる。
ひゅ、と空気が細く裂けた。
白い糸のような線が奔り、槍先に到達する。
ルカは慌てて槍を引いた。
「っぶなっ! ちょっと待て待て待て!!」
槍の先端が、薄く焦げて煙を上げている。
アヤメは首を傾げた。
「外した?」
「外してねぇよ! ど真ん中だよ! そうじゃなくてさ!!」
ルカは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「“線を意識してみて”って言ったら、いきなり最短の綺麗なラインで撃つなよ……。
普通はもっと、こう……ブレるの。びりびり蛇みたいによじれるの。そこから練習なの」
「蛇みたい、は嫌」
「いや、そういう問題でもない!」
ミラが肩を震わせながら笑う。
「でも、ルカ、さっき“線を意識してみて”って言ったから、その通りになっただけじゃない?」
「だからって、ここまでスムーズにやられると、教えたこっちの立場がないっていうかさ……!」
ルカはため息をつき、それでもすぐに表情を真面目に戻した。
「……でもまあ、すげぇのは確か。
今の感じをもう少し弱めに、曲げるイメージも加えられれば、近くに仲間がいても軌道調整して避けることができる。
“真っ直ぐしか撃てない雷”って、一番味方殺しかねないからな」
「曲げる」
「そう。狙いたくない方向には、自分で“避けさせる”。
今度は――」
「ちょっと待って」
ルカが次の課題を出そうとしたところで、冷静な声が割り込んだ。
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「その前に、壁の話をさせて」
エマだった。
彼女は腰に下げたロッドで地面を軽く叩く。
「いまのままだと、私たちの土壁、簡単に貫かれるから。
“ここまでは通すけど、ここから先には行かせない”ってラインを、お互いに決めておかないと」
エマがロッドを地面に突き立てると、足元の土が盛り上がった。
腰の高さほどの、粗い土の壁がアヤメの前と自分たちの間に立ち上がる。
「じゃあアヤメ。この壁の……そうだな、一メートル手前で雷を消してみて」
「一メートル」
「そう。“土に触れないところで止める”。
壁の向こうにいるのが私たちだと思って。ここを貫かれたら、誰かが死ぬ」
アヤメは、その言葉だけはすぐに理解できた。
ミラ。
サラ。
ジェイド。
知らない誰かの顔も、薄く浮かぶ。
「壊さない」
彼女はそう呟き、壁の手前一メートルの空間を見つめた。
そこに薄い線を引くイメージを持つ。
――ここまで。
ここから先は、行かせない。
雷を出す。
一瞬、白い光が走り――。
どん、と震える音がして、土壁の表面にひびが入った。
「ぎゃあぁぁぁ!! 壊れてるぅ!!」
エマが悲鳴を上げた。
「ごめん」
アヤメは素直に謝る。
「イメージはした。でも、止める場所がずれた」
「言い方がもうそれっぽいのやめて! 訓練データのログ読み上げじゃないんだから!」
ミラが慌てて壁を撫でる。
「まだ崩れてはないけど……ひびひびだね。ぎりぎり」
「今度は、もう少し手前で止めてみる」
アヤメは再び壁を見つめた。
さっきの“ずれ方”を頭の中で解析する。
雷が走った距離。
出力を切ったタイミング。
そこから逆算して、止める位置を調整する。
今度は――。
ぱち。
白い光が走り、一メートル手前の空中でふっと消えた。
土壁は揺れもしない。
エマはその場に崩れ落ちそうになりながら、壁を両手で確かめた。
「……ノーダメージ……」
ミラが小さく笑う。
「よかったじゃん。成功だよ、エマ」
「よかったけど……よかったけどぉ……!」
エマは複雑そうに顔を歪める。
「この子、“一回失敗して誤差測って、二回目で修正”って……
そんな器用な真似、普通できないんだよ……!」
「できるから、やるだけ」
「それがずるいって言ってるの!」
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少し離れたところで、サラが端末を手に立っていた。
アヤメの方を見ながら、時折画面に何かを書き込んでいる。
心拍数。
呼吸のリズム。
筋肉の動き方。
シックスセンス発動時の反応。
(……やっぱり、おかしい)
サラは心の中で整理する。
高出力のシックスセンスを連続して使っているのに、心拍は上がっているだけで乱れてはいない。
筋肉の痙攣も最小限。
回復の傾向も、やはり“通常の人間の範囲”から大きく外れている。
(適合率だけが高いんじゃない。体の方も、それに合わせて“最適化されている”)
そんな表現が、頭をよぎる。
だが、口には出さない。
少なくとも、辺境の集落で口に出していい概念ではない。
(どんな理由があろうと、この子は今、ここにいる。
私たちができるのは、“壊さないように見守ること”だけ)
サラは静かに息を吐き、端末を閉じた。
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「よし、ひとまず基礎の基礎はこんなもんだな」
ガレンが大きく伸びをした。
「出す量、向き、止める場所。
どれも“まったくできません”って段階はもう過ぎた。
――いや、正直に言えば、“普通の新人よりずっと上”だ」
「そう?」
「ああ。お前の問題は、むしろ逆だ」
ガレンは真面目な表情に戻る。
「“やろうと思えばやれてしまう”ことだ。
理解して、構造分かって、イメージできたら、すぐ再現できる。
それ自体は強みだけど、その分“失敗したときの被害”もでかい」
ルカが頷く。
「そうそう。俺らみたいな凡人は、そもそも出力を上げるのに時間かかるから、“暴発する前に限界迎える”んだよ。
アヤメの場合、“暴発しても体が耐えちゃう”から、なおさら危ない」
「……わたしが死なない、のは、いいことじゃない?」
「いいことだ。でも同時に、“止まるきっかけ”を失うってことでもある」
ガレンが言葉を継ぐ。
「普通のホルダーは、“やりすぎたら自分が死ぬ”からブレーキを覚える。
でもお前は、“やりすぎても死なない”。
だから意識して、“ここから先は出さない”って線を、自分で決める必要がある」
アヤメは少しだけ考えた。
ミラが焼かれかけた光景。
子どもたちがいた集落の柵。
あのとき、自分の雷膜は、たまたま“外向き”に押し出されただけだ。
(あの圧を、もう一回、集落の中でやったら――)
想像したくなかった。
「……決める」
アヤメは短く言った。
「わたしが雷を使う場所。出していい強さ。守りたいもの」
ミラが少しだけ目を見開く。
「アヤメ……」
ジェイドの声が、訓練場の入口から響いた。
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「その考え方は、悪くない」
彼は腕を組みながら近づいてくる。
軍用ジャケットの裾が風に揺れた。
「力を持った人間がまず最初に覚えるべきなのは、“自分がどこまでやるか”じゃない。“自分がどこから先をやらないか”だ」
ジェイドはアヤメの真正面に立ち、視線を合わせる。
「お前の雷は、この集落にとっても、世界にとっても“例外”だ。
それはもう、本人がどう思うかとは関係なく、事実としてそうなんだ」
「……例外」
「ああ。だからこそ、“鍵”になる可能性もある」
ジェイドの瞳には、期待も不安も同じだけ混ざっていた。
「ヴォイドを殺せる鍵。
同時に、人をまとめて焼き払う鍵でもある。
それをどっちに使うかは、お前の意志次第だ」
アヤメは少しだけ眉を寄せた。
「わたしは――」
言葉を探す。
まだ、うまく形にできない感情。
ミラが、隣からそっと口を挟んだ。
「少なくとも、ミラは焼きたくない、でしょ?」
「……うん。ミラは焼かない。みんなも、焼かない」
「よろしい」
ジェイドが短く笑う。
「だったら覚えておけ。
制御ってのはな、“誰を守りたいか”をはっきりさせるところから始まる」
「守りたいから、止める」
「そうだ。それを身体に叩き込め。
お前はもう、“無知だから暴れる子ども”じゃいられない。
――この前のあの雷を見た時点でな」
アヤメは、小さく息を吐いた。
「わかった」
本当に、分かっているかどうかは、自分でも完全には言い切れない。
ただ、“知らないまま戦うのは危険だ”という感覚だけは、もう揺らがなかった。
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ひと通りの訓練が終わるころ、空の色が変わり始めていた。
灰色の雲の隙間から、細い光の筋がいくつか落ちている。
ミラがアヤメの肩を叩く。
「今日はここまで。あんまりやりすぎると、サラに怒られるからね」
「まだ、できる」
「“まだできる”と“やっていい”は別だから」
ミラは笑いながらも、その声音には本気の色を混ぜていた。
「雷膜みたいなこと、今ここでやられたら、訓練場ごと吹き飛ぶよ? ほどほど、ほどほど」
「雷膜は、もうしない。ここでは」
「うん、それ強く約束して」
「約束する」
アヤメは真剣に頷いた。
そのやりとりを見ていたエマが、小さく息を吐く。
「……ほんと、感覚だけで見てると“普通の子”なんだけどなぁ」
「普通じゃねぇよ」
ルカがすぐにツッコむ。
「中型を一発で消し飛ばした“普通の子”がいてたまるか。
でもまあ……」
ルカはぼそっと続ける。
「ちゃんと“守る”って言えたのは、悪くないと思うけどな」
ガレンも腕を組んだまま、うなずいた。
「今はそれで十分だ。
制御は、理由がある奴の方が覚えが早い。
“なんとなく強くなりたい”だけの奴とは、根っこが違う」
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そのときだった。
足元の土が、かすかに震えた。
揺れというほどではない。
だが、アヤメの体は、反射的にその変化を拾う。
低い振動。
空気の流れが、一瞬だけ逆向きに乱れた。
サラが訓練場へ向かって走ってくる。
手にした端末から、けたたましい警告音が鳴っていた。
「ジェイド!」
ジェイドが振り向く。
「どうした」
「境界センサー。ヴォイド反応、複数。距離七百。
小型が群れてる……でも数が多い」
ガレンが舌打ちする。
「ちっ、まだ訓練始めたばっかりだってのに……!」
エマが顔をしかめる。
「この前の中型の影響で、群れのルートが変わってるのかも……!」
ルカは短槍を握り直しながら、アヤメを一瞥した。
「今日は“待機”でいいからな。
いきなりこの前みたいなの、もう一発とかやられても困るし」
ジェイドが短く命じる。
「ガレン、ルカ、エマは前線準備。
サラは診療所と避難経路の確認。
ミラは住民の誘導だ」
ミラが即座に頷く。
「わかった」
そして、アヤメを見た。
「アヤメ。今は、来ないで」
アヤメは少しだけ黙り、それから刀の柄を握った。
「……制御、まだ全部分かってない」
それは事実だった。
出す量。
向き。
止める場所。
基礎は触れた。
だが、“戦場で使えるレベル”かどうかは別の話だ。
ミラはその答えに、ほんのわずか安心したように微笑む。
「そう。じゃあ今日は、ちゃんと“待つ訓練”もしよ」
ジェイドが一言だけ付け足す。
「状況次第だ。
必要になれば――そのときは、俺が呼ぶ」
アヤメは頷いた。
「わかった」
ヴォイドの気配は、まだ遠い。
だが、確かに近づいてきている。
雷は、いつでも出せる。
刀も、もう握り慣れてきた。
それでも――。
(今は、“出さないこと”を選ぶ)
それが、制御の最初の一歩だと、アヤメは理解していた。
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