第九話 知るということ
アヤメは診療所のベッドの上で、ゆっくりと指を握ったり開いたりしていた。
雷を放ったあとに残った痺れは、もうほとんど消えている。筋肉の奥に残る鈍いだるさは、単なる疲労として理解できる範囲だった。
――あの大きな獣を、一撃で殺した。
そして、自分は生きている。
その事実を思い返しても、胸が高ぶることはない。
ただ「そうだった」という情報だけが、静かに積み重なっていくだけだ。
頭の奥に残っているのは、別の感覚だった。
雷膜が弾けた瞬間、音も空気も消え、光だけが世界を塗りつぶした、あの一瞬。
あの出力をもう一度出せる――そんな確信もあった。
ただし。
(ミラも、一緒に焼く)
それだけは、あり得る。
それが危険だ、ということはアヤメにも分かる。
知らないまま力を使えば、いつか必ず間違える。
だからこそ。
(知る必要がある)
自分の力のこと。
ヴォイドのこと。
この世界のこと。
扉がノックされ、ミラがひょいと顔を出した。
「起きてる?」
「……起きてる」
「呼ばれたよ。ジェイドが“みんなで話したい”って」
ミラは前と変わらない調子で笑ったが、その目の奥には緊張があった。
「世界のこと、ヴォイドのこと、それと……アヤメのことも」
アヤメはベッドから足を下ろし、自分の足で立った。
「歩ける?」
「歩ける」
「サラに怒られない程度にしてよ」
冗談を言いながらミラは肩を貸そうとしたが、アヤメは小さく首を振った。
歩けるなら、自分で歩く。
診療所を出ると、空気がひやりとしていた。
警報の音はない。
集落は静けさを取り戻している。
ミラに案内され、小さな小屋へ入ると、全員がそろっていた。
ジェイド、サラ、ガレン、ルカ、エマ。
その視線は一斉にアヤメへ向けられる。
敵意はない。
ただ……“測る”目だった。
「座れ」
ジェイドが顎で示す席にアヤメは座り、ミラが隣に腰を下ろした。
テーブル中央には、布に包まれた金属容器とサラの端末がある。
ジェイドが切り出した。
「まず確認する。中型を止めきれなかったのは俺たちで、止めたのはアヤメだ」
アヤメは黙って受け入れた。
「だが、俺たちはお前のことをほとんど知らない。何ができて、何ができないのか。
このまま戦力として動かすのは危ない」
ミラが不満げに眉を寄せる。
「アヤメは悪くないでしょ」
「誰も責めてねえよ。ただ、危ないって話だ。味方もろとも焼かれたら困る」
ジェイドは続けた。
「今日は知識の擦り合わせだ。
俺たちが知ってる限り全部話す。アヤメ、聞きたいことは全部聞け」
アヤメは即答した。
「知らないと、判断できない。だから知りたい」
ジェイドは僅かに目を細める。
「よし。じゃあまずヴォイドからだ。サラ」
サラが端末を操作し、粗い線画のヴォイドの図を映した。
「いい? ヴォイドは内部構造こそ普通じゃないけど、《核》がある。そこを壊せば完全に死ぬ。で、呼吸してるから、殺し方自体は動物とそこまで変わらない」
アヤメが少し首を傾げた。
サラはさらに説明を続ける。
「問題は筋肉。とにかく硬い。動物とは比にならない密度で、刃がまず通らない。
だから倒すなら《筋肉のつなぎ目》を正確に狙う必要がある。関節とか、動きのために生まれる隙間。そこだけは刃が入る」
エマが頷きながら言った。
「核は体の奥にあるから、まず入り口を作らなきゃいけないんだよね。力任せじゃたどり着けない」
サラが金属容器を開ける。
中には黒い欠片がある。
「これ、中型の胸部。核の近くの組織。それをアヤメの雷が……こうした」
欠片には細かい亀裂が無数に走っていた。
「内部から破壊された時の壊れ方よ。全身に一瞬でエネルギーが回った感じ」
アヤメは静かに言った。
「あのとき、自分の体の中に雷が広がった。獣の中も、同じ流れで壊したと思う」
ルカが呆れたように息を吐く。
「普通は神経焼けて死ぬんだよ、そんなことしたら」
ガレンも腕を組む。
「火でも神経が焼けるってのに、雷なら骨まで黒焦げだ。……よく生きてたな」
「死ななかった」
アヤメはただ事実だけを口にした。
サラは額に手を当てた。
「そこが一番意味わからないのよ。あの出力で神経が生きてるとか、回復が異常すぎる」
ミラがアヤメの肩に軽く触れる。
「だからこそ制御しようって話なんだよね。アヤメが死ななくても、周りが死んだら意味ない」
ジェイドが頷く。
「次。ホルダーの常識について、ガレン」
ガレンが椅子に体重を預けた。
「アヤメ、シックスセンスってのは《適合率×体力×制御》でだいたい決まる」
「適合率」
「生まれた時に決まる。十五が普通。二十越えたら有望。三十あれば前線でやれる。五十は化け物」
ルカが続ける。
「だから普通は出力じゃなくて《狙ったとおりに出せるか》を鍛えるんだよ。強けりゃいいわけじゃない」
エマも頷いた。
「壁作るにしても、必要以上に盛ったら無駄だしね。精度が大事」
ガレンが指を一本立てる。
「基本は三つ。“出す量を決める”“向きを決める”“止める”。これができて一人前だ」
アヤメは思い返すように言った。
「昨日、刀の稽古で言われたことと似てる」
「お前、刀は妙に飲み込み早いよな。普通もっとぎこちねえぞ」
エマが頬を膨らませる。
「私だってぎこちない時ぐらいあるし」
ミラが笑った。
「でもアヤメは本人は普通にやってるんだよね?」
アヤメは頷く。
「構造が分かれば、動かせる。難しくない」
サラが興味深そうに見つめる。
「理解速度と再現性。そこも普通じゃない。たぶんアヤメは“分かればすぐできる”タイプなんだと思う」
ジェイドがまとめる。
「だからこそ危ないんだよ。今のお前は“分かってない”状態で力が強すぎる」
アヤメは短く答えた。
「じゃあ、知ればいい」
その単純さに、ルカは苦笑した。
「……まあ、そうなんだけどさ」
ジェイドが促す。
「質問あるか?」
アヤメは少し黙ってから口を開いた。
「ヴォイドは……なんで喰うの?」
空気が止まる。
サラが答える。
「理由は不明。エネルギー源として取り込んでるとか言われてるけど、“満腹”がない。どこまでいっても喰い続ける」
アヤメは次を重ねる。
「シックスセンスは、どこから?」
エマが答える。
「ゼノマトリクスへの適合だよ。でも何で五属性だけなのかは謎」
「適合率は変えられない?」
サラは食い気味に言う。
「変えられない。生まれた時点で確定してる」
アヤメの胸の奥で、小さなざわめきが揺れた。
しかしすぐに消えた。
「人類圏は……増えてない?」
ジェイドは苦い笑みを浮かべる。
「地図の上では増えてるって話だが、実感はねえな」
エマも続けた。
「少なくとも、私たちの周りじゃ広がってる感じはしないよ」
アヤメは全員の言葉を整理した。
壊れた世界。
喰う獣。
五属性の力。
五パーセントの土地で生きる人類。
(知らないままじゃ、守れない)
アヤメは顔を上げた。
「知りたい。わたしのことも、世界のことも。どうすれば、ここを守れるかも」
ミラが微笑む。
「うん。一緒に知っていこう」
サラが腕を組む。
「分かってる限り全部教える」
ガレンが立ち上がる。
「力の使い方は俺が叩き込む」
ルカが肩をすくめる。
「アヤメ、頼むからいきなり死ぬような真似すんなよ」
エマが笑った。
「解析なら私が全部やる。アヤメの力のルール、絶対見つけるから」
ジェイドが締める。
「明日から訓練と座学だ。まずはここで知れ。力も、世界も、自分のことも」
アヤメは一人ひとりを静かに見た。
ミラ。
サラ。
ジェイド。
ガレン。
ルカ。
エマ。
「……教えて」
短いひと言だったが、それはアヤメが初めて自分の意思で求めた“学び”だった。
ミラがやわらかく笑う。
「任せて」
外では風が木々を揺らしていた。
その向こうでヴォイドたちは今日も喰い続けている。
アヤメはようやく一歩を踏み出した。
戦うだけではなく、“知るため”の一歩を。




