第11話 太陽と月の距離
まだわずかに夏の暑さが残る初秋の夜。
宿の二階。
夜風を入れるために開け放たれた窓を見つけ、私は口元に手を当ててそっとほくそ笑む。
中に見張りがいないのは分かっている。
心配していたのは外の見張り。
それも今日はなぜかいない。
これはきっと、神様が今日がその日だと告げている。
今日こそ、絶対に……。
窓に静かに手を置き、少しずつ押し開く。
なんとか体が通るだけの幅を確保し、スッと体を滑り込ませた。
カーテンの裏に隠れた私の体。
顔だけを隙間から覗かせると……いたっ!
ベッドの上の膨らみ。
私の目的があそこにある。
カーテンを開き、さあ飛び掛かろうと一歩目を踏み出したその瞬間、
「何してんの、あんた?」
突然真横から声をかけられた。
まるで油の切れたゼンマイ仕掛けのように、ギギィと音を立てそうなぎこちなさで隣を見ると、呆れかえったという表情が似合う、赤髪のボブカットに青のインナーカラーを入れた、親友……?
「えっ、ちょっと待ってよ。ならあれは?」
私がベッドの膨らみを指さすと同時に、表情の薄い少女が布団からひょこっと顔を出し、こちらに向けてピースサイン。
「キ、キアネア……。何よ二人して私を騙したってわけ? ひどくない?」
「あのね、夜這いに来ておいて偉そうに言わないでくれる? びっくりしたわよ、キアネアからマリーナが変なことしてるって聞いた時には。しっかりレオンがいない夜を狙ってくるし」
「だーって、最近セレナ、レオンとばっかり遊んでるし、この前だってアミーカとのお茶会も来てくれなかったしさ。寂しかったんだもん」
王都に来て最初の年、次の年くらいまでは比較的みんなで集まってお茶を飲んだり、買い物をしたりと過ごす機会は多かった。
けど、三年目の今年。
セレナは王都での名声も高くなり、様々な仕事の依頼や、最近では工房の王都在留をかけた資格試験すらもベーネさんから任されたという。
『ベーネ工房にセレナあり』
まだ小さいけれど、そんな評判を聞いたのも一度や二度じゃない。
アミーカだって最近はグレッダさんの屋敷で腕を磨き、来年にはオーギュスト様の推薦で初めての女性王城料理人を目指して試験を受けるとか。
「だから、いいじゃないっ!」
「いいわけないでしょ。まったく、寂しいならそう言ってくれればいいじゃない。マリーナのためなら私だって、アミーカだって……」
「あなたじゃなきゃダメなの」
私のその一言に、それまで呆れたような表情を浮かべていたセレナの顔がキュッと締まり、いつになく真面目な視線を私に投げかける。
私はそれを真っ直ぐ見つめ返した。
遊び半分じゃないんだ、私だって。
今日を逃したら、きっともう……。
「キアネア、ごめん。また外の見張りに出てもらってもいい? 私、マリーナと少し話したいことがあるんだ」
「分かった。でも、襲われそうになったら声上げてね?」
そう言うとキアネアは部屋のドアを開けて去っていく。
とんでもないセリフを残してくれたおかげで、私もセレナも思わず苦笑いをして顔を見合わせるほかなかった。
去り際にキアネアの口が動いたような気がしたけど、あれはセレナへか、私へか。
いや、今はいい。
せっかくセレナが作ってくれた時間だ。
ちゃんと、伝えよう。
「あのね、来年からとうとう王城魔導具部門で勤めることになっちゃったんだ」
「えっ! あ、いや、そうか。決まってたことではあるもんね」
「うん。でも王城勤めのマナーとかって、さすがに子爵家程度じゃ分からなくてさ、今グレッダさんに少しずつ教わってるの。だからしばらくセレナやアミーカ……ううん、セレナに会えないかもしれないの。それが、イヤなのよ」
つぅ、と涙が頬を伝う。
なんでだろう。
故郷でも、学校でも、職場でも、私が泣くことなんてほとんどない。
私はマリーナ・フィデラ。
フィデラ子爵家の令嬢。
心で泣いていても、顔は満面の笑顔を見せられる。
そういう貴族の教育を受けてきたはずなのに、セレナの前じゃそれが通じない。
笑いたい時は笑い、怒りたい時は怒り、泣きたい時に泣く。
そんな人間としての当たり前の生き方がセレナの生き方。
それが、いつしか私にまでうつってしまった。
ハンカチを取り出して、涙を拭った。
「セレナのバカ」
「な、何よ突然」
「バカバカバカっ! なんで私なんかよりもレオンくんを選ぶのよっ!」
そう言ってセレナに抱き着く。
分かってるんだ。
この問答だってすでに十回は繰り返してる。
ふざけて聞いた時だってあるし、真面目に聞いた時だってある。
けど、セレナの答えはいつも同じ。
『あの時先に来てくれていたら……』
そのタイミングを逃した以上、もう答えは変わらない。
セレナはずっと、そう言っているのだ。
「ねぇ、もうどうしてもダメ? 私があなたの心に入る隙間はないの? 答えて、答えてよっ、ねぇっ!」
セレナは私の背中に左手を回し、やさしく抱き寄せてくれた。
そして、右手の指でビシッと強めにおでこを弾く
「いったぁ……人がせっかく真剣に話してる時に何すんの……んっ……」
おでこを弾いた右手がいつの間にか私の頭の後ろを押した。
目の前にセレナの顔が大きく映る。
……キス、されてる?
それに気づいた私も目を閉じる。
たぶん時間にしたら何秒っていう短い時間だったんだと思う。
けど、セレナから感じる私への想い。
『でもね、私にはレオンがいるの。だから、これは最後ね』
あの時そう言ってたのに。
そう言ってたはずなのに。
ずるいよ……。
ゆっくりと唇が離れ、私たちは顔を見合わせる
セレナのやさしい微笑み。
私は……きっと泣きそうな顔になってるだろう。
「なんで?」
「だって、王城魔導具部門でしょ? 私にもまったく未知の世界に進もうとしてるあなたに、何ができるかなって思ったら、つい……ね?」
「セレナ……」
「マリーナ。あなたが心に入る隙間はないのかって聞いたわよね? 恋愛や結婚、そういう意味ではないよ。これだけはハッキリ言っておく。でもね、私にとってマリーナとアミーカは、今まで私を支えてくれた、誰よりも近しい親友なの。だから、私が出来ることなら、少しくらいは踏み出してあげてもいい」
きっぱりと言い切るセレナの目は、どこまでも真っ直ぐに私の心を射抜いた。
そう、そうだね。
あなたはウルヴィスの魔導具科でも、研究室でも、いつだってみんなを明るく照らす太陽だった。
そして今、この王都でも少しずつその光を広げている。
「そこが、私が引けるギリギリのライン。分かってくれるかな?」
セレナは一転して顔を和らげると、スゥッと私の右頬に手を伸ばし、親指でそっと撫でた。
私はセレナの手の上に、自分の左手を重ねる。
その温かさに、またひとすじ涙がこぼれた
「セレナ……セレナぁ。うん、うんっ!」
セレナが太陽ならば、私はせめてこの王都を照らす月になろう。
決して隣り合うことはない。
けれど、薄明の空で互いを見つけることは出来る。
セレナが昼の王都を照らすなら、私は夜の王都を照らし続けよう。
「分かってくれたね。ありがとう、マリーナ」
私を抱きしめる力は強くこそないけれど、決して離そうとはしない。
そんな意志を感じさせる温かな抱擁。
だからかな、少しワガママ言いたくなっちゃった。
「ねぇ、セレナ。今日だけでいいの。一緒のベッドで寝ちゃダメ?」
「えっ! ……うーん、お触り厳禁。出来る?」
「えー、手つなぐくらいはいいでしょ?」
「まぁ、それくらいならいいけど」
「もし、私が寝ちゃった後に顔が胸に埋まってても、許してくれる?」
「ほ、本当に寝てたらね。寝てなかったら引きはがしてベッドからけり落とすよ?」
「それと、それとね……」
ふふっ。恋人にはなれなくても、こういうお願いくらいなら少しは聞いてくれるの、知ってるよ?
だから今夜だけは甘えさせてね。
私の大好きな、セレナ……。
※本作は『笑顔を創る魔導具師セレナは、今日も世界をつないでいる』の二次創作、
『贈り物には、百合の花束を』
の第9話「魔導具師と、婚約者と、親友と」から着想を得た派生外伝となります。
https://kakuyomu.jp/works/2912051606407362602/episodes/2912051606695335138
マリーナが大好きなエレナ様さんによるお話のおかげで、こういった別のアプローチが書けました。
本当にありがとうございます。




