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白狼  作者: ねこたば
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かくして託された。

「じゃ、またね!」


「数日後にまた学校で、だな」


「うん!」


 最後の晩餐から一夜明け、ついに滞在最終日。

 親戚達が続々と家を離れる中で、ゆうなも一足先に島根を旅立った。

 ちびっ子達もゆうなと前後して去っており、賑やかで狭く感じた田舎の家も今ではがらんと寂しくなっている。


「……こことも、お別れか……」


 大和は感慨深くそう呟く。


「色々……本当に色々あった……」


「やまと」


 青々とした山を眺めながらそう呟いていると、彼の名を呼ぶ声が響いた。

 ハッと振り返るとそこには包帯を巻いた曽祖父が立っている。


「ひいお爺ちゃん!? 安静にしてないと!」


「これくらい、なんてことはない。それより……」


 顔面が蒼白になる大和にニヤリと笑いかけ、曽祖父は口を開く。


「もう、帰るんだな」


「ゴールデンウィークは短いからね。お盆ならもう少しゆっくり出来たかもしれないけど」


「そうだな。だが、親族集会はこの時期にすると決まってるからな」


「そうなんだ……」


「あぁ。……なぁ、大和」


 曽祖父が大和に呼びかけた。

 首を傾げる大和に歩み寄りその隣に立って、曽祖父はさっきまで大和が見ていた田舎の情景に目を移す。

 地には草花が我が世とばかりに満ち満ちて、深い高麗納戸こうらいなんどの山地に萌木が散っている。

 そんな緑の郷を優しく包むような淡く青い空。

 大和の見ている美しい景色は、しかし曽祖父の目には違って見えるようで。


「……滋賀に、帰るんだな」


「うん」


「滋賀は、琵琶湖か。どこまでも広がる雄大な湖……空が広いだろうな」


「空?」


 曽祖父の顔を除くと、どこか哀愁の漂う表情がそこにあった。


「山に閉ざされたこの郷だと空が狭い。広く、どこまでも広く自由な空を見たいと思ってな」


「ひいお爺ちゃん……」


 きっと曽祖父が空を狭く感じているのは山のせいだけでは無いだろう。

 彼はすでに百歳。

 老い先の短さや体力の低下で旅行にも満足に行けず、この村から離れることすら出来ない。

 不安、恐怖、諦め、そして悲しみ。

 曽祖父の言う「空の狭さ」はそうしたものによって圧迫されている曽祖父の心の苦しさも示しているように感じて、大和は祖父から再び山村の静かな景色に目を移す。


「でも、綺麗だよ。俺は好き」


 何を言うのが正解なのか分からない。

 そんな中で、大和はただ心のうちを言葉にした。

 それを聞いて曽祖父が少し眉をあげる。


「そうか……好き、か」


「うん。こじんまりとはしているけど、それでも暖かい。広いのも好きだけど、ここはしっかりと俺を包んでくれるような、受け入れてくれているような空だよ」


「……そう、か」


 静かに目を閉じる曽祖父。


「大和は、優しいな」


 そういうと、曽祖父はゆっくりと歩き出す。


「ついておいで。君に渡すものがある」


「渡すもの……?」


 言われるままに曽祖父の後ろにつき、この三日間で一度も足を運ぶことのなかった家の裏へと回る。

 そこには小さな、しかしよく手入れの行き届いた祠がちんまりと立っていた。

 その前に立ち、曽祖父が大和を振り返る。


「この神様はなんの神様だと思う?」


「え……うーん、狐?」


「お稲荷様ではない。これは狼を祀る祠だ」


「おお……かみ?」


 疑問符を浮かべる大和を尻目に、曽祖父は祠の扉を開ける。


「大和には言っていなかったが、実は狼はこの現代日本でも確かに生きている。この郷の人間は狼を守り、そして時に力を与えられてきた」


「力……」


 大和はハッとした。


「もしかして……!」


「あの一瞬では、他の皆は『火事場の馬鹿力』だと見誤ったかもしれない。だがな、大和」


 曽祖父は祠の中に置かれた本尊の、さらに奥をごそごそと漁りながら話し続ける。


「狼に力を与えられたのだろう?」


「!!」


「大丈夫。そんなことで君を敬遠したりしない。わしからは他の親族にも何も言わんよ」


 真っ青になった大和に曽祖父は優しく言って、顔を向けた。

 その手には一つの小さな風呂敷。


「いつ……それを?」


「不思議なものでな、倒れていると周りがよく見える。君がみんなを救ってくれた時の動きを見て、そうじゃないかと思ってゆうなに聞いたんだ」


「ゆうなさん?」


「おっと、あの子を責めるなよ。あの子も、大和を気遣っていたんだから」


「やっぱり……」


 やはり、ゆうなにも気を遣わせていた。

 そう思い、顔を曇らせる大和に曽祖父が風呂敷を差し出す。


「だが、ゆうなは進む道を決めたらしい。言いたいことがあるのなら、あの子に直接言ってあげると良い」


「うん……」


(余計なことを言ったか)


 フォローをしたつもりだったが、なおも顔の曇ったままの大和を見て曽祖父は少し胸が痛む。

 それをなんとか噛み殺し、曽祖父は大和の目を見る。


「それで、大和はどうするんだ?」


「え?」


 顔を伏せていた大和はその質問にハッと顔を上げる。


「その力をどう使うか決めたのか?」


「それは……」


 大和は答えに澱み、目を閉じる。


〈力をどう使うのか〉


 それは、まさに大和がこれから探さなければならないと考えたものだった。


「正直……まだ分かりません。突然手に入った力を受け入れることで精一杯で、これからのことなんて考える余裕はなかった」


「そうか」


「不審者にも襲われたし……あ、そういえばあの人たちはどうなったんですか?」


 ふと思い出した存在のその後を問えば、曽祖父はニヤリと笑う。


「この村の自警団に引き渡した。とりあえず私刑を加えてから警察に引き渡すかを考えるって」


「え、私刑?」


 法治国家の片隅にある村のやり方とは思えないことにドン引きする。


「それって法的に駄目なんじゃ……」


「バレなきゃ大丈夫。まあ悪いようにはならんさ」


「えぇ……」


 改めて現代とは思えない前時代感に大和が戸惑っていると、「それより……」と曽祖父が話を切り替える。


「それよりもこれからのことだ。したいこととかはないのか?」


「うーん……とりあえずまだ戸惑ってるからね……」


 そう言って大和は指折り数える。


「まず、襲撃者の仲間がいるかもしれないからその対策の準備? それから困ってる人がいたら助けたいなぁ」


「誰かのために力を使う……か」


「分からないけど、こんな力があるのなら人のために使うっていうのが俺のすべき事かなって思う」


「そうか……」


 曽祖父は頷くと、大和の手の中にある風呂敷に目を移す。


「開けてみなさい」


「これ?」


「あぁ」


 どれほど古い時代のものなのだろうか。

 年季の入った布を解くと、中には思いもしないものが姿をあらわした。


「狼の……お面?」


 そこには一つのお面が入っていた。

 素材は木のようだが表面に白く厚い下地が塗られており、その形は狼の顔のよう。

 黒い塗料で鋭い目、丸い鼻、鋭い口が描かれ、どこか愛嬌のある表情をしている。

 見たこともないものに戸惑っていると、曽祖父が大和の頭を撫でた。


「人のために動く。それはとても偉い事で、そして大変なことだ。優しい大和には酷なこともあるかもしれない」


「うん」


「だから、気休めにしかならないかもしれないが餞別だ。ずっと我が家を守ってくれていた神様のお面を君にあげよう」


「え!?」


 思わずお面を落としそうになった。


「そんな大事なもの、もらえないよ!」


「いや、これは大和に持っていてもらいたい。先の大戦でそれを持って行った男は元気に帰ってきたという縁起物だ」


 ウィンクをする曽祖父。

 そこまで言ってくれるのなら、大和としても断る理由などない。


「じゃあ……ありがとう! ひいおじいちゃん!」


「あぁ。本当は手助けになるようなものを渡せたらよかったんだが……まあ顔バレしたくない時とかに使っておくれ」


「顔バレって、そんな若い言葉よく知ってるね……」


 あははと笑って、大和は頷く。


「ありがとう」


「ああ」


「……っ! ひいお爺ちゃん!」


 渡すべきものを渡し終え、静かに玄関へと向かう曽祖父。

 その背中を見ているとなんだかまたひとまわり小さくなってしまったように感じて、大和は思わず声をかける。


「どうした?」


「怪我が治って体力も気力も戻ったら、琵琶湖を見に来てね」


 きっとそれは叶わない。

 老い先の短い老人に、きっと叶わないであろう長旅を約束させようとする行為の意味を、大和ははっきりと理解している。

 その上で、大和は言葉を続けた。


「僕はこのこじんまりとした空も好き。琵琶湖の上にどこまでも広がる空も好き。両方好きなんだ。だから、今度はひいお爺ちゃんが広い空を見に来て! 一緒に見ようよ」


 そう言った途端、小さくなっていた曽祖父の背中が震えた。

 小刻みに震え、そして鼻をすする音が響く。

 やがて、そこにはひとりの男が立っていた。


「……わしに……わしに、まだ未来を見せてくれるのか?」


 振り返る曽祖父。

 その目に雫はなく、ただ強い光だけが宿っている。


「継ぐべきものを継ぐべき者に継いだ時点で、わしの為すべき役割は全て果たしたと思っていた。そうでなければ、わしはいつまでもこの世界に未練が残ってしまうから」


 その言葉とは裏腹に、明るい顔で曽祖父は微笑んだ。


「仕方がない、約束だ。いつか、琵琶湖の空を観に行く」


「うん!」


 その笑顔に、大和はもう心配することはないと思った。


短編でした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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