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白狼  作者: ねこたば
3/5

変化

 山里生活、二日目の朝。

 空には雲ひとつなくまっさらに晴れ上がっている。

 時計の針が6時を示す頃、美しい緑の野山に掛け声が響きわたっていた。


「いっちにっ、さんしっ」


「あ、大和くんおはよー!」


 朝からひとり、大和が体操をしているとそこに明るい少女の声が飛んでくる。


「おはよう、ゆうなさん」


「大和くん、早いね! 体操?」


「そうそう。いつも朝は運動しててね、その癖が抜けないんだ」


 嘘である。

 これまで、大和は運動とは縁遠い存在だった。

 運動能力は中の中、線も細く色白な彼は昔からもやしと馬鹿にされてきた。

 今日に限って彼が運動しているのも、朝まで眠ることができなかったからである。


 だが、大和はそんな弱みをゆうなに見せたくない。

 カッコいい所を可愛い女の子に見せたい。

 ただそれだけで彼は見栄を張った。


「へー! すごいね、朝から運動なんて。私は起きるのが大変だよぉ〜」


 そんな大和の想いなど知ることもなく、ゆうなはそう言って大きな欠伸を一つした。

 ポニーテールに髪をまとめた少女をよく見ると、その目の下にはうっすらと隈ができている。

 朝が苦手と言いつつこの時間に家の外に出ているということは、つまり眠れなかったという事だろう。


(まあ、昨日の晩のことを思えばな……)


 昨晩のことを思い出し、大和はちくりと心が痛くなったような気がして思わず左手で右腕を握る。

 そんな彼の心の内を知ってか知らずか、ゆうながニコリと微笑んだ。


「まあ、折角早起きしたんだし私も混ぜてもらおうかな」


「おいおい」


「大丈夫! これでもそこそこ運動神経は良いんだよ!」


 そう言ってサムズアップするゆうなに頬が緩む。


「そういえばスポーツは何かやってるの? 部活は?」


「部活は陸上! 体育会系だよ! 大和くんは?」


「俺は……歴史部。文化系の部活やってる」


「ほうほう。ならついていけそう!」


 鼻高々になるゆうなに大和はニヤリとする。


「そうだといいな」


「なんだよ不気味だなぁ。で、次は何やるの?」


「もうあらかた終わったからなぁ。残ってるのは50メートル走20本。それが終わったら最後に腕立て伏せ20×5で終わりだ」


「え?」


「じゃあ、とりあえず50メートル測って……」


「ちょ、ちょっと! ちょっと待って!」


「どうした?」


「本当に文化部? なんだかがっつり運動部みたいな運動内容なんだけど!」


 朝イチからする内容ではないとやる前から悲鳴をあげるゆうなに、大和は「ははっ」と笑いで返す。


「ついていけそうって言ってたな? じゃあやろう!」


「あぁ〜」


 ゲンナリとするゆうなを見て大和は笑顔になった。


『大和』。

 それは史上最大最強の戦艦の名である。

 しかし大艦巨砲主義の権化たる黒鉄くろがねのそのふねとは異なり、彼は昔から色白で線の細い少年だった。

 小学生の頃、誰とはもうハッキリとは思い出せないが、誰かが彼を揶揄する際に引き合いに出したことで戦艦『大和』を知った彼は、その模型を初めて見た時に思った。

「誰にも笑われないように、こんな風に立派になりたい」、と。

 結局高校に至るまで叶うことのなかったその想いを胸にしまい、大和は久し振りの運動に精を出す。


「って言っても……運動にならないよなぁ」


 スタートラインに立ち、グッと脚に力を込める。

 次の瞬間、彼はゴールラインの向こう側に立っていた。

 50メートルもの距離を経ったの三秒で駆け抜けた自分の身体に呆れる。


「力がついたせいでこれだけの運動量がヌルく感じる」


 努力なくしてその身に宿った力。

 才能とはまた違う、その力に大和はどこか喪失感の様なものを感じていた。


「こんなの、ズルしたようなものだろ……なんの価値もない……」


「そん……な……こと……はぁはぁ……ないと思う、よ!」


「大丈夫か?」


 ぼんやりと独り言を漏らしていると、同じタイミングでスタートしたゆうながようやくゴールした。

 持っていたスマホのストップウォッチを確認すると、ゆうなの記録は6秒50。


「6.5!? すっげぇ! めっちゃ速え!」


「3秒くらいでゴールしてる人に……言われると、なんだか全然……嬉しくない……」


 息を整えながら膨れるという、なんとも器用な真似をするゆうなに苦笑する。


「50メートルなら2秒か3秒で走れるようになったみたいだからな」


「くぅ……速いなぁ。元々はどれくらいだったの?」


「うっ……聞かないでくれ……」


「あっ……なるほどね……」


 何かを察したようなゆうなに顔をしかめてみせる。

 それを見てクスリと笑う少女。


「それだけの力があればスポーツで億万長者になれるね。大会は出ないの?」


「こんなの半分ドーピングみたいなものなのに、大会に出ちゃ他の人たちに失礼でしょ」


「えー勿体ない」とブツブツ言う少女に苦笑しつつ、大和は力こぶを作ってみせる。


「それにしても……この身体、本当に凄いよ。まるで人間じゃないみたいだ」


「そんなに?」


「うん。足の速さとか目の良さとか、あと持久力も柔軟性も上がってる」


「凄い……」


「だろ?」


 足下に転がる石を拾い上げポンポンとお手玉する。


「こんな力があれば、きっとなんでも出来る」


 落ちてきた石を取り、グッと握り潰しながら大和は呟く。


「なんでも出来てしまう……。だからこの力はきっと誰かのために使わなくちゃいけないと思うんだ。人のため世界のため、何かのため……」


 昔、偉い人が言っていた。

『大いなる力には大いなる責任が伴う』、と。


 でも、その『責任』はなんなのか。

 誰に対する責任で、どうやって果たしていけばいいのか。


「分からない……」


 昨日の晩から大和は力のことばかりずっと考えていた。

 夜通し考えて朝になってもまだ考えて、結局答えは出なかった。


 やることのない田舎での生活で日中にでもすれば良い運動を朝からやっていた理由は、徹夜で考え続けてごちゃごちゃになった頭をスッキリさせたかったからに他ならない。

 しかし、運動をすればするほどその力について考えてしまい、同時にその圧倒的なまでの性能を体感すればするほどにその力に魅了され、呑み込まれてしまいそうになる。

 力を得たことによる喜びはほとんどない。

 それよりも強く心を締め付けるのは恐怖。

 ただ、怖いのだ。


 考えの整理がつかないことへの焦りと力に呑まれることへの恐怖で、いつしか大和は押しつぶされそうになっていた。

 吐きそうなくらい胸の奥に重くのしかかるドス黒い何かから解放されたくて、泣き叫びながらどこか誰も知らないようなところへ行ってしまいたいとすら思うようになっていた。


「大和くん?」


「あ、あぁ……」


 彼の名を呼ぶ声が聞こえた。

 ハッと顔を上げるとそこには心配そうな顔のゆうな。

 だがその表情よりも、彼女の顔そのものに注意が向く。

 その美しい顔立ちを見ていると途端に黒い闇が霧散し、軽くなった心の底から温かい物が溢れ出してきた。


(あぁ……そうだ……)


 その温かいものに気づいた途端、大和はハッとした。

 出会ってから経った二日しか経っていない少女。

 知らないことばかりのゆうなの存在が、彼にとっての精神安定剤になっているということに。

 その顔を見れば不安は薄れ、その声を聞けば心は安らぐ。


(そういえば、さっきもそうだった)


 眠れずに朝を迎えた時。

 運動をするたびに大きくなる闇、その闇に呑まれないように声を出して運動をしていた時。

 逃れようと足掻くほど、考えないようにと考えるほど糸のような闇が心に絡みつき、その闇の前に為すすべが無くなりそうになった時、起き出して来たゆうなとたった一言言葉を交わしただけで呆気なくその闇は意識の底へと沈んでいった。

 気づけば恐怖を忘れ、ただ彼女の明るさに癒されていた。


 きっと自分はゆうなのことを好きになっているのだろう、と大和は気がつく。

 その容姿、その雰囲気、そしてその優しさと明るさ。

 その全てに魅了されていることを、彼は自覚した。


 彼女のことが好きだからゆうなと話をしている間、大和は今まで通りの自分に戻ることが出来ていたのだ。

 恐怖や不安を忘れることが出来ていたのだ。

 今の今まで、確かに出来ていた。


「出来ていたのに……っ!」


 鬱々とした感情が再び襲いかかってきて、大和は思わず身を固くする。

 打ち寄せる波のように、あるいは発作のように、不安や恐怖といった感情が彼を襲い、それに対して少年はただ過ぎ去る事を願いながら耐えるしか対処のしようがない。


「大和くん……?」


 恐怖や不安に耐えるため、心がより深いところからより硬く凍りつこうとする。

 そんな少年の手に温かいものが触れた。

 恐る恐る目を開けると、それはゆうなの手。


「大和くん、どうしたの?」


「はぁ……はぁ…………大丈夫」


 荒い呼吸のまま、大和は心配そうなゆうなになんとか声を振り絞る。


「大丈夫って、どう見ても……」


「疲れが……ドッと来ただけ。もう今日は終わりにするよ……」


 言葉を絞り出すが、その嗄れた声を聞いたゆうなは泣きそうな顔になった。


「そんなに……辛いの?」


「いや、身体はだいじょ……」


「身体じゃなくて!」


 なおも誤魔化そうとする大和を遮りゆうなが声をあげた。


「身体じゃなくて……心だよ……」


「……」


 何も言うことが出来ない。

 なにを言って良いのか分からない。

 迷う大和をまっすぐ見つめたまま、ゆうなは躊躇いがちに口を開く。


「もし……もし心がしんどいのなら……」


 それっきり何も言葉を注がないゆうなに、大和は静かに首を振る。


「いや…………ただ……疲れただけだよ」


 そう言って顔を上げると、より一層泣きそうになった顔がそこにある。

 そんな彼女に大和はなにを言って良いのかわからなくなって、ただ同じ言葉を繰り返す。


「……大丈夫。大丈夫だよ……」


「……」


「シャワーを浴びて、一眠りしたら元どおりさ」


 なにも言わないゆうな。

 そんな彼女を少しでも安心させようと、明るくそう言って大和は背を向ける。

 しかし取り繕った明るい声音とは裏腹に、その手は固く握り締め唇は色が変わるほどに噛み締められている。


(……言えない)


 言えるはずがない。

 どれだけ辛かろうとどれだけ苦しかろうと、決してその弱音をゆうなにだけは漏らすわけにはいかなかった

 男として女の子の支えにはなっても、決して重石にはなりたくないという矜持が彼にはあった。


(いや、これは意地か)


 自分の浅はかさは分かっていた。

 自分がどんな悩みを抱えているかを言うことができればどれほど楽になるか、或いはどんな悩みを抱えているかを漏らせば、ゆうなは助けようとしてくれるだろうことは分かっていた。

 分かっていながらも、自分のちっぽけな意地とプライドがそれを拒んでいた。


「……」


「……大和くん」


 振り返りもせず、答えることもない大和。

 そんな彼の背中に何を見たのか、ゆうなは少し躊躇った後で今までとは異なる明るいトーンで呟いた。


「お昼、一緒に散歩しようね」


 明るいトーンの声。

 しかし、少し震えるその声音に大和は背を向けたまま静かに頷いた。

 そのまま屋内に上がり、家の奥の脱衣所へと入ると大和は途端に膝から崩れ落ちる。


「はぁ……はぁ……」


 一人きりの脱衣所に、大和の乱れた呼吸音が響く。

 震える右腕を胸に抱きしめ、彼は少しの間床の上に横になったまま心が落ち着くのを待つ。


(危なかった)


 もう少しで弱音を漏らしてしまうところだった。

 もう少しで不安に呑み込まれてしまうところだった。

 ゆうなの前でそうならなかったことへの安堵と、そうなるかもしれなかった事への恐怖に、しばらくの間目を閉じる。

 やがて大和はむくりと体を起こした。


「うわ、汗ヤバイ」


 決して運動だけで流れたものではない汗でびしょ濡れになっていたシャツに手をかける。

 不快なそれを手早く脱ぐと、上半身が露わになった。


「それにしても……」


 シャツを脱ぎ去り、上裸となる大和。

 丁度すぐそばの鏡に映し出された男の姿を見て彼は眉をひそめる。


「ホントに……誰なんだよお前……」


 目の前にいるのは見知らぬ男。

 体の大きさ自体はそれほど変わっていないものの、そこにまとわりつく筋肉が嫌になる程ハッキリと主張している。

 頭髪は黒髪の中に銀髪が混ざりこみ、背中には龍の背の様に立派な体毛が腰に至るまで生え揃っている。

 そしてとりわけ目を引くのは右腕。

 肩から肘にかけて大きな傷跡が付いていた。

 肉を抉られたような大きな裂傷とその周囲についた歯型。

 しかしその傷跡は塞がっており、痛みなどないままただ赤黒く変色しているだけ。


「……っ!」


 見覚えのない醜い傷から思わず目をそらす。

 まるで首から上だけをすげ替えられた別人を見ているようで、気持ちが悪くなってくる。


「俺は……」


 見覚えのない男を前に、大和はただ呟く。


「俺は……どこに消えたんだよ……」


 それはゆうなには決して聞かせることのできない、弱々しい声。

 大和はもはや鏡に映る男を見ていられなくなって、目を背けた。


 ***************

 ***************


「いやぁ、きっもちいいね!」


「走るとコケるぞ」


「大丈夫!」


 明るい少女の声が静かな森に響き渡る。

 昼食後、朝に約束した通りに二人は散歩に出かけていた。

 お互いに朝のことには触れずにたわいもない話をしながら、近くの森を散策する。

朝にはあれだけ大和の心を占めたいた様々な感情も、時間を置いたことで落ち着いていた。


「あんまりはしゃぐなよ。ご飯食べたばっかだからお腹痛くなるぞ」


「だーいじょーぶ! これぐらいなんてことないよ!」


 トテトテと木々の間を駆け回るゆうなを見ていると思わず頬が緩む。


「リフレッシュ出来るねー! とう!」


 チョロチョロと流れる小川を勢いよく飛び越える少女。

 元気だなぁと笑いながら大和も続いて飛び越える。

 そのまま少し進むとそこにはひらけた小さな広場があった。


「ちょっと休憩しよっか!」


「そうだね」


「あ、おやつ持ってきたんだ。ミニシュークリーム。食後のおやつにどうですか?」


「お、ありがとう! 頂くよ!」


「お昼からBBQ(バーベキュー)でお肉食べたから甘いの食べると美味しいだろうなぁ」


「そうだね」


 ゆうなが手提げカバンから小さなシートを取り出し、地面に広げる。

 それほど広くないそのシートに二人で並んで腰を下ろすと少し窮屈だ。


「普通のシュークリームの方が良かったかなぁ?」


「確かにね。俺がこれで良いって言ったから……」


「そーだったね。大和くんの失敗だ!」


「酷いなぁ」


 笑いながらパクリとシュークリームに食らいつくゆうな。

 その横顔を見ながら大和も一口かじる。


「お、中はアイスなんだね」


「そーだよー。今日は暑いからね」


「ナイスチョイス!」


 えへへと笑う少女。

 その笑顔にドキッとする。

 その瞬間、大和に天啓が降った。


「笑顔が眩しいってこういうことか」


「え?」


「あ、いや。あはは……」


 思わず口にしてしまったことに赤面する。

「食べるのに夢中で聞いてなかった」と首を傾げるゆうなに、「なんでもない」と手を振り誤魔化しながら口を手で押さえる。


「まぁ、いいや。それよりもこの陽だまり、ポカポカしてて気持ちいいね」


「そうだね。ちびっ子どもも連れて来れば良かったか」


「いや、あの子達は流石に家の遠くに連れてきちゃダメでしょ」


 苦笑いする彼女に、「確かに」と納得する。

 もし子供達が森の中で迷子になったら責任は取れない。


「……さて、二人きりだしすることと言えば一つだね」


 突然目を細めてゆうながそんなことを言った。


「すること?」


 少し妖艶なその微笑みにドキリとしながら問いかけると、小悪魔は「うふふ」と微笑む。


「なんだと思う?」


「なんだろう分かんないなー。教えてお姉さん」


 ゆうなから目を逸らし、ドキドキする鼓動を無視する。

 その意味深な言葉と顔と、そして口ぶり。

 男子高校生なら「そっち系」の事を連想しても責められない、と大和は心の中で自分を擁護する。

 そんな大和をニヤニヤと見ながらゆうなは指を二本立てた。


「選択肢をあげましょう。一つ目、『恋バナ』! 二つ目、『お昼寝』! 三つ目、『告白』! さあどれでしょう!」


「あれ? エロは!?」


「え?」


「いや……何でもないっす」


 予想が少し裏切られ、残念そうな声が漏れた。

 少し目線が冷たくなったように感じていると、ゆうなが「今のは聞かなかった事にしてあげる」とこぼす。


「いや、もう面目ない……」


 再び滑った口を、これ以上滑らないようにと左手で「もにょもにょ」と触ってから大和は口を開く。


「あの、1番目と3番目って同じなのでは?」


「……どういうこと? 『違うよ』。はい、ヒントはもうおしまい! さーどれでしょう!」


「うーん……2番?」


 大和にとっては一番と三番は同義。

『違う』と言われても違いがわからなかったので、大和は間を取って2番を選択。


「ぶー。正解は1番でした!」


「あら残念」


「そんなに残念そうじゃなさそう」


 ゆうなは一瞬ぷーっと口を膨らませ、次の瞬間には笑顔になる。


「じゃ、恋バナしよう! 大和くん、好きな人とか付き合ってる人いるの?」


「独身貴族を謳歌してます」


 気になる人はいるけどね、とは流石に言えない。

 大和の言葉を聞いて、ゆうなは「つまんなーい」と嬉しそうな顔をして呟いた。


「『つまんなーい』って顔してないよ?」


「え!? あれ? なんでだろ」


 ぴとっと両手で頬を挟みながら、ゆうながヘラヘラと笑う。


「仲間を見つけたから?」


「なんか嫌だなぁ……」


 ゆうなの笑顔に頬が溶けるのを感じながらそう呟く。


「大和くんこそ、『なんか嫌』って顔じゃないよ」


「くぅ、なんも言い返せねぇ」


 そう呟いて残っていたシュークリームを丸呑みする。

 火照る脳がキーンとして、唇に甘さがねっとりと残る。


「めちゃくちゃ甘い……」


「だね……」


 二人して我に返り、そう呟く。

 気づけば互いの頬が真っ赤になっていた。


 幸せだ。


 こんな時間がいつまでも続くなら、山奥に来て良かったと思えるほどに。


 幸せだった。


「!!」


『それ』は突然やってきた。

 いきなり全身の毛が逆立ち、全身の筋肉と神経が緊張する。

 具体的な何かではないが、何か『危険な臭い』に大和は気がつく。

 実際に臭うわけではなく、それは予感のようなもの。

『何かが起きようとしている』、『何かが実際に起きている』という予感が突然大和を襲っていた。

 パッと突然立ち上がった大和に、ゆうなは心底驚いたように胸に手を当てる。


「な……なに? どうしたの?」


「何か……起きてる」


「え?」


「家に戻ろう!」


「え? え?」


 困惑するゆうなの手を引き、シートや荷物はそのままに森の中を駆ける。


(何が起きてるんだ……?)


ただ、焦る気持ち。

その原因が分からず、余計に不安が募る。

色々な悪い予想が頭によぎるのを無視しつつ、小川を飛び越え木々をすり抜け森を抜ける。


「あと少し……」


 あとは丘を越えるだけ。


「あ……」


「ゆうなさん?」


「血が……」


 クンクンと匂いを嗅ぐ仕草をしてゆうなが顔を曇らせた。

 その言葉を聞いて、大和の脳裏に浮かんだのは倒れ伏す親族達。

 そんなことがあろう筈がないと首を振り、足を速める。

 やがて二人の目に飛び込んできたのは衝撃の景色だった。


「村が……」


「ゆうなさん、こっち!」


 燃える村。

 慌てて駆け寄ろうとしたゆうなの手を引き、丘の茂みに身を隠す。


「村が……早く行かなきゃ!」


「落ち着いて。あれを見て」


 里が燃えていた。

 モクモクと煙が上がり、あたりには煤けたような臭い。

その中に微かに香る血を感じて、胸の奥が握りつぶされるような感覚を覚えた。

 そしてその様変わりした景色の中心には数人の白ずくめの不審者が、親戚のみんなを取り囲んでいた。

お読みいただきありがとうございます!

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