第10話 推しが眩しすぎて息ができない! 銀髪小女と聖剣の姫君
静かな夜の帳が下りた天音家の二階、理音の自室。
昼間のダンジョン配信で叩き出した圧倒的な熱狂の余韻も冷めやらぬまま、部屋の中にはどこか異様なほどの緊張感と、熱を帯びた期待感が充満していた。
デスクの上に設置された大型モニターの前に、正座スタイルでピシッと背筋を伸ばして鎮座しているのは、未来からやってきた銀髪の少女、アゲハだ。
その瞳は、まるでこれから重大な作戦行動に赴く精鋭エージェントのように鋭く輝いており、手には固く握りしめられたハンカチが握られている。
「ふぅ……はぁ……ふぅ……。だ、大丈夫、落ち着け私。呼吸を整えるんだ。バイオメインテナンス・システム、心拍数調整シークエンス起動……って、ダメ! 心臓がバクバク言っちゃって全然落ち着かないよ……っ!」
アゲハは胸に手を当て、そわそわと身体を揺らした。
その様子を、ベッドの上で文庫本を読んでいた理音が、呆れと困惑の入り混じったジト目で眺めている。
「……アゲハさん。さっきから一人で何をパニックになってるんですか? まるでこれから強大な魔王の封印部屋に突入する直前みたいな緊迫感出してますけど」
「な、何を言ってるの理音おばあちゃん! あと五分……あと五分で、あの『姫宮シオン』様の生配信が始まるんだよ!? 正気でいられるわけないじゃないっ!」
アゲハはガバッと振り返り、悲鳴のような声を上げた。
「未来のディストピアにいた頃の私はね、メタバース上の裏ルートで、過酷な暗号化を潜り抜けてサルベージされた『欠けたデータアーカイブ』しか見られなかったんだよ!? 画像はノイズだらけ、音声は途切れ途切れで、シオン様が剣を振るう美しいお姿も、データ破損で三分の一くらいモザイクがかかってたりしたの! それが……それが今! この20✕✕年の現代なら、リアルタイムの完全生配信が! ノイズひとつない完璧な最高画質と最高音質で! シオン様と同じ時間を共有しながら観られるんだよ!? これが興奮せずにいられると思う!?」
「はいはい、熱意はよくわかりましたから落ち着いてください……。というか、未来の技術でもデータの復元って限界があったんですね……」
「当たり前だよ! 魔神王の管理AIは過去の『人類の豊かな文化』を徹底的にデータ消去しようとしてたんだから! そんな暗黒時代を生きてきた私にとって、今この瞬間の生配信は、歴史的奇跡以外の何物でもないんだよ……っ!」
アゲハは再びモニターに向き直り、ディスプレイの待機画面を食い入るように見つめた。
画面には、美麗なグラフィックで描かれた【七天筆頭:姫宮シオン/ダンジョン深層定期ソロ攻略生配信】というタイトルのフォントと、カウントダウンのタイマーが表示されている。
そのチャンネル待機所には、すでに世界中から集まった三十万人を超える視聴者が殺到しており、コメント欄は目にも留まらぬ超高速でスクロールしていた。
・シオン様の配信待機! 正座完了!
・待ってました!! 今日の深層攻略も楽しみすぎる!
・七天筆頭の威光を拝みに来ました
・シオン様ァァァ! 今日も麗しいお姿を見せてください!
・待機所だけで30万人とか相変わらずバグってるなww
・これぞ本物のトップDtuberの風格
・今日も華麗な剣技で見とれさせてくれ!
・アゲハちゃんのバズりも凄かったけど、やっぱりシオン様は格が違うな
無数のファンの熱気が渦巻くチャット欄を見つめながら、アゲハは手元のキーボードに細くしなやかな指先を走らせた。
・天音アゲハ:シオン様!! 二百年先の世界からもずっと憧れていました! 今日の配信も全身全霊で拝見させていただきます! シオン様の聖なる剣技が世界で一番大好きです!!
・ん? 今なんかすごいコメント混ざらなかったか?
・天音アゲハ……!? え、あのレアボスをレールガンで吹き飛ばした銀髪ちゃん!?
・ご本人降臨してて草wwww
・アゲハちゃんもシオン様のリスナーだったんか!
・『二百年先の世界から』ってブレないスタイルすき
・ガチのリスナーで親近感湧くわww
・本物のDtuberがスパチャ並みの熱量で待機しててワロタ
リスナーたちがアゲハの降臨にざわめく中、カウントダウンのタイマーが遂に『00:00』を指し示した。
シャリーン──!
澄み渡る金属鈴のような透明感のある効果音が響き渡り、画面がゆっくりと暗転から明けていく。
画面に映し出されたのは、鬱蒼とした古代の巨木が立ち並び、怪しげな燐光を放つ植物が群生する、ダンジョン深部──『深層フロア・第80層』の幻想的な光景だった。
そして、その中央に静かに佇む一人の女性。
艶やかな漆黒の長髪を一本の青いリボンで束ね、白銀と群青を基調とした洗練された美しい軽甲冑を纏った凛々しい佇まい。腰には、透き通るような青い光を放つ一振りの美しい宝剣──【聖剣シルフィード】が差されている。
【七天】筆頭格、EX級探索者『姫宮シオン』。
彼女が静かにカメラに向かってその涼やかで意志の強い瑠璃色の瞳を向け、薄い唇を開いた。
「──皆様、ご機嫌よう。姫宮シオンです。本日も私のダンジョン探索配信にお越しいただき、誠にありがとうございます」
鈴を転がすような、凛とした気品あふれる美声がスピーカーから流れ出した瞬間、アゲハは「ひやぁっ……!?」と変な声を上げて胸を押さえた。
「声……! シオン様の本物の生声が……! ノイズなしで耳にダイレクトに届いてる……! 尊い……尊すぎて脳のナノマシンがオーバーヒートしちゃう……っ!」
「落ち着いてくださいアゲハさん! 息を吸って! 吐いて! まだ挨拶しかしてませんよ!?」
・キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
・シオン様あああああ! ご機嫌ようです!!
・相変わらずお美しすぎる……画面が浄化される……
・今日も声が良い、耳が幸せ
・深層80層から生配信とか相変わらずやってることが規格外すぎる件
・背景の空気が絶対危険なやつじゃんww
・ご機嫌ようシオン様! 今日も応援してます!
・天音アゲハ:シオン様ご機嫌ようです!! お声が……お声が美しすぎて天に召されそうです!! 今日も世界一麗しいですシオン様!!
・アゲハちゃんの限界化が早すぎて草
・ガチ勢の動きで笑う
・アゲハちゃん、落ち着けwww
・未来のエージェントがただの限界オタクになってて草生える
画面の中の姫宮シオンは、カメラの向こうで渦巻く熱狂的なコメントの嵐にも決して動じることなく、優雅に片手を胸に当てて一礼してみせた。
「本日は、この第80層に生息する深層指定危険種──〈グラットン・ヒドラ〉の討伐を目標としております。事前にギルドから依頼を受けた素材の回収も兼ねておりますので、少々荒っぽい戦闘になるかもしれませんが……皆様、どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです」
シオンがそう言葉を締めくくった、次の瞬間だった。
ズズズズズズズ……ッ!!
巨木が立ち並ぶ深い森の奥から、地響きのような不気味な振動が響き渡りってきた。
やがて樹木を薙ぎ倒しながら姿を現したのは、八つの巨大な蛇の頭を持つ、山のように巨大な多頭龍の魔獣──〈グラットン・ヒドラ〉だった。
それぞれの頭部が真っ赤な目から殺気を放ち、口からは緑色の強酸性の毒液と、高熱の炎を吐き出している。周囲の岩石が毒液に触れた瞬間にドロドロと溶け落ちていく。
・うわあああ!? 出たあああ!!
・グラットン・ヒドラだ!! 深層の絶望モンスター!!
・デカすぎだろ……なんだあれ……
・酸で岩が溶けてるんだが!!?
・これ初見でエンカウントしたら即死するレベルの化け物だぞ……
・シオン様、お気をつけて!!
・天音アゲハ:シオン様! 〈グラットン・ヒドラ〉は首を一本斬り落としても瞬時に再生する特殊能力『超速再生』を持っています! 八つの首の根元にある中心核を同時に破壊するか、再生速度を上回る超高密度の聖属性攻撃で一気に消滅させるのが攻略法です!!
・アゲハちゃんのナイス解説!
・詳しいなオイ!?
・未来のデータ助かる!
・ってかアゲハちゃん、配信観ながらガチアドバイスしてて草
「──アドバイス、感謝いたします。天音アゲハさん」
「──ッ!?!?」
画面の中で、シオンがふっと眉を和らげ、カメラ目線で微かに微笑んだ。
「い、今……!? シオン様が私のコメントを拾って……私の名前を呼んでくれた……!? 『天音アゲハさん』って言った……言ったよね理音おばあちゃん!?」
「はいはい、聞こえてましたよ! 落ち着いてください、画面に顔を近づけすぎです!」
・ファッ!? シオン様がアゲハちゃんのコメント読んだ!?
・認知されたあああああ!!wwww
・アゲハちゃんおめでとうwwww
・シオン様も今日のアゲハちゃんのバズり配信知ってたのかな?
・羨ましすぎるんだが!?
「それでは……参ります」
シオンの雰囲気が一変した。
先ほどまでの優雅で気品あふれる佇まいから一転、全身から溢れ出したのは、世界を静寂で満たすような極限の剣気。
チャキン──。
鞘から引き抜かれた【聖剣シルフィード】の刃が、眩いばかりの純白と蒼穹の光を放ち、暗い深層の森を神聖な輝きで満たしていく。
「ギャアアアアアアッ!!」
八つの首が一斉に咆哮を上げ、高熱の炎と致死性の酸を撒き散らしながら、シオンに向かって津波のように襲いかかってくる。
だが、シオンは微動だにしなかった。
足元を踏み込み、滑るような優雅な足さばき──流麗なステップで襲いかかる猛毒の首をミリ単位で交わし、紙一重の演舞のように攻撃を裁いていく。
「美しい……。なんて、なんて綺麗な身ごなしなんだろう……っ!」
アゲハは息を呑み、涙ぐんだ瞳でモニターを見つめた。
未来の電子アーカイブでは途切れ途切れの残像でしか拝めなかったシオンの真の剣技。
一切の無駄がない完璧な重心移動。空気を切り裂く聖剣の軌跡が、まるで夜空に描かれる美しい星座の光のように幾重にも重なり合っていく。
『疾く──【聖光剣舞・第参型:風華天翔】』
シオンの凛とした声が響いた瞬間、彼女の身体が疾風となって消えた。
閃光。
次の瞬間、八つの巨大な蛇の首が、同時に、完璧な線上において一斉に空中に舞い上がっていた。
ザシュウウウウウウッ!!
血飛沫すら聖なる光によって浄化され、一滴も彼女の美しい鎧に触れることはない。
さらに、首を失った巨大な胴体が『超速再生』を起こそうとウネウネと細胞を蠢かせ始めたその刹那──シオンは空中で優雅に一回転し、聖剣を逆手に構えて深層の地面へと突き立てた。
「滅びなさい──【聖導・光輝天穿】』
ドカアアアアアアンッ!!!!!
地表から溢れ出したのは、視界を真っ白に染め上げるほど絶大な、聖なる光の奔流。
巨大な〈グラットン・ヒドラ〉の巨躯は、再生する隙すら一切与えられず、光の粒子となって跡形もなく消滅した。
静寂。
戦闘開始から、わずか数十秒の出来事であった。
静かに剣を鞘へと収め、そよ風に漆黒の髪をなびかせる姫宮シオンの美しき姿が、カメラの中央に映し出される。
・強すぎだろおおお!!??
・美しすぎる……なんだ今の演舞は……
・圧巻の一言
・八つの首を同時に一閃とか正気じゃないww
・これが【七天】筆頭の力か……
・作画が神がかりすぎてて鳥肌ヤバい
・シオン様最高おおおおお!!
・天音アゲハ:うあああああああんシオン様最高ですううううっ!! なんて美しくて気高くて圧倒的な剣技なんですか!! 私、感動で全身の回路が震えています!! 一生シオン様についていきます!!
・アゲハちゃんの熱量が限界突破してて草
・完全に信者でワロタ
・まあ今の見せられたら誰でもそうなるわww
・アゲハちゃん、スパチャ投げまくれ!!
「皆様、ご視聴ありがとうございました。本日の配信はこれにて終了とさせていただきます。……天音アゲハさん、温かい応援コメント、深く感謝いたします。貴女のこれからのご活躍も、陰ながら期待しております」
カメラに向かって上品に微笑み、優雅にお辞儀をするシオンの姿を最後に、配信の画面は静かに暗転した。
「はあ……はあ……。シオン様……シオン様素敵すぎたよ……」
配信が終わったあとも、アゲハはモニターの前から一歩も動けず、胸に手を当てて「尊い……」と呟き続けていた。その瞳はウルウルと潤んでおり、頬は熱っぽく赤らんでいる。
その様子を横から見ていた理音は、深いため息をつきながら呆れたように肩をすくめた。
「はぁ……完全に信者の目になってますし……。シオン様の同人誌までネットで買い漁っているようですけど、モンスター素材を換金したお金があるからといって、あまり無駄遣いしてはいけませんよ」
「無駄遣いじゃないよ理音おばあちゃん! これは経済を回すための聖なる投資だよ! シオン様の美麗なイラスト集や同人誌を手に入れること以上に、正しいお小遣いの使い道なんてこの世に存在しないよ!」
アゲハはフンスと鼻息荒く胸を張った。
アゲハは〈クリスタル・オーガ〉や〈レフティ・ミラー・ゴーレム〉などの素材を換金したお金の大半を、ネットショップで姫宮シオンの非公式グッズや同人誌、アクリルスタンドなどを注文することに費やしていた。
「投資って……言ってることは完全に筋金入りのオタクじゃないですか。だいたい、そんなに買い込んで部屋のどこに置くつもりなんですか?」
「私の空間収納ポケットに入れとくから大丈夫! 未来の4次元ポケットは、シオン様の同人誌を保管するためにあるのだ!」
「未来のレジスタンス技術の無駄使いがすぎる……」
理音が頭を抱えていると、アゲハは突然「あっ!?」と声を上げて、手元のスマホの画面を凝視した。
「どうしたんですか急に?」
「あ! 明日、秋葉原のイベント会場で開かれる同人誌即売会で、私が大好きな神絵師の作家さんがシオン様の新刊を頒布するんだって! 理音おばあちゃんも一緒に行こう!」
アゲハはキラキラと目を輝かせ、理音の両手を握りしめてぶんぶんと揺さぶった。
「はぁ!? 同人誌即売会!? いやいやいや、聞いてないですし! なんで私も行かなきゃいけないんですか! 明日は私、やり溜めた宿題とか配信の編集とかやることが山ほどあるんですよ!」
「そんな固いこと言わないでよー! 私、この時代のオタクイベントなんて初めてだから、一人だと迷子になっちゃうかもしれないし! お願い理音おばあちゃん、一生のお願い! 一回目のやつ!」
「何回あるんですかその一生のお願いは! だいたい、私みたいな普通の女子高生がそんな熱気あふれるオタクの聖地に足を踏み入れるなんて……」
「理音おばあちゃんが一緒に行ってくれたら……今度の探索で手に入るレア素材、全部理音おばあちゃんに回してあげる!」
「……えっ?」
理音の動きがピタリと止まった。
「ほんと……? B+等級とかのレア素材を換金したの、全部私にくれるの……?」
「うん! シオン様の新刊のためなら、レア素材の数十万や数百万円の利益なんてお安い御用だよ!」
アゲハがニカッと八重歯を覗かせて交渉を持ちかけると、理音はうぐぐ……と唸り声を上げ、苦悶の表情で天を仰いだ。
「……卑怯ですよアゲハさん、そんな魅惑的な提案……! はぁ……分かりましたよ! 行けばいいんでしょ、行けば! その代わり、変な行動をして目立ったりしないでくださいね!?」
「やったぁぁぁぁ!! さすが理音おばあちゃん、話がわかるね! 大好き!」
大喜びで理音に抱きつくアゲハ。
「はいはい、抱きつかないでください! もう、明日も忙しくなりそうですね……」
理音は呆れながらも、嬉しそうに自分に抱きついてくる未来の孫の頭を、やれやれといった様子で優しく撫でるのだった。
二百年の時を超えて現代にやってきた銀髪の少女・アゲハ。
ディストピアの荒廃した世界では決して叶わなかった『推し活』という名の平和な幸せを全力で噛みしめながら、彼女の賑やかで温かな毎日は、明日もさらなる波乱とワクワクとともに続いていくのだった。




