第1話 二百年の時を越えたラプソディ 一
「頼んだわよ、アゲハ。この歪んだ世界を書き換えて」
冷たい金属質のシートに背を預けたアゲハに、管制室のモニター越しに真剣な瞳を向けるサツキの声が投げかけられる。
アゲハたちが暮らす世界は、魔神王に支配され、空も大地も灰色に澱んだ、息の詰まるような暗黒の管理社会だった。行き交う人々は一様に表情を失い、定められた効率と労働の管理下に縛られながら、ただ機械的に日々を消費している。その閉塞感を打ち破るための唯一にして最大の賭けが、今まさに始まろうとしていた。
ポッド型のタイムマシンに乗り込んだアゲハの周囲には、無数の制御モニターが複雑な光を明滅させ、足元を這うように流れる冷却ガスの白煙が冷ややかに肌を撫でる。
『楽しみだね、アゲハ。二百年も前の日本なんて』
十二、三歳くらいの可憐な姿をした、小女のアバター──ステラが、アゲハの視界の隅を蝶のようにひらひらと飛び回りながら、電子音の混じらない弾んだ声を伝えてくる。
背中に純白の翼を生やし、瀟洒な星屑がプリントされたワンピースドレスを着た彼女は、アゲハの脳内ネットワークに直接接続された高度な自律型支援AIだ。物理的な実体はないが、アゲハの網膜に投影され、聴覚に直接干渉し、常にこうして相棒のように寄り添ってくれている。
「うん。どんなところなんだろうね。私のご先祖様にも早く会いたい、ワクワク!」
地球の歴史データによれば、二百年前の日本はまだ自然の緑が残り、人々の営みに活気があったとされる。ビル群の隙間から青空が見え、人々が自分の意思で笑い、自由に言葉を交わしていた時代の記録。
魔人たちに抑圧されたディストピアに生まれ育ったアゲハにとって、それはバーチャルなファンタジーよりも遥かに眩しい楽園に思えた。
重厚な気密ハッチが、フォンという重々しい駆動音を響かせてゆっくりと閉まっていく。
外の景色が完全に遮断され、狭いコックピットの中が自分一人の空間へと変わる。
頭上のインジケーターが青から黄色、そして鮮烈な赤へと変わっていく。
カウントダウンが始まる。
10……9……8……7……6……5……4……。
心臓の鼓動が、マシンの駆動音とシンクロするように高鳴っていく。緊張と期待が入り混じり、手のひらにうっすらと汗が滲むのがわかった。
3……2……1……。
タイムワープが始まる。
全身の細胞が引き伸ばされるような、あるいは宇宙の渦に放り投げられるような、重力と時間の歪みが一気に押し寄せてきた。
「それじゃあ、もう会うこともないだろうね。クソったれな地獄。そして、よろしく、今から行く楽園」
アゲハの声がコックピットの音声認識に吸い込まれた瞬間、意識が真っ白な光に塗り潰された。
§
強烈な衝撃。
内臓がフワリと浮き上がるような浮遊感の直後、ガツンと全身を揺する着地音が響く。
プシュー、と乾いた音を立てて、目の前の気密ハッチが左右にスライドして開いた。
飛び込んできたのは、生い茂る木々と土の匂いが混じり合った草いきれだ。そこは、ダンジョンの内部、フィールドタイプのフロアだった。
だが、感動に浸る間もなく、アゲハの五感は目の前の現実を捉えた。
そこには、目を剥きながら剣を握りしめて立つ一人の小女がいた。
「いきなりダンジョン内に銀髪の美少女が現れた……!?」
呟く小女の整った黒髪のロングヘアが、驚きで跳ねた彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。
そんな彼女の前には、巨体のあちこちに鋭く輝く水晶が突き刺さった、荒々しくもどこか神秘的な巨躯を誇るモンスターが立ちはだかっていた。水晶からはバチバチと青白い火花が散っている。
「か弱い乙女相手になにさらしとんじゃ、ボケえええええ!」
ポッドのステップから軽やかに飛び降りたアゲハが、モンスターに向けて言葉汚く叫びつつ中指を突き立てる。
「啖呵なんかきってないで逃げてください! そいつイレギュラーモンスターなんです!」
小女が必死の形相で叫んだ。
「心配しないで。こんなやつ私がけちょんけちょんにしてあげるからさ。アゲハちゃんにおまかせあれ!」
『アゲハ、解析結果を出すよ』
ステラの声に呼応するように、アゲハの視界に赤く点滅するホログラムウィンドウが展開され、詳細なデータが表示される。
【アナライズ・システム起動】
個体名:クリスタル・オーガ(変異個体)
等級:B+
推定レベル:356(フロア基準値を大幅に超過)
耐性:物理耐性が極めて高い(全身の結晶アーマーにより、物理的な剣撃や打撃は無効化されます)
特殊能力:『魔力吸収フィールド』『結晶硬化』
弱点属性:雷属性
解説:体表のクリスタルは魔力を吸収・蓄積する性質を持っていますが、許容量を超える『過剰な雷撃』を叩き込むことで、エネルギー制御が耐えきれなくなり、結晶が一斉に自壊。同時に硬質化バリアが完全に崩壊します。
ドロップアイテム:晶角の雷破片、鬼力の硬化革、帯電結晶のコア
「雷が弱点なのか。じゃあ、これだね」
アゲハは迷うことなく、腰に装着した空間収納のポケットに手を突っ込んだ。そこから一枚の小さなカードを取り出すと、迷いなく首の後ろにあるデータ・ポートに差し込む。カチリ、と心地よい機械音が響いた。
「【アルターエゴ・システム】、スキルカード【雷帝ヴァレンタイン】装填」
さらに空間収納から、眩い光沢を放つ細身のレイピアを取り出し、流れるような動作で中段に構える。
「グゥルゥオオオオオ!」
標的を新たに現れたアゲハへと改め、〈クリスタル・オーガ〉が怒号のような咆哮をあげながら、地面を踏み鳴らしつつ襲いかかってくる。
「轟け、雷鳴。我が血に宿りし縁とともに。血統魔術──【白閃雷装アストラーペ】」
彼女が澄んだ声で詠唱を紡ぐと、周囲の空間に何本もの青白い雷光がバリバリと空気を引き裂く音を立てながら走り、手にした細剣にスパークする無数の光の粒子が激しく絡みついた。
「【雷槍穿牙】!」
続けて踏み込んだアゲハが突き出した細剣の先端から、奔流のような雷の矢が何本も放たれ、クリスタル・オーガの全身を蜂の巣のようについに貫いた。
バリバリバリッと轟音が響き渡り、モンスターの体表を覆っていた蓄電水晶が一斉にオーバーロードを起こして激しく爆発四散する。硬質化バリアを失った巨体はそのまま崩れ落ち、光の粒子となって霧散していった。
跡には、大ぶりな魔石と、晶角の雷破片、鬼力の硬化革、帯電結晶のコアといった貴重なドロップアイテムが音を立てて転がっている。
「……え?」
あまりの一撃の離れ業に、小女は持っていた剣を取り落とし、ぽかんと口を開けたまま硬直していた。
§
「あ、あなた何者なの……?」
震える声を絞り出す少女に向かって、アゲハはふわりと柔らかく微笑んだ。
「私はこの世界を救いに22✕✕年からやって来た救世主だよ」
「電波系!? またぶっとんだ設定のコスプレっ娘が来ちゃいましたよ……」
彼女は呆れたように片手で額を押さえ、深いため息をついた。その表情があまりにも人間らしくて、管理社会の冷淡な人形のような人々に囲まれて育ったアゲハは、思わず胸が熱くなるのを覚えた。
「あなたの名前、教えて?」
一歩近づくアゲハに対し、彼女は警戒するように少し体を後ろに引いた。
「天音理音ですけど……」
その名前を耳にした瞬間、アゲハは全身の血が逆流するような強烈な衝撃を受けた。頭の中でステラのアイコンがピンク色に点滅し、祝福の電子音がピロリンと軽やかに鳴り響く。
間違いない。手元の歴史データベースに深く刻まれていた、アゲハの家系の始祖、遠い過去に生きるご先祖様の名前だ。
歓喜に全身が震えるのを抑えきれず、アゲハは思わず彼女へと駆け出した。
「ちょ、な、なに──いたっ!」
勢い余って抱きつこうとしたアゲハの手は、彼女の頭へと真っ直ぐに伸びていた。
そのロングヘアの黒髪を一本、指先で器用にスッと抜き取ると、アゲハはそのまま、右腕に装着した腕輪型のデバイスにかざした。
腕輪の内側では、肉眼では見えないほどの精密なミクロの機構が作動している。極小の流路とレーザー分光センサーが内蔵されており、抜き取ったばかりの髪の毛の毛根やキューティクルから、わずかコンマ数秒でDNAを抽出・解読していく。
デバイスのメモリには、あらかじめ未来のアゲハ自身のゲノムデータがしっかりと記録されている。採取した相手のDNAデータと、自分のデータを瞬時にアルゴリズムで比較し、一致率や血縁の近さを計算する。
静かな駆動音のあと、分析が終わり、空中に青白いホログラムのウィンドウがふわりと浮かび上がった。
【DNA照合結果】
一致率:98.7%
推定関係:直系血族(祖先 / 子孫)
ステラが視界の隅でパチパチと拍手をするホログラムのエフェクトを飛ばし、楽しげに舞っている。
スキャンによって、目の前にいる少女が自分のひいひい祖母だと確信した瞬間、アゲハは抑えきれなくなった感情のままに、彼女へと飛びついて強く抱きしめた。
「会いたかったよ! ひいひいおばあちゃん!」
「突然現れた初対面の美少女に、おばあちゃん呼ばわりされた!? しかもひいが二個もついてますし! 私まだぴちぴちのJKですよ!」
理音は両手をわなわなと震わせ、アゲハの背中でどうしていい分からず宙を泳がせている。無理もない。魔物がうろつくダンジョンで、高校生に向かっていきなり「おばあちゃん」と泣きつく未来人が現れたのだから、混乱するなという方が無理な話だった。
「私は天音アゲハ。理音おばあちゃんの子孫だよ。ほら、見て、この証拠を!」
アゲハは腕輪のホログラムを彼女の目の前に突きつけた。そこには先ほど解析された遺伝子ツリーの相関図が立体的に描かれ、二人の血縁関係が完璧に証明されている。
「で、でもあなた銀髪で目の色も青いじゃないですか。その設定は明らかに無理がありますよ。私、黒髪だし、目だって真っ黒ですし……」
理音はアゲハの顔をじっと覗き込み、疑わしそうな目を向けた。確かに、この時代の純粋な日本人から見れば、アゲハの外見は色素の薄い異世界の住人のように映るだろう。
「これはね、髪の毛の一本一本に極小のナノマシンが常駐していて、神経接続で、色素の配合を自由に変えているんだよ。だから、こんなこともできるの」
アゲハは得意げに微笑むと、思考のアクセルを一段階深く踏み込んだ。頭部の神経ネットワークからナノマシン群へダイレクトに指令を送る。思念によって、アゲハの銀色の髪がまるでオーロラのようにふわりと色を変え始めた。淡いピンクから鮮やかなエメラルドグリーンへ、そして最後には鮮烈な虹色へと変化していく。
「わっ……!」
理音は目を見張り、あまりの現象にアゲハから思わずというように身を引いた。髪の色が自在に変異する光景は、現代の科学技術を超越した魔術そのものに見えたはずだ。
「どう? びっくりした?」
「……あなた、本当に未来から来たんですか?」
信じられないものを見るような、複雑な表情で、理音が尋ねる。
「そうだよ。これからよろしくね、理音おばあちゃん」
アゲハは満面の笑みを浮かべて彼女の小さな手をぎゅっと握りしめた。
二百年の時を超えた世界を書き換えるための壮大な物語が、こうしてダンジョンの片隅で、奇妙な家族との出会いとともに始まろうとしていた。




