第二十五話 それぞれの不安
デミラスからフェスティバルの出場打診を受けた放課後。
アリスとデイジーのコンビも同様に出場の打診を受けた。
一日の講義がいつも通り終わり、寮でくつろいでいた。
「なぁ、デイジー」
デイジーはいつも通り本を読んでいる様子だ。
紙の擦れる音が部屋に響いている。
「…どうした?」
「いや…」
「ちょっと不安でさ」
デイジーがページをめくる手を止めた。
本を閉じる音が、静かに部屋に落ちた。
「フェスティバルのこと?」
「まぁ…それもあるけど」
「それも、ってことは他にもあるのか」
「…うん」
窓の外で、風が木の葉を揺らしていた。
夜の学院は静かだ。
どこか遠くで、生徒たちの話し声が聞こえる。
「自分の力のことが、よくわからなくて」
「訓練の時に起きたあれのことか」
「そうなんだけど…」
「意識してできるわけでもないし」
「なんで起きるのかもわからないし」
「それで戦いに出るのが…」
言葉が途切れた。
デイジーは何も言わなかった。
ただ、天井を見上げた。
しばらく沈黙が続いた。
時計の音だけが、規則正しく刻まれていた。
「俺も昔、自分の力を信用できなかった」
デイジーが静かに言った。
「お前が?」
「ああ」
「どうやって…」
「慣れた」
「慣れた、って」
「信用できないなりに、使い続けた」
「そうしたら、いつの間にかわかってきた」
それだけだった。
それ以上は何も言わなかった。
本をまた開いた。
紙の擦れる音が、また部屋に戻ってきた。
「前にさ、その力に付随するかも知れない知識を教えたことがあっただろ?」
「ああ」
「みんなの前では言えなかったが、あれには続きがあるんだ」
「続き?」
「ああ」
デイジーが本を膝の上に置いた。
天井を見上げたまま、静かに続けた。
「魂の出力が極限まで高まった時、時間感覚の歪みが生じる」
「それは文献に書いてあった通りだ」
「だが、その先にこう書いてあった」
デイジーが少し間を置いた。
「その現象が起きる個体は、魂の構造そのものが通常と異なっている可能性がある、と」
「魂の構造が…違う?」
「ああ」
「通常の魂は一つの構造を持っている」
「しかし極稀に、その構造が根本から異なる個体がいるらしい」
「だけど…」
「文献にはそれ以上の詳細は書いていなかった」
「禁忌に近い扱いをされている項目だったから」
「禁忌…?」
「ああ」
「それ以上は俺にもわからない」
キースは何も言えなかった。
「それって…」
「俺がそうだってことなのか…?」
「わからない」
デイジーが答えた。
「ただ、お前の現象と文献の記述が一致しすぎている」
「だから、可能性として言っておきたかった」
また沈黙が落ちた。
時計の音だけが続いていた。
「デイジーは、なんでそんな文献読んでたんだ」
少し間があった。
「…暇だったから」
「それだけか?」
「それだけだ」
それ以上は聞かなかった。
デイジーが嘘をついている顔ではなかった。
でも、全部話している顔でもなかった。
「とりあえず」
デイジーが本を開き直した。
「わからないなりに、使い続けることだ」
「そうしたら、いつかわかってくる」
「さっきと同じ答えじゃないか」
「同じ答えしかない」
窓の外で、また風が吹いた。
木の葉が揺れた。
「…ありがとな」
デイジーは答えなかった。
ただ、ページをめくった。
隣の部屋から、微かに声が聞こえてきた。
壁越しでも、あの声はよく通る。
「いい?ラヴェンツァ」
アリスが部屋の真ん中に仁王立ちになっていた。
両手を腰に当てて、ラヴェンツァを見ている。
ラヴェンツァは鏡の前に座って、長い白髪を丁寧にブラシでとかしていた。
「聞いてるわ」
「ほんとに?」
「…大体は」
「大体って何!」
「私たちはヴァンガード・フェスティバルに選ばれたのよ!?」
「しかも一年生で!」
「もっと喜ぶべきよ!」
ラヴェンツァはブラシを動かす手を止めなかった。
鏡越しにアリスを一瞥する。
「喜んでいないとは言っていないわ」
「じゃあ喜んでるの?」
「…出ると決めた」
「それだけよ」
アリスが盛大にため息をついた。
「あんたって、本当に感情が読めないわね」
「読まれる必要もないわ」
「そういうとこよ!」
アリスがベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げながら、足をばたつかせる。
「ねえ」
「なに」
「あんたは緊張しないの?」
ラヴェンツァの手が、一瞬だけ止まった。
ブラシが、白い髪の途中で静止した。
「…なんで緊張するの」
「なんでって…」
「負ける気しないし、緊張する必要ないでしょ」
「…そう」
アリスは天井を見たまま、少し黙った。
さっきまでの勢いが、どこかへ消えていた。
「私は少しだけ、緊張してる」
「意外ね」
「あんたが緊張するの」
「うるさいわね」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
ブラシの音だけが、静かに部屋に響いていた。
「ラヴェンツァ」
「なに」
「…なんでもない」
アリスが寝返りを打った。
ラヴェンツァは鏡の中の自分を見ていた。
その目が、少しだけ遠かった。




