64.失われる要衝と砂漠の星条旗――大英帝国、最暗黒の日々
# 海洋帝国日本史 第七章:Memorial Day――欧州大戦の勃発
## 第四話:失われる要衝と砂漠の星条旗――大英帝国、最暗黒の日々(1941年12月12日〜13日)
### 1.不沈空母の落日――マルタ島攻防戦
1941年12月12日。
イギリス本土・プリマスへフランスとスペインの連合軍が上陸を果たし、ロンドンがパニックに陥っていた頃。
地中海の中央に浮かぶ小さな岩の島、大英帝国の誇る「不沈空母」こと**マルタ島**は、文字通り地獄の業火に焼かれていた。
ジブラルタルが陥落し、頼みの綱であったイギリス地中海艦隊がイタリア海軍の猛攻を受けてエジプト(アレクサンドリア)へと敗走したことで、マルタ島は完全に孤立無援となっていた。
補給線は断たれ、弾薬も食糧も底を突きかけている。
「……敵機来襲! サヴォイア・マルケッティの大群です!」
地下の防空壕に響き渡る絶叫。
イタリア空軍は、シチリア島の基地から連日のように数百機もの爆撃機を繰り出し、面積の狭いマルタ島に絨毯爆撃を加え続けていた。
ヒュルルルルル……ドガァァァァァァン!!!
マルタの美しい石造りの市街地が粉砕され、グランド・ハーバーの港湾施設が吹き飛ぶ。
「対空砲火、撃て! ……弾がないだと!? 構わん、小銃でもいいから撃ち上げろ!」
イギリス軍の守備隊は、血と硝煙にまみれながら、空を覆うイタリアの爆撃機に向けて絶望的な抵抗を試みた。しかし、対空砲の弾薬はすでに尽き、空を守るべきホーカー・ハリケーン戦闘機も、度重なる迎撃戦で全機が地上撃破されるか、撃墜されていた。
「空だけではない! 海からも来るぞ!」
島の沿岸部を守る監視哨が、水平線に浮かび上がる巨大な影を捉えた。
イタリア海軍が誇る最新鋭戦艦『リットリオ』『ヴィットリオ・ヴェネト』を中心とする主力艦隊である。彼らは、もはや反撃の牙を持たないマルタ島に対し、安全な距離から38センチ主砲による無慈悲な艦砲射撃を開始した。
ズドゴォォォォォォン!!
島の岩盤が根底から揺さぶられ、海岸線のトーチカがコンクリートごと吹き飛ばされる。
そして、砲撃の煙幕に紛れて、イタリア海軍の精鋭である**サン・マルコ海兵部隊**と、空からの**フォルゴーレ空挺師団**が、島の東西から同時にも雪崩れ込んできた。
「もはやこれまでか……。我々は、大英帝国の盾としての役目を十分に果たした」
マルタ島守備隊の司令官は、瓦礫の山と化した司令部で、静かに軍帽を脱いだ。
弾薬を持たない兵士たちに、これ以上の白兵戦を強いることは、無意味な殺戮でしかない。
12月12日、夕刻。
十字軍の時代から地中海の要衝として君臨し続けたマルタ島の総督府に、ついに白旗が掲げられた。
イギリスのユニオンジャックが引きずり降ろされ、イタリア王国の緑・白・赤の三色旗が夕陽の中に翻る。
マルタの陥落。
それは単なる一島嶼の喪失ではない。大英帝国にとって、地中海の東西の連絡が完全に「切断」されたことを意味する、戦略的な大破局であった。
### 2.東の火事場泥棒――キプロス島急襲
マルタ島陥落の凶報がエジプトのイギリス中東軍司令部を駆け巡った翌日。
12月13日、未明。
地中海の覇権がイタリアとフランス(枢軸側)に傾いたことを、最も冷徹に、そして狡猾に見極めていた国が動いた。
ボスポラス海峡の主、**トルコ共和国**である。
「イギリスは今、本国にフランス軍を上陸され、地中海の艦隊も半身不随となっている。……今だ。我がトルコがかつて失った東地中海の覇権を、火事場泥棒で取り戻す!」
アンカラの政府首脳は、歴史的な決断を下した。
彼らは正式な枢軸国への加盟(宣戦布告)を避けつつも、イギリスの明らかな「隙」を突く局地的な軍事行動を開始したのである。
目標は、トルコ南岸の目の前に浮かぶ東地中海の要衝、**英領キプロス島**。
「な、なんだ!? トルコ軍の艦隊だと!?」
キプロス島のイギリス守備隊は、完全に不意を突かれた。彼らの警戒の目は、西から迫るイタリア軍にのみ向けられており、中立を保っていたはずのトルコからの攻撃は想定外であった。
トルコ軍は、旧式ながらも数を揃えた駆逐艦と輸送船団でキプロス島北岸に殺到。
「オスマンの栄光を再び! 進め!」
猛烈な艦砲射撃と共に、数万のトルコ陸軍が上陸を開始した。
イギリス守備隊は数千名しかおらず、しかもその多くはエジプト防衛のために装備を引き抜かれた二線級の部隊であった。
「くそっ、どいつもこいつもうちの帝国が弱ったと見るや、ハイエナのように群がりやがって!」
イギリス兵は悪態をつきながら応戦したが、圧倒的な数の暴力の前に、防衛線はわずか半日で突破された。
12月13日、午後。
キプロス島の首都ニコシアに、三日月と星のトルコ国旗が掲げられた。
この「火事場泥棒」によるキプロスの喪失は、イギリスにとって致命的な意味を持っていた。東地中海の制海権が完全に失われただけでなく、トルコ軍の拠点が、中東の石油パイプライン(シリア・イラク方面)と、スエズ運河の北側の喉元に直接突きつけられたからである。
大英帝国は、本土、西地中海、中央地中海、そして東地中海という、帝国の外壁を構成するすべてのレンガを、わずか一週間のうちにボロボロと崩れ落とさせてしまったのである。
### 3.砂漠の星条旗――アメリカ・アフリカ軍の登場
だが、イギリスの悲劇はこれで終わりではなかった。
彼らの真の息の根を止めるための「最大の巨大な刃」が、北アフリカの砂漠地帯を土煙を上げて爆走していた。
エジプトの西に隣接する、イタリア領リビア・キレナイカ地方。
これまで、イタリア陸軍は装備の旧式化と士気の低さから、イギリス中東軍の敵ではないと見なされてきた。しかし今、そのイタリア軍の背後には、彼らを操り、無限の物量を供給する「巨大なスポンサー」が存在していた。
太平洋において帝国海軍に機動部隊を粉砕され、ハワイへの引きこもりを余儀なくされた**アメリカ合衆国**である。
「太平洋でジャップに一泡吹かされた借りは、必ず返す。……だが、海軍が再建されるまでの間、我がアメリカ陸軍の有り余る力と工業力を、ただ遊ばせておくわけにはいかん」
ワシントンの統合参謀本部は、ルーズベルト大統領の狂乱の矛先を「ヨーロッパおよびアフリカ戦線」へと巧みに誘導した。
「ジャップの同盟国であるイギリスを、中東から完全に叩き出す。スエズ運河を奪い、大英帝国を物理的に分断するのだ」
かくして、イタリア領リビアの港には、アメリカ東海岸から大西洋の南回りを経由してきた無数の輸送船が到着。
そこから吐き出されたのは、イタリア軍への膨大なレンドリース(軍事物資)だけではない。
実戦を渇望し、星条旗を掲げた数十万の**「アメリカ・アフリカ軍」**の精鋭たちであった。
「ヘイ、マカロニ野郎ども! アフリカの砂漠の走り方を、俺たちヤンキーが教えてやるよ!」
陽気なアメリカ戦車兵たちが乗り込むのは、圧倒的な装甲と火力を誇る新鋭戦車『M3リー』、そして開発が前倒しされて大量生産が始まったばかりの『M4シャーマン』の初期型である。
さらに空には、P-40ウォーホークやB-25ミッチェル爆撃機の大群が、アメリカ陸軍航空軍のマークを輝かせて舞っていた。
イタリア軍のM13/40戦車部隊と、アメリカ軍の強力な機甲師団が完全に融合した「米伊連合軍」は、かつてない規模の装甲津波となって、リビア国境からエジプトへの大進撃を開始したのである。
### 4.アレクサンドリアの落日――エジプト防衛戦
「……嘘だろ。イタリア軍の背後に、ヤンキーの機甲師団がいるだと!?」
エジプト・カイロのイギリス中東軍司令部。
司令官のウェーヴェル大将(あるいはそれに相当する将軍)は、前線から届く偵察報告を見て、己の目を疑った。
「敵の戦車の数が違います! しかも、見たこともない重装甲の新型戦車が混じっています! 我々の2ポンド対戦車砲では、豆鉄砲のように弾かれます!」
エジプト国境の防衛線(ハルファヤ峠やシディ・バラーニ)は、アメリカの圧倒的な物量と航空支援の前に、文字通り粉砕されていた。
イギリス軍のマチルダ歩兵戦車やクルセーダー巡航戦車は勇敢に立ち向かったが、M4シャーマンの75ミリ砲によってアウトレンジから次々と装甲を撃ち抜かれ、砂漠のスクラップと化していく。
「退け! アレクサンドリアまで防衛線を下げろ! ここで野戦を行えば全滅するぞ!」
イギリス中東軍は、砂嵐に紛れて必死の遅滞戦闘を行いながら、エジプトの奥深くへと後退を重ねた。
地中海海戦で傷つき、アレクサンドリア港に逃げ込んでいた地中海艦隊の残存艦艇も、迫り来る米伊連合陸軍の砲撃と、空からの爆撃の脅威に晒されることとなった。
「艦隊を紅海へ逃がせ! スエズ運河を抜けて南へ下るんだ! ここにいては湾内で全滅する!」
イギリス艦隊は、錨を切り落とすような勢いでアレクサンドリアを放棄し、スエズ運河を通ってインド洋方面へと敗走を始めた。
エジプトの首都カイロ、そしてスエズ運河。
大英帝国をインド、そして極東(日本)と繋ぐ、最も重要で、絶対に失ってはならない「帝国の心臓の動脈」が、アメリカの戦車部隊のキャタピラによって、今まさに踏み潰されようとしていたのである。
### 5.地下室の絶望――チャーチルの涙
ロンドン、ダウニング街10番地の地下シェルター。
外界では、イギリス本土の南西部から内陸へ向けて、フランス・スペイン連合軍が進撃を続けており、連日凄惨な防衛戦が繰り広げられていた。
そこへ届けられた、地中海と中東の崩壊を告げる報告書の数々。
「マルタ島、陥落。キプロス島、トルコにより占領。……そしてエジプト国境突破され、米伊連合軍がアレクサンドリアへ殺到中」
報告を読み上げる陸軍参謀総長の声は、死人のように生気がなかった。
閣僚たちは誰も言葉を発することができず、ただ沈黙だけが重くのしかかっていた。
ウィンストン・チャーチル首相は、手の中の葉巻が燃え尽き、指を焦がしていることにも気づかないまま、虚空を見つめていた。
「……終わったのか。四百年かけて築き上げた大英帝国が、たった数週間のうちに……」
本土は蹂躙され、地中海は奪われ、インドへの道は断たれる。
太平洋の日本帝国から送られるはずだった支援も、スエズが塞がれれば届かなくなる。
イギリスは、完全に孤絶した。
チャーチルの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、敗北を認めた者の涙ではなかった。いかに不屈の精神を持とうとも、物理的な限界と崩壊の現実を前にした、一人の老政治家の痛切な悲哀の涙であった。
しかし。
彼らが絶望の淵に沈む中、地球の反対側では、まだ「彼らを見捨てていない巨大な力」が、静かに、そして確実に動き始めていたことを、チャーチルはまだ知らなかった。
### 6.エピローグ――覚醒する黄の虎(西オーストラリア)
1941年12月中旬。
大英帝国が中東とヨーロッパで血の涙を流していたのと同じ頃。
パックス・ジャポニカの南の果て、**西オーストラリア(西寧・パース近郊)**の広大な軍事基地。
そこには、太平洋の海戦(第一幕)を戦い抜いた「帝国海軍」とは全く質の異なる、もう一つの巨大な暴力の塊が、不気味なほどの静寂を保ちながら集結を完了させていた。
「……イギリスのジョンブルども、ずいぶんと派手にやられているようだな」
防塵用のゴーグルを額に上げた、**帝国陸軍**の将軍が、真夏の南半球の太陽に照らされた広大な演習場を見下ろしていた。
彼の視線の先には、見渡す限りの赤茶けた大地を埋め尽くすように整列した、15万の陸軍将兵。
そして、夕陽を反射して黒光りする、数千両もの帝国陸軍の最新鋭戦車――長砲身47ミリ砲を搭載した『一式中戦車』や、開発を急ピッチで進められた新型の重装甲戦車、さらに無数の自走砲や機械化歩兵のトラック群である。
「海軍の連中が太平洋でヤンキーの空母と戦艦を沈めてくれたおかげで、我々陸軍の出番がすっかりなくなって退屈していたところだ」
将軍の口元に、凶暴な笑みが浮かんだ。
「アメリカがアフリカに陸軍を送り込み、イギリスをいじめているらしい。……よかろう。我ら『大日本帝国陸軍』が、砂漠での戦車戦というものを、ヤンキーとマカロニ野郎の骨の髄まで教えてやる」
港湾部には、帝国海軍から融通された無数の大型輸送船団が、すでに無音で待機していた。
彼らの行き先は、太平洋ではない。
インド洋を横断し、中東・アフリカへと直接乗り込むための「遠征準備」である。
「イギリスの流した血は、我々が拭う。……全軍、乗船開始! 目指すはインド! スエズを抜いて、大英帝国を救い出すのだ!」
ロンドンのチャーチルが絶望の涙を流していたその瞬間。
極東の眠れる虎――「帝国陸軍・インド洋派遣軍(中東遠征軍)」が、ついにその巨大な牙を剥き出しにして、大英帝国救援のために西へと歩みを進め始めたのである。
絶望に染まるヨーロッパと中東の砂漠に、間もなく、これまで誰も見たことのない極東の鋼鉄の嵐が吹き荒れようとしていた。
(第七章 第四話 完)
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