52.闇夜の破壊者――呉軍港潜入作戦
海洋帝国日本史 第六章:太平洋の業火と狂乱の連鎖
## 第二話:闇夜の破壊者――呉軍港潜入作戦(1941年12月6日)
### 1.豊予海峡の亡霊――偽装貨物船の侵入
1941年(昭和16年)12月6日、未明。
太平洋の荒波が打ち寄せる豊予海峡(四国と九州の間)。日本最大の海軍拠点である瀬戸内海・呉軍港へと続く、この狭く険しい海の難所を、一隻の中型貨物船が静かに航行していた。
船体には、同盟国である大英帝国の国旗が堂々とペイントされ、マストにもイギリス商船旗がはためいている。
沿岸の帝国海軍・防備衛所から探照灯が照射され、誰何の発光信号が送られた。
『コチラハ帝国海軍。貴船ノ所属ト目的ヲ知ラセ』
貨物船の艦橋では、イギリスの商船員を装った男たちが、緊張で冷や汗を流しながら発光信号を打ち返した。
『本船ハ英領インド出港ノ輸送船「ヴィクトリア」。同盟国支援ノタメ、神戸港ヘ向カウ途中ナリ』
防備衛所の灯りが数秒間、沈黙したのち、ゆっくりと消灯された。
「……パスしたぞ。ジャップの監視網を抜けた」
男たちは、安堵の息を吐き出した。しかし、彼らの正体はイギリスの民間船乗りなどではない。**アメリカ合衆国海軍情報局(ONI)と海兵隊特殊コマンド**の精鋭たちであった。
彼らが乗る特務艦(偽装貨物船)の船倉には、積み荷の代わりに、恐るべき兵器が隠匿されていた。
航続距離は極端に短いが、海中を隠密裏に進むことができる三人乗りの**「特殊潜水艦(X艇)」**である。
作戦計画はこうだ。この偽装船で広島湾の奥深くまで侵入し、夜明け前に特殊潜水艦を海中に放出する。同時に、事前に陸路から潜伏させておいた情報機関の工作員たちと連動し、呉海軍工廠のドックや発電施設を物理的に破壊する。
はるか東の太平洋から飛来する機動艦隊の艦載機が、帝都・横須賀を火の海にするのと同じ時刻に。西の最重要拠点である呉の機能を麻痺させ、連合艦隊を瀬戸内海に閉じ込めて真綿で首を絞める。
それが、「新オレンジ計画」における極秘の国内テロ(破壊工作)作戦の全貌であった。
「夜明けまであと二時間。……ジャップの庭(瀬戸内海)は、まるで死んだように静かだ。連中、完全に油断しきっているぞ」
米軍の指揮官は、暗闇に包まれた瀬戸内海の穏やかな水面を見つめ、邪悪な笑みを浮かべた。
彼らは確信していた。この作戦は、横須賀への奇襲と同様に、完璧な成功を収めると。
### 2.提督の直感――巡洋艦『青葉』、0645時
午前6時45分。広島湾、呉軍港外洋。
どんよりとした冬の雲が垂れ込め、夜明けの海は墨汁のように黒かった。
広島湾を、一隻の帝国海軍の重巡洋艦が静かに滑るように進んでいた。
**重巡洋艦『青葉』**。
本来ならば南洋の「虎玖鎮守府」に所属する艦であるが、最新鋭の対空レーダー増設と機関のオーバーホールのため、数日前から偶然にも本国・呉に帰投し、この日は夜間航海訓練の帰途についていたのである。
青葉の艦橋。
防寒外套の襟を立て、双眼鏡で海面を睨みつけていたのは、艦長の**細川護貞大佐**であった。
かつて火地や翠海で、金髪碧眼の令嬢・麗子と優雅なハネムーンを過ごした彼も、今は冷徹な海の防人としての顔になっている。
「艦長、前方に同盟国の貨物船です。神戸へ向かうと発報していましたが、航路を外れ、呉の軍港方面へ舵を切っています。道に迷ったのでしょうか?」
航海長が、不審そうに報告した。
細川大佐は、双眼鏡のレンズ越しに、闇に浮かぶ貨物船のシルエットをじっと見つめた。
(……同盟国の船? なぜあのような吃水線の深い船が、わざわざ浅瀬の多いルートを選んで軍港へ近づく?)
その時、細川の脳裏に、将軍府秘密情報部が密かに全軍の高級将校へ発していた『非公式な警告』がフラッシュバックした。
『アメリカは完全に沈黙している。しかし、それは何もしないということではない。見えない影に警戒せよ』
「……おかしい」
細川の研ぎ澄まされた直感が、強烈な警鐘を鳴らした。
「あの船の艦尾を見てみろ。貨物船にしては、スクリューの推進波が不自然だ。それに、クレーンの配置が商船のそれではない。……何か重いものを『海に降ろす』ための艤装だ!」
「艦長! まさか……!」
「探照灯を当てろ! 同時に主砲の照準を合わせろ!」
青葉の巨大な探照灯が、突然、暗闇の海を真昼のように照らし出した。
光の束に射抜かれたのは、偽装貨物船の艦尾から、黒光りする不気味な円筒形の物体――特殊潜水艦が、まさに海面へと滑り落ちようとしている決定的な瞬間であった。
「敵艦だ!! 同盟国への偽装という国際法違反を犯した、卑劣なるテロリストだ!」
細川の怒号が艦橋に響いた。
「撃て!! 一隻も逃すな!!」
しかし、砲術長が一瞬、躊躇した。
「か、艦長! しかし相手にはユニオンジャックが! もし誤認であれば、大英帝国との外交問題に……」
「馬鹿者!! 同盟国が我が国の軍港に潜水艦を放つか! 責任はすべて私が取る、撃てと言っているのだ!!」
細川の顔には、かつての柔和な貴族の面影はなく、鬼神のような殺気が宿っていた。
この「わずかな躊躇をへし折る、指揮官の決断の早さ」が、呉軍港の運命を決定づけたのである。
### 3.湾内の死闘――轟沈と、狂気の特攻
ズドォォォォォォン!!!
青葉の20.3センチ連装主砲が火を噴いた。
至近距離から放たれた徹甲弾は、装甲など持たない偽装貨物船のど真ん中をいとも簡単に貫通し、船倉の弾薬と燃料を誘爆させた。
「ギャアアァァァッ!」
偽装貨物船は真っ二つに折れ、アメリカの特殊コマンド部隊を乗せたまま、一瞬にして広島湾の冷たい海の底へと沈んでいった。
しかし、米軍もただでは死ななかった。
「潜航艇、出ました! 3隻です!」
青葉の見張り員が絶叫した。母船が沈む直前に、かろうじて3隻の特殊潜水艦が海中へと放たれていたのである。
「爆雷投下! 湾内へ入れさせるな!」
青葉は即座に面舵を切り、爆雷を海中へ連続投下した。
ズドドドォォォン!!
巨大な水柱が上がり、そのうちの1隻が水圧で圧壊し、油と鉄くずを浮かび上がらせた。
だが、残る2隻は青葉の攻撃網をすり抜け、狂気のスピードで呉の港内へと突入していった。彼らの目的は生還ではない。最初から死を覚悟した「特攻」であった。
港内には、開戦の気配など露知らず、多くの艦艇が錨を下ろしていた。
「……敵潜水艦、港内ニ侵入! 各艦、回避セヨ!」
青葉からの緊急無電が港内に響き渡る。
「なんだと!? どこから敵が!」
停泊していた最新鋭の**指揮巡洋艦『大淀』**と、近代化改装を終えたばかりの**戦艦『扶桑』**の乗組員たちは、突然の警報に叩き起こされ、パニックに陥った。
シュルルルルル……!
海面を切り裂くような白い航跡が、真っ直ぐに大淀と扶桑へ向かって伸びてきた。特殊潜水艦から発射された魚雷である。
「面舵一杯! 間に合わん、総員衝撃に備ええぇっ!」
ドガァァァン!! ドゴォォン!!
二つの鈍い爆発音が、夜明け前の呉軍港を揺るがした。
しかし、アメリカ側の「魚雷の信頼性」は、この時代、お世辞にも高いとは言えなかった。大淀の右舷に命中した魚雷は、不発のまま装甲を凹ませただけであった。扶桑の艦尾に命中した魚雷は炸裂したものの、強固なバルジ(防雷隔壁)に阻まれ、スクリューの一部を損傷する「小破」に留まった。
「……被害軽微! 沈没の危険なし!」
扶桑の艦長が安堵の息を吐き出すのと同時に、任務を終えて海面上に浮上してしまった米軍の特殊潜水艦2隻に向け、怒り狂った港内の全艦艇から、ハリネズミのような対空機銃と副砲の掃射が一斉に浴びせられた。
ババババババッ!!
特殊潜水艦は蜂の巣となり、乗組員ごとドロドロの鉄くずと化して沈んでいった。
「……間一髪だった」
青葉の艦橋で、細川大佐は冷や汗を拭った。もし彼が直感を信じず、確認を怠って母船をスルーしていれば。もし彼が発砲を躊躇していれば。呉の港内には十数隻の特殊潜水艦が放たれ、横須賀と同じように戦艦が何隻も海底に沈んでいただろう。
細川のファインプレーにより、海からの奇襲は「致命的な失敗(軽微な被害)」に終わったのである。
### 4.鉄の街の影――陸路からの侵入者
しかし、アメリカの奇襲計画は「海」だけではなかった。
時刻を少し遡る。
呉市街。ここは1930年代から「帝国海軍の心臓部」として、海軍憲兵隊による極めて厳重な出入り規制(スパイ防止法)が敷かれた、国内最高レベルの防諜都市であった。
市民の生活のすぐ隣に巨大なクレーンがそびえ立ち、海軍工廠のハンマーの音が昼夜を問わず響き渡る鉄の街。
この厳重な警戒網を、アメリカの**情報機関(CIAの前身・OSSなど)**の工作員たちは、数ヶ月前から「同盟国のイギリス商人」や「中立国の技術者」に偽装して、執念で潜り抜けていた。
午前7時。海からの特殊潜水艦の攻撃(爆発音)を合図に、彼ら陸上の工作員たちも一斉に行動を開始した。
彼らの目標はただ一つ。呉海軍工廠の第一ドックで建造が進められていた、最新鋭の**超大型装甲空母『黒鷺』**の破壊である。
「警備の憲兵を無力化しろ。ドックの注水バルブと、艦底の竜骨にプラスチック爆弾を仕掛けるのだ」
黒い作業服に身を包んだ数名の工作員が、闇に紛れて海軍工廠のフェンスを切断し、内部へと侵入した。
彼らは優秀だった。音もなく見張りの水兵の背後に忍び寄り、ナイフで気管を切り裂いてドックの中枢部へと侵入していく。
巨大な空母『黒鷺』の艦底は、まるで鉄の山のようにそびえ立っていた。
「……仕掛け終わりました。タイマー、5分にセット」
「よし、脱出するぞ」
しかし、彼らがドックの階段を駆け上がろうとしたその時。
サーチライトの強烈な光が、彼らの逃げ道を塞いだ。
「そこまでだ、ネズミ共」
立っていたのは、白い腕章を巻いた**海軍憲兵隊**の小隊であった。呉の防諜網は、彼らの不自然な動きを完全に捉えていたのである。
「チィッ! 撃ち破れ!」
アメリカの工作員たちは、トンプソン短機関銃を構えて乱射した。ダダダダダッ!
憲兵隊との激しい銃撃戦が勃発する。工作員たちは訓練された軍人であり、一般の憲兵を次々と撃ち倒しながら、工廠の出口へと強行突破を図った。
ドゴォォォォォン!!!
その乱戦の最中、彼らが仕掛けた爆弾がドック内で炸裂した。
激しい爆炎が上がり、空母『黒鷺』の艦底付近の装甲が一部吹き飛び、ドックの注水設備が破壊された。
しかし、これもまた、装甲空母という「異常なまでの防御力」を誇る帝国の新鋭艦を沈めるには、爆薬の量が圧倒的に足りなかった。結果は「小破(工期の数ヶ月遅延)」。致命傷には至らなかったのである。
「任務完了! 海側へ逃げろ、迎えのボートが来るはずだ!」
工作員たちは、海軍工廠の岸壁へと血路を開いた。彼らは、母船(偽装貨物船)がすでに青葉によって海の底へ送られたことを知らなかった。
### 5.狩人たち――帝国海兵隊『海猫』
「……逃げられると思うなよ、ヤンキー」
岸壁へ向かって走っていた米工作員のリーダーは、突然、背筋に強烈な悪寒を感じて立ち止まった。
夜明けの薄明かりの中、前方から数つの影が、音もなく近づいてくる。
彼らは、通常の海軍の軍服を着ていなかった。
全身を黒ずくめの特殊な戦闘服で覆い、手には機関短銃や、刃が黒く塗られた軍用ナイフ、さらには日本刀のようにも見える特殊な近接戦闘用ブレードを構えている。
彼らこそ、帝国軍が誇る最強にして最凶の暗殺・対テロリスト掃討部隊。
**帝国海兵隊・特殊部隊『海猫』**である。
通常は海外の植民地や敵地での非合法作戦に従事する彼らが、この日に限って、呉の防備強化のために極秘裏に配置されていたのだ。
「何者だ!? 撃て!!」
米工作員たちは、一斉にトンプソン短機関銃の引き金を引いた。
しかし、『海猫』の隊員たちは、人間離れした動きで銃弾の雨を掻い潜った。
彼らはコンクリートの壁を蹴って跳躍し、ある者はドラム缶の陰から低空で滑り込むように肉薄した。
「アッ……!」
米工作員の一人が悲鳴を上げる間もなく、黒い影が背後に回り込み、特殊ブレードが首の頸動脈を正確に切断した。鮮血が夜明けの空に噴き出す。
「化け物か……!」
至近距離での戦闘(CQC)において、『海猫』の能力は当時のアメリカ軍の特殊部隊を遥かに凌駕していた。彼らは銃を撃つという行為すらもどかしいかのように、ナイフと素手による徒手格闘で、屈強なアメリカの工作員たちの急所を次々と破壊していった。
骨が砕ける鈍い音。肉を裂く刃の音。
それは戦闘というよりも、圧倒的な捕食者による「狩り」であった。
「……た、助けてくれ……降伏する……!」
最後に残った工作員のリーダーが、血まみれになって銃を捨て、両手を挙げた。
しかし、『海猫』の隊長は、感情のない冷たい瞳で見下ろしたまま、ゆっくりと腰の拳銃(十四年式拳銃の消音器付き特殊モデル)を抜いた。
「我が帝国の心臓に泥靴で踏み入ったテロリストに、適用する国際法はない」
パスッ。
くぐもった発砲音と共に、リーダーの眉間に風穴が開き、その巨体がコンクリートの岸壁に崩れ落ちた。
「……掃討完了。ネズミは一匹残らず駆除した」
隊長は無線機で短く報告すると、死体を蹴り飛ばし、冷徹に踵を返した。
呉の地に潜入したアメリカの情報機関員および特殊コマンド部隊は、この『海猫』の容赦ない殺戮により、一人として生きて本土へ帰ることはなかったのである。
### 6.エピローグ――致命的な大失敗と、失われた眼
午前8時。
夜が完全に明け、冬の太陽が瀬戸内海を照らし出した頃。
呉軍港は、火災こそ一部で発生していたものの、横須賀のような壊滅的な被害からは完全に免れていた。
戦艦『扶桑』と巡洋艦『大淀』は小破したものの、数週間の修理で復帰可能なレベル。空母『黒鷺』の損傷も工期が遅れる程度で、沈没には程遠い。
細川大佐の『青葉』をはじめとする帝国艦隊の主力は、完全に無傷のまま、港内で殺気を放って停泊していた。
一方、アメリカ軍にとって、この「呉潜入作戦」の結末は、単なる作戦の失敗にとどまらない、戦略的な「大破局」をもたらした。
ワシントンD.C.、海軍情報局(ONI)。
「……呉に潜入したチームから、定時連絡がありません。彼らを乗せた特務艦も、通信が途絶しました」
報告を受けた将校たちは、頭を抱えて絶望した。
「全滅したというのか……! ジャップの防諜網は、我々の予想を遥かに超えている!」
この作戦のために、アメリカは長年かけて日本国内に構築してきた「虎の子の情報網(ヒューマン・インテリジェンスのネットワーク)」の大部分を動員し、そしてすべてを失った。
この喪失は致命的であった。これ以降、アメリカは日本本土の動きや、帝国艦隊の出撃状況を正確に把握する「現地の目」を失い、深い霧の中を手探りで戦うことを強いられることになるのである。
横須賀で大成功を収めたアメリカの奇襲は、呉において、帝国の「個人の直感」と「圧倒的な防諜・対テロ能力」の前に完膚なきまでに粉砕された。
「……アメリカの奴ら、絶対に許さん」
青葉の艦橋で、細川大佐は、黒煙を上げる横須賀(帝都)の方角を睨みつけながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「この落とし前は、太平洋のど真ん中で、貴様らの機動艦隊を海の底に沈めて必ず取ってやる」
日本の反撃のマグマは、今まさに限界まで膨れ上がり、大爆発の時を待っていた。
しかし、その前に。アメリカの「もう一つの奇襲部隊」が、南洋の要衝を目指して空を飛んでいた。
(第六章 第二話 完)
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